三:戦士たちの死に急ぎ
急襲
未明、王都騎士団駐屯所の前に隊列が広がっていた。
等間隔で並んだ騎士たちの鎧の胸が仄かに明るくなり出した空の光を反射する。
「隊長、これは何事ですか。騎士団の第一部隊が総出など……」
法衣の裾を翻して現れたロクスターが問うと、騎士たちの先頭に立つ隊長が顔を上げた。
「王都近隣の村で土砂崩れが起こった。ただの災害だと思っていたが、住民が巨大な単眼の化け物を見たとか。
銀の甲冑から淡々とした女の声が響いた。
ロクスターは小さく眉を吊り上げる。
「しかし、昨夜魔族の反応はありませんでした」
「だろうな。巨人が移動すれば広範囲に被害や目撃情報やあるはずだが、それもない。村に突然現れて煙のように消えたとしか言いようがない」
「そんなことが……」
兜の隙間から覗いた目に疲労の色が浮かんだ。
「疾く調査せよとのお達しだ。他の村でも似たような問題が複数ある。災害や人的な事件として処理されているものも含めれば更にあるかもな」
「被害を受けた村の総数は?」
隊長は籠手に包まれた指を二本立てた。
予想より少ない数にロクスターは安堵の息を漏らした。その後に続いた隊長の声に、彼は目を見開く。
「二十だ。ひと晩でな」
***
夜明けの冷えた空気に身を震わせながらゼンは煙草に火を付けた。
朝靄に煙が溶け、静まり返った宿屋の光景を烟らせる。
煙を吐き出すと白い霞の中からセレンが現れた。
「早いね。煙草吸うんだ?」
緩くうねった髪を解いたまま歩いてくるセレンはまだ眠そうな声を出す。
「眠気覚ましに一本ちょうだい」
「俺のじゃねえけどな」
ゼンは箱を取り出してセレンに突きつける。彼女は指で一本摘んで唇に咥えた。
マッチ箱を探りながら、ゼンが「火は?」と聞くと、セレンは首を振る。
「あぁ、魔力だか摩擦だかでつくんだっけ……」
セレンはゼンの肩を抑えると爪先を伸ばして急に顔を近づけた。
驚く暇もなく、煙草の先端が触れ合って燻るような音を立てる。
呼吸の音ともに赤い煌めきと白い煙が色づいた。
八重歯を覗かせて笑うセレンに昨夜の暗く沈んだ横顔が浮かび、ゼンは何も言わなかった。
***
王都から迎えに来たのは行きよりも大きな荷台のついた馬車だった。
五人は膝を突き合わせてひとつの馬車に乗ってゴダード村を離れ、まだ薄暗い山道を進んだ。
「昨日の飲み比べのことだが」
ヘムロックが向かいのゼンを見据えて言う。
「そもそもの条件が勝負として成り立っていなかった。よって、あれは無効だ」
「はあ?」
座席に頭を預けたゼンが眉間に皺を寄せる。
「勝負をする前から飲んでいた量に明らかな差があった。どう見てもお前の方が少なかった」
「今さら何言ってんだよ。騎士らしくねえな」
「お前、こんなときだけ!」
ヘムロックが立ち上がろうとしたとき、馬車が大きく跳ねた。クラーレは倒れかけた彼の手を引いて座らせる。
「随分荒い運転だな」
オレアンが呟き、クラーレは荷台の窓の外を眺めた。
「というより、道が悪いようです。行きに通った場所から離れて大きく迂回していますね」
「わざわざ整備されてない方を通ることってないよね。何かあったのかな」
セレンが言ったのと同時に馬車が動きを止めた。
御者が車内を覗き込み、申し訳なさそうに言う。
「すみません、関門です」
「関門……?」
クラーレが訝しげに眉をひそめる。
馬車が停まったのは、国境の防護壁として切り立った崖の周辺をぐるりと囲む砦だった。
大きく湾曲した崖が半円を描き、それを縁取るように黄土色の壁が並ぶ様を見て、ゼンは骸骨の下顎を取り付けたようだと思う。
砦から現れた兵士たちは馬車の窓を叩き、出てくるように示す。
車内で視線が交わされ、扉の近くに座っていたクラーレとオレアンが馬車を降りた。
「一体何事ですか。通行許可は降りているはずです」
クラーレの言葉に兵士が首を振った。
「昨夜、周辺で魔物の襲撃が多発していまして。厳戒態勢を敷いているんです」
「魔物とは?」
「
兵士は向かいの崖を指さした。
「西の村では原因不明の死者が六人も。全員真っ青だったんで
別の兵士が忙しなく動き回りながら言った。
オレアンとクラーレが顔を見合わせる。
「
「先の戦争でも同盟関係になかった魔族が二種類か……きな臭いな」
砦の壁の上に広がる曇り空に、細い煙が立ち上っていた。
***
馬車に取り残された三人は、兵士たちの様子を伺いながら窓の外を眺めていた。
「何やってんだか……」
ゼンが再び座席に頭を預けたとき、白く細い指が窓枠の下から伸びてきた。
ぎょっとして見下ろすと、指の上に赤い目玉がふたつ現れる。
黒いフードを被った少女が背伸びして車内を覗き込んでいた。
「ジャリが何の用だよ」
少女は丸い瞳でゼンを見つめて目を逸らさない。
追い払おうとしたとき、横から現れた黒髪の青年が少女を引き剥がした。
「俺から離れちゃ駄目だって言っただろ……すまない、村が魔物に襲われて逃げてきた。こいつも不安なんだ」
「魔物って……何が出たの?」
セレンの問いに青年は目を伏せた。
「わからない。とにかく必死で……家族もどうなったかわからないんだ」
ヘムロックが窓から身を乗り出す。
「ご安心を。我々王都騎士団が必ず討伐してみせます」
青年は一層表情を曇らせて俯いた。少女が不安げに彼を見つめる。
「逃げてるときに考えてたんだ……」
青年は顔を上げ、彼の視線が真っ直ぐゼンを捉えた。
「魔物にも事情があって人間を襲ってるんじゃないか。何も知らずに彼らを殺すなら、人間彼らと同じじゃないか、って」
セレンとヘムロックが眉をひそめる。
「山で獣に襲われてそいつが腹減ってるつったら食われてやるのかよ」
ゼンが吐き捨てると、青年は含みを帯びた笑みを浮かべた。
少女の肩を抱いて青年が去る。
「ちょっと不思議な子だったね」
セレンが呟いたとき、車内に差し込む光が急に翳った。
窓全体を塞ぐように巨大な球体が出現した。
濡れたような光沢を持った金色の球体の中央で、黒い楕円が揺れている。
その球体が異常な大きさの眼球だと気づいた瞬間、強い衝撃で馬車が跳ね上がった。
***
轟音とともに砦の防壁が打ち砕かれる。
馬車が停留していた関門付近の壁から煙が上がり、瓦礫が崩れ落ちた。
煙の中で巨大な影が蠢く。
山がゆっくりとヒトの形を帯びていくように単眼の巨人が現れた。
「
兵士たちの叫び声が響いた。土埃の合間から無残に砕けた石畳に広がる血痕が覗く。
「戦闘開始!砲撃を始めろ!」
「まさか、さっきまで何もいなかったぞ!」
立ち尽くしたオレアンの横でクラーレが息を呑む。
「馬車は!?」
少し離れた場所に横転した馬車と窓から投げ出されたセレンが横たわっている。
クラーレは地を蹴って駆け出した。
***
鈍痛が響くゼンの身体を誰かが引きずっていた。
力強い腕が離れたかと思うと、頰に鋭い痛みを感じる。
「しっかりしろ!」
ゼンが目を開けると、ヘムロックが肩を揺すった。
「何があった……」
ぼんやりして頭を上げると、目の前に巨大な腕がある。
馬車と同じほどの大きさの拳が指を広げ、何かを探るように動いて瓦礫をなぎ倒す。
「
苦々しく呟いたヘムロックの背後で金色の眼球が光った。
「危ねえ!」
ゼンがヘムロックの足を払い、倒れた彼が先ほどまでいた場所に拳が振り下ろされる。
「何だよ、あの化けモン!」
「知るか! セレンを頼んだぞ」
ヘムロックが素早く立ち上がり、飛び交う瓦礫の間をかいくぐって巨人の腕に拳撃を加える。
すぐ横で額から血を流したセレンが倒れていた。
「おい、起きろ! とんでもないことになってんぞ!」
ゼンが肩を揺らすとくぐもった呻きが返ってきた。
「どうなってんだよ……」
彼女を抱えあげたゼンの真横を瓦礫がかすめる。
「師匠とオレアンに合流するぞ! 早く––––」
振り返ったヘムロックと、ゼンの真上に暗い影が落ちる。
巨人の両腕が迫っていた。
ゼンは意識のないセレンの頭を掻き抱く。
どうする、俺は死なない。でも、こいつは––––
ヘムロックが身を翻し、巨人の腕が振り下ろされた衝撃で振動する地面を蹴って跳躍する。
セレンを抱えたまま立ち尽くすゼンを、彼が当て身で突き飛ばした。
宙に浮いたゼンの目に、巨人の拳がヘムロックに迫るのが映る。
骨と肉のひしゃげる鈍い音が響いた。
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