魔王でなぜ悪い
「
アルキルは肩を竦めた。
眉間に皺を寄せたクラーレに女たちが踊りかかった。
クラーレ腰の剣から手を離し、拳を構えた瞬間、彼女の前に飛び出した黒い影が女たちを吹き飛ばした。
ふたりの女を床に組み伏せたヘムロックが怒りに満ちた目で
「師匠、こちらはお任せを!」
アルキルが無言で片手を挙げた。
その足元に侍っていた女が立ち上がり、身を低くしてヘムロックに突進する。
ヘムロックは片足で女の動きを制すると、腕と襟首を掴み、空中で回転させた。
音もなく女の身体が地面に転がる。
「相手が悪かったな! 自分は
弟子と視線を交わしたクラーレが駆け出した。
女たちの手が彼女を襲うより早く、ヘムロックが徒手空拳で薙ぎ倒していく。
「ゼン!」
クラーレの剣が振り下ろされ、ゼンの手錠が砕けた。
「怪我は?」
「ねえよ、あっても治る……」
クラーレは笑みを返し、剣を返して夢魔に向き直った。
甘い香りの霧の中、倒れた女たちの間にアルキルだけが立っている。
「どうする、これで終わりか!」
ヘムロックの怒声に耳を塞ぎながら、アルキルは小さく溜息をついた。
「さて、どうしようか……」
アルキルが一瞬少女と視線を交わした。
ヘムロックとクラーレが身構えるより早く、アルキルが近くに倒れていた女を引き寄せる。
「動くな!」
少女が裏返った声で叫んだ。
アルキルが抱えた女の首筋とゼンたちの前に空間を抉り取ったような穴が開く。
「あれは……?」
「
クラーレの問いに、手首をさすりながら起き上がったゼンが答える。
「下衆め……」
ヘムロックが唸った。
「陛下、最後のチャンスだ。俺たちに加われ」
アルキルは女を揺らしながらゼンに向かって笑う。
「いい機会だろ。こいつが何を選ぶか、よく見ておけよ。自分の保身に走るのか、お前らみたいに騎士らしく犠牲を選ぶのかなぁ」
ヘムロックの視線がゼンと
「結局何だ? お前らに殺されるか、こいつらに殺されるか選べってか……」
ゼンは舌打ちして一歩前に進み出る。
アルキルは慎重に周囲を見回しながら、喉を鳴らした。
虚空に空いた穴から細い霧がたなびいている。
「そいつと交換だ、俺がそっちに行く」
ゼンは女を指さして言った。
「まさか奴らの仲間になるつもりか!」
ヘムロックの声に片耳を塞いで、ゼンがもう一歩踏み出す。
「うるせえなぁ……」
ゼンは声を潜めて、隣に立つクラーレに囁いた。クラーレが一瞬身じろぎ、小さく頷く。
アルキルが女を突き放し、手を差し伸べた。
「来るんだな、陛下?」
「行かねえよ」
アルキルが怪訝に片方の眉を吊り上げる。
「仲間にならなきゃ殺すんだろ、騎士らしく死を選んでやるよ」
「交渉決裂かよ……」
「じゃあ、死ね」
ゼンの首筋に亀裂が走り、間欠泉のように血が噴き上がった。
少女の足元にゼンの首が転がり、血飛沫を浴びた少女が身を竦める。一寸置いてゼンの身体が倒れた。
ヘムロックが呆然と立ち尽くした。
「全く拍子抜けだ」
そう呟いた
暗闇を穿った穴から飛び出した剣がアルキルの肩を貫いた。
くぐもった悲鳴を上げるアルキルが睨んだ先で、クラーレが剣を投擲した手をかざしている。
「ゼン!」
霧の中の女たちが蠢く前に、ゼンの生首と身体の間を黒い液体が這った。
「何、これ!」
少女が叫ぶ間に液体が河のように広がり、ゼンの首が身体に引き寄せられる。
「カルミア、避けろ!」
鋭く叫んだアルキルが肩から引き抜いた剣を構えた瞬間、重量を持った黒い塊が剣先に叩きつけられた。
「あの穴は一方通行じゃねえ、そっちにも繋がってんだ……お前の周りの霧がこっちにも流れてきてんの見てわかったよ」
黒い液体が凝固し、禍々しい鉤爪を作った腕を振り抜いてゼンが口元を歪める。
「クソガキが!」
アルキルが剣を振るい、ゼンは後方に飛び退った。
「首が吹っ飛んだのに……」
目を見開いた少女にゼンは言った。
「
震える少女を横目に、アルキルが肩を抑えた。
「怯んでんじゃねえよ、ブス。とっくに魔王の魂と癒着してたって訳か……まぁ、いい。こっちには人質がいるんだ」
クラーレが懐から錆びた釘を取り出す。
「お待ちください、師匠!」
ヘムロックが悲痛な声を上げた。
「これ以上呪殺を打ったらお身体が……」
ふたりの脇をすり抜けて飛び出したゼンの攻撃が、アルキルの構えた剣を弾き飛ばす。
「話聞かねえガキだな、騎士の精神はどうしたんだよ!」
回転して避けるアルキルの前に女が飛び出した。ゼンは拳を握りしめる。
「お袋でも嫁でもねえ女なんか知るかよ。どっちもいねえけどな」
拳を振り抜く前に、ヘムロックに脚を払われたゼンが勢いよく吹き飛ばされた。
「馬鹿! 本当に人質を巻き込む奴がいるか!」
アルキルが乾いた声を上げた。
「あーあ、本当に気の抜ける奴らだ……カルミア、来い」
少女が慌ててアルキルの元に駆け寄った。
霧が薄くなり、甘い芳香に変わって腐臭と呻き声が響く。
「これは、
ヘムロックの声に痛みをこらえながら
「あの野郎の残り物を使うのは気に入らないけどな。騎士ども、女たちが殺されないように守ってやれよ」
アルキルと少女を囲うように黒い輪が広がった。
「陛下、後で後悔するぜ。ここで妥協しとけばよかったってな」
ゼンは答える代わりに血の混じった唾を吐いた。
「逃しません!」
クラーレが錆びた釘を握りしめた瞬間、穴に吸い込まれるように
霧が晴れ、死者たちがぎこちなく進み出す。
クラーレは剣を拾って、弟子たちを振り返った。
「死人は私が引き受けます。ふたりは女性たちの保護を––––」
言い終わる前に、ゼンが音を立てて頭から倒れ込んだ。
「しっかりしろ、まだ敵は残っているぞ!」
ヘムロックに揺さぶられたゼンの身体を覆っていた黒い塊が溶け出し、鼻と口から暗褐色の血が流れ出す。
クラーレは逡巡して剣を握り直した。
「ヘムロック、ゼンを頼みます」
彼女は地を蹴って、床に伏せる女たちに這い寄る屍の群れに飛び込んだ。
擦り切れた腕が一斉に襲いかかろうとしたとき、爆音とともに死者たちの頭が爆ぜた。
「間に合った? すごいことになってるね」
くすぶる煙を払ってクラーレが顔を上げると、破れた扉から射す光の中に長身の女が立っている。
「
クラーレの声に、女は歯を見せて笑うと力強く頷いた。
ヘムロックは意識を失ったゼンを担ぎ上げながら叫ぶ。
「床の女性たちは狙わず、死者だけを撃ってくれ!」
返事の代わりに激しい音と衝撃が死者たちに降り注いだ。
***
振動でゼンが目を覚ますと、クラーレの髪が鼻先をくすぐった。
「何かこの状況、前にもあったよな……」
ゼンを見下ろす彼女の長い髪の上に、同じ色をした夜空が広がっている。
「死者とか、女とか、どうなった……?」
「射手が合流してくれたお陰ですぐに片付きました。彼女は今、別の馬車で王都に向かっています。夢魔に使われていた女性たちも正気に返り、修道院で保護されています。貴方も、私たちが行くまでよく持ちこたえてくれましたね」
ゼンが目を逸らしたとき、三人を乗せた馬車が静かに停車した。
クラーレの肩を借りて馬車を降りると、後に続いたヘムロックが「おい」と呟いた。
「何だよ」
ヘムロックは腕を組み、顔をしかめてゼンを見る。
「お前は考えが甘すぎる。敵に捕まり、迎えに来た師匠まで危険に晒し、魔王の魂がお前を助けたからよかったものの、あのままでは死ぬところだったんだぞ」
「何だ何だ、説教か?」
「そうだ」
彼は眉間に皺を寄せたまましばらく黙りこくると、いつになく小さな声で続けた。
「しかし、自分を犠牲に人質の女性を助けたところは評価すべきだと思っている。お前にも欠片ほどは騎士の精神があった。不本意だが、それは認める」
ゼンは薄目でヘムロックを見返した。
ゼンは決まり悪そうに口をつぐむ彼に近寄ると、思い切りその尻を叩く。ヘムロックが悲鳴を上げた。
「馬鹿か、ハッタリに決まってんだろ。死なねえってわかってるからやったんだよ。首切られたら頭と身体どっちから復活するか試したかっただけだ。都合よく気色悪ぃこと考えてんじゃねえ」
「お前、ひとが歩み寄ろうとしたときに!」
靴底が砂利を噛む音が響き、夜風に白金色の髪をなびかせたロクスターが近づいてきた。
「お疲れ様。頑張ってきたようだね」
クラーレが目礼し、首を振る。
「夢魔は逃してしまいました」
「人質は救出できたんだろう? 充分さ。それに……」
彼は口元を緩ませて、ゼンとヘムロックを見た。
「仲良くなれたみたいだね」
「どこがだよ……」
「いいえ、こいつは悪辣な魔族です!」
ロクスターがクラーレに視線を移す。
「それだけは確かです」
クラーレはふたりの弟子を眺めて小さく微笑んだ。
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