キャピタル・ナイツ・ゴー・スラム

 水の中で聞くような遠い声が響き、ゼンは目を覚ました。


 騎士団への正式な入団手続きが済むまで、物置き代わりだった部屋がゼンの私室として与えられた。


 今までは扉も壁も傾いた部屋ごとの仕切りのないバラックで、床に敷いた一枚の布に包まって寝ていた。

 夜明けの色に沈む部屋でベッドに横たわり、脇に押し退けた資材の山を見ながら、いつも目覚めたときにあった床の感触と背骨の痛みがないことに気づく。


 毎朝、目覚めて最初に見るのが壁の穴越しに覗くジニトの脚だったことも思い出し、ゼンがまだ重たい頭を振ったとき、再び声がした。


「朝っぱらからうるせえなぁ……」


 ゼンが部屋を出ると、火の消えた冷たい燭台が並ぶよく廊下の先にヘムロックが立っていた。


「師匠! 入ってもよろしいですか」

「駄目です」

 部屋の扉越しにクラーレの声が答えた。

 拒絶の言葉にヘムロックが捨て犬のような表情を浮かべる。

「着替え中です」

「し、失礼しました!」

 扉に鼻がつきそうな距離に立っていた彼が慌てて身を引く。


「どうかしたのですか?」

 しばらく間を開けて響いた師の声に、ヘムロックは俯いて言った。

「お身体は、そんなに悪いのですか……」

「なぜそう思うのですか?」

「以前は平時まで武装なさってはいなかったはずです。鎧の支えがなければ身が保たないほどかと思い……」

 ゼンは息を潜めて声の方向に耳を澄ました。


「大丈夫ですよ、これは矯正器具サポーターのようなものです。いずれ何かあったときに、身体が崩れないよう支えているだけです。今は問題ありません」

 そう答えるクラーレの声は痛みに耐えるように掠れていた。金属の擦れる音が小さく響く。


「師匠、少しお休みになってはいかがですか。自分が代わりに……」

 言いかけたヘムロックが弾かれたように顔を上げた。


「魔族、盗み聞きか!」

 ゼンは舌打ちして暗闇から出る。

「手前の声がデケえんだよ。聞きたくなくても聞こえる」

「ふざけるな!」

 ヘムロックが拳を握ったとき、ドアが開き、騎士団の黒い詰襟の制服に着替えたクラーレが現れた。

「みんなと仲良く、ではありませんでしたか?」

 ふたりを見比べる彼女の服の袖や襟元からは包帯が覗いている。

 ゼンは目を逸らした。

「おはようございます。それでは、行きましょうか」


 そういって前に進み出たクラーレの足取りに危ういところは微塵もなかった。



「王都の壁から西に行った場所の貧民街スラムで住民の失踪事件が多発している。君たちにはこれから調査に向かってほしいんだ」


 机の上で手を組んだロクスターが言った。


「ゼン君には言うまでもないが、貧民街スラムで住民の失踪は日常茶飯事だ。戸籍も正式な住所もないから探すことは困難……でも、今回は少し事情が違ってね。失踪しているのが全員女性なんだ」

 クラーレが片方の眉を吊り上げる。

「年齢も仕事もバラバラ、でも、女性ということだけ共通している。その上、最近失踪した女性の目撃情報では、だいぶ前に失踪したはずの女性と一緒にいたらしいんだ」

「組織犯罪でしょうか?」

 ヘムロックの問いに答える代わりに、オレアンが書類の山から一枚の紙を抜き出して机に広げた。


「目撃された女たちに共通していたのがこの刺青だ」

 紙面には赤いインクで、奇妙な花か動物の内臓が複雑に絡み合ったような紋章が描かれていた。

「淫紋……夢魔インキュバスですか」

 クラーレが顎に手をやって呟き、ロクスターが首肯を返す。



「調査はクラーレ、ヘムロック 、ゼン、三人で当たってもらいたい。行けるかな?」

 ヘムロックが目を剥いた。

「なぁ、俺とコイツじゃ仕事になるものもならねえだろ」

 溜息と共に言ったゼンにロクスターが微笑む。

「まだお互いをよく知らないからね。この仕事を通して仲良くなってほしいんだ」

「あんた人事向いてねえんじゃねえか……」

「そう言うことを言ってはいけません」

 クラーレがゼンの顔を覗き込んで言う。


「では、行きましょう」

 彼女に引きずられるように部屋を出たふたりを見送って、ロクスターは小さく笑った。

剣士ソルジャー、彼を見てどう思った?」


 机の脇に立ったオレアンが目を伏せる。

「人心がないとは思いません。長期的なものの見方や、抽象的な概念を理解できないだけだ。悪人ですらない、貧民街スラムによくいる類の男です」

「君はいつも慎重に言葉を選ぶね」

 オレアンは答えなかった。


「愛情があるのと身内に甘いのは違う。思うに彼は後者を理解できても、前者はできないんだ」

「情操教育でもなさるおつもりで?」

「それもいいけど、少し時間が足りないな」

 ロクスターは卓上のペンを手にとって、先端で虚空に円を描いた。

「身内を増やしてしまえばいいんだよ。人類の平和のために、まずは汝の隣人を愛してくれるといいな……」



 ***



 王都を環状に取り囲む道路を一台の馬車が走っている。

 黒塗りの荷台が揺れるのは、路面の凹凸のせいだけではなかった。


「魔族のお前が王都騎士団用の馬車の乗車を許され、手枷も目隠しもつけられないのは、ロクスター様と師匠の温情によるものだ! 感謝の念を忘れるなよ!」

「魔族じゃねえし、狭えし、うるせえよ……」

 座席の真ん中に座ったヘムロックの硬い肩に押されながら、ゼンが舌打ちする。


「で、何でお前が俺の隣座ってんだよ」

「私が真ん中に座ると言ったのですが……」

 クラーレの言葉を遮るようにヘムロックが声を張り上げた。

「お前みたいな不埒な奴の隣に師匠を座らせることができるか!」

「そうかよ、もうこっち来るとき隣に座ったけどなぁ」

「何だって! そうなのですか?」

「そうなのです」


 ゼンが馬車の座席に頭を預けて吐き捨てる。

「俺が気に入らねえならとっとと魔王殺せるぐれえ強くなりゃあいいだろうが。雑魚のくせに声だけデケえんだよ」

「何だと!?」

 ヘムロックが腰を浮かせ、馬車が傾く。それを片手で制したクラーレが笑みを含んだ声で言った。

「魔王を殺せるのは勇者だけです。勇者の剣が消失している今、実質的に誰もできないのと同じ。その点では私も雑魚ですよ」


 ゼンは気まずそうに視線を泳がせてから呟いた。

「まぁ、あんたは……じゃあ、強い雑魚ってことで……」


 再び大きく傾いた荷台を揺らしながら、馬車は西の貧民街スラムへと進んだ。

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