鑑定士と寄る辺のない人非人

 白い尖塔が中央を貫くような騎士修道院を指して、クラーレが言う。


「あれが私たち勇者陣営の拠点です」

 ゼンは彼女の指の先を眺めた。建物の遥か向こうに騎士修道院に似た造りだが、何倍も巨大な城が見える。


「で、あっちにあんのが王の城か?」

「ええ、そうです」

「勇者って王都騎士団員の扱いなんだろ。城の中にいるんじゃないのか」

 クラーレは首を振った。

「王城を守る近衛兵団は別に存在します。我々はあくまで騎士団の中の一部隊、辺境の調査にあたる派遣兵団という扱いです」

「世界を危機から守ってるんじゃねえのかよ」

 クラーレは苦笑した。


「多くの国民とって、勇者も魔王も伝説の一部にすぎません。転生の話をしてもにわかには信じ難いでしょう。魔王陣営による襲撃は表向きはあくまで魔族が起こした関連性のない事件として我々が処理しています」

「そんなんでいいのかよ」

「諸外国との軋轢や、辺境の盗賊団、国内での不和、魔王以外の危機もはたくさんありますから」

「世知辛いことで……」

 ゼンは吐き捨てて、停止した馬車の荷台から降りた。



 騎士修道院を円型に囲う鉄柵の前に、ふたりの青年が立っていた。

 クラーレがゼンを振り返って言う。

「ふたりとも私と同じ転生者ですよ。黒髪の彼はオレアン、前世では勇者陣営の剣士ソルジャーでした。金髪の彼は拳士ファイターのヘムロックです」


 金髪の青年、ヘムロックがふたりを見とめると、目を輝かせて声を張り上げた。

「師匠!」

「師匠?」と、ゼンが呟き、クラーレが首肯を返す。

「ええ、彼も貴方と同じ私に師事した騎士です」

「騎士になったつもりはねえよ……」


 駆け寄ったヘムロックが息を切らせながら、クラーレの前で姿勢を正す。

「長旅お疲れ様です、ご壮健で何よりです!」

「貴方の武功も届いていますよ。南方でエルフを制圧したとか」

 額に傷の残る戦士然とした顔で子どものように笑う。

「声がデケえ。そういう魔術か?」

「彼のは地声です」


 ヘムロックがゼンに視線をやって笑みを打ち消した。

「お前が魔王か?」

「みたいだな」

貧民街スラムの出身とは聞いていたが言葉遣いがなってないな。それでクラーレ様の弟子が務まるとでも?」

「手前の許可が要んのかよ」

「厳選された騎士しかクラーレ様の弟子にはなれないんだ! 何故お前なんかが……」

「私はあちらこちらを飛び回っているので弟子を取る機会が少ないだけで、条件は設けていませんよ」

「そうなのですか!?」

「そうなのです」


「その辺にしておけ。騎士の博愛の精神はどうした」

 黒髪の青年、オレアンが首を振る。

「魔族に向ける愛などない」

「じゃあ、相棒への愛情は持ってくれ。お前がやらかしたら俺まで連帯責任だ」


 ゼンは肩をすくめた。

「子守かよ、大変だな」

「お前の状況ほどじゃないさ」

「喧嘩売ってんのか?」

 ゼンの鋭い視線をいなして、オレアンが言う。

「本心だよ。魔王の魂がどれだけ厄介か知ってるからな……あの塔で魔道士メイジが待ってる」


 見上げると、白い尖塔が虚空を突き刺す針のようにそびえていた。




 等間隔に並んだ燭台が仄灯りを差す廊下を進みながら、ゼンは隣を歩くクラーレの耳元に寄せて聞いた。

「なぁ、これから何があるんだ」

 彼女は正面を見つめたまま、歩みを止めずに答える。

「貴方の鑑定が始まります。嘘や隠し事はなく正直に答えてください。大丈夫、いざというときは私がいます」

「いざって何だよ……」

 答えはなく、鎧の関節が触れ合う静かな金属音だけが響いた。


「お連れしました」

 突き当たりにある朱塗りの扉をヘムロックが叩く。

「どうぞ」

 中から響いたのは、場違いなほど穏やかな声だった。



 扉が開かれ、目の前に細身の若い男が立っていた。

 白金色の長い髪を垂らし、法衣のような服を纏った男は、騎士というより学者か聖職者のようだった。

 クラーレのいういざというときも、これなら自分だけでどうにでもできそうだとゼンは思う。


「君が、魔王陛下かな?」

 男はゼンの身体を透かして遠くを眺めるような目で言った。

「まずは手前が名乗れよ」

 無礼だぞと叫ぶヘムロックを横目に、男は苦笑して手を差し伸べた。

魔道士メイジ、ロクスター。王都騎士団の事務を総括している者だよ」

「事務?」

「僕は弱くてね。この中で最弱だ。とても戦場には出られないけれど……」


 ロクスターは不審を露わにしたゼンの手首を掴んだ。

 その瞬間、心臓の奥が槌で打たれたような衝撃が走り、ゼンは手を振りほどいて飛び退いた。

「魔族を感知することができる……確かにいるね、君の中に魔王が」

 息を荒くしたゼンの肩を背後にいたオレアンが抑える。


 ロクスターは背を向けて、部屋の中央の机まで進むと、向かい合った二脚の椅子の片方を引いた。

「もっぱら襲撃を予測でして兵を派遣するのが僕の仕事だ。座ってくれ」

 肩を押されるまま椅子に座ったゼンが振り返ると、騎士ふたりの間に立つクラーレが無言で頷く。


 机の上には水を張った真鍮の皿が置かれていた。

 その中に数本の針が沈んでいる。


 ロクスターはその一本を摘んで、自分の指の先を刺すと、水の中に血を垂らした。赤い雫が糸のように解け、針がひとりでに水面に浮かぶ。


「これは魔族の魂を感知するものだ。僕がする質問に正直に答えてほしい」

「何が目的だ」

「君が人間か魔王か見極める」



 ロクスターは机に肘をついて手を組んだ。

「君の名前はゼン。貧民街スラムの出身で、死体泥棒で日銭を稼いでいた。そして、魔族に目をつけられ、魔王の器に選ばれた。間違いはないかな?」

 ゼンは憮然として頷いた。

下級魔インプはなぜ君を選んだか理由を言ったかい?」

「……俺は選ばれてない」


 水面の針が小さく震えた。

「俺は貧民街の奴とふたりで仕事してたんだ。俺じゃなく、もう片方が選ばれた。俺はその下級魔インプとか言うのに用無しだって言われて、刺されて、魔王の死骸に手を伸ばして……気づいたらこうなってた」


 ロクスターは静かにゼンを見返した。

「なぁ、何で俺なんだ?」

 背後にいるクラーレたちの表情は見えない。ロクスターはしばらく考え込んでから口を開いた。

「君の友人より君の方が魔王に近いものを持っているのかもしれないな」

「近いものって?」

「悪意だよ」

 穏やかな声と裏腹に、言葉の響きは冷たく鋭い。


「魔王は人心を介さず、情愛を持たず、全てを破壊する災厄だ。より酷薄でより悪辣な器を選ぶのかもしれない」

「ロクスター」

 クラーレの声が制するように響いた。ロクスターは苦笑する。


「もう少し君を詳しく知りたいな。家族は?」

「いねえよ」

「持ちたいと思ったことは?」

「手前が生きてくのに精一杯なのに?」

「子どもも?」

「ジャリはうるさくて嫌えだ」

 ロクスターは額を掻いた。


「君が生きる理由は?」

「死んでねえから」

「愛や友情について考えたことは?」

「金持ちの趣味だな」

「まだ幼い子どもが悲惨な事故で死んだらどう感じる?」

「ジャリが死んだんだなと思う」

「川で高利貸しの老人と結婚したばかりの貧しい夫婦が溺れていたら、どちらを助ける?」

「金をくれる方」

 問いと答えに合わせて水面の針が生き物のように動き回った。


「最後に……魔王の器に選ばれたという友人は今、どうしている?」

「……今はいない」

 針の先端がゆっくりとゼンの方を向いた。

「亡くなったのかな?」

「死んでねえ、いないだけだ」

 ロクスターの沈黙に呼応するように、ゼンに狙いを定めたままの針が静止した。

「好き勝手言いやがって……死んでねえよ」


 ロクスターはひと呼吸置いて組んだ手を解いた。

 それと同時に針が水面に沈む。


「どうですか」

 クラーレの緊張した声が響いた。

「半々、というところかな」

 ロクスターは椅子を引いて立ち上がり、ゼンと背後の三人に向き合った。


「確かに魔王と同調している。しかし、魔王の意識は眠っているのか、表面には現れて来ない」

 ゼンは逆光を受けたロクスターの顔を見上げる。

「ひとまず、彼は人間と考えていいと思う」


 クラーレが細く息を漏らす音が聞こえた。張り詰めていた空気がわずかに緩む。


 机の縁に触れながらロクスターは言った。

「ゼン、君と呪術師ソーサラーの師弟関係を認め、王都騎士団の一員として認めよう。これからは僕たちと任務に当たってもらう」


 三本の指がゼンの前に出された。

「目的は大まかに三つだ。ひとつ目は今まで通り魔族の鎮圧、ふたつ目は君から魔王を引き剥がす方法の調査。みっつ目は現在消失している魔王を殺せる唯一の武器、勇者の剣の捜索。この意味がわかるかい」

「馬鹿でクズな奴にもわかるように」

「みんなと仲良く仕事をしてね。君が人道を外れて、今より魔王との結びつきが濃くなったら、速攻で君を処刑する手段を大急ぎで揃えておくからね……これでいいかな?」


 ゼンは椅子の背にもたれて吐き捨てた。

「わからなきゃよかったってぐらいわかったよ……」


 ロクスターは後ろ手に手を組んでゼンを見下ろした。

「王都騎士団へようこそ」


 ヘムロックが不服そうに腕を組み、オレアンが小さく息をついた。

 立ち上がったゼンの両肩にクラーレの手がそっとかかる。

 銀の籠手に包まれた手は、武骨な様相に反して優しくゼンの肩を叩いた。



 ***



 窓のない部屋に息が詰まりそうなほど甘い香気が立ち込めていた。


 充満した薄紫色の霞の中で、女たちが眠っている。

 絨毯や毛皮や織物を掻き集めた敷物の上で裸のまま眠る女たちは、布と絡み合って巨大なパッチワークのように見える。


 白い肌を掻き分けるように、中央で少年のように髪を切り詰めた女だけが身を起こしていた。


 女は他の女の上に灰を落としながら煙草の煙を吐いていたが、近くの少女の足が震えたのに気づいて、乱暴に彼女の踵を持ち上げた。

「こいつ、素面かぁ……?」


 しばらく少女の脚を眺め回してから捨てるように手を離すと、女は頭を掻いた。痩せた鎖骨には花と内臓を模したような刺青が彫られている。

淫紋タトゥーだけじゃ催眠もろくに保たねえか。全く……何でおれが女の身体なんだよ」


 眠る女たちをぐるりと囲う薄いカーテンが揺れ、上ずった声が響いた。

「あの、あたし、戻ったけど……」

 刺青の女が声の方を睨む。

「何だ、ブス」

「魔王陛下の容れ物が呪術師ソーサラーと王都に入ったって……どうする?」

 生温かい風でカーテンがはためいた。

「王都に監禁されてんなら様子見だ。出てくるようならお前が壁の向こうに連れ出せ。そこからは、おれがやる」


 部屋に満ちる薄紫の霧に、女の赤い眼光が滲んで妖しく輝いた。

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