ゾンビ特急王都行き
馬車道は死者の群れが奔流になって埋め尽くしていた。
路肩に乗り上げて横転した一台の幌馬車から死者が次々と降りてくる。
馬の下敷きになった死者が身をくねらせながら這い出した。折れた車輪が突き刺さった身体に、乗合馬車の御者然とした衣装を纏っている。
「周到な……魔族の手合いですね」
甲高い悲鳴が響いた。
すぐ後ろを走っていた馬車が、死者の群れに襲われ、荷台の上の乗客が身を寄せ合って迫り来る腕を必死に払っている。
「ゼン!」
クラーレは抜き身の剣を押し付けた。
「使ってください」
彼女は襲撃の最中の馬車に向かって駆け出した。ゼンは向かってきた死者の頭に剣を叩き込んで叫ぶ。
「あんたはどうする!」
クラーレは彼に向き直って、口元に笑みを浮かべた。
「
彼女は両の耳から耳飾りを外し、地面に叩きつけた。
割れた宝飾の破片から赤い液体が染み出す。
「血を代償に死者たちを打て」
クラーレがかざした手の先で、乗合馬車に組み付いた死者たちが見えない衝撃に打たれて剥がれ落ちる。
震える乗客に向かって彼女が叫んだ。
「王都騎士団です! そこから離れずに救助を待ってください!」
クラーレが指を構え、足元の耳飾りが砕ける。
死者たちが呻きを上げて次々と倒れた。
「心配して損だったな!」
ゼンは飛びかかった死者の胸に剣を突き立てた。死者は呻きを上げて、悶えながら必死で組みつこうとする。
「固え……」
背後に迫った死者の口に剣の柄を叩き込む。両端に死者をぶら下げた剣はびくともしない。
死者たちがゼンに向かって進み始めた。
「ゼン!」
振り返ったクラーレの袖に乗客のひとりが縋った。
「あっちには行っちゃ駄目だ、向こうの火薬を運んでた馬車が転がってる! 爆発するぞ!」
クラーレは苦々しく前方を睨んだ。
「いいこと聞いたな……」
ゼンは全身に噛みつく死者たちを引きずりながら、ゆっくりと腹を見せて路傍に転がった馬車の方へ進んだ。
皮膚をちぎろうと伸びてくる無数の腕を払いのけながら、クラーレが手渡したマッチの箱を取り出す。
数本が箱から零れ落ち、何とか掴んだ一本を咥えた。
ゼンの歯に挟んだマッチの先端が箱の脇を擦り、リンの匂いが広がる。
「そっちが生き死人だろうがこっちは不死身だ」
炸裂した炎がゼンごと死者たちの群れを焼き払った。
燃え盛る火の色が空に映っているように見えた。
路上に寝転んだゼンが目を開くと、辺りに黒煙が燻り、斬り裂かれた死者が散らばっている。
夕暮れの空に夜の帳が降りるように黒髪が垂れ、見上げるとクラーレが子どもを叱るような表情を浮かべている。
「ふたつ約束してください」
銀の鎧に夕日が照り、赤く焼けるように輝いている。ゼンは彼女が羽織っていた外套をどこにやったかのかと思い、自分の身体の上にそれが広がっていることに気づく。
「ひとつは不死身だからと言って無茶をしないこと。ふたつは生き死人に火を使わないこと。人間を火葬できるほどの温度はそう出ません。燃える死人を倒すのは骨が折れます」
ゼンが外套の端を摘んで持ち上げると、身体には火傷ひとつないが服の端々が焼け焦げているのが見えた。
「あんた、日が暮れるまでずっとそこに座ってたのかよ」
「弟子を置いて帰る師はいません」
「そういえば、そういうことになってたっけ……」
クラーレは煤を払って立ち上がった。
「動けますか? 騒ぎを聞いて仲間が王都から馬車を派遣してくれました」
ゼンは身を起こし、ずり落ちる外套のボタンを止め直して彼女の後を追った。
王都から派遣された馬車は、幌の代わりに黒い木製の屋根がついていた。
道も舗装され、襲撃を防ぐためか両脇に防壁が取り付けられている。
馬の給水のために歩みを止めた馬車の座席に頭を預けて、クラーレが言った。
「この道路は円環になって王都を囲んでいます。通行証がなければ通れない。加えて、この壁は私と
「
「すぐに会えます」
向かい合って座ったゼンは水桶に顔を突っ込む馬を眺めながら、貧民街で行商人に睨まれながら水を飲んだことを思い出す。
「馬車に乗ったのは初めてだ……」
汚れた小さな手が遠慮がちに馬車の荷台を叩き、籠を抱えた少女が現れた。
「騎士さんたち、長旅お疲れ様です。お腹は空いていませんか」
両手に余る籠の中には殻に絵を描いた卵がぎっしりと詰まっていた。
クラーレがその中からふたつ選び、少女に銭貨を渡す。
手を振って去っていく少女を見送って、彼女は卵のひとつをゼンに渡した。
「茹で卵の殻に絵を描いて、土産物として売っていることが多いんですよ。上手く割れればそのまま飾りにもできますが、私はいつも駄目にしてしまいます」
クラーレは注意深く卵を叩いたが、殻は粉々に砕けた。
「下手くそ」
「そういう貴方は?」
ゼンは卵の端を馬車の座席にぶつけて割った。
花と小さな城を描いた表面にひびが入り、色の混じった欠片になる。
クラーレが口元を抑えて笑った。
「卵の中身食うのも初めてなんだよ」
「中身、ですか?」
「食うもんがねえとき、時々ジニトと酒場の裏に行って捨ててある殻だけ食ってたんだ。他のごみだと腹壊すけど、殻だったら腐らねえだろ」
クラーレはゼンを見つめてから席を立ち、彼の隣に座った。
「王都にはいろいろなものがありますよ。これから私と一緒にいろいろなものの中身を食べましょう」
「気色の悪い言い方だな……」
ゼンは眉根を下げて苦笑した。
馬車が夜道を再び進み出した。
***
王都の東に位置する騎士修道院の尖塔にある一室で、白金色の長髪の男が街を見下ろしていた。
痩せた肩には騎士らしい筋肉の隆起は見て取れない。
細面の顔を夜光に染めながら男は呟いた。
「
彼の背面にはふたりの青年が後ろに手を組んで直立していた。男は振り返って言う。
「
すかさず、短い金髪を額にかからないよう撫で付けたまだ幼さが残る青年が声を張り上げた。
「疾く勇者様を召喚し、処刑すべきです!十九年前の惨劇を繰り返してはなりません」
「
男が視線を横に投げると、黒髪の色白な青年が首を振った。
「勇者の剣が消失している今、下手な方法で処刑するのは魔王の魂を刺激しかねません。幸いまだ覚醒はしていないようですから、剣の捜索を急ぎながら保留でいいかと」
「何を日和ったことを、魔王が目覚めてからでは遅いんだぞ!」
大声に黒髪の青年が片耳を指で塞ぐ。
男は苦笑して、再び窓の外を眺めた。
「クラーレの見立てを信じたいところではあるな。とにかく、その青年が戻ったら僕直々に鑑定にかけよう。ひとか魔王か、見極めなくては」
ゼンとクラーレを運ぶ馬鉄が道を削る冷たい音が、騎士修道院まで響き始めていた。
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