一:師弟の旅始め
ショートデイズ・ジャーニー
未明、貧民街の外れの療養施設は霊廟のように静まり返っている。
朝日が青い壁を照らし湖の底のような光景になった病棟の一室で、少年がベッドに横たわっていた。
「ジニト……」
ゼンは少年の冷え切った頬に触れた。鼻先に手をかざしても温かい呼気を感じることはない。
ゼンは乱れてもいない布団の裾を二、三度弄って病室を出た。
施設の門柱にもたれていたクラーレが顔を上げた。
「行きましょうか」
門の前には白い幌のかかった馬車が停まっていた。
「あんたが嘘ついてないことはわかった」
馬車の振動に揺られながら呟いたゼンの言葉に、クラークは静かに笑う。
「それはよかった」
紫煙を吐き出す彼女の横顔を見て、ゼンはしばらく黙ってから口を開いた。
「俺、あいつの髪、茶色だと思ったんだ」
小石を踏んだ馬車が小さく跳ねる。
「いつも泥だらけでわかんなかったけど、今日見たら金髪なんだ。初めて知った。ちゃんと洗ってもらったんだな……」
クラーレは次々と後ろに流れていく馬車道を眺めながら言った。
「……魔王は元は人間だったそうです。家族や友人、妻子、次々と大切な者を生贄に捧げ、強力な魔力を得て魔王になったとか。貴方は彼とは違う、そう思っています」
ゼンはかぶりを振って、ふと目に垂れる前髪を睨んだ。
「そういやあ、俺の髪も茶色だったはずなんだよなぁ」
彼がつまみ上げた髪は今、老人のような白に染まっていた。
「おそらく魔王の魂が入った影響で変質したのでしょう」
「昔、拷問されまくった囚人が爺みたいな白髪になっちまったって聞いたことあるぜ。あんたが俺を殺しまくったせいじゃねえだろうな?」
「濡れ衣です。私が見つけたときにはもう今の色でしたよ」
ゼンは鼻から息を吐くと、煙草を握ったクラーレに手を突き出した。
「一本くれ」
「今おいくつですか?」
「知らねえ。生まれたときから親なんかいねえんだ。誕生日もわかんねえよ」
「……大人ということにしときましょうか」
ゼンは受け取った煙草に火をつけ、煙とともに言葉を吐き出した。
「魔王を生き返らせようとしてる奴がいるってのはわかった。前、あんた勇者がどうとかって言ってたよな。勇者も生き返ってんのか」
「ええ、そうです。魔王がある限り勇者があり、勇者がある限り魔王がある。転生、というべきでしょうか。かつて魔王と戦った勇者陣営の戦士たちが次々と目覚めています」
クラーレが彼の方に身体を向けた。
「私は、この世界に生まれてくるのは二度目なんですよ」
ゼンが訝しげに眉をひそめる。
「私は十六のときまで何も知らずに生きてきました。それがあるとき、急に前世での記憶を思い出した。魔王を倒すという使命も。そして、魔物を倒すうちに一足先に王都で目覚めていた勇者様に見出され、今こうして戦っているところです」
「その転生とか使命とかとあんたの寿命って関係あるのか?」
「記憶とともに前世で使っていた魔力が戻ったんです。私は
クラーレは手を広げてみせた。
「使いすぎたんですよ。私の身体は穴だらけです」
事もなさげに手を広げてみせる彼女から目を逸らし、
「高尚なことで……」
と、ゼンは吸殻を投げ捨てた。
クラーレが眉間に皺を寄せる。
「いけませんよ、火事になってしまいます。拾いなさい」
「火なんか消えてんだろ。馬車が走ってんのにどうやって拾うんだよ」
ゼンが声を上げた瞬間、馬がいななき、馬車が急に動きを止めた。
「これで拾えますね」
「馬鹿じゃねえか……」
幌が乱暴に跳ね除けられ、蒼白な顔をした御者が現れた。
「悪いけど降りてくれ」
「どうかしたのですか」
御者が背後を何度も振り返りながら苛立ったように声を上げた。
「いいから降りろよ! 俺は逃げるからな、あんたらも死にたくなかったら降りてくれ」
そう言って駆け出した御者の背が見る間に小さくなる。
「何だ……?」
身を乗り出したゼンをクラーレが片手で制した。
「私が先に出ます」
「あんた今吸殻放り捨てなかったか?」
「緊急事態のようですから」
クラーレが幌に身を隠しながら周囲を見回した。
「何もないようですが……」
「じゃあ、御者の野郎がイカレたってことか?」
そう呟いたゼンの脚をクラーレが一瞬で払う。ゼンは勢いよく後方に転倒した。
「何だよ!」
次の瞬間、馬車全体に衝撃が走り、布を引き裂く音が激しく響いた。
幌を破って真上から現れた生き死人をクラーレの剣が受け止めている。
「追尾されていましたか……」
暴れる死者の腹に爪先を叩き込み、彼女の剣が一閃する。馬車の荷台にどす黒い血が広がった。
呆然と座り込むゼンの腕を取って、クラーレは馬車を飛び出した。
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