第11話 宰相サウセド
レジェス一家が壊滅した翌日、俺はオスワルドの実家に招待されていた。
オスワルドの実家といえば、今をときめく宰相・エステバン=サウセドの屋敷に他ならない。エステの前の代にはほとんど没落していたとはいえ、一時は手放した屋敷を買い直しただけあって、サウセド家の歴史を感じさせる骨董品などがあちこちに飾られている。
「オ、オスワルドさん、やっぱり俺、帰ります」
「フェルサさん、そんなに緊張なさらなくて結構です。父はとても気さくな人間ですから」
「いや、もう、この客間だけでも高そうな飾りが一杯で、歩くのもドキドキするというか……」
「ふふふ。フェルサさんたら楽しい方なのですね」
俺がエステバン宰相を待つ客間には、オスワルド以外にもう一人もてなし係がいた。
王都で最高の美女といわれ、皇太子妃候補ナンバー1ともいわれるドミティラ=サウセド嬢である。エステバン宰相の娘で、オスワルドの妹にあたる女性だ。
「い、いえ、お嬢様、これは本当に緊張しすぎで苦しいのですよ」
「まぁ、ドミティラとお呼びください。先ほども申しました」
「は、はぁ、ドミ、ドミティラ様……」
俺の緊張の半分はこのお嬢様のせいでもある。とにかく、べらぼうに美人なのだ。
年齢は十七歳。この身分で成人しているのだから、すでに良家の嫁にいっているのが普通だ。しかし、エステバン宰相が可愛がり、なかなか手放さないという噂まである。
サウセド家は旗本の中でも特に高貴な家柄を持つ高家の一角であり、宮中行事や外交の使者などを命じられることが多い。
同じ旗本とはいえ、一介の武人の家であるヴィース家とは全く格が違うのだ。
軍人でありとても気さくなオスワルドにはつい心を許してしまうが、オスワルドもドミティラも、フェルサにすれば雲上人なのである。
「お待たせした! 申し訳ない」
客間に突然入ってきた小柄な男は、ひょこひょこと上座に移動してちょこんと腰をかけた。
「そなたがフェルサ=ヴィース殿か。なるほど、噂に違わぬ美丈夫ではないか。ドミティラ、嫁にいきたいか?」
「お、お父様、今日お会いしたばかりで失礼ですわ」
「そうか。わしはそなたらの母を一目見ただけで、将来の嫁と心に決めたものだが」
オスワルドまで慌てた表情で諫めようとする。
「ち、父上。それは当家が潰れかけていた故に成り立ったこと。フェルサ殿には立派なご実家がおありですから、そう易々とは……」
「実家のう。まあ、わしは一目で人の本質を掴む特技があるでの。ドミティラにその気があるならさっさと縁談を進めると良い」
「ですから、父上。フェルサ殿にも事情がおありでしょうから……、ほら、ポカンとされてるじゃないですか」
「あ……、あの、ありがたきお話なれど、私は師匠の忘れ形見であるお嬢さんの兄代わり、親代わりなのです。お嬢さんが立派な婿を取るまでは、自分のことは考えられません。どうかご理解ください」
「あっぱれ! なんという心意気じゃ。ドミティラ、そなたはどう思う」
「は、はい。誠実で素敵な殿方かと……」
「オスワルド、聞いたか。理想の高いドミティラがこんなことを申すのは初めてではないか。そうか、スィマトの娘の婿だな。そちらが片付けば、まんざらでもないということか」
「お、お父様。ですから、私は初めてお会いしたばかりなのにフェルサ様に失礼だと申し上げています」
「そうか。なに、次に会えばもう二回目だ。うんうんわしに任せておけ」
「父上、先走りすぎですよ! フェルサ殿、お気になさらず。それに父上、今日お呼びしたのは別の要件ではありませんか」
「おーーー、そうだったの。フェルサ殿、レジェス一家の件、ご苦労だった。レジェスも先代は義賊の面があって民の不満を吸収する役割を果たしていたが、ロルダンとやらが当主になってからは悪逆非道の数々でな。しかし、下々の役人は先代からの繋がりで賄賂を受け取っていたようで、対策が全く進んでおらなんだ。民に変わって礼を申す」
「恐縮でございます。不肖の兄弟子を探すついででしたので、むしろこちらの人殺しの咎をなくしていただき、ありがとうございました」
「なに、先に根回しがなくとも殺人を不問にふすべき問題だった。ことの次第は国王陛下も知っており、そなたらの活躍を喜んでいらっしゃる。なにか褒美を取らさねばならんが、なにか希望はあるかね」
「褒美など、滅相もございません」
「父上。フェルサ殿がそういうと思い、ひとつ案を練って参りました」
「ほう。申してみろ、オスワルド」
「フェルサ殿の先輩にあたるクレトを匿ったという嫌疑を、一刻も早く晴らして差し上げるべきかと。そうすれば、門弟も以前のように増え、フェルサ殿もお嬢さんも助かるはずです」
「うん。よい案だな。フェルサもそれで良いか」
「あ、ありがとうございます」
「よし、決まりだ。では、ドミティラの件、前向きに考えてみてくれ。スィマトの娘婿の件は、こちらでも考えてみるからの」
「お父様、早計にございます」
「そなたは本当に欲しいもののときには慎重だからの。顔を赤くして。まぁ、父に任せよ」
そういったエステバン宰相はちょこちょこと歩き、客間を出ていく。
「フェ、フェルサ様、父のご無礼お許しください」
「あ、いえ、そんな! では、私はこれにて」
俺は逃げるようにサウセドの屋敷をたった。後から追いかけてきたオスワルドが苦笑いをしながら話しかけてくる。
「なに、父の気まぐれでしょう。ただ、フェルサ殿にその気があれば、うまくいく予感はします。そのときには仰ってください」
「いえいえいえいえ! あんな素敵なご令嬢を……。冗談はよしてください」
「冗談などでは!」
気づけば、俺の顔は真っ赤になっていたようだ。屋敷に帰ると、熱でもあるのではとお嬢に心配されてしまうほど火照っていたのだ。
その夜、もう一度オスワルドが屋敷に訪ねてくる。なんでも、雛鳥一座のための劇場を作る計画を立ち上げたというのだ。
その話を聞いて、雛鳥一座の面々は高揚した。大抵の者は、定住できることを喜ばしく感じているようだ。
「しかし、旅芸人の一座として長くやってきたのに、決まった客に観せる芝居など出来るだろうか……」
座長は難しい顔をして難色を示す。それに釣られて、浮かれていた面々も暗い顔になる。
「それについては、父からいい提案があります。雛鳥一座は劇場を本拠地に旅に出ていいのです。その間、別の旅芸人一座に劇場を貸します」
「なんと、他の旅芸人に!」
座長が興奮して大きな声を出す。
「はい。そして、少しずつ演目を増やしておき、いつかは劇場を離れずに暮らせるようになればいいのです。父にしても、メリットがあります。広場にテントを張る今までの劇場では、旅芸人がヤクザのいうことを聞かざるをえなかったものが、固定の劇場ともなればヤクザに怯えなくていい。治安が向上するので、父も助かるのです」
それでは早速、とオスワルドが立ち上がる。
「何人かの団員で下見をしませんか?」
座長、ララ、その他数人が立ち上がる。
オスワルド率いる数名が劇場予定地を見学に出かけたあと、残った団員から数名が、夜稽古のために立ち上がる。指導にあたっている俺とレオポンも立ち上がる。
道場に移動した夜稽古組は、各々に広く場所をとり素振りを始める。大変熱心なのは、単に護身術としてだけでなく、
俺とレオポンが道場を周りながら指導を施していく。中には、筋がいい者も何人かいる。ふと、彼らが道場や屋敷からいなくなってしまったら、にわかに活気づいている道場や屋敷が、また寂しくなるだろうと考える。
数刻の後に、オスワルド一行が道場に顔を出す。一行の顔を見れば、候補地が素晴らしい場所であることがわかった。
「想像していた以上に人通りの多い、広い場所でした。宰相様には感謝のしようもない」
「いやいや、父も長年気を揉んでいた問題なので、雛鳥一座の皆さんが同意してくれて助かりました」
ふたりのやり取りを聞いて、俺たちも雛鳥一座を守り切れなかった罪悪感が軽減されるのを感じる。
「それは良かったです。皆さんに拠点ができて、他の旅芸人にもメリットがあるなら、とても素晴らしいことです。完成したら、少しだけこちらが寂しくなりますが……」
ララが俺を見て微笑む。
「そう仰っていただけて光栄です。ご迷惑をおかけしてしまっているのに。でも、劇場に本拠地を移した後も、殺陣グループや希望者は王都にいるときは変わらずスィマト道場に通わせても構いませんか? もちろん、そのときにはお月謝もお支払いします。みんなも、そうしたいでしょ?」
「はい。やはり実戦に通用する剣術はとても勉強になりますから」
殺陣グループの皆が声を揃えて稽古の継続を望んでいることがわかる。
「良かった……。それなら急に寂しくなるわけじゃないですね」
オスワルドによると、劇場と宿舎の建設は最優先で行われ、2カ月後には完成するらしい。
俺たちスィマト道場も、クレト兄を匿った疑いが晴れ、雛鳥一座も本拠地を手に入れられる。一件落着といって良いだろうか。
これからもクレト兄の捜索も続くし、一門から人殺しを出した事実も変わるわけではない。しかし、それでも、新しい一歩を踏み出したといえるだろう。
「では、皆さん、父からの差し入れの酒がたくさんあります。今日は祝い酒にしませんか?」
オスワルドが機嫌良さそうに道場の隅に置いておいた酒のかごを持ち上げる。
「いいですね。つまみは俺が腕によりをかけてつくりますよ!」
俺はそういってから、早速台所に向かう。
きっと、楽しい酒宴になるだろう。
師匠の小さな背中を 青猫兄弟 @kon-seigi
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