中盤 ユルミルラリューンとの会話

 あれから2日が経った。

 ワーウルフ襲撃の知らせは、村の人々をたいへん驚かせた。

 いままでひとりも重傷者を出したことのなかったこの小さな村にとって、世界変革以降、初めての凶報だったからだ。

 

 柳生隊を、いつものように明るく見送った村民たちにとって、今回のワーウルフ襲撃事件は、魔物の脅威を再認識する出来事になったのはいうまでもない。

 死重傷者6名という多大な被害を前に、心を痛めて立ち直れない配偶者も多く、総勢50名ほどのこの小さなコミュニティーでは、もの悲しい空気がまわりに伝染する速度は思いのほか早かった。

 そのため、村全体の士気が著しく低下しているのは事実であり、それに懸念を示しているのが、村のまとめ役でもある柳生厳正だった。

 厳正は、このポジティブな気持ちになれない現状によい変化をもたらそうと、村の集会にて新たな良案――拠点移動の話を持ち出した。


 それが、昨日の話である。

 それからというもの、都会の西城にそろそろ移動しようではないかという話がいろんなところで持ち上がっており、影政も昨日、ふらっと立ち寄った公園の池周りで、鯉に餌やりをする老人から、その話を聞き及んでいた。

 各自やりたいことがあるにせよ、まずは安定した土地で休養しようというのが、大方の意見だった。

 それぞれの道に、進むときがきたようだ。


 ちなみに、白銀人狼族の男ファルゼは、まだ意識を取り戻していない。

 村に設置された転移聖蹟の地下に、一旦は、ユルミルが匿うことになった。

 しかしこの際に、事情を知り得ない柳生厳正と影政は揉めに揉めたけれど、ここでは詳細を割愛する。

 そしてこのやりとりは、一部の人間を除き、秘匿事項とされた。


 自室のベットに仰向けになった影政は、胸の上でスライムを転がしながら、これからどうするべきか考えていた。

 しばらく悩んでいると、切られていた糸がピンと張った緊張感――アプラウスに着信があった。

『ふっふーん、もしかして、お悩み事ですか? そんなときは、わたしの出番です!』


 ユルミルとプロフィールカードの交換は早々に済ませているから、影政は陽気な超越神の『通話』に驚きはしない。

 それに、ユルミルは昨日も彼に『通話』を掛けてきている。


 たしか、昨日の話は、こうだった。

 ユルミルによると、ファルゼはアプラウスを贈与されていたにもかかわらず、地上部で活動していた痕跡が、一切残っていなかったそうだ。

 それどころか、エメスでもともと生存を確認していた白銀人狼族たちの痕跡すらも、知らぬ間にロストしていたそうな。

 このことについて、ユルミルはあのあと持ち帰ったファルゼを検分した結果として、彼らの精神がなんらかの侵食を受けていて、アプラウスが変異、または、アプラウスが外部干渉疎外されているために、なんの痕跡も辿れないのではないか、と結論づけた。


 これらは、いつぞやの天使行方不明騒動と酷似した結末であり、裏でなにかが蠢いているのでは? なんて推理めいた口調で、ユルミルは言ってのけた。

 彼女の性格上、決してふざけて言っているわけでないことはすぐに理解できたので、影政もとりあえずはなにも言わなかった。


 また、本来、迷宮とは無関係なアプラウス保持者が、なぜあのような演出を伴って現れたのかという問いに対しても、回答は得られていない。

 知能を有する亜人も、迷宮に入り浸り狩りをすることは一般に知れ渡っているが、迷宮から亜人が召喚された事例は今回が初見である。


 このことについても、ユルミルは詳しく調査をすると言っていたけれど、どのような経緯でファルゼが迷宮と癒着・協力関係にあったのか想像もつかないために、調査は難航しそうだと嘆いていた。別の方向性も探ってみるそうだが、なにはともあれ、いまはファルゼが早く目覚めてくれることを期待するしかないようだった。


 それから、今回は迷宮の唐突な変化点ばかりであったことから、迷宮側が影政を神の使徒だと見破った可能性も考慮に入れて、ユルミルはいままで以上に影政の周辺監視を強化すると意気込んでいた。


 これら、ユルミルの話を聞く間、影政はほとんどなにも喋っていない。

 影政につっこみを入れられないようにと、ユルミルがほとんど間をおかずにずっと喋っていたのだ。

 影政が超越神と結んだ使徒契約の内容は、迷宮調査と迷宮攻略のみ。

 けれど、その使徒契約以外にもユルミルに困っていることがあったならば、なにか手を貸せないだろうかと彼はこのとき考えていた。

 それというのも、普段とは妙に違う彼女の声色と、彼女の不気味な積極性に、影政がいたたまれなさを感じていたからだった。


 知ってのとおり、世界変革以降のユルミルは、弱体化しており、まだ神力を回復させている最中である。

 おまけに、彼女の手駒は駄々をこねる影政しかいない。

 それに、迷宮の情報もいまだ少なく、むやみやたらに突撃を敢行する時期でないために、焦っても仕方がないときている。

 だから、様変わりする世に対して、なんの武器も持てていないユルミルが開き直るのも、無理はなかった。


 昨日の『通話』では、ようやく主目的のひとつである仕事が舞い込んできた、進展しそうだとユルミルは嬉々としてはしゃぎ、やる気に満ちていた。

 しかし実際には、この『通話』中ずっとユルミルはもどかしさを感じていたのだ。

 白銀人狼族は、名前のとおり、本来は美しい白銀の体毛をもって生まれる。

 『通話』を切る直前に、ユルミルはそれを汚した不届き者に神の鉄槌を、と捲し立て、ほんとうに神の鉄槌を創りあげているらしいことを、こっそり打ち明けてくれた。

 いつものことながら嫌な予感を感じずにはいられなかった影政だったが、ほどほどに頼む、としか言わなかった。

 なぜなら、このやりとりの最中、ユルミルは黒幕が天使である可能性を一言も述べなかったのだから……。






「なあユルミル。おまえってさ、暇なの?」


 影政は率直に問う。

 ことによると、これには相手を気づかう意味合いも含まれているらしかった。


『むっむー、影政様のお役に立てると思ったからこそ! こうしてお電話を差し上げたのです。わたしだって頑張っているんですよ? そんな意地悪を言わないで、たまにはわたしを頼ってください。融通くらい利かせます』


(お役に立てるか。なぜ、おれが悩んでいると知っているのか、ずっとこちらを覗いていたのかとはこの際問わない。ユルミルの使徒となった以上、それは聞いても意味はないからだ。そして悩んでいたのも事実。それは、自身の内に宿っている、浄化されたはずの悪魔の魔力を使用した際に生じた、たしかな焦燥と押し寄せる悪意の奔流。いまはさほどでもないけれど、魔力タンクの魔力をこのまま使い続けていれば、先ほど話した悪意の奔流にいつしか心を侵食され、麻薬にも似た快楽に堕ちてしまうんじゃないか、自我を保ち自制できなければ、最悪を齎す悪の化身に逆戻りするのも、時間の問題なのではないか? と、つい考えずにはいられない。なにを隠そう元悪魔なのだ。芽生えた不安の種は簡単に枯れてくれない。何年も前に村の周囲に結界を張ったときから、魔力タンクに違和感を感じていたけれど、大した脅威でないと放置した結果がこのありさまだ)


 随分と甘い自分の思慮に、彼は自虐する元気さえ湧いてこなかった。

 この悩みは由々しき事態であり、早急な対策が必要で、とりあえず魔力タンクから魔力を安易に開放しないことが最良だと、彼は判断した。

 そう判断したのだけれど、このタイミングでの『通話』。

 ユルミルはどうしてほしいのか? どうすればいいと思っているのか? 彼は聞く勇気を一向に持てなかった。

 それは、自由意志を強制されることを嫌ったからなのか、それとも、近しい相手に悩みを吐露することが急に怖くなったからなのか、自分でもわからない様子だった。


「ほんとうに、そうか? 随分と前の話にはなるが、おれが魔力圧迫やだやだと愚痴をこぼしていたら、ユルミル、おれに皮肉を言っただろう? あれには相当に凹んで、枕を涙でなんど濡らしたかわからない……。だから、これからも出る杭を打たれるんじゃないかと思ったら、まったく頼みにくいったらありゃしないぜ?」


『あの転生話をするに至った経緯は、神力の使い過ぎで、一寸サイズになってしまったわたしをあなたが馬鹿にしたことがそもそもの原因じゃないですか。影政様が一方的に悪いのですから、仕方ありませんし、当然の報いだと思います』


「たしかにあのときおれは、ユルミルのことを『ロリフィギュアみたい。ひっくり返したらパンツ見えそうじゃん』とは言ったよ? でもあれなんて、ただの軽口、冗談じゃん。気にするほうがどうかしてる」


 ユルミルが額に青筋を浮かべたのが、彼は『通話』越しにも分かった。


『なんだか、またムカムカしてきました。いいんですか? その大事そうにいつまでも両手に抱えているスライム、随分と可愛がっているようですけれど、わたしがエメスのミリュン協会宛てに、特定魔物愛護法案を提出しちゃいますよ。もちろん、違反者である誰かさんの名前を添えて』


「やめてくれ。なんでもかんでも罪にされちゃあかなわん。それに、ユルミルの署名入りでそんなことをされたら、おれはミルュン教徒たちにリンチされちまう。なにしろ、やつらはいつだって、法のすれすれを狙ってくるんだからな」


『それは、わたしが超越神となった直後に神国で起こった暴動を鎮圧しようと奔走したミリュン教徒たちを指して言っていると思うのですが、ひとつの時代の節目として、あれは、なるべくしてああなるのです。ですから、彼らは少しばかり熱心な信者というだけで、決して無知蒙昧な信徒ということではないのです、誤解なさらないように! それにしても、相変わらずの減らず口ですね。

 あと、これも忘れたとは言わせませんよ。当時、世界各国から狙われ泣きべそを掻いていたあなたに対し、神国から迫害されていたミリュン教徒たちは、なんの見返りもなくあなたに施しを分け合った、我らは同じ精神を享受なされたといって。あのとき、あの貧しい老人が差し出した施しは、彼の数少ない働き口で得た給金を使って購入したパンとスープでした。それをあなたは、味わうことなくすぐさま平らげ、その上、ふかふかな寝床と最高級ももティーを用意せよ、だなんて、よくもずうずうしく、あの貧しい信徒に向かって無茶な要求ができましたね! あのとき、老人はおろか、幼子までが震えていたのは、決して寒さからではありません! そのことを、あなたはもうお忘れに? 言ってもいい冗談と言ってはいけない冗談の区別さえつかないあなたに、人の心はほんとうにあるのでしょうか? さて、法律以前の行いとして、正さなければいけないのは、一体どちらなのでしょう』


「まあ、あれはその……すまん、そう怒らないでくれ、悪かった、悪かったよ、このとおりだ。ただ、当時の法律と秩序について言及しないのは、どうなんだ? 少しずるくないか? ……ああ、いやいや、おれが悪いんだ、いいって、わかってる、そういうことを言いたいんじゃないんだろう? すまん、すまんかった!」


「はあ……自分に都合の悪いこととなるとすぐに目をそらそうとするその癖、そろそろ直しませんか? 問題があるとすれば、それは、あなたの心の弱さです。言っている意味、わかりますね?」


「おいおい、いきなりそんな小難しい問題をおれに提示するなんて、いったいどういう了見だ? それにおれが何に目をそらしているって? 全然わからん、くぅー、もっともっとわかりやすく教えてください、神様!」


「その生意気な言葉に、恥じらいはないのですね。この恥知らず。でも、そうですね、あなたが先日、妹の綺羅さんに対して行っていたいかがわしい思考をわたしに対しては向けてこなかった、その点だけは、成長の兆しと捉えることもできますか。ほんとうに、ちいさな一歩ですが……。では、ヒントをお教えしましょう。あなたは、いまも人間です。そのことを知っていれば、あなたは善きほうへ、自ずと導かれることでしょう」


「なにそのヒント。それじゃあまるで、このおれが人間ではない何者かになりたがっているようじゃないか! もしかしてユルミルは、おれが永遠の中二病患者だと思っていらっしゃる? だとしたら、それは誤りだぜ。なにしろおれは、ひととして生きていくって、もうこころに決めているんだからな……」


「今一度、自分とよく向き合ってみてください。そうすれば、あなたの悩みのほとんどは、パズルのピースが埋まるかのごとく解決していくはずです。あなたが抱えている一番の問題の解決には、まだまだ時間がかかるでしょうが、時間をかけた分だけ自分が成長できると考えたなら、それほど悪くもない。いいですか、考えることをやめてはなりませんよ。それが、人生をよりよくする秘訣なんですから」


「ユルミルに信者が絶えない理由が、なんとなく分かったような気がする。それにしても、人生を楽しくする秘訣は考えることをやめないこと、か……良いことを聞いた。それが存分に思考をすることを許された者の特権というやつなのだろう? なんで忘れていたのやら……」


「その忘れっぽさこそが、あなたが人間である証明、とまでは言いませんが、人並みではありますよね」


「なんだか不思議な感じ。昔と今とじゃ、はなしの受け止め方が全然違うよユルミル。ありがとな、すこしだけ、前を向いて歩けそうな気がするよ。――なあ、おれにパンとスープを分け与えてくれたあのたいそう貧しかった爺さん、まだ生きているのか?」


「生きています」


「あんなことをしでかしたおれだけど、許してくれるかな?」


「それはわかりません。ですが、あなたが許しを請うことであなたの心が悪くなることは、なにひとつありません」


「そうか。いつか絶対に、恩返ししに行かないとな」


「それは善い心がけです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神天魔創世記~元天使と元悪魔の理~ 黒川ノ犀 @yurumiru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ