魔力開放

 戦いはすぐに激化した。

 まず、先手を切って飛びだした1体のワーウルフが、先頭で待ち構えていた藺草と厳正に瞬殺された。そこから一気に混戦に持ち込もうと画策した人間サイドであったが、その思惑を断ち切ろうと、ブラックワーウルフがすぐさま参戦したのだ。

 ボスの参戦場所は、もちろん、一番の脅威を孕んだ藺草と厳正の主戦場だ。

 上位個体であるブラックワーウルフは、赤黒い魔力を体に纏わせて、あらん限りに叫ぶ。それだけで、その様子を視界に収めたワーウルフたちの士気は、大いに盛り上がりをみせた。


 魔力が特段に多い者は、身体強化魔法を使用した際に、魔力オーラが体外に溢れでることがある。

 しかしこの現象は技量不足により、必要以上に魔力を肉体に供給した結果として、可視化されるものであった。


(かなり厄介な相手だな。あれは、単に技量不足でああなっているんじゃない。現に、ブラックワーウルフの赤黒い魔力オーラは、見方の鼓舞に役立っている)


 活気づいたワーウルフたちは、すこし前に出ていた厳正と藺草をあえて無視して、柳生隊を追い詰めにかかった。

 半円の形をとって守りを固めていた柳生隊副長の果凛は、2体のワーウルフを相手取っている。

 その様子を眺めてから、影政はまた主戦場へと視線を戻した。

 

 すでに、藺草の鎧はべこべこに凹んでいた。

 ブラックワーウルフに力押しされるたびに、彼女の体は宙に浮いている。爪牙の威力を少しでも軽減しようとの思いからそうなっているのだが、かなり、危なげなかった。

 しかし、それを横で戦っている厳正が上手くカバーしている。

 単純な技量では、藺草よりも厳正のほうが優っていた。


 その後も、敵の凄まじい殺気の渦中にあってなお同じ武を極めんとしたふたりの息は乱されることなく意気投合し、いつも以上の力を発揮し続けていた。

 しかし、藺草の力自慢の大剣も、厳正のしなやかでキレのある刀捌きも、高い身体能力と巧みな技量をもったブラックワーウルフの爪牙の前に、なすすべをなくしている。

 あれは、恐ろしく高硬度な爪で、おそらくは、ブラックワーウルフの体も相当な硬度になっている。


 ふたりに決定打はなく、次第に、じりじりと押し込まれだした。

 影政はまた周囲に視線を向けた。


 半円状で戦っている柳生隊の戦士たちは、ずっと死戦を強いられている。

 ただでさえワーウルフ1体につき3人掛かりという無茶を強いられているし、10階層からの撤退で、柳生隊員は極度の疲労を蓄積したままなのだ。

 皆はなんとか致命傷を避けて耐え忍んではいるものの、こちらも、時間の問題なのは明らかだった。


「……お兄ちゃん」


 影政は、この不可解な状況について考える。

 ユルミルは今も自分の瞳を通して迷宮内を観察していると思われるが、『通話』を一向によこしてこない。

 それに、『全体掲示板』で情報を収集していた限りでは、このような、迷宮内転移を駆使した迷宮からの強撃は、一度も報告されていなかった。

 なぜ、今回に限ってことが起こってしまったのか、思い当たる節もない。

 けれどその思考が、逆に違和感を生んだ。


 自分は人知れず、ユルミルの使徒になった。

 たしか彼女は言っていた、魔力不足で困っていると。

 解決に着手した直下の天使たちは、なぜか迷宮内で行方知れずになるとも。

 ユルミルは、地球とエメスのどちらにも干渉することができるけれど、迷宮にだけは、決して手だしできなかったとも。

 この事実は、単純に超越神の干渉を防ぐ術をもった、優れた迷宮の管理者がいる可能性を考慮しなければいけないことを意味する。

 そうであるならば、自分が直視しているこの現状は、自然偶発的に発生した異常現象ではないのでは? と思わざるおえなかった。


 迷宮が単なる世界の異物にしては、利口にすぎるんじゃないかと、ここにきて彼は、一石を投じようとしていた。


 しかし現時点では、断言できないのも事実。

 だが、もし仮にその迷宮の管理者が存在し、自分がユルミルの使徒であることを何らかの方法で突きとめていたとしたら、今まさに陥っている、この窮地の説明がつくのではなかろうか。


 突拍子な考えかもしれないが、実際に追いやられている彼にとって、これは無視できない思考であった。

 つまり、この唐突な異常事態の原因は、少なからず己に責任があるのではないか、と彼は納得したくない問題に直面していたのだった。


「お兄ちゃん!」


 影政がいつもの高速思考にふけっていると、叱責にも似た叫び声が聞こえた。


「どうした」


「前線が崩れそう!」


 綺羅に促されて左方を見てみれば、体格のいい、ぽちゃっとした男の左腕が、ワーウルフの鋭利な爪によって斬り飛ばされているところだった。

 鮮血が鮮やかに舞っている。


「母さんの言いつけを破ることになるが、仕方ない。端からワーウルフたちを殺していく。綺羅も手伝え」


 その凍てついた声に、綺羅は心臓を掴まれたような気がして胸に手をやった。


「そんなの、無茶だよ!」


 綺羅は激しい緊張感を覚えながら、震える手で影政の腰にしがみつき、まわりを見渡した。


「なにもしなければ、どのみち、食い殺される」


 急展開だらけで、どうしていいかわからずに慌てふためく妹の肩を、彼はやさしく両手で包み込んだ。


「生きたければ、殺るしかない。それに、母さんが苦戦している」


 いますぐに行動しなければ、隊員を殺したワーウルフたちがこぞって最強戦力の元に駆けつけてしまう。そうなれば終いだ。


 綺羅は前線で闘う藺草の勇士を見て、覚悟を決めたようだった。

 ふいに彼女は青竜偃月刀をギュっと握りしめ、巣立ち前の小竜のように勇ましく現実を見つめていた。

 いつしか、彼女の手の震えは止まっていた。


「横やりの強襲で行く。手を貸してくれるな?」


「もちろん、わたし、殺るよ!」


 金色の奇麗な瞳。

 瞳に闘志が宿る瞬間を見たのはいつぶりだったかと、影政はこの緊迫した瞬間でさえ、つい考えてしまっていた。

 それほど活力に溢れる、生きた瞳に変化したのだ。


(今は隣にも前線にも戦友がいる。心から守りたいと思える大切な家族だ。妹の闘志はまだまだ小さな輝きにすぎないけれど、せめて巣立ちくらいは、盛大に力を貸そう)


 そう彼は自身に誓い、魔力タンクをわずかばかり開放して、身体強化魔法を発動した。


「なに……それ」


 彼は、魔力タンクからまだ1パーセント未満の魔力しか引きだせない。

 しかしそれでも、影政の体表に溢れでたドス黒い魔力オーラは、心臓がドクンと波打つたびに歓喜しているように見えた。


 ふいに強者の貫禄に包まれた影政だったが、実は、心配の種も同時に芽生えていた。

 それは、かつて自身に寄り添っていた目を逸らしたくなるほどの悪意の奔流が、とつぜん目を覚ましたかのように、己の心を穢そうと襲いかかってきたことだった。


 その強すぎる意志に抗おうと、彼は、自分の頭を3回も殴りつけた。

 それでも悪意の奔流は衰えてくれない。

 それどころか、時を刻むごとに、彼はひどくなっている気さえしていた。

 影政は、魔力タンクから供給した魔力にたしかな不安を覚えつつも、軽度な症状であるとして、それら一切を無視した。


「時間が惜しい。頭を差しだせ」


「えっと、こう?」


 ちょっとした怯えから、綺羅は青竜偃月刀を胸の前で引き絞りながら頭を差し出した。


「こうかな?」


 影政は一時の狂気を誤魔化すように、綺羅の頭を乱暴につかむ。


「あだっ!」


「『魔力測定』。ふーん? 『魔力循環!』」


 影政は、極微量の全魔力波長を綺羅の体内に流しこむ。

 綺羅の魔力量・魔力波長を完璧に把握。

 綺羅の魔力波長に同調する魔力を形成し、出力を開始する。

 魔力出力量を微調整。

 影政は出力した魔力を操り、綺羅の全身、至る所に魔力を流し込み、彼女の魔力循環路を強制的に拡張する。

 おまけに、質のよい魔力もプレゼントした。


 これらは、存在進化を促す超上級魔法だった。


「いやっ……いやっ! やめて!」


 この魔法は、体の内部を他人に弄られるような不快感と、細胞が活性化するような爽快感を同時に味わえる。

 だからか、綺羅は嬉しそうに困り顔をしていた。


「魔の巡りをよくした」


「……それならそうとはじめに言ってよね! よくわかんないけど!」


「時間が惜しいと言ったろ。効果は戦闘で慣らすしかない。行くぞ」


「えっ!? あ、ちょっと!」


 兄妹は、崩れかけの左戦場へと駆けた。

 そこには、甲冑を着込んだ黒髪の若い女性が、ひとり取り残されていた。

 女性は三叉戟さんさほこを右手に握ってはいたものの、体勢が悪く、ワーウルフの牙に穿たれようとしていた。


「くそやろう!」


 死に際の言葉にしては、えらく口汚く罵っている。

 兄妹は体制を低く、地を滑るように駆け、女性の背後からワーウルフに高速接近した。


「おらっ!」


 その甲冑女性の、左わき下から突然飛び出した影政は、左手に持った曲刀をワーウルフの大きく開かれた口内に向けて、突き横薙ぎ風に斬りつけた。

 だが、ワーウルフは、口の両端をビロンと切られながらも咄嗟に後転してみせ、ダメージを軽減させた。

 驚くべき身体能力だった。


 さらに、そこへ勢いよく飛び込んできた綺羅が、青竜偃月刀を大上段から思いっきり振り下ろす。


「ぃやあっ!」


 だが、綺羅の身体強化魔法と武器の能力値では威力が足りず、その鉾は、硬質な強度まで高められたワーウルフの右手によって、受け止められてしまった。

 一瞬、両者はギラついた瞳で睨みあう。

 ワーウルフはさらなる獲物の追加に、嗜虐的で獰猛な笑みを浮かべた。自分が口裂けになっていることを、もう忘れて血の唾液を垂らすその姿は、とても、醜かった。


「――それを油断というんだ」


 つまらないと言いたげに、影政の重低音に響く感情の篭もらない声が聞こえたときにはもう、追撃のために力を溜めに溜めた青竜刀が、綺羅のわき腹から突然生えてきたかのように、グッと伸びた。

 青竜刀は、ワーウルフの心臓に深く突き刺さる。

 ズンッチャッ! とつい踊りたくなるような音が聞こえ、ワーウルフから血のシャワーが吹き出した。


 致命傷を受けたワーウルフは、影政の青竜刀に魂を吸いとられたかのように、力なく、前のめりに傾いた。

 だが、死にゆく間際、ワーウルフの堕ちた瞳がふいに蘇る。

 敵は、最後の悪あがきとして、鋭利な右爪を綺羅に向け――。


「わたしはもう油断しない!」


 ワーウルフの鋭利な右爪が迫りくるよりも早く予備動作に入っていた綺羅は、青竜偃月刀を力強く、敵の顔面に向けて振り斬った。

 青竜偃月刀は、影政が初手で斬り裂いた口から難なく侵入し、ワーウルフの頭部を一気に斬り飛ばした。


「……君たちは、藺草さんのところの……すまない、助かった。っ! 沿海えんかい! 臨海りんかい!」


 女性は唖然としていたが、ふいに息を荒く後方を振り向いて、先に倒れ伏したふたりの仲間を確認しに急いだ。

 沿海と臨海と呼ばれた、体格のいいおにぎり顔の男ふたりは、吐血していた。

 沿海にいたっては、左腕がなかった。


「沿海! おい、おい! しっかりしろ! 聞こえているんだろ! さあ、これを飲め!」


 重体に慌てた女性は、甲冑の隙間から水色の小瓶を数本取りだして、瀕死の男に向けて乱暴に振りかけた。と同時に、強引に回復薬を口に流し込ませた。

 沿海が血を噴きだしても気にせずに飲ませている。

 臨海には、回復薬を振りかけるだけにとどめていた。おそらく、すぐに死に至るような傷ではなかったのだ。


「すまない、ふたりとも少しここで待っていてくれ」


「……あ……ぃ」


「もう喋らなくていい。おまえは助かるんだ沿海。だから安心して、いまは、いまだけは眠るといい。なあに、あとのことなんて気にするな。わたしがあの獣どもを――ぜんぶ斬り刻んでくる!」


 女性は涙を流しながら、中級回復薬を飲んだ。

 そして、隣の戦地へ、猛々しく駆け込んでいった。


「やるせない、これが虐げられる側の思いというやつか。……綺羅、いけそうか?」


 影政は綺羅の肩に手を置いて、状況を確認する。


「うん。少しだけ待って、すぐに大丈夫になるから」


 綺羅はさきほどの激しい戦闘により、全身の筋肉が痙攣していた。

 これは魔力循環魔法の影響で、普段使っていなかった部位を急激に動かしたからこうなっている。

 ことによると、筋肉が溶け出しているかもしれない。

 最悪、死に繋がる症状だ。

 しかし、この状態から復帰――低級回復薬を使用――すると、大幅な身体能力向上が確認されることも多く、戦闘民族にとっては愉悦に浸れる症状でもあった。


 そして、下克上は極上のスイーツとはよくいったもので、はじめてワーウルフを殺した綺羅は、心身共に疲弊しているはずなのに瞳がギラギラと輝いていた。


「強くなる! わたしは、絶対に強くなる!」


 母の残した数刻前の言葉が、思いのほか、彼女の心に大きく響いているようだった。

 影政は、そんな彼女に発破をかけた。


「獲物があと5体もいる。他のやつには、譲れないな」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る