迷宮からの強撃! 上位個体ブラックワーウルフ

 2階層も、相変わらず乾いた岩肌と、土気色フィールドが広がっていた。


「2階層からは群れで行動しているウルフたちがいるから、さっきよりも連携を意識して挑みましょう」


「「はい!」」


 色よい返事をした子供たちに、藺草は明るく頷いた。

 そして、3体の群れで行動しているウルフたちに向かって、悠然と歩いていく。

 肩に担いだ大剣のなんと頼もしいことか。

 ふたりも追随した。


「敵が弱いと本気になれないのよね」


 藺草はそう言いながら、自慢の大剣をもって同時に迫りくる3体のウルフを華麗に弾き飛ばして見せた。

 1匹は死に、他はみっともない悲鳴を上げ、左右にふき飛ばされた。

 どうやら、戦いやすくしてくれたようだった。


「左のウルフはまかせろ!」


 母の忠告をさっそく無視した影政は、単独、左方に飛び出した。

 彼は駆けた勢いのまま、体勢を整えたばかりのウルフの下あごに、飛びひざ蹴りを放った。


 骨の砕ける鈍い音があたりに響く。


 だが、ウルフは咄嗟にうしろ足で踏ん張ってみせ、ギロリと影政を睨みつけた。

 ウルフは、前足で影政を斬り裂いてやろうと、奥歯を強く噛みこんでいる。事実、一息もつかずに、ウルフは飛びかかってきた。


 しかし、ウルフの全体重を乗せた引っ掻き攻撃は、鋼鉄に弾かれたような不可解な音とともに、影政の体から弾かれた。

 彼は邪魔だといわんばかりに、目の前のウルフの首を斬り飛ばす。


「その体、どうなっているの?」


 早い段階からフォロー態勢に移行していた藺草は、怪訝な表情を隠そうともせずに聞いてきた。

 彼女も目がいい。

 この階層に出現するウルフの爪攻撃であれば、一撃で致命傷に至るものではなく、怪我をしてもポーションで治せると判断したために、様子を見守っていたのだろう。

 試された、ことにひどく興奮していた影政は、自分の瞳が最高にギラついていることを感じとり、一旦、冷静になった。


「おれのアプラウス魔力量は、初級歩兵のそれとさほど変わりはない。だけど、質に関しては例外でな、その点に関しては、誰にも負けないと自負しているくらいなんだ。それに、おれは魔力を全身のすみずみまで行き渡らせる術を体得している。だから、そこらの有象無象の身体強化魔法と一緒にしてもらっては困る」


 影政は自尊心の高い喋り方をよくする。

 しかしそこに、他者を蔑むような感情は一切なかった。

 ただ、ありのままの事実を淡々と喋る者は、劣等感を抱く者の反感を買いやすい。

 とくに、自信を失うような出来事の直後ともなればなおさらで、藺草は、浮かび上がった疑問を飲み込むようにして喉を鳴らした。


「……そう。また、ウルフたちが集まってきたわね。3匹スルーさせるから、綺羅のほうは任せたわよ」


 藺草は意識がここにあらずといった様子で、新たな敵に体を向けた。

 影政が左方に視線を向けると、綺羅がウルフの首筋に深い一撃を浴びせているところだった。


「綺羅、いけそうか?」


「大丈夫!」


 妹の迷いない太刀筋に調子をよくした影政は、母がわざと見逃がした3匹のウルフを視界にとらえた。

 彼は、ウルフの独特な四足走行など無意味と断じ、迫りくる鋭い牙を凝視する。

 そして、飛び込んできたウルフの上顎と下顎を両手でがっしりと掴みこみ、口をこれでもかと大きく開いてみせた。


「普段、何を食べているんだ?」


 ウルフの口内から死臭がして、彼は苦い顔をした。

 口関節を強制的に大きく開かされたウルフは、唾液を振りまき唸っている。

 いまも、影政の手や顔を食べてやろうと舌が暴れ狂い、肉食的な赤い歯茎が剥きだしになっている。さらにウルフは、両前足をワシャワシャと必死に動かしだした。


 影政は、そんなウルフを目の前にして嘲笑う。

 しだいに嗜虐的な表情が、彼の顔に色濃く現れだした。

 だが、ウルフの口が裂ける寸前で、彼はふいに深まった意識を取り戻した。


「うえー、何やってるの」


 影政の意識がおかしくなっていたあいだに、綺羅は2匹のウルフを殺していた。


「ああ、すまん、つい楽しくなっちゃってな。ほら、死にかけだけど、『魔物討伐ポイント』の足しにはなるだろう。止めを刺すといい」


 ウルフは怖いものを見たのか、尻尾を丸め、足腰を震わせてた。

 ウルフのうしろ足付近にできた泡立つ小さな水たまりは、エールのように見えなくはないけれど、酸っぱい微香から、影政は汲みとって飲んでみようとは思わなかった。


「可愛そうだとは思わないよ。これも生存競争だからね」


 綺羅は、至極当然のことを言葉にして言い、青竜偃月刀を振り下ろす。

 それから黒音玖隊は、3階層まで進み、瞬く間に敵を殲滅していった。


 一段落し、一同が血濡れた体を洗浄しようと、手榴弾型のスプラッシュ――洗浄液――を使用していた、そのときのことである。

 4階層に続く通路から、専用装備を身に纏った柳生隊――隊員の多くは、二十代後半以降の男女で構成されている――が、全身を汗で濡らし、駆けてきた。

 彼らは総じて慌ただしく、後方を何度も振り返っていた。


 この異常事態にすぐさま反応した藺草が、状況確認のために声を張り上げた。


「何事ですか!」 


 先頭を率いていた、袴を着込んだ若い女性、桐島果凛きりしまかりんが駆け寄ってくる。


 彼女は、眼力ある猫目に、つんとした鼻立ちをしていた。

 お尻まで垂れ下がった黒髪が、左右に揺れ動き、腰のあたりで、赤茶に染まった猫っ毛がちらりと見えた。

 前髪は左目付近で分かれており、キリッとした印象がある。

 それと相まって、赤い唇に赤い袴、首元の黒いチョーカーが、彼女の変にぼやけた印象をさらに引き締めていた。

 果凛の歳は二十歳と若いが、しかしだからといって成人したての幼い容姿だということではなく、スレンダーな、秘書然とした面差しをしていた。

 また、右手には、自身の身長よりも大きな筆が握られており、その大筆の先端には、ドス黒い血に染まった無数の刃がついていた。


「藺草さん、なぜここに!? いえ、そんなことよりも、ここは危険です! ただちに引き返してください!」


 事情を説明する間も惜しいのか、果凛はすぐに迷宮から脱出するように指示する。

 それから、殿を務めていた老齢の男が、走って近づいてきた。

 その男は道着姿で、刀を手にしている。

 男は、白髪白髭で、体は痩せ細り、体も小さかったが、背筋は真っ直ぐに伸びていた。

 この男こそ、全国に名だたる柳生剣戦指南道場前当主、柳生厳正やぎゅうげんせいであった。


「10階層の遺跡群から複数のワーウルフたちがでてきた! その数、10体だ!」


 ワーウルフは、ウルフの迷宮、最奥の魔物。

 今まではずっと、1体しか出現してこなかった。


「すぐさま転移水晶を使って逃げようとしたが、使用できなかったのだ。だから、こうして地を駆けてきた」


 厳正はいまも周囲を抜かりなく警戒している。

 その間に、隊員たちは息を整えていた。


 柳生隊はこれまでに何度かワーウルフの討伐に成功していたが、迷宮の核を残すことにより、ウルフの迷宮を存続させ、訓練場として利用していたのだ。

 それが今回、10体ものワーウルフたちが沸きでてくる異常自体に遭遇した、ということだった。

 ちなみに転移水晶とは、迷宮階層のわかれ目にある、迷宮内移動ツールのことである。

 ユルミルは迷宮にあった転移水晶を参考に、地上部にも同じようなものを創った。だから、アプラウスの『転移聖蹟』とは別物だ。


「臭玉でなんとか難を逃れたが、あやつらしつこくての。どうにか捲いてきたのだが、嫌な予感がする」


 厳正は、わずかに顔をこわばらせた。


「同感です。直ちに引き返しましょう」


 藺草はすぐさま2階層に向けて踵を返した。

 せわしなく周囲を警戒していた厳正は、仲間たちに向かって手で合図する。


「む?」


 厳正の疑問よりも先に、影政は異変に気づいていた。

 とつぜん、2階層と4階層の出入口が、盛り上がる土壁で閉ざされていく。

 そして、魔物沸きの兆候である赤色発光が、随所に散見されだしたのだ。


 ここが、まるでボス部屋であるかのような雰囲気を醸しだす迷宮の変化に、多くの者が身構えた。


 それから間もなく、嫌な予感は的中するのが当然だといわんばかりに、赤色発光した場所から次々にワーウルフたちが出現した。

 厳正の言っていたとおり、その数はぜんぶで10体だ。


 ワーウルフは、体長2メートル前後の2足歩行する狼種である。

 5本指の手に、4本指の足、頭から背中にかけてもさっと伸びた体毛は、胸と足にも生えていた。

 ずる賢く、気性が荒い魔物として知られている。


 ワーウルフと戦ったことのある村の戦士たちは、素早い身のこなしと力強い近接攻撃を得意とする、厄介極まりない魔物だと、一様に口をそろえて言う。

 ましてや今回いつもと違うのは、敵の数ばかりではなかった。

 後方に立ち、周囲をくまなく警戒する、1体の大きなワーウルフ。

 そいつは灰色の体毛を持つ一般的なワーウルフの個体とは異なり、黒い体毛で覆われていた。

 通常のワーウルフたちが怒り唸って敵意を撒き散らしているのに対し、そいつは冷静に構えている。


 さながらブラックワーウルフといったところか。

 明らかに、上位個体であった。

 影政はそいつの理知的な瞳の奥に、燻った炎が燃え盛っているのを見た。


 柳生隊20名、黒音玖隊3名の、計23名は、厳正の指示に従い、すぐさま壁際に集まり、半円を掻くようにして、撃退体制に移行する。


 そんななか、影政がこの激しい状況の変化と、あの特異な個体について疑問を抱いていると、厳正と手短に話し合っていた藺草が、一番安全な壁際に追いやられていたふたりの元に、緊迫した面持ちでやってきた。


「状況は見てのとおり。わたしはこの中じゃあ、一番強いから、最前線で戦うわ。きっと、あのいかにも強そうな黒いやつが相手ね」


 藺草は嫌そうにらしくないことを言う。


「怪我人がでたら、壁際へ無理にでも引っ張ってあげてちょうだい。……無理はしなくていい。逃げられる隙があれば、迷わずに逃げなさい。影政、綺羅を頼んだわよ」


 藺草は、子供たちを愛おしそうにそっと撫でた。

 母の瞳に、子を思う強い感情が宿っていたのを、影政は決して見逃さなかった。


「まかされた」


 影政は藺草の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、力強く頷く。

 そのたくましい子供の姿を前に、藺草はふたりを強く抱きしめ、それから小さく謝った。


「……お母さん」


 綺羅は状況の悪さをひしひしと肌で感じとっており、全身の毛が逆立っている。

 顔色もよくない。


「綺羅、強くなりなさい、影政も。――ふたりとも愛してる」


 それは遺言のような悲しい言の葉。

 藺草は泣きだした綺羅を尻目に、厳正のところに戻っていった。


 数刻ののち、殺気立ったワーウルフたちの雄叫びが、決死の戦場に響き渡った。




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