ウルフの迷宮1階層

 黒音玖隊は、村の中央広場にあるふたつの『転移聖蹟』のうち、片方を使用して、山岳地帯に転移した。

 そこから1キロほど歩いたさきにある、崖下の横穴内部に、ウルフの迷宮はあった。

 一行は、岩石が無造作に転がっている細い通路をとおり抜け、ドーム状のような広場にでた。


「まばらにウルフが3体いるわね。影政はどう思う?」


「迷宮特有の壁面発光により明るさは十分に確保されているから、予想外のふい打ちはないだろう。この広場面積に対して、ウルフがたったの3体ということは不自然に少なく、敵の体高や体色から、沸いたばかりの弱い個体と推察できる。いわゆる雑魚ってやつ」


 あらかじめ綺羅から見せてもらっていた『動画』で予習していた影政は、無難に答えた。

 だが、その妙に落ち着きはらった息子の様子に、藺草は首を傾げていた。


 初めての迷宮探索では、誰しもが冷静さを欠く。

 低レベルな魔物とはいっても、体高150センチ、体長200センチ前後ある大きなウルフが徘徊しているのだ。

 動物園のように檻の外から眺めるというわけではないのだから、ウルフを遠目で見ても、畏怖してしまうほどに恐ろしく感じてしまうのが、普通の感覚だった。

 現に、なんどか迷宮に潜った経験のある綺羅でさえ、周囲を落ち着きなく見渡している。


 そうだというのに、まったく取り乱さないどころか緊張さえしていない影政を、藺草は不思議そうに観察していた。


 そのあいだに、影政はウルフを視認して、アプラウスの『図鑑』で照合していた。

 ウルフの詳細情報が、彼の脳内に浮かびあがった。


「雑魚ね。ひとりでもやれそう?」


 藺草が素っ気なく聞いた。


「もちろんだ」


 影政の奇妙な落ち着き方に、藺草はわくわくしたように瞳を輝かせた。


「綺羅も準備はいいわね? そう、じゃあお互いに援護しつつ、ウルフを1体、引きつけて狩りなさい。危なくなったら、わたしが援護するから」


 短く返事した綺羅は、青竜偃月刀を両手で持ち、いちど深呼吸、それから身体強化魔法を発動させた。

 影政も、アプラウスから供給した魔力を使用して、妹と同じように、身体強化魔法を発動する。


 ちなみに、影政がアプラウスから引き出せる魔力量は、綺羅とさほど変わらない。

 また、魔力量については、自分の成長に合わせて増えていくし、アプラウスの『魔物討伐ポイント』を獲得すればするほど増えるとされている。

 このことから、いかに迷宮産の魔物を討伐することが重要視されているか、理解できるだろう。

 超越神が直接干渉しえない迷宮は、それほど警戒されているということだ。



「気楽にな。危なくなったら声をだそう。助けて合いってやつだ」


 そう言って影政は、綺羅の肩を叩いた。

 綺羅は上擦った声で返事をしてから、素直に頷いた。

 藺草は、腰から大剣を抜き放ち、綺羅の斜め後方、3メートルまで下がった。


 黒音玖隊は、綺羅の歩行に合わせて、1体のウルフに接近する。

 ウルフの索敵範囲内に入ると、ウルフは間合いを計ろうと、牙を剥きだしに、唸りながらゆっくりと近づいてきた。

 獣特有の警戒心と、巨体に似合わない、かるい足取り。

 ウルフは15メートルほどの距離まで詰め寄ってくると、ふいに勢いよく駆けた。

 もちろん攻撃対象は、少しばかり前に出ていた綺羅だ。

 藺草が、綺羅の背後にさっと立つのが見えた。


「見えているんだろ。タイミングを合わせて振り下ろすだけだ」


 ずいぶんと集中しているのか、綺羅は小さく頷くだけだった。


「やあー、ふんっ!」


 綺羅は一歩前に飛びだし、力強く青竜偃月刀を振るった。

 その鉾は、ウルフの肩口から抵抗なく斜めに侵入し、敵の皮膚を斬り裂いた。

 しかし傷は浅く、致命傷には至っていない。

 綺羅はウルフの反撃を警戒して、咄嗟にその場を飛びのいた。


 ウルフは、強靭な足腰と柔軟な膝のバネにより、速度と、体高上下運動に緩急をつけた独特な走り方を得意とする。

 この獣特有の走行で敵を翻弄し、隙ができたところを、鋭利な牙爪で斬り裂くのだ。

 慣れないうちは、やっかいな相手となる。


 今回は敵にしてやられた。

 綺羅の攻撃は、ウルフのもくろみ通りに、攻撃場所をすこしずらされていた。


「お兄ちゃん!」


 浅傷を負いながら横に飛びのいた狡猾なウルフは、勢い衰えず、攻撃対象をすぐさま隣にいた影政に切り替えた。


「大丈夫」


 近くで傍観していた影政の眼前に、剥きだしの牙が迫る。


「ガルァッ!」


 ウルフの獰猛な唸り声とともに、鋭い牙が影政の頭部を噛み砕こうとした、瞬間、久しぶりの戦闘で一気に気分が高まった影政は、前のめりに青竜刀を横薙ぎに振るい、その場からさっと飛びのいた。

 ウルフの首筋から血飛沫がとびちる。

 ウルフは数歩歩いてから、膝を折った。

 影政はすかさずウルフに駆けより、ウルフの頭頂部に深く、曲刀を突き刺した。


「すごい!」


 綺羅は、額の汗を拭いながら言った。


「弱い個体だったとはいえ、曲刀でウルフの頭蓋を突き砕くなんて相当な暴力ね。それにこの首の斬り口。見て、肉の断面が綺麗に見えてる。すごい切れ味のようね、その青竜刀。狙いも的確だし、上出来よ。……ねえ影政、私たちに隠れて、実は秘密の特訓をしていたってことは、ないかしら?」


 藺草は、ウルフの遺体を検分し、不思議そうに疑問を呈した。


「頭を使う時間だけは、たっぷりとあったからな。知っているだろう? おれは、暇さえあれば戦闘動画をよく見ていたし、母さんと綺羅が、毎日のように庭でやっていた戦闘訓練も、自室から観戦していたってことを。つまりあれだ、おれは動けないからこそ、頭を駆使するしかなかったわけで、その努力が、いまにしてようやく日の目を見たってことなんじゃないかな。つまり、脳内戦闘訓練さまさまってやつ、なあ、これマジで最高だから! 帰ったら、みんなもやってみてよ! 絶対にはまるから!」


 影政がいい加減な回答をすると、綺羅が「妄想訓練の間違いでしょ。それかスライムとの特訓」と言いたげな顔をする。いいや実際に、小声で喋っているのを、影政の身体強化された聴力が拾った。

 しかし、今は分が悪いと思って、彼は聞こえないふりをしたのだった。


「へえー? まあ、なんにせよ、見事だったわ」


 藺草は、わけ知り顔で口角を上げた。


 影政は、母親のその態度を見てとり、急に嫌な予感がして、頭を抱えようとして、やめた。

 そのかわりに、彼は己の内心を悟られまいと、かつて得た知見のすべてをその瞳に宿し、あたかもいまこの瞬間をもって、開眼したかのように振る舞うのだった。


「ありがとう」


 この影政のとうとつな無垢の現れに、ふいに皆が、思考を放棄してしまったかのようだった。

 しばしの沈黙が訪れた。

 と、ふいに肝心の何かを思い出したらしい藺草が、また喋りだした。


「綺羅もよく動けてた。でも、ウルフ複数体を相手にするには、まだすこし不安が残るわね」


「ちょっと、りきみすぎちゃた」


 綺羅は悔しがり、右足のつま先を、地面に2度叩きつけた。


「ウルフにタイミングをずらされたことは、べつに大した問題じゃないわ。そのあとの対応さえ、きちんとしていればよかったのよ。綺羅は、ウルフに打撃を与えた手応えを感じただけで、そのあとの反応がコンマ5秒ほども遅れていた。これは、致命的な油断ね。死にたくなければ、的確な判断能力を身につけなさい。世の中後悔しても遅いってことは、往々にしてあるものよ」


「……はい」


 藺草は、娘を叱りつけ、すぐに息子に目くばせした。

 影政はその意図がわからずに、とりあえず、母にウインクして見せた。

 藺草は呆れた表情で影政を見てから、綺羅のほうに視線を誘導させる。


 すると、久しぶりの実践で浮足立っていた綺羅は、地面に頭がめりこむんじゃないかと思うくらい、落ち込んでいた。

 それが彼にもわかった。そこではじめて、彼ははっとした。


(なんて感情の起伏が激しいやつなんだろう)


「まだ6回目の迷宮探索なんだろ? 同格の相手に、きちんと反応できてたじゃないか。油断だけが今回の反省点。こういうのは実践経験がものをいうから、徐々に慣れて行けばいいさ。それにほら、きちんと反省して次に生かすことができれば、死傷率はもっと下がるはず。つぎ、頑張ろうぜ!」


「うん、ありがと。でもお兄ちゃんは初戦闘じゃん。それなのに、どうしてそんなに冷静なの?」


 たしかに、地球ではなかなかお目にかかれない大型のウルフに襲われれば、大抵の者は、足が竦んで動けなくなる。

 武器を自在に振るうなんてことも、慣れていなければ無茶もいいところだ。


「おれには、敵を確実に殺す自信があったからだ。まず何よりも大事なのは、敵をしっかり視認すること。敵の呼吸、敵の視線、敵の全身の筋肉の動き、それらを捉えることが、まず基本となる。それとは別に、敵の全体像を常に把握して、適切な動作で対応するんだ。これが完璧に出来ていれば、能力値が同等以上の敵であっても簡単に負けはしない。さらにそのさきの行動が、おのずと見えてくるからな」


「……そうなんだ。頑張らなくちゃ」


「綺羅もそろそろ、まわりの状況を瞬時に把握できる能力を、身につけたほうがいいのかもしれないな」


 綺羅は教えられたことを脳に刻み込もうとしているのか、ちくいち頷き、真剣に耳を傾けていた。

 心の底では、兄を信頼している証だ。

 影政はそのことが嬉しくて、よく知っている感情が心のうちから湧き上がってくるのを感じていた。


「ちなみに影政は、ウルフを完璧に捉えることができていたの?」


 藺草は、顎に手を添えながら言った。


「動体視力は、遺伝的にすごくいいらしい。自分の3倍くらい強い相手だと、苦戦するかもな」


 影政はあえて明言を避けた。


「ふふっ。私と同じくらい、ってわけね」


 満足気に笑う彼女の笑みは、本気ではなかった。


「魔法が使えたらいいのになー」


 綺羅は、ふいに気が抜けたように呟いた。

 放出系統魔法について、言及しているのだろう。


「それができたら楽しそうよね。だけど、魔法の触媒や呪術具は、高価だから買いません! 帰ったらお父さんに頼み込んでみたら? 綺羅の頼みなら、へそくりを使ってでも買ってくれるんじゃない? ……ついでに、わたしもなにか買ってもらおうかしら」


 藺草は魔法を放つことを想像したのか、笑いながらそれっぽい動きを手まねしている。

 綺羅もつられるように、同じ動作をした。

 荒ぶる彼女たちが手を向けたその先にいる標的が、誰であるのか、影政には察しがついていた。

 彼は、静かに合掌した。

 なにしろ、影政は使おうと思えば、触媒や呪術具なしに、放出系統魔法を扱えてしまうのだから。


 それから影政は、ウルフの迷宮1階層に相手になる敵がいないと判断し、残りのウルフを綺羅にすべて譲った。

 体が温まってきた綺羅は、先程の戦闘をきちんと反省し、詰将棋のように相手を追い詰め、個別に2体のウルフを仕留めることに成功する。


 魔物の死体は、放置しておくと迷宮に取り込まれてしまう。

 なので、魔力量に余裕のある藺草が、ウルフを次々に『収納』していく。


 『収納』は、魔力容量次第で物質をいくらでも収納できる。ただし、生きた生命体は収められない。

 また、自動で素材分けをしてくれる便利機能があり、手を汚すことなく、任意でウルフを解体することも可能だ。


 一行は、2階層に向かう。

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