専用装備

 翌朝、強く吹きつける横風に、木製十字の古窓が唸りを上げた。

 孤独を感じさせるその雑音に気持ちが沈んでいくのを感じながら、影政はベッドで布団に丸くなる。

 彼の頭には、今日、妹とどこで最初に鉢合わせするだろうか、はたして、自分は妹と視線を交わすことができるのか等、とめどなく不安な考えがよぎっていた。


 しかしふいに叫び、飛び起きた影政は、その勢いのままにベージュ色のカーテンをシャッと開け放った。

 それはもう憂さ晴らしに近かった。


 すると、予想外なことに、見事な太陽が顔を覗かせているではないか。

 彼は、その暖かい陽光を顔面から浴び、染み渡るような心地よさから、昨日あった嫌な出来事をあっという間に記憶の彼方へと吹き飛ばしていた。


「朝はこうでないとな」


 満足気に自分に酔ったセリフを吐いて、彼は寝起きを堪能する。

 つまり、縦鏡の前に立って、彼はきめ顔をしていた。


 とくに今日は、待ちに待った一大イベント、迷宮探索が行われる日だ。

 眉毛の1本も逆立ってはいけないと、彼は洗顔前にも入念なチェックを忘れない。

 それから彼は、逸る気持ちを落ち着かせ、一段飛ばしに階段を駆け下り、リビングに向かう。

 ちょうど、妹の綺羅が、朝食の食器を片付け終えたところだった。


「おはよう!」


「おはよう。遅いよ、いま何時だと思っているの? 朝ごはんを、はやく食べて! 装備は……お兄ちゃんさあ、一生その装備のままで生活する気? たしかに専用装備は、魔力供給さえすれば新品同様にいつでも修復できるから、冒険者は何日も着替えずにいるって聞くよ。だけど、それっておしゃれじゃないと思うの。ましてやそれが引きこもりともなれば、なおさらね。たまには格好のいい服でも着たらどうなの? はっきりいって、不潔!」


 綺羅の口調はかなり荒れていたが、上品な態度を損なわないようにといった感じで、所作は落ちつき払っていた。

 彼女は、リビングの扉をゆっくり閉めて出ていった。


 昨日の専用装備お披露目会での仲のいい兄妹のやり取りはなんだったのかと、影政は自問する。

 そして、彼はなにかに思い当たり、豊かな感情の弊害にげんなりするとともに、後頭部を右手で揉みほぐした。


「綺羅も年がら年中、似たようなショートスカートをはいているだろうに。朝から気分は上々って? それに、あれしきのことをまだ根にもっているなんて、まったく、どうかしてるぞ」


 今朝、忘れたばかりのスライム事件を嫌でも思い出してしまい、影政は軽口を叩いた。

 すると、今度は勢いよく扉が開き、金髪を左右に揺らす綺羅がどすどすと近づいてきて一言。


「うるさい! 魔物使い!」


 言い得て妙とはこのことかと、影政は両腕を組んでひとり感心する。


「ほう、認可証は、いつ発行される、え、明日か、それとも明後日か? 近日、道を踏み外したビーストテイマーの誕生ってわけだ。もちろん、祝ってくれるんだろうな?」


(あれ、どうしておれは、昨日のことをまるで反省していないかのような態度をとっている? どうして、威張った顔で妹を見た? ああ! たった一言、ごめん、となぜ謝れない! こうなったからにはもう、あとには引けないぞ。ちくしょう! 天にも昇るこのおれの自尊心が、いつだってこのおれの素直さを奪っていく)


「忘れ物を取りにきただけ! それと、朝早くに外にでたお母さんの準備運動がもうじき終わりそうだから、急いだ方が身のためね」


 綺羅は、自分の首を親指で斬る真似をして、影政を脅しつけた。

 そして、テーブルの上に取り置かれていた棒キャンディーを引っつかみ、来た方向に戻っていく。


 リビングに取り残された影政は、「これだから家族は面白い」とニヤつきながら、用意されていた朝食を素早く平らげ、食後のももティーを一気に飲み干した。

 だが、このときずっと彼の心臓は高鳴っていた。


 それから彼は、平静を少しでも取り戻そうといつものように洗面所に向かい、顔を洗い、髪型を整え、家の外にでた。


「ふたりとも遅い、いま何時だと思っているの? 柳生家は、もう随分と前に出発したわよ」


 藺草は全身鎧を着込み、頭部に赤い鉢巻を巻きつけていた。

 鉢巻を結んで余った部分が、横風に揺れている。

 腰に下げた大剣の柄は、赤く、血に染まっていた。


 これは藺草の専用装備覇邪シリーズタイプ一騎当千だ。


 強者が立ち並ぶ中でも確実に視線が止まって凝視したくなるほど凛とした藺草の佇まいは、最前線で戦う猛者を彷彿させた。


 藺草は、明らかに、大衆を虜にする魅力をもっている。


「すまない、母さん。おしゃれな服を見繕っていて遅れた」


 影政はついでとばかりに、妹にドヤ顔を披露した。


(ああ! まただ!)


 彼はまたしても強く心臓を押さえ込んだ。


 精神がおかしなことになっている影政は、上半身、はだか姿で、七分丈ズボンを着用していた。

 右手には青竜刀を、左手には、短剣の切っ先を斜めに斬り落としたような形状の曲刀を持っていた。


 これは、影政の専用装備迷信シリーズタイプ|不倶戴天《ふぐたいてん》だ。


「お母さん、遅れてごめんなさい!」


 綺羅は素直に謝まったが、横目で影政を睨んでいた。

 さきほどリビングでおこった出来事の、意趣返しだと思っているのだろう、間違いではなかった。


 昨夜のスライム事件は、不慮の事故だった。

 綺羅は、軽い下ネタであればいつもふざけて付き合ってくれていたけれど、実際に目にする――といって、スライムをお腹の上で転がしていただけ――のはダメらしく、なかなか機嫌が直らない。

 影政は、ウルフの迷宮で挽回するしかないと、密かに意気込んでいた。


「ふたりともマジックポーションを飲みなさい。あと、迷宮内でもそんな態度だったら、許さないわ」


 時間が惜しそうに言う藺草は、鎧の隙間から小瓶を3つ取り出した。

 奇妙に見えるかもしれないが、『収納』は、ポケットと認識された場所からしか収納品を取り出せないというルールがあった。

 余談だが、体に身につけさえしていれば、鞄からでも、自身の『収納』内の品物を取りだせる。


 マジックポーションは、筋肉疲労回復効果と、体温調節機能付きドリンクである。

 戦闘前に飲むのが必須とまでいわれている安価な商品で、一度飲めば、一日中効果を得られる優れもの。


 3人は、小瓶の栓をキュポンと弾き飛ばし、キャラメル色のマジックポーションを一口で飲み干した。


「ああーうまいんじゃー」


「うん、おいしい。『換装』」


 綺羅の専用装備は《死蒼竜守シリーズタイプ青竜偃月刀せいりゅうえんげつとう》。


 死蒼竜守の防具は、煤けた蒼いコルセットドレス――肩から腕、腰回りが細身の金属衣装、それ以外は上質な絹――と、ショートスカートにハイソックスを組み合わせた、軽やかな軽装防具だ。


 後肩には、灰黒く透けるヒラヒラマントを羽織っている。

 首元には、両親からプレゼントされた、状態異常を軽減する小さな宝石のついたネックレスが、きらりと光っていた。

 右手には、青竜偃月刀と呼ばれる、薙刀に似た、長い柄の先に湾曲した刃を取り付けた、鉾を手にしている。


 専用装備は、個々の能力範囲内に限り、任意にサイズ・重量を変更できる。

 そのため、低身長の綺羅が鉾を持っていても、違和感をまったく感じさせない。


「今日は村の中央広場にある『転移聖蹟』を使って、ウルフの迷宮3階層まで行きます。先行している柳生隊が、魔石集めのために魔物を蹴散らしながら潜っているはずだから、再度、魔物が沸いた所をわたしたちが強襲します。もう一度言っておくけれど、わたしの命令は絶対よ。それだけは、肝に銘じておきなさい!」


「「はい!」」


 ウルフの迷宮、最下層まで潜る予定の柳生隊の目的は、スタンピードを警戒した、魔物の早期殲滅による狩り場の安定が第一にあり、次点に、魔石や素材の採取であった。

 これら採取品・剥ぎ取り品のほとんどを、柳生隊は売り物にしない。

 主に、自分たちの強化に充てていた。

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