間違った挑戦とその結末(不快閲覧注意)
その日の夜中。
影政の部屋にノックもなしに立ち入る者がいた。
突然の出来事に、彼は急いでベッドから上体を起こし、お腹の上で転がしていたとあるブツを布団のなかに急いで隠した。
「ふぁ!? いつも言っているだろう! 人の部屋に入るときは、ノックをしてからだと! ことが始まっていたらどうするつもりなんだ!」
彼はやましい気持ちから、変に語気を強めて言ってしまう。しかしそれは悪手であると、すぐに悟ることとなった。
綺羅は、彼のきつめな物言いに反発するかのように、怯まないどころか、怒鳴り散らしたのだ。
「わたしもいつも言ってる、服を着てってね! それに何が始まるっていうの? ベッドで魔物と戦うわけでもあるまし、格好をつけないでよ!」
影政は魔物という言葉に一瞬、戦慄したが、ただちに無表情を貫いてみせた。
「綺羅よ。男には、ひとりで戦いたいときもあるんだ。水を差すんじゃない!」
「意味わかんない! 」
お互いの怒鳴り声に驚き、この不穏な只中で、空気を読まないそれはモゾモゾと蠢いた。
あきらかな異変に、影政の体中から嫌な汗がとめどなく噴出する。
彼は知らんぷりを決め込むか迷ったものの、右手で羽毛布団をささっと乱すだけにとどめた。
「いま、なにを隠したの?」
見逃す素振りをまったく見せない綺羅は、得体のしれない気持ち悪さを感じたかのように身震いをしたあと、荒々しく、三歩も近づいてきた。
「なにも隠していない」
「じゃあ、私が部屋に入ったとき、慌ててた理由を教えてよ」
綺羅は両腕を組んで仁王立ちし、成長真っただ中の胸を少し盛り上げ、威厳を強調した。
「これはおかしなことを言う妹だ。わかんない、わかんない」
「だして! だせっ! このー、う!」
彼女は半狂乱になりながらも、布団をガサガサと揺らす。と、そこで、なにかを触ってしまったようで、思わずといった具合に、すぐさま手を引っこめた。
「おい、乱暴はよせ!」
問答では埒が明かないと判断した綺羅は、身体強化魔法まで発動させて、強引に布団を引き剥がしにかかった。
すると、いやに粘着質な音が、ベッド下から響くではないか。
影政は自身の領域外に出てしまったそれを横目に捉えつつ、観念して、目を瞑り、顔を伏せた。
「えっ!? ちっちゃなスライム? えっ? えっ? お兄ちゃん、えっ? なにをして……」
慌てふためく綺羅の足下に落ちたのは、まだみずみずしい、生後まもないスライムだった。
綺羅に、さきほどまでの威勢はもうなかった。
このまま黙っていれば汚名を着せられると思った影政は、この気まずい沈黙を打破するため、弁明しようと瞑っていた目をそっと開けた。
そうだというのに、疑心を含んだ妹の鋭い眼光にまたしても耐え切れず、彼はふたたび目を瞑ってしまう。
人はやましい気持ちがあると途端に弱気になる。
そして、黒音玖家の獰猛な小竜は、強気になる時間など与えてくれなかった。
「これは確殺魔物だ。殺して、神様から得たアプラウスを顕現させようと思っていたんだが、可哀想でな。しばらくは掃除道具として使おうと思っていたんだ。ほら、このとおり、体にスライムを転がすとゴミがひっつく。だから、たいした話ではないよ」
かなりぎこちない様子で、影政は言いきった。
そして彼は、お気楽神ユルミルの徳にあやかろうと、ここぞとばかりに祈りをささげていた。
祈らない損より祈る損、のほうがよいという、神様を軽視した思考であったのは言うまでもない。
また実際に、スライムの持つ溶解能力は、個体差によって酸値は安定しないながらも、廃棄物処理に大きく功を奏していると西城で発表されたばかり。
事実無根ではない。
このとき、スライムを死ぬまでこき使う、新たな廃棄物処理法案に賛否両論はあったものの、残当である、との異例極まりない城主見解がなされたばかりだった。
つまり、スライムは物質を溶解して食べる魔物なのだから、お部屋のお掃除くらいお手の物だよね、という斬新な言い訳がなり立つだろうと彼はとっさに考えたのだ。
だが、ここでの問題点は、「スライムの持つ融解能力は、スライムがスイカ並みに成魔してから発現する」ととても広く知られていることにある。
床に落ちて震える小さなスライムは、片手ほどの大きさしかなかった。
影政はここまでのことを稲妻のような早さで思考してみせ、妹の手前、なんとか対面を保とうとしていた。
「これがたいしたものじゃない!? わたしは知っているんだからね! これって、その……エッチな魔物なんでしょう?」
綺羅は、ポヨヨンと震えるこぶしサイズのスライムを見て泣きそうになり、唇を震わせ、恥辱に頬を赤らめた。
この発言を聞き、彼はまたしても高速思考を強いられる羽目になってしまった。
おそらく綺羅は、『全体掲示板』で密かに開催されている、「俺たちのチンポジウム」を目にしたことがあるのだろう。
この題目は、当然、シンポジウムをもじったものである。
このことからすでに、その集まり自体が、倫理観を失った者たちの憩いの場であることは言うまでもないだろう。
(至高の趣向を模索する探究者たちは、ときにとんでもない過ちを犯す。綺羅が最新のエロトレンドを把握しているということは、チンポジウム開催者が、『全体掲示板』内でうっかり閲覧制限をつけ忘れたということ。それで今回、綺羅は秘密の合言葉を入力せずとも、機密内容を見ることができたと。あいつら、おっちょこちょいにも程がある、アプラウスの操作に慣れていない、素人然とした許されない過ちだ!)
影政は怒りをこらえ、心のなかで毒づいた。
この醜い討論会には、人生にゆとりがあると思いこんでいる変人たちがこぞって参加している。
悲しいことに、参加者の多くは、自称高学歴者であった。
また、もし仮にその者が本当の高学歴者であったとしても、その者は、自身の有用性を社会に示せない、現代の落武者然とした存在に違いなかった。
なぜなら、社会規範に反する低俗な悪しき考えに走りたがる人間というのは、無意識的に楽なほうに逃げる現代モンスターのなれ果てだと、相場は決まっているからだ。
その者らに、忠義の心などない。
あるのは、堕落した心。
そのような者たちの言論は、欲望にまみれており、真面目に聞くに値しないものばかりである。
つまり、堕落した探究者たちが、アプラウスの『全体掲示板』という仮想世界で目の冴える革新的なアイディアをどれほど打ち出したと思ったところで、それはせいぜいが、カビの生えたパンを分け与えている程度のことでしかない、ということだ。
しかし、実際にはそのような戯言がときとして変な魅力を帯び、それが希望の光のように見えてしまうのも事実である。
現に影政は、なにかに挑戦して善行思考を得ようとする意思に則って、この倫理に反した低俗な考え、つまり、スライムを性的な目的に従事させるという悪辣な考え、これに賛同する形をとった。とってしまった。
では、なぜこうなってしまったのか。
一見して矛盾している影政のそれら思考は、つまり、こういうことだった。
それは、一度でもカビたパンを食べた者は、空腹を紛らわそうと食料を探すとき、選択肢のなかにカビたパンがチラついてしまう、というのである。
このことからも分かるとおり、悪食は、そう遠くないうちに身を滅ぼす。
ここまでのことを感覚的に理解していた影政は、目に見えない相手を心の中で非難しながらも、自分に跳ね返ってくるその優しくない言葉に心を痛めていた。
けれど、この最低最悪な状況を作り出した要因でもあるチンポジウムのやつらに対する怒りは、全然、収まってはいなかった。
身から出た錆と知ってても、ままならないものなのだ。
ただし、ここでもっとも重要なことは、その者らに、過去と現在において、目を見張る心の変化がなにひとつとしてなかったにせよ、未来はどう転ぶかわからない、ということにあった。
人はまれに、突然、目覚める。
それはさておき、たしかに生きたスライムは、大人たちのあつかう使用難易度の高い快楽生物として、一部の嗜好家たちから絶大な人気があった。
馴染みのない人たちに、もっとわかりやすく説明すると、スライムは海で拾えるクラゲの仲間、ということになるだろう。
スライムに対するこのような仕打ちは、不謹慎で倫理に反した行いだが、スライムという
さきほどの綺羅の見解と動揺からもわかるとおり、いらぬ知識が混入していることは明白で、影政は「スライムは掃除道具だ! 」などと惚けている場合ではなくなった。
(では、どうすればいい? おれがとつぜん、スライムに情が沸いた、などと喚いても、綺羅にははなっから無視される。いままで散々、魔物の殺し方をえらそうに説明してきたこのおれに、とつぜん魔物愛が降って沸いたとでも? それに、この状況はすべて誤解であったとしてはやく事態を収拾しなければ、明日、明るい挨拶もろくにできないぞ! ああ、妹に嫌われたくない! くそ、あれもこれも、ぜんぶチンポジが悪い、あいつら、覚えていろ)
影政は、ほんの興味本位に手をだしたばっかりにこの有様だとぼやきたい気持ちを抑え、タイミングが悪かったのだと、意気消沈気味である。
いまはどう言い訳をするべきか、また高速思考しながら頭を抱えていた。
思い悩んだ末に、彼は良案を思いついた。
それは以前、『全体掲示板』で拝見した、
どうすればいいか皆目見当もつかないが、という迷走めいた書き込みから始まったそれは、結論として、テイムしたい魔物と同波長の魔力を、身体強化魔法で再現することができたならば、テイムしたい魔物が、自分を同種の仲間と認識してくれるのではないか、というものだった。
さらに魔力量の多い仲間につき従う魔物の習性についても、独自の観点プラス異世界の種本を参考に、延々と書き殴られていた。
この人物の動物愛熱量は凄まじく、これを初めて読んだときの影政は、自分に足りないなにかを補ってくれるのではないかという、ある種の期待感を抱いたものだった。
(たしかにこの理論はまだ確立されていないが、感覚器官のひどく鈍い一部の魔物、たとえば、視力が悪く、温度を可視化するようなスライムには有効そうだ。となると、やはり最難関は、魔力波長をつねに的確な出力で維持しなければいけないということだが……なんにせよ、公に既出していない未知の理論ならば、妹を騙せるか)
と彼は閃いた。
(スライムをテイムする理由も、溶解液の生成段階を知る実験、または、溶解液を使った新たな実験を計画しているとでも言って誤魔化しておけばいい。好奇心旺盛な綺羅のことだ、きっと、具体的なことを聞いてくるに違いない。このさいだ、溶解液の抽出方法も考えておくとしよう。まずは、専用機に魔石粉を敷き詰め、スライムを固着、注射針で溶解液を抽出、栄養剤を投与……)
光明が見えてきた影政は、内心でほくそ笑み、早速とばかりに堂々と口を開いた。
「なにを馬鹿なことを。確かに間違った使い方をする人もいるようだが、俺は違う。なぜな――」
「ばかー! もうエッチなお兄ちゃんなんてしらない!」
小竜が尻尾でぶつような鋭い平手打ちが飛んできたけれど、影政はこれを甘んじて受け入れた。
なぜならば、妹にちっちゃな嘘をついてしまったから。
彼の良心に照らし合わせてみれば、この結果が最良であったと納得するほかなかった。
綺羅は勢いよく部屋を飛びだしていった。
「躊躇せず、スライムをパンツのなかに隠しておくのが正解だったか」
影政は泣きそうになりながら、
それから、彼はふいに埃たちが重みをもちだしたような気がして、肩を沈めてしまう。
それでもなんとか重い肩を上げ、彼は小刻みに震えるスライムをベッドの下から拾い上げた。
優しく撫でてから、彼はこのなにも知らない無垢なスライムに、さきほど考察していた魔力を分け与えてやることにした。
スライムはしばらく影政の手に纏わりついてきたが、すぐに、夢の世界へと旅立った。
彼はサイドテーブルに置かれた木箱にスライムをそっと置くと、疲れ果てた姿でベッドに寝そべり、元気いっぱいに明かりを灯すシーリングライトの光を消した。
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