影政の家族

 神聖歴10年、1月3日。


 50人程度の人間が住む片田舎の集落で、影政は生活をしていた。

 集落とはいっても、ここは元々、由緒正しい大名庭園跡地である。

 四季折々の草木を見られるのはもちろんのこと、澄んだ池に放たれた、鯉に餌やりをする老人と会話を楽しむこともできる、穏やかな場所であった。

 影政が5歳のときに患った、原因不明の病をすこしでも和らげようと、彼の両親が懇意にしてもらっていた人物に紹介してもらった場所でもある。


 日が暮れかけたころ、庭園の一角にある木造二階家に、怪しい影が落ち込んだ。


「そろそろか、やっと、やっと冒険ができる」


 15歳になってようやく魔力タンクが精神に馴染み、ようやく落ち着きを取り戻したことを確認し、彼は安堵の表情を浮かべた。

 これで病弱ともおさらばだといわんばかりに、彼は全身に力を入れ、ベットから力強く起き上がる。いつもの倦怠感はなかった。


 これに調子をよくした彼は、早速とばかり、自室に置いてあった縦鏡の前で身だしなみを整え始める。

 影政はアプラウスの魔力干渉により、1ミクロンあたりの筋肉エネルギー量が急速に増大したとされる若年層世代で、病床で10年間過ごしていたにもかかわらず、そうとは思えない、筋肉質な体躯をしていた。

 それに身長も高かった。


 短く切り揃えられた黒髪をいじり、いつものように彼は縦鏡に向かって決め顔をする。

 すべてを威圧するような大きくキレた瞳は、普段はクールに見えるものの、すぐさま好戦的になることが伺える表情をあわせもっていた。

 傍から見れば、ボクサーパンツ一丁で決め顔をする、危ない裸族がそこには立っていた。


 影政は大きなベッドと木製十字窓、それ以外には特徴的なものが見当たらない自室をざっと見渡し、いつもは重く感じられていた木製扉をガチャっと、小気味よく手前に引いた。

 すると、物音に気付いたのか、はたまた食事の時間と重なったのかは定かではないけれど、隣の部屋の住人――妹が、ひょっこり自室から顔を覗かせた。


「お兄ちゃん大丈夫? 手を貸そうか?」


「ふふふ、おはよう」


 扉にもたれかかり、格好良くポーズを決めた兄の挨拶に、妹の黒音玖綺羅くろねくきらはたじろいだ。

 どうやら彼は、完治ハイというものに患っているらしかった。


「なに、そのテンション、宴からもうすでに5日もたっているっていうのに、まだ誕生日気分なの? お子様なんだから。それに、いまは夕方だから、こんばんわ! でしょ、あと服着て!」


 捲し立てるように言い放った妹の綺羅は、金髪ロングツインテールを左右に揺らす、大人ぶりたい青春盛りの12歳。

 華奢で、姿勢よく、傍から見れば上品で大人しく見えるが、その実態は、がさつで荒っぽい子竜のような快活少女だ。


 1月だというのに、彼女は黒色のニットセーターに、黒のショートスカート+黒のニーハイソックス姿で廊下にでてきた。

 

「こんばんは、いま起きたところなんだ。なあ、そこまで強く言うのなら、綺羅のそのショートスカート、そろそろおれに貸してくれてもいいんじゃないのか?」


 影政は鼻を指でこすりながら妹の瞳を横目に捉えつつ、彼女のニットセーターの袖をかるく引っ張りだした。


「えー。やだよ、いやだよう!」


 綺羅はこぶしを握りしめ、地団太を踏む。


「え、なんだって? いいじゃないか、たまにはそういう変わった趣向をもったって。なあ、こんど親父と母さんを誘って、女装・男装お茶会を開かないか?」


「まあ、それは面白そうだね。それに、お父さんの女装姿もちょっと見てみたいかも」


 綺羅は悪い笑みを浮かべてそう言った。


「そうだろう、そうだろう」


「でもね、そんな話よりもね、わたしは今、お兄ちゃんに服を着てほしいの。年がら年中、パンツ姿で家の中を徘徊しているなんて、ありえない!」


「なんども言ってるが、俺は服を着たくないんだ! たとえヒマラヤ山脈の奥地で遭難して服を着なきゃ死ぬってときでさえ、俺はイエティの毛皮を絶対に剥がないぞ! いいな! ……とはいえ、さすがに村の外では、ズボンをはかないと叱られるのか? まあ、なんにせよ、家では好きにさせてくれよ。んん、そんなに嫌か? じゃあ、これならどうだ。『換装』」


 影政はアプラウスの機能を使い、専用装備を身に纏った。


「うそ、なんでお兄ちゃんが防具を『換装』できるの? しかも上半身裸じゃん、上の防具どこいったし! あと、村の中でもズボンははかないと捕まっちゃうよ! なんなら、家の中でも捕まっちゃうんだから!」


「かんべんしてくれ」


 いつものおふざけを交えつつ、ふたりは真面目に笑いあう。


 綺羅の話したとおり、影政の専用防具には、上半身の防具がそもそもない。

 黒い、タイトな七分丈ズボンが彼の一点物であった。

 これは、悪魔時代からの装備を引き継いでいた。


 また、綺羅の疑問は、アプラウスを顕現させるには魔物を一体、確殺しなければならない、という条件があるにもかかわらず、兄がアプラウスの機能を使用したことにより生じたものだった。


 影政は廊下にでてきて寒そうにする綺羅にマジックポーション――体温調節アイテム――を投げ渡し、それから、階段のほうに視線を向け、顎をしゃくった。

 綺羅は危なげなくキャッチしたマジックポーションの栓を親指で弾き飛ばし、喉を鳴らしながらそれをおいしそうに飲みほした。


 兄妹はリビングに向かう。


「親父から、スライムを誕生日プレゼントとしてもらったんだ」


「ふーん、どこの伝手だろう。もしかして果凛かりんさん、村にきてるのかな?」


「さあ、もし果凛さんが村に来ているのなら、新年の挨拶がてら、一戦交えてほしいもんだがね」


「まーた調子のいいこといってー。こてんぱんにしてやられるんじゃない、果凛さん、強いし、容赦ないもん。わたしだって苦戦しているのに、包丁さえ握ったことのないお兄ちゃんに勝ち目なんてないよ。まさかそっち目的だ、なんて言わないよね?」


 綺羅は兄の顔を訝しげに覗きこんだ。

 ちなみに綺羅は、もう毎日のように自分の専用装備で稽古をしていた。


「たしかに、俺は美人さんに目がない。しかしだからといって武道によこしまな感情を浮かべて参じるほど、腐ってもいない。俺の信用は地の底か?」


「だってお兄ちゃん、いつも変なことを言うじゃん。魔力の鍛え方はこうだ、とか、わたしは直感タイプだから、全体はまだ見られない、いまは考えるな、相手に食らいつけ、とか。あげく、専用装備とはその者の心を具現化したものだ、なんて適当なこと言ってる。それって、根拠のない思い込みでしょう? お兄ちゃんの言うことをアプラウスで調べても、ぜんぜんヒットしないよ? その話の信憑性は、いったいどこにあるの?」


 10年も病に伏せっていた男には、家族との会話だけが心の頼りだった。

 そして、なんとしても死なせたくない相手に、有益な情報を与えるのは当然のことだった。


「それはほら、お兄ちゃんを信じるしかない」


「えー、独自路線がすぎるよー」


 綺羅は口を尖らせ、不満たらたらなご様子。

 そのことに、影政も不満たらたらなご様子。

 しかし、ああだこうだと言いつつも、綺羅はいまどきの若者らしく冒険ごとに目がない。

 12歳の女の子が、魔物の仕留め方を検索する時代だ。

 影政が知りうる知識をすこし分け与えたら、綺羅は検証すると言いだし、実験結果を『全体掲示板』に投稿している。

 そう、彼女はいわゆる動画投稿主なのだ。


 そうこうしていると、リビングで両親の話し声が聞こえてきた。

 綺羅が扉を開けると、卓上に並べられた鮮やかな料理が目に飛び込んでくる。

 ちょうど、夕飯時だった。


「あら、珍しいわね。ごはんは食べるでしょう?」


 気さくに話しかけてきたのは、母の黒音玖藺草くろねくいぐさだ。

 彼女の目元は影政によく似ていて、キリッと鋭いものの、たしかな優しさを帯びていた。

 肩下までストレートに伸びた茶髪を左手で掻き上げながら、藺草は椅子から立ち上がる。

 白シャツに、茶色の七分丈ズボンという、ラフな格好をしていた。


「食べる。食べるぞ。明日からは、朝と昼もみんなと一緒に食べる!」


「あら、元気ね。体調はもういいの?」


「おかげさまで絶好調だ! 今なら、綺羅の黒焦げパンケーキですら無理せずに食べられる!」


「それどういう意味よ! ねえ、聞いてお母さん、お兄ちゃんったら、また裸で廊下に立ってたんだよ」


「ふーん、冬なのによくやるわね。でも無理をしたらだめよ」


 いきり立つ綺羅と、小声でパンツははいてたと申告する影政を、藺草は興味なさそうにスルーして、追加の食事を取りに台所へ向かった。


 影政は、魔力圧迫が完治するのを見計らって、ここ最近は体調がいいアピールを頻繁にしていたことが功を奏したらしいと、満足そうに頷いていた。

 両親は、10年間の治療生活でこんなことは初めてだと、素直に喜んでくれている。


「もう、また聞いてくれない!」


 綺羅は唸りながらむくれた。


「影政。体の方はほんとうに大丈夫なのか? 病み上がりなんだから、あんまり無茶はするなよ」


 大熊を連想させるようながっしりした筋肉を着込んだ父、黒音玖玄武くろねくげんぶがのっそりと言った。

 短く切り揃えられた茶髪には、黒い煤がついている。

 体に張り付いた黒いアンダーシャツと、ストレッチ性の高い耐火ズボンを着込んでいることから、仕事終わりなのだろう。


「おかげさまで、ずいぶんと療養をさせてもらった。見てくれ! このハリツヤ筋肉!」


「いい筋肉だ。毎日寝込んでいたのが嘘みたいだな」


 玄武は優しく笑って、子供たちに座るよう促した。


「ほんと、なにしてたんだろうね」


「すねるなよ綺羅。明日、一緒に迷宮へいこう」


「いいの? いく!」


 不機嫌な顔をすぐさま吹き飛ばした綺羅は、玄武に視線を向けながら、影政の腕を鷲づかみした。


「だめよ。病み上がりなんだから」


 藺草が食事を運んできた。


「えー、いいじゃん! お兄ちゃん変なことをいっぱい知ってるし、なんとかなるよ、ね?」


 迷宮に行けるかもしれないとあって、綺羅は引き下がらない。


「ウルフの迷宮、3階層くらいまでなら、母さんひとりの付き添いでもなんとかなるだろ。ためしに連れて行ってやったらどうだ?」


 玄武は、綺羅の「行きたいんだもん!」という言葉に押され、援護した。


「お父さんはたしか明日、仕事が詰まっていたわね。じゃあ、わたしが先導役を務めようかしら? 柳生やぎゅう家も、明日、迷宮を食い荒らすといっていたから、なんとかなるか」


「やったー」


「でもね、迷宮内ではわたしの言うことは絶対よ。約束を守れない子は、迷宮外でも地獄を見ることになるわ」


 凄んで見せた藺草には、一歩も引かないという確かな重圧があった。


「おお、こわっ! 母さんに任せておけば安心だな」


 玄武はこの場の雰囲気を和ませようと、身震いして見せた。

 それから、今日のメイン料理であるトンカツを口に放り込み、あらかじめ用意されていたかのような賛辞を述べるのだった。


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