山あり谷ありの人生を目指して

 世界変革から、10年が経った。

 15歳になった影政は自室のベッドに寝ころび、陰鬱を吐き捨てるように一息ついた。

 顔を上げると、ベージュ色のカーテンが揺らめき、茜色の空が遠くに見えた。


 世界は目まぐるしく変化しているというのに、彼は、いまだ大々的な行動をとれていない。

 これは、ユルミルに譲渡してあった魔力を返還させて起こった不具合、魔力圧迫の影響である。もちろん、大悪魔時代に使っていた不浄な魔力は、きれいさっぱりに浄化されていたのだが……。

 

 まず前準備として、彼は精神の根底に、巨大な魔力タンクをユルミルに創造してもらっていた。にもかかわらず、返還されたその魔力が、魔力タンクの容量を超えて溢れだした。


 見かねたユルミルが、すぐに調整をしてくれたが、ほかの大仕事をおえたばかりの彼女は神力の大部分を失っており、本調子でなかったことが災いする。

 神力を搔き集める目処が立っていなかった彼女は、影政ばかりかまけていられないと一蹴したのだ。


 そのせいで、影政は10年が経ったいまでも、動き回ると頭痛や吐き気、めまいといった三重苦に悩まされている。

 そうだというのに、彼は自分の住んでいる小さな村に、魔物の危害が及ぶことを危惧し、――世界変革の影響で魔物が出現する――体に鞭打って、密かに、村の周囲を結界で覆った。

 だから、このような重度な症状に陥っているのは、自業自得ともいえた。


 しかしながら彼は我慢ができず、心身を早く調整してくれと、呪詛のように文句を垂れ流していた。

 すると、ユルミルから『生まれつき魔力量の多い種族に転生すれば、早期に快復できますよ』なんていう謎の提案を持ちかけられた。


 これにはさすがの彼も、驚きを通りこして肝を冷やした。

 ふいに影政の脳裏によみがえる情景、すなわち、人々の生活をずっと遠くから眺め、胸をジリジリと焦がしながら想いを馳せる哀れな悪魔の姿、それをすこしでも思い出すだけで、彼は震えあがるのだった。

 ことによると、涙すら浮かべていたかもしれない。


 このことから、影政の人間に対する常軌を逸した固執度合いは、容易に推察できる。

 そのはずなのに、その事実を知っているユルミルは、非難がましさを隠してさらっと怖い提案をしたのだ。

 だから、影政の心は瞬く間に凍てついてしまった、というわけだった。


 また、それにもしそんなことが可能であるならば、心身の調整を優先してくれと彼は思ったけれど、すぐに、少々ぼやきすぎたのだろうと反省した。

 ユルミルにも優先順位がある。

 大人しく、純情に自戒すべきだと思い直した彼は、やんわりと、不穏な転生話を断った。


「おれは柔軟な思考と豊かな感情を満足のいくまで堪能したい。たくさんの人々と笑顔を共有したい。誰かの役に立つことをしたい。もちろん、生きている限りは楽しいことばかりではなく、悲しいこともたくさんあるはずだ。けれど、そんな山あり谷ありの人生は、面白そうだ」





 影政が転生を望んだ理由は簡単だ。

 彼の過去生では、結局最後まで、彼の満足するものを手に入れられなかったことに尽きる。


 たとえば、悪魔がお茶会を開こうとどこぞの国に紛れ込もうものなら、国軍が躍起になって探し回る。悪魔がオークションに参加しようと財宝を持ち寄ると、金の臭いを嗅ぎつけた、死を厭わない影の冒険者が殺気立つ。利口で資金豊富な商人たちは、一過性の出来事であるにもかかわらず、他国にそそくさと転身する、我が身大事といって。


 悪魔の超越者となり、感情の抑制から解放されたアトモスフィアは、ユルミルに諭されるまで、ほんのすこしの暴力で自己欲求を満たせるならば、それでもいいと思っていた。


 その点も、問題視された。


 やはり一生、種族特性の呪縛からは逃れられないと考えたアトモスフィアは、脳裏にポツンと閃いた、まるで天啓に導かれるような転生という望んで止まない突破口を見出した。


 それからの彼の行動は迅速で、やや短絡的な思いつきであったことは否めないが、「悪魔」という種族がすべての元凶であったと思い至り、唯一神のもとへ直談判しにいった。

 すると予想外なことに――一悶着あると思っていた――あっさり転生のススメをされた、というわけだ。


「新しい世界を創ってあげるから、そこでいっぱい転生して暮らすのじゃ!」


 唯一神レティー・サンクティスは、仁王立ちでダダダン! と遠くの銀河を指さし、迷わずにそう言った。


 このときのアトモスフィアは、すべてを見透かされた、心地よい感覚に陥る。

 だからか、唯一神である彼女がへなちょこな幼女姿であったとしても、なにも思わなかったし、口答えもしなかった。もし口答えしようものなら、転生話が無くなくなるかもしれないと、不安に駆られさえした。


 いまになって思えば、唯一神ともあろうレティーが、あのとき、あの場で、なぜあのような幼い子供の姿をしていることに、なんの疑問も抱かずにいられたのか、彼は不思議でしかたなかった。

 神力は、神の外見に影響されるというのに。


 レティーは、どこからともなく取り出したクリスタル杯を彼に手渡した。

 そして、腰に手を当て胸を張る。


 嗅ぎ慣れた果実の芳醇に顔を綻ばせたアトモスフィアは、「転生を繰り返すことによって、お主のなかに渦巻く悪は次第に浄化されるはずじゃ。ゆけ、わらわ・・・の一統馬よ! すべては明るい未来のために、乾杯!」というかけ声とともに、グラスをぶつけ、それを一気に呷った。


 そこから彼の記憶はない。

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