存在意義、存在価値

…それだけは避けたい。


ヴァルディアスに汚された自分に、非がなかったなどとは思わない。



今のレイセは、自らの罪の証。

だからこそなお、ただただ普通に育てたいと…切に願う。



「…それでは、意味がない…」


不意にヴァルディアスが低く呟いた。

その表情には、先程までには見られなかった、氷のような冷酷さが見てとれる。


カミュの持つ雰囲気とはまた別の、種類の違う冷ややかな感情を見せつけられた唯香は、強者に魅入られた幼子のように、術もなく息を呑む。


…だが、ここで負けてはいられない。


「意味? 意味なんて…貴方の考えなんて分からない!

貴方はお母さんに会わせてくれると言ったわ! そしてあたしはそれを望んだ!

だから、その約束さえ果たしてくれれば──!」

「…母に、レイセを見せるのか?」

「!…」


唯香の体の動きが強張る。

対してヴァルディアスは、唯香の正面に立ち、あくまで冷たく言い放つ。


「…お前が俺のものになったのだと…

そう母親に悟らせるのだな?」

「!っ、ちが──!」


違う、と言いかけた唯香の声は、弱々しくも悲痛にかき消えた。


…分かっている。

ヴァルディアスの言っていることは正しい。

彼の言っていることは、紛れもない真実だ。


例え娘の自分が何と言おうと、己の母・玲奈はレイセを見れば、そのように事を捉えるに違いない。



…いわばレイセは、ヴァルディアスの最強の武器にして、最大の盾。

そしてそれは、精の黒暝界の者たちと、自分の一族に…最も強く作用する…!



それに気付いた唯香は、為す術もなくレイセに目をやった。

その瞬間、唯香の目はレイセを凝視し、そのまま驚愕した。


「…え…!?」


レイセの体は蒼の魔力の放出により輝き、それによってその体がどんどん成長してゆく。



──蒼の魔力。“蒼”の能力。

これは──



「!まさか、自分の“時”を…早めたというの!?」


唯香は、ただ唖然と事を眺めることしか出来ない。


17年前の事件の後、父親・レイヴァンから聞いた話によると、時を扱える力を持つのは、ゼファイル家の一族のみ…つまり自分の家族だけだ。


それからするに、ヴァルディアスが時の魔力を使えるはずもない。

かといって自分も使ってはいない…

となれば、結論は自ずと見えてくる。


唯香は自らが一番考えたくない結論に行き着いたことに、いたたまれないまま、レイセの様子を見た。


…認めたくはないが…

レイセは、己の意志で時の魔力を使っているのだ。


因果率に逆らって成長を続けるレイセの体は、徐々に大きくなる。


さすがに支えきれなくなって、唯香はその腕からレイセの体を、流すようにして地につけた。

…その間にもレイセは成長を続け、その外見は、あっという間に五歳児ほどに変貌する。


それを見た唯香は、レイセが我が子であると知りながら、言いようのない畏怖を感じずにはいられなかった。


…ヴァルディアスが満足げな、それでいてどこか怜悧な笑みを湛える中、レイセは閉じていた目をゆっくりと見開いた。



外見は、ヴァルディアスに良く似た面立ち。金髪。

そして唯香譲りの、玲瓏たる蒼の瞳──



「…れ…、レイセ…!」


たまらずに唯香が声をあげる。するとレイセは、今だ意思を見せないその瞳を、唯香の方へと向けた。


…その母親譲りの双眸で、当の、母たる唯香を見つめる。

やがて、その形のよい唇が開かれた。


「…ま…マ? ははウ…エ?」

「!」


まだ誰も教えていないというのに、辿々しくはあるが言葉を話し、自分を母親であると認識しているレイセに、唯香は驚いた。

レイセは次いで、ゆっくりとヴァルディアスに目を向ける。


「…ぱ…パ…。…チ…、ちち…うえ…」

「──そうだ、レイセ…」


ヴァルディアスが肯定し、それと共に、何もなかった空中から、黒が基調の子どもの衣類を、その魔力によってレイセの側に降らせる。


「それを着ろ」

「…ハイ…、ちちうえ…」


レイセは疑うことなくヴァルディアスの言うことを聞き、服に手を通し始めた。

それを見た唯香は、そんな些細なことにも改めて恐怖する。



…親への呼びかけにしても、服の着方にしてもそうだ。

どれひとつ取っても、レイセは、まだ教えていないことを当然のように理解し、行動する。



まるで初めからその人格が存在していたかのように。



…これは赤子のレベルではない。

子どもですらない。

外見は子どもでも、中身は…!



「…?」


与えられた衣類を着終えたレイセは、そんなふうに考える唯香の表情を、怪訝そうに見つめた。


「…ドウしたノ? …ハハうエ」

「!」

「ドウして、そンな目デ…ボクを見ルノ?」


相変わらず辿々しく話すレイセの瞳に、ほんのわずかながら感情が見え隠れする。


それは寂であったり、咎であったり…

そしてそれを上回る程に疑であったりしている。


そんな息子の問いに、唯香はいよいよ返答に困り、同時に背筋には、凍りつくような悪寒も覚えていた。


…すると。


「…ン…?」


レイセが、ふと何かに気付いたように反応した。


「…コレ…、魔力…? …誰ノ?」


窺うように目を細め、空間の先を見やる。

それに唯香がはっと気付き、再びレイセに声をかけようとしたその矢先、ヴァルディアスは残酷にも低く呟いた。


「…お前の敵の、魔力だ」

「…? …ボクの…テキ…?」


レイセは細めた瞳に、更に鋭さを伴わせる。

ヴァルディアスは頷いた。


「ああ。…奴の名はカミュ=ブライン。お前の母を奪いに、すぐにでも此処に来るはずだ」

「!…ハハウエを…っ!?」


その眉がひそめられたと同時、その感情を糧に、レイセを中心として、その強大な魔力が渦を巻いた。


風と炎が、さながら龍が慟哭するような唸りをあげながら、周囲の空気をくすぶり、焼き尽くしていく。


「!…」


その途方もない力を目にしたヴァルディアスは、レイセの将来を担う“何か”を確信して、不敵に笑った。


…しかし。


「──やめて!」


唯香がレイセを制した。

それに気付いたレイセは、その途方もない魔力の一端を、少しながら抑える。


「…ハハ…うえ…?」

「カミュは貴方の敵じゃない!

…レイセ、貴方はカミュを…、カミュ本人を知らないでしょう!?

与えられた情報だけで、それだけで相手を判断しては駄目よ!」

「!…っ、だケド…」


優しいと思われた母の、思いがけず激しい声に、子どもである性か、レイセが怯む。

それにも構わず、唯香は更に先を続けた。


「レイセ…お願いよ! ヴァルディアスが何と言おうと、カミュとは戦わないで!」

「…は…、ハハうえ…」


レイセは瞳のみで困惑を語りながら、縋るように父親を見る。


するとヴァルディアスは、それに答えるように軽い一瞥をくれた。

次いで、唯香にその宝玉のような蒼銀の目を向ける。


「…唯香」

「!」


またも押さえ付けられるのかと、唯香が身を慄ませると、ヴァルディアスは意外にも、そのまま唯香に近より、引き寄せるように抱きすくめた。


「!…ヴァルディアス…っ」


呼びかけにも構わず、ヴァルディアスは唯香の唇を己のそれで塞ぐ。


この突然の荒々しい行動に、唯香は戸惑い、ヴァルディアスを拒もうとするも…

それを見越したヴァルディアスは、抱いたその手を移動させ、背を通す形で、唯香の頭に己の手を絡めた。


ヴァルディアスは唇を離し、唯香をかき抱いたまま、告げる。


「レイセを作り出しても、お前の心は今だカミュ皇子に惹かれ続けている…

それを黙認する訳にはいかない」

「!そんな…だってあたしは元々、カミュの──   !?」


言いかけた唯香の言葉が止まった。




“カミュの”…?




反射的に叫んでしまったが、自分はカミュの…何なのだろう。

自分は元々、カミュの…“何”にあたるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る