鍵を握る者

★☆★☆★


…ちょうどその頃、ヴェイルスの魔力によって、精の黒瞑界への帰還を果たした累世は、そのヴェイルスを引き急かすようにして、祖父であるサヴァイスの元へと向かっていた。


先程の呼びかけからも、祖父は全ての事態を把握しているようで、いつもは頑なに閉ざされているはずの、彼のいる空間の入り口は、まるで累世を待っていたかのように、ぽっかりと口を開けていた。


通常ならば、相手が相手であるだけに警戒し、その入り口に近付くことすら拒むであろう累世は、今やそんなことにはお構いなしに、ヴェイルスの手を引いたまま、足早にその空間内部に足を踏み入れた。


背後で空間の入り口が、その口を固く閉ざすことを確かめもせず、累世は暗い空間の奥にいる、玉座に座ったままの人物に向かって、強い焦燥を含めた声を張り上げていた。


「──どうせ貴方のことだ、俺の言動は筒抜けだろう…

だが、だからこそ、貴方は俺が何をしに来たのか分かっているはずだ!

こいつがこの世界と敵対する、闇魔界の皇子であることを承知の上で頼む…

お願いだ、ヴェイルスを治してやってくれ! 貴方にならそれが出来るはずだ!」


「…、ああ。出来ぬことはない」


サヴァイスは、その子であり、累世の父親のカミュに譲り渡した紫の瞳で、静かに累世を一瞥した。

すると、応の確信が持てた為か、累世がその声に嬉しさを伴わせる。


「!良かった、じゃあ早速…」

「だが、それは無駄だ」


間を開けず、サヴァイスが素っ気なく切り返す。

それに累世は、瞬時に酷い焦りと、それを上回る激しい怒りを覚えて、自らの感情のままに、祖父に食ってかかった。


「無駄かどうかは、やってみなければ分からないだろう!」

「…己の感傷のみで、我を動かそうというのか?

少しは頭を冷やすがいい…」


サヴァイスは、あくまで拒絶の反応を崩さない。

それに累世は、ますます焦りを覚えて、再び声を荒げようとした。


しかし、さすがにこれ以上喚かれてはたまらないと判断したのか、サヴァイスは徐に、その射るような視線をヴェイルスへと落とした。


瞬間、ヴェイルスの体を支配していた淫の感情が、ほんの僅かながらも消失する。


もはや声にもならず、口を酸素を求める魚のように、ただ無意識に動かしていたヴェイルスは、その苦しみから多少なりとも解き放たれた安堵感からか、深く、ゆっくりと呼吸して自らを落ち着ける。


累世はそれにほっとしながらも、まだまだ釈然としないままに、その疑問を直接サヴァイスへとぶつけた。


「…やはり貴方なら、この症状を治すことは可能だ…

なのに何故、緩和のみで…完治させてはくれない?

それに何故、無駄だなどと分かるんだ?」

「…、今だ疑問を持つというのであれば、ライセに訊いてみるがいい」

「!ライセに…!?」


ライセの名が出たことで、累世は戸惑いと困惑を同時に覚えた。



…自分の双子の兄であり、この世界の皇子であるライセ=ブライン。



彼の激しい気性も、対して、ヴァルディアスに操られたとはいえ、血を分けたその兄を殺そうとした己のことも…

充分によく分かり、そしてはっきりと記憶している。


…恐らくライセは、自分を受け入れてくれるはずがない。

わだかまりを残し、兄を殺しかけた弟のことなどを…

今更…ライセが信じ、認めてくれようはずもない。…だから解る。


…到底、訊けるはずは無い…!


そう…“操られていたのだとしても”、兄を傷つけ、母の血を貪り飲んだ自分には、もはやそんな資格など…

兄と同位に居る権利など、無いのだから。


だがそれでも、ヴェイルスを治す為には、嫌でもライセに会わなければならない。



例え面と向かって罵倒され、きつく罵られ、これ以上ないほど蔑まれようとも…

兄であるライセに会わなければ、全てが始まらない。



「…、分かった。ライセに…兄に会いに行こう…」


累世は諦めたように呟いた。

自分と再び顔を合わせた時、あの兄が一体どういう反応をするのか…

今の累世には、それが一番気がかりだった。


…血を分けた兄。自分の双子の兄。



“ライセ”。



例え、自分を理解してくれなくても…

ほんの一時、いや数秒でも構わないから…


信じて欲しい。

兄であるなら。


そう、兄だというのなら…

同じ親から産まれた、弟である自分を…刹那でも構わないから。



…“信じて”…



「──ライセ…」


累世は、改めて兄の名を噛み締め、その一方でそれを振りきるように頭を振り、迷いをその外見全てに留めたままに、ヴェイルスを促した。




…後に残ったサヴァイスは、自らの血を引く者の他愛ない悩みに、よくよく注意しなければ分からない程に、視線を伏せ、移す。


自らを取り巻く者の悩み、葛藤。それがどれほど深い苦悩であったとしても…

彼にとっては、ほんの些細な迷いでしかない。




四千年も生きると、感情全てが擦れるのか…

それとも希薄となるのか。




闇に溶け、混じり、そして潰え、朽ちていく己の感情を留めるかのように、サヴァイスは音もなく窓際へと歩を進め、自らが統治する世界を労るように濡らし続ける、雨の降り頻る風景を眺めた。




…天から落ちる水は静かに、そして緩やかに…

精の黒瞑界の闇に混じり溶けるように、その量にも拍車をかけていった。

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