皇帝の目論見

…深遠なる、優しい闇。


永久に光を喰らい続けるその膨大な黒が、反して夜の帳のように、静かに周囲を覆う。


闇魔界の皇帝・ヴァルディアスによって、件の闇魔界に連れ去られた唯香は、恐らくはその世界の中心にあると思われる広大な漆黒の城を、その門前で、ただじっと見上げていた。


その傍らにはヴァルディアスが、唯香の肩に手を置いて立っている。


唯香の心境には、ただひたすらの絶望しか無かった。

自分がどう動こうと、ひとりでは到底、この世界から逃げられないことなど承知している。


…そして何よりも、今は彼に捕らわれている。

この皇帝からなど…隙をつくこともそうだが、その延長上で逃げられるなどとは──とても思えない。


「……」


唯香は絶望のままに、肩を落とした。

すると、それを訝しんだらしい門番…

男女二人の内のひとり・男の方が、蔑むように唯香を見、それでも連れが皇帝であることから、恭しく口を開いた。


「…畏れながら陛下…、この女性は──」


その問いに対して、ヴァルディアスは闇魔界の皇帝としての威圧感を垣間見せ、冷酷に答えた。


「貴様らが関知するところではない。だが、この女に対して無礼を働くことは、俺が許さん。

この禁を破った者は、その死をもって贖わせる。…いいな、よく肝に銘じておけ」


言葉の最後に、かつてない程の恐ろしい威厳と殺気を込めて、ヴァルディアスは配下を睨んだ。

途端に門番二人が、蛇に睨まれた蛙よろしく、恐怖に竦みあがる。


「!は、はっ…!」


畏まって頭を下げる門番たちを後目に、ヴァルディアスは柔らかく唯香を促した。

…諦めたように、唯香が歩を進める。


「…本当に、お母さんに会わせてくれるのね?」


振り返りもせずに、唯香が念を押した。


…幾ら母親に会いたかろうと…

考えてみれば、カミュにも断りを入れず、ライセまでもを振り切る形でこの世界に来た自分は、剰りにも軽率すぎたかも知れない…


ヴァルディアスの手からは、到底“逃れられはしない”。

その考えが抜けていた。


完全に、情を逆手に取られた…!


唯香は、自らの軽率さを恨んだ。

それが声となって発せられたわけだが、これにヴァルディアスは、その背後で、氷のように冷たい笑みを浮かべた。


「そう念を押さずとも、会わせてやる…」

「…、詭弁じゃないでしょうね?」


あくまで追撃の手を緩めない唯香に、ヴァルディアスはつと、唯香を引き寄せた。


「!ぅわっ…」


歩を進めていた唯香は、その体勢のまま、いきなり背後に倒れ込む形となり…

なおかつ、背後の状況がまるで分からないことからも、さすがに顔を強張らせた。


…しかし。

そのまま不意に、ヴァルディアスの逞しい腕に抱き竦められ、倒れ込んだ勢いに任せて、貪るように唇を奪われる。


「…!?」


いったんは驚いて固まった唯香も、フェイントで何かをされるのは、カミュですっかり慣れているらしく、次にはすぐに気を取り直し、自分から振り切るように唇を離した。


「…何するの!」


その蒼の瞳は、感情が高ぶったために美しく、なお蒼く輝き…

その光そのものを、鋭い咎めの刃と変え、強くヴァルディアスへと叩きつけた。


「気が強いな。だが、その躯にはカミュ皇子の匂いが染み着いているようだ…」

「!カミュの…!?」


言われて、唯香は愕然となった。

…そんなことは、指摘されるまで、まるで分からなかった。


「唯香、お前のその血統は…、その存在は、これ以上ない餌だ…!」

「…餌…!?」


聞き捨てならないことを言われ、唯香の顔が怒りで紅潮した。


「あなたは…人を何だと思ってるの!?」

「利用価値のある者は、全て餌…

餌足り得ない“人”こそが、我らが真に排除すべき者…

そう言った意味では、お前の母も、なかなか良い餌ではあるな」


低く冷酷に笑ったヴァルディアスに反して、唯香の感情は、今やその全てが、激しい怒りで占められていた。


「あなたの話に乗ったあたしが馬鹿だったわ!

お母さんはどこ!? 会ったら、あたしはお母さんを連れて、すぐにでも帰るから!」

「…まだ身の程が分かっていないようだな…

お前が今更、もと居た場所へと帰ることなど…、出来ると思うのか?」

「!なっ…」


この時の唯香は、怒りの中にも、完全に驚きを溶け込ませていた。

ここまで来れば、嫌でも分かる。


…自分の母親・玲奈は、彼の言葉通り、単なる餌に過ぎない。

闇魔界の皇帝・ヴァルディアスが、真に狙っていたのは…


「!あ、あなたの目的は…まさか、本当に…あたし…!?」


…ライセの咎めが、胸をよぎる。

ライセが危惧し、母親であるはずの自分に、声を荒げてまで繰り返し諭していたことは、これだったのだ…!


「…その血統、その器、その魂…どれをとっても申し分ない。

ましてや、お前は女…

俺の魔力を継ぎし者を創り出す能力も保持している」

「!あ…」


唯香が、ここにきて初めてヴァルディアス相手に臆した。

その意図が、狙いがはっきり分かった今となっては、彼の傍にいること自体が恐ろしい。


…あれほど気になっていたはずの、母への思いなど消し飛ぶ程に。


「!…いやっ…」


唯香は、激しい拒絶と嫌悪感を露にすると、無理やりヴァルディアスの手を振り切った。

そのまま、見えない何かに縋り、誰かに助けを求めるように、ただあてもなく走り出す。


──そんな唯香の様を、表情も変えずに、静かに眺めていたヴァルディアスには…

唯香が誰に縋りたいと思うのか、また、誰を求めているのか…

その全てが分かっていた。



「…ふ、カミュを求め、カミュに狂うか…

だが、お前は魅惑的だ。カミュ皇子に与えておくには、お前はあまりにも惜しすぎる…!」

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