歪んだ独占欲

…その頃。

床から身を起こしたカミュは、冷めた瞳で唯香を見下ろした。


…再びカミュに囚われた唯香は、カミュの下で虚ろな瞳を見せていた。

そこにはあの、17年前の悪夢の再現、そしてその名残が、確かに残されていた。


時が止まったのではないかと思える程の静寂の中で、唯香は呆然と涙を流し、声を抑えて泣いていた。


「…っ…、ぅ…っ…」

「…何だ」


カミュが怪訝そうに、しかしあくまで冷たく唯香を見下す。


「何を泣くことがある」

「!…だ…っ、て…」


唯香は、涙に濡れた瞳でカミュを見上げた。

二人は全裸で、そこには輪廻とも呼べる以前の繰り返しが確かにあった。


…狂う程の快楽を与えたはずなのに、唯香は悲嘆に暮れている…

その事実が、カミュの冷酷さを、わずかながらも封じ込めていた。


そんな中で、唯香は弱々しく口を開いた。


「…あたしは…、自分が…情けな…くて…!」


目を閉じ、床から起きることもせず、ただひたすらに涙を流し、心情を告げる唯香に、カミュは言いようのない苛立ちを覚え、無理やり床から引き離した。


…その存在そのものが、消え入りそうなまでに…

見る者に虚無感を与えるような表情を隠すこともなく、唯香はぽつりと名を呼んだ。


「…累世…」


名を呼んだことでタガが外れたのか、唯香の涙の量が一気に増す。

その、止まることなく溢れる涙を、カミュは自らの心情をも払拭するかのように、荒々しく拭い取った。

それに反応しながらも、唯香はただひたすらに、いなくなった息子を気にかける。


「…累世…、どこに行っちゃったの…?」

「あいつのことなど、もはやどうでもいい! あんな奴を…お前が気にかけるな!」


カミュが、怒声によって唯香の心を苛む。

唯香はそれに、自らの気持ちを全てぶつけることで対抗した。


「!っ…、どうでもよくなんかない!

例えあなたが認めてなくても、累世は…あたしの息子なんだから!」

「お前には、あんな奴など必要ないだろう!」

「!…必要よ! 今の、変わってしまったあなたよりも…

カミュ、あなたよりも、あたしには累世がいないと…

累世がいなければ駄目なんだから!」

「!…貴様っ…!」


カミュは、面と向かって逆らう唯香に、激しい怒りを覚えると、その紫の瞳に、途方もない殺気を含ませた。

…その鋭い眼光の、更に奥底には、あろうことか…

血を分けた、実の息子であるはずの累世に対しての、麻痺にも近い焼けつくような嫉妬と、それと相反する、冷たくも深い湖のような憎しみが潜んでいた。


「…唯香、お前は俺よりも、あいつを望み、欲すると言うのか…?」


カミュの口調が、徐々に凄みを帯び、声が低くなっていく。

唯香はそれに呑まれそうになりながらも、懸命に反論した。


「!…っ、そういう意味じゃない…! まだ分からないの!?

…あなたと累世とでは、その存在意義そのものが違うの!

累世は…、あの子はあたしたちの子どもなのよ!?

でも、あなたは…来世は認知しても、累世は… 累世の方は認知してくれないんでしょう!?

だからあたしは…」

「いい加減にしろ! あんな奴の名など、二度と口にするな!」


雷鳴さながらに怒声を落としたカミュは、その声の激しさに驚いて言葉を失っている唯香に、容赦することもなく、更なる追い打ちをかけた。


「…以前から思っていたが、どうもお前は反抗的だな。

あれだけの快楽を与えても、まるで屈することのないその肉体の支配は、もはや不可能のようだ…

だが、その内面…精神の支配ならどうだ?」

「え…?」


唯香が、何かを予期したように思わず眉を潜めると、カミュは恐ろしいほど静かに言い放った。


「…お前から、あいつに関する記憶を全て消してやる」

「!…」


その言葉が唯香の脳に浸透するまで、しばらくかかった。

しかし、その意味を理解した時…

唯香は、一度は突き放したはずのカミュに、自ら縋りついていた。


「!いや…、やめて! お願い、カミュ! それだけは…

それだけは許して…!」

「…、今更懇願しようと無駄だ…!」


カミュは、残酷かつ静かに告げると、唯香の額を自らの右手で覆った。

反射的に逃げようとする唯香の腕を左手で掴み、その右手に、膨大な威力の魔力を集中させる。


瞬間、紫紺の強力な魔力が額を浸透し、いとも簡単に、唯香の脳に揺さぶりをかけた。


ずきん、と、脳の一部を尖った何かで抉られたような、鈍い痛みが走る。

たまらずに、唯香は悲鳴をあげた。


「!…い…、ぃやあぁあぁあっ!」


…唯香の発したそれは、間違いなく魂の慟哭だっただろう。

親である自分から、子の記憶が奪われる…

そんな、心を粉々に砕かれるような痛みに耐えきれず、唯香は聞く方が耳を覆いたくなるほどの、悲痛な声をあげた。


そんな唯香を、カミュが不敵に笑いながら、抱きしめる。


「…偽りの、一時の縋りなどは必要ない」


…そう、これ自体がまた“偽り”…

虚偽でありながらも。


「自業自得という言葉を知っているか…?

…唯香、お前が俺を拒むからだ…!」

「…あたし…が…?」


カミュの手に落ちた唯香は、戸惑ったように口を動かした。

その様は、本当に純粋な雛鳥のようで…

先程までの、カミュを拒絶し、自分から遠ざけようとしていた唯香とは、まるで別人だった。


「…そういえば、カミュ…、どうしたの?」


累世に関する記憶だけが抜け落ちた唯香は、先程まで、自らの眼前で繰り広げられていたはずの、父と子の争いを全て忘れていた。

…つまり、唯香からしてみれば、カミュが唐突にここに現れたも同然なのだ。


「…いつの間に…ここに来たの?」


この唯香の問いに、カミュは密かに、その笑みを潜めた。


「そんなことはどうでもいい。着替えるぞ」

「!…え…」


促されて、唯香は自らに視線を落とした…のと、ガラスが割れるような奇声がその口から発せられるのとは、ほぼ同時だった。


「!きゃあぁあぁあ! な、何であたし…っ!?」

「…、状況判断もまともに出来ないとはな」


憐れむように呟くカミュから、唯香は勢い良く離れると、その勢いで猛然と服を着用する。

傍らでは、唯香のそんな様を嘲るように目を落としたカミュが、無言のまま着替えていた。


そんな妙な雰囲気の中、カミュが唯香に訊ねた。


「…、お前は何故、人間界に残っている?」

「…何故って…」


先程のショックが尾を引いているのか、唯香は極めて憮然と答える。

だがそれは、累世の記憶があった時ならば、到底出ては来ないような、平凡な答えだった。


「…だって、あたしは昔からこの世界に居たんだし、ここ以外で過ごすなんて、とてもじゃないけど考えられないから…」

「……」


我が子である累世の存在を抹殺したような、唯香のこの答えに、カミュの口元が自然に弛んだ。

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