望まないもの
…その頃。
マリィと一時、決別した累世は、とある大きな家の前で足を止めていた。
その家の表札には、見るからに立派な書体で、『
それに軽く目を走らせた累世が、沈むように目を伏せてその場から立ち去ろうとした…
その時。
「…えっ? …まさか…累世っ!?」
些か興奮したような声と共に、勢い良く緋藤家の門が開き、緩やかな炎を思わせる、美しい少女が顔を覗かせた。
それにすぐさま気付いた累世は、我知らず、驚きと喜びの入り混じった声を漏らす。
「…
凛と呼ばれた少女は、そんな累世の呼びかけに、嬉しそうに微笑んだ。
「累世…、久しぶりね。前みたいに、うちに遊びに来てくれたの?」
「…え? あ、いや…、今回はそうじゃない。ただ、普通に通りかかっただけだ」
言いながら累世は、自らが心底、安堵しているのを、強く実感していた。
…彼女の名前は、
凛と自分は、世間一般で言うところの、いわゆる【腐れ縁の幼なじみ】と呼ばれる間柄だ。
ただ、それは中学までの話で、二人が高校に進学してからは、互いに違う学校に通っているせいもあり、図らずも、疎遠になりかけていた。
そんな累世が眼前にいることから、凛の方も自然、人懐こい笑顔を浮かべる。
「累世、今、暇なの?」
「…暇と言えば暇だな」
取り込んではいるが、と言いかけて、累世は科白を飲み込んだ。
…“何も知らない凛に、わざわざ心配させることもない”。
そう判断したからだ。
「その口振りだと、お前は随分と退屈なようだな」
「分かる?」
「ああ」
几帳面に答えながらも、累世は、こんな他愛ない会話のやり取りにすら、和みを感じていた。
…今まで、当然のように話していたはずの、こんな些細な会話のやり取りにすら…
幸を覚えていた。
当たり前にそこにあるものを、当たり前のように与える、その存在…
それがとても大事であることを、累世は今、身に染みて実感していた。
…しかし。
そんな幸福感も、長くは続かなかった。
「──ルイセ様」
不意に累世の背後から、よく通る青年の声が響いた。
「…?」
その声に聞き覚えのない累世が、それに反応して振り返る。
そこにいたのは、金髪銀眼の容姿を持つ、六魔将のうちのひとり…
フェンネル=ブラッドだった。
「…また得体の知れない奴のお出ましか。
いい加減しつこいな…、まさか、お前もあいつらの仲間なのか?」
本日、既に痛手を何度か食らっている累世は、さすがに初対面の人物には警戒し、必要以上の邪推を持って接していた。
…程なく、フェンネルが口を開く。
「その口振りでは、こちら側に随分と失礼があったようですね」
「そんな言葉では、到底片付けられない程度にはな」
「成る程、これは随分と手厳しい…」
苦笑したフェンネルは、そのまま、ちらりと凛に目をやった。
その力ある者の視線に、華奢な凛の体が、びくりと強張る。
「!な…、何…?」
「…ルイセ様」
畏まりつつも、はっきりとこちらに言い聞かせるようなこの青年の物言いは、累世の中の何かに、怯みの感情を抱かせた。
それを累世の態度によって認識し、判断したらしい青年は、ゆっくりと語りかけるように、再び口を開いた。
「まず、名乗っておきましょう。
私の名はフェンネル=ブラッド。皇家を守護する役目を担う者です」
「……」
累世は半眼で、フェンネルの出方を窺った。
相手が何を言いたいのかが分からなければ、こちらも自然、手の打ちようがない。
それ故に、受け身の形となった訳だが…
フェンネルはそんな累世の考えを見透かしたかのように、次には、累世がまるで予測していなかった、意外な科白を口にした。
「ルイセ様、貴方様には今から、貴方様の双子の兄上である、ライセ=ブライン様が待つ、我が世界…
【精の黒瞑界】へお越し頂きます」
「!…っ、ふざけるな! 冗談じゃない!」
累世はすぐさま、この申し出を切り捨てた。
自らが否定することで、フェンネルのその思惑の全てを潰そうと画策した累世だったが、ふと、断った際の相手側の脅迫材料の一部に気付き、愕然となった。
「!…まさか、貴様…」
「そのまさかです、ルイセ様。御父上に良く似て、勘が鋭いようで何よりです」
にっこりと優しく笑んだフェンネルに、累世はそれと対比した、悪魔の笑みを垣間見ていた。
累世は気付いていた。
…口に出さなくても分かる。
自分が断った時には…
自分と懇意だと知れた、凛に手出しをするつもりだ。
「…お前たちは、そうまでして俺を…!」
累世は苛々と呟いた。
それに、フェンネルは片腕を腹の位置に当てた、畏まった形の礼をする。
「度重なる非礼はお詫び致します。…しかしルイセ様、貴方様は、あくまでカミュ様の御子息…
我々の主のうちのひとりなのです。
そのことを努々忘れないで頂きたい」
フェンネルは一時、軽く頭を下げると、累世の様子を窺った。
…予想通り、不機嫌この上ない。
しかし、何の関係もない凛を楯に取られたことで折れたのか、不承不承、累世は告げた。
「…分かった。兄に会いに行こう。だからこいつには手を出すな」
「心得ました」
フェンネルが答えたのと同時、今までの会話の意味が分からない凛が、累世に訊ねた。
「累世、今の話はどういうこと!? 貴方のお父様が誰だか分かったの!?
しかも、貴方にはお兄様までいたの…!?」
「…そう矢継ぎ早に質問するな」
累世はうんざりした口調で、凛の興奮を遮った。
…父親がひとつの世界の皇子で、
その世界には双子の兄がいて、
その二人に仕える者が、自分に敬語を使う…
そんな絵空事のような、突拍子もない話を、凛が信じるはずもない。
当事者の自分ですらが、我が身に降りかからなければ、到底信じないところだ。
「フェンネルとか言ったな」
「はい、ルイセ様」
「どうせ行くなら、すぐにでも行くぞ」
「よろしいのですか?」
そう仕向けた割には、フェンネルが意外そうに訊ねてくる。
それに、累世は憮然としながらも頷いた。
「何を今更。…早くしないと、俺の気が変わるやも知れんぞ」
「そんな所も、カミュ様に良く似ておられますね」
「…、一言余計だ」
累世は憮然に輪をかけてむくれた。
すると、そのやり取りを聞いていた凛が、慌てて声をあげた。
「!なに…、累世、どこかへ行くの!?」
「…ああ。望みもしない家庭訪問だ。別にお前が気にすることじゃない」
やんわりと凛を突き放した累世は、その蒼の瞳でフェンネルを促した。
フェンネルが頷き、凛がそれに気付いて再び声をかけようとした時には…
二人の姿はいつの間にかそこから消えていた。
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