問題の地下

…その場がいわくありげであることは、一目見て分かった。


「…地下、か。…父上は見れば分かると仰っていたが…」


独り呟いたライセは、周囲に目を走らせた。


湿った、地下特有の匂いが鼻につく。

地上の、闇ながらも鈍色に輝く、煌びやかな美しさとは裏腹に、この地下は…

人間界に住む者でも見れば、まさしく何者かが奥に潜み、闇からこちらを窺っているように思えるような作りをしている。


…そう、一言で言えば、“不気味”という言葉が一番しっくり来る。


「父上のあの口調では、父上も、以前にここに入ったことがおありのようだ…」


再度呟いて、ライセは地下に伸びる、階段にも近い緩やかな空間に足を踏み入れた。

しばらくそうして歩いている間にも、ライセは周囲の情報収集を怠らなかった。


今は、取り立てて異変はない。

だが、あの父親がああまで言うところを見ると、鍵となる問題はむしろ、これから起こるのだろう…

などと、歩きながら考えていた途端。


不意に、周囲の空間が歪んだ。

考えに没頭していたライセは、それでもすぐにその異変に気付き、油断なく周囲に目を配る。


「…やはり、問題はこれからか」


壁に当たる空間全体が、闇を捕食するかのように…

うねるように動く。

それはライセに、人間の体の内部を連想させた。

それ程までに、それはグロテスクな動きだった。


「…あまり気持ちのいいものではないな」


不快感をそのまま声に変えたライセは、その現象に目をやりながらも、更なる地下へと進んでいった。


すると、再び周囲の様子が変わった。

それまで蠢いていた空間が、引き潮のように、凄まじい早さで上へと引いていく。

そして、代わりに…そこに新たな壁として現れたのは…


無数の、見るも無惨な…人間の遺体だった。


「!うっ…」


ライセは思わず口元を押さえた。

…その遺体の損傷の酷さは、ただ事ではない。


目をえぐられている者、

酷い拷問の痕を残す者、

五体の一部を切り取られている者…

…そんな、かつては人間だったらしい“もの”ばかりだ。


それらが恨めしそうに、一様にライセの方を向いている。


「!…」


その、もはや意志を持たないであろう目に、それでも閉じ込められた、様々な感情…

それらが、まとめてライセにぶつけられた。


…ライセは我知らず、足を引いていた。

父親が示唆したことは、これなのだろうか…!?


だが。

感じるのは、突き刺さるような怨恨。

憎悪。

例えそれらが、まとめて自分に向けられているのだとしても…

ライセには、自らの手でその人々を殺めたのではないという、心の逃げ道があった。


…しかし。

ライセのそんな弱さを見越したかのように、空間は次の手を打ってきた。

ライセがその無数の遺体に、不快感と吐き気を同時に覚えながらも、ようやく歩を踏み出し、その箇所を進んでいくと…

再び、周囲の様子が変化した。


「!」


ライセは、前例が前例なだけに、必要以上に警戒を強めていた。

…拳を固めると、命を狙われる要人のように息を詰める。


満を持して周囲に現れたのは、やはり無数の人間の遺体だった。

その点だけは、前と全く変わらないのだが…

ライセはむしろ、こちらの方が恐ろしいと感じていた。


…目の前に広がるのは、凍りついたように原型を留め、目を閉じたまま、物言わぬ屍となった“人間”…


その壁にあたる空間…、それ自体が、巨大な共同墓地と化したかのように…

透明な膜の内部に、まるで寝ていると言っても過言ではない程の、不気味なほど穏やかな表情の人間の遺体が、整然と並べられている。


…その狂気じみた光景を目の当たりにしたライセは、思わず息を詰めた。

同時にそれは、絶対的な不安定さをライセに齎す。


「…何だ…、これは…」


まさにひと目で分かる、異様な光景。

生をそのまま閉じ込めたような、無機質な空間…


「ぐっ…!」


不意に吐き気を覚えて、ライセは強く口元を押さえた。

不快感がそのまま胃に反映され、忌々しい程に内腑が収縮する。

…吐きはしなかったものの、気分はそれと同等に嫌なものだった。


「!っ…、こんな所に…長居は無用だ…!」


その蒼の瞳に、苛立ちと殺気を垣間見せて、ライセはきつく吐き捨てた。

…そのまま、更に奥に…闇に歩を進めていく。


瞬間。


「…!?」


眩い光が、周囲の闇を全て吹き飛ばした。


闇を切り裂くようにしてライセの目の前に現れたのは、かつてサヴァイスがフェンネルに与えたものより、ひと回り大きめの…

所有者の求める空間を見通し、その情報を提供する、『遠見の紫水晶』だった。


しかし、サヴァイスがフェンネルにそれを与えたことなど、ライセが知る由もない。

それ故にライセは、見たままを自らの言葉に置き換え、声をあげた。


「!…紫色の…水晶? 何故こんな所に…」

《…よく来たな…、ライセ=ブライン》

「…え?」


ライセは耳を疑った。

聞き間違いでなければ、自分の耳が確かなら…

今の声は…、間違いなくこの水晶から響いた。


「水晶…、まさかお前が話しているのか?」

《…その通りだ、ライセ=ブライン。いや、神崎来世と言った方が的確か?》

「…神崎かんざき来世らいせ?」


聞き慣れないその名に、ライセは自然、眉を顰めた。


「それは誰のことを言っている?」


…この時、水晶が話しているなどという奇態な事実は、既にライセの頭の中にはなかった。



言葉のニュアンスからすれば、それは間違いなく自分を指すのだろう。

だが、そうだとすれば、聞き慣れない『神崎』という名字を宛てがわれるのには、何か理由があるはずだ。

…しかも、その名字は、ここ、精の黒瞑界には存在しない…

明らかに人間界特有のものだ。



「…答えろ、水晶」


魔を露にしたライセの瞳の蒼が、わずかに濃くなる。


《主はカミュの子なのだろう。カミュから何も聞いてはいないのか?》

「!? …父上から…?

父上が、一体何を知っていると…!?」


ライセは水晶の語りに、少しずつ引き込まれ始めていた。

苛立ちにも似た焦りが、せめぐようにライセの感情を支配する。


《お前は自らの母のことを、どのように聞いている?》

「母上か? …俺が幼い頃に、病で亡くなったのだと聞いたが…」

《…またいらぬ間違いを植え付けられているな》

「違うのか!?」


水晶の一言一言は、ライセの心境を逆撫でし、高ぶらせた。

…ひどく興奮しているが故に、ライセは自らの感情を抑制することもままならない。


「では、事実はどうだというんだ!? 母上は…、俺の母上は、生きているのか!?」

《…無論だ》

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