憎悪に染まる

「!なん…だと…?」


ライセは、思わず呻くように声を洩らした。


…幼い頃に、あれほど焦がれていた母。

既に亡くなったのだと聞かされ、どれほど胸を痛め、その存在を乞うたか知れない。


毎夜毎夜。

…母を求めて、何度枕を涙で濡らしたか…分からない。



その母が…生きている…!?



「どこだ! 母上は今、何処にいる!?」


堰を切ったように、ライセは水晶に言葉を浴びせかけた。

…この時、水晶に表情があったなら、ライセのこの様を見て、きっとほくそ笑んでいただろう。


《…お前の母は、人間界にいる》

「!…人間界…だと!?」


ライセの蒼の瞳が、深みを帯びたまま凍てつく。


「何故…、どうして母上が、あんな愚劣な世界にいる!?」

《それを知りたいか? ライセ=ブライン》

「当然だ!」


怒りの全てを自らの手に向けたライセは、自らの感情を握り潰すかのごとく、強く拳を固めた。

…その拳が、怒りのあまり震える。


「話せ、水晶! 話さなければ、すぐにでも貴様を粉微塵にしてやる!」

《…ふ…、よくもそこまで父親に似たものだ》

「なに…!?」

《かつてのカミュも、母に拘り、我からそれに関する情報を得、そしてあのような人格構成が成された…》

「……」


含みのある言い回しに、ライセが油断なく水晶に目を向けていると、水晶は付け加えた。


《…そう…、壊れたのだよ》

「黙れ!」


蔑むように叫んだライセの拳に、その怒りに比例するかのように、途方もない魔力が凝縮された。


「その程度で俺の揺らぎを図るつもりか!?」

《失礼。だが、そんなところはやはり奴に似ているな》

「…奴…、父上にか?」

《カミュにではない。…双子の弟にだ》

「!な…」


ライセは驚愕のあまり、手にしていた魔力を消失させた。

…それは、死んだと思っていた母親が生きていて、人間界にいると聞いた時の比ではなかった。


「…双子の…弟…!? 俺は…双子なのか!?」

《…、カミュはそんなことも話していなかったのか》


呆れたような口調に変化した水晶の呟きは、ライセの耳には届いていなかった。

が、とあることに気付くと、先程とは打って変わって、無表情に水晶に問いただす。


「…まさか…、その弟とやらの側に、今まで…

いや、今も…母上がいるのか?」

《…そうだ》


水晶は言葉による抑揚こそあるものの、表情がないので、どこか淡々とした喋りになる。

しかし、否定して欲しかった質問を肯定されたことで、ライセの手は、怒りで震えた。


…そこにどのような経緯があったのかは分からない。

だが、自分が母の存在を得たいと…、必要だと思っていた時、弟とやらは難なくそれを得ていた。

自分が孤独に打ちひしがれていた時、側にいて欲しかった母親は、名も知らぬ弟の側にいた…!


「…弟…、弟だと…? そんな存在が認められるか…!」


ライセの憤怒の感情に比例して、徐々にその魔力が高まっていく。

…激しい怒りと、それに入り混じる悲しみのあまり、魔力の放出の抑えがきかなくなった頃…


びしりと鈍い音がして、水晶に無数の細かい亀裂が入った。

それに肝を潰したらしい水晶は、攻撃を加えたライセに対して、報復という名の最後の足掻きをする。


《…我を…滅ぼすつもりなのだな…?

ならば見るがいい、闇の皇子よ! これがお前が知らなかった現実だ!》


水晶は、最期の力を振り絞るように、より一層の美しい輝きをその身に宿らせた。

…程なく、そこにとある光景が映し出される。

言われるままにそれを見た、ライセの体が硬直した。


そこに映し出された光景は、ちょうど累世が帰宅し、出迎えた唯香に抱きつかれた、あの時のものだった。


「!…」


ライセは強いショックを受け、声も出せずにその光景を凝視していた。

…自分によく似た者に抱きついているのが、自分の母親であることは、血が示すままの直感で、すぐに分かった。

しかし憎むべきは、自分と同じ外見にして、こちらが求め焦がれるまでに欲していた母に、抱きつかれる程に愛でられている、“弟”…!


「…こいつが、俺の弟…

水晶よ、こいつの名は何という?」


先程までの感情の高ぶりが嘘のように、不気味なほど静かにライセは問うた。


《…神崎…累世だ》


水晶は意地悪く答える。


「…、そうか。それさえ訊いてしまえば、もうお前などに用はない」

《!?》


残酷なまでに美しく微笑んだライセは、魔力を急激に高め、一瞬のうちにその水晶を跡形もなく砕いた。


…水晶が、断末魔の声をあげる間もなかった。


ひとり、闇に取り残されたライセは、虚しく目を伏せた。

…求めていた母、それを手に入れている弟。

先程見た環境は、例えようもない暖かい光に包まれていた。


今見た者と自分が双子であるなら、何故、こうまで扱いが違う?

弟は、父親がいないとは思えないほど、明るく振る舞っているのに。

何故、自分はそう出来ない…

そして何故、母は自分を置いていった…!?


「…ふ…、はは…、そうか、そういうことか…!

俺はこの二人には、全く必要とされていないということだな…?」


低く呟いたライセの表情には、薄ら笑いと、今までに見たこともない、ぞっとするような狂気が宿っていた。


「…いいだろう、弟よ。…お前の周囲は…世界は俺が壊そう。

それが嫌なら…兄の住むこの世界を滅ぼしに来るがいい」


嘲笑うように呪いに満ちた言葉を吐き捨て、ライセはその場から身を翻し、来た道を戻り始めた。

あれほど嫌悪していたはずの、人間の遺体が埋め込まれた例の空間を、躊躇いなく戻るライセの様子には…

先程までの善の感情は、まるで見られなかった。

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