比較の痛み

「お前の方から父上に会いに行くなどという出過ぎた真似は、絶対に許されない」

「…え…!?」


唯香は思わず、自分の耳を疑った。

…そういう問題なのだろうか?

そして、自らの血を分けた子がいなくなったというのに…

幾ら行き先に見当がついているとはいえ、何故、これ程までにカミュは落ち着いていられる…!?


そこまで考えた唯香の口調は、自然、カミュを責めるものへと変化していた。


「あ…あなたは…、自分の子どもの姿が見えなくなっても、何とも思わないの…!?」

「子ども? ああ、あいつらのことか。…あんなものに愛着はない。それが失せたところで、俺は塵ほどの痛みすら感じない…」


…そう突き放したように語るカミュの瞳には、ひとかけらの慈悲もない。

唯香の表情が、目に見えて強張った。


「…あなた…、自分の子どもを…見捨てるの!?」

「下らないことを… 笑わせるな。あいつらがただ、俺の血を引いているというだけだろう」


カミュの瞳が、深い拒絶に支配される。


「奴らには利用価値はある。だが、我が子としての情などは一切ない」

「!利用価値がどうとかなんて…そんなの、父親の科白じゃない!

…もういい…、あなたとじゃ話にならない!」


湧き上がる激しい怒りに任せて、唯香はカミュの手を振り切った。


「あたしだけで駄目だって言うんなら…、あなたと一緒なら問題ないんでしょ!?」

「…、父上の元へ連れて行けというのか?」

「当たり前じゃない!」


唯香は叩きつけるように叫んだ。

…こうしている間にも、子どもの安否が気にかかる。

こんなところで時間を食っている暇はない。


「お願い! あなたと一緒なら、あなたのお父様に会えるというのなら…!」

「…何故、あんな子にそこまでこだわる?」


唯香の一連の言動が、まるで理解し得ないというように、カミュが疑問を口にした。


「お前がそうまで気にかける程の存在か?」

「!な…」

「…あんな取るに足らぬ者…

欲しいなら、また産めばいいだろう」

「…っ!」


これを聞いた唯香は逆上し、カミュの胸に拳を叩きつけた。

しかし、カミュは力ある者…

その程度では、痛くもなんともないようだった。

それでも一方では、唯香の言動に戸惑っている様が見て取れた。


「…何で…っ、どうしてあなたは…!」


唯香は、言いたいことがたくさんある割に、それを相手に分かるように告げられない自分に、もどかしささえ感じていた。


そして、その結果…

どうしても、以前のカミュと今のカミュを比べてしまっていた。


…以前のカミュならば、自分の子どもが産まれたと知れば、始めは驚いたような、何ともいえない喜びの表情を見せるだろう。

そしてその子に…優しく微笑みかけるだろう。


だが、今のカミュは…

子どもの存在そのものを疎んでいる。

我が子に対して笑いかけることもせず、抱き上げることもない。

そして、恐らくはこれからも…

“それは変わらない”。


「お前のその拘りは、人間が持つ感情だ。それを俺に押し付けようとしたところで…無意味だ」

「でも、以前のあなたはそうじゃなかった!」


…唯香は、絶望と怒りに我を忘れ、カミュにとっては禁句となる科白を口にした。

途端に、それまではされるがままになっていたカミュの顔色が変わった。

一瞬にして唯香の手を掴み、捻りあげる。

その痛みで、ようやく自らの失言に気付いた唯香は、それとも相俟って声を上げた。


「…くっ…!」

「…お前はいつもあいつを引き合いに出すな。

答えろ。俺と奴とでは、一体…何が違う?」


カミュの瞳が、感情が高ぶったことで、より一層深い紫へと変わる。

唯香はその瞳に恐怖しながらも、辿々しく言葉を紡いだ。


「あなたには…、優しさだとか…、人を…思いやるとか、そういう感情がない…!」

「何かと思えば…、そんなものは不必要だ。まさか、それが本当に副人格との違いだというのではないだろうな?」

「!…あなたには分からないのよ!」


唯香は悲痛に訴えた。

…以前のカミュの、あの素っ気なくも身に染みる優しさ。

自らを異端だと知っていながらも、人間であったはずの自分の傍にいてくれた…あの気遣い。

かつてはその器が、全てそれを差し示していてくれたはずなのに…!


「…、そうよ…あなたになんか…絶対に分からない!」


心が訴えるままに慟哭した唯香は、いつの間にか…ただひたすらに以前のカミュを想っていた。

それが釈然としないカミュは、視線を離すこともなく自問する。


そうだ。

…こんな疑問を覚えたのは、今回が初めてではない。



《…唯香があれ程までに自分に反抗するのは、単に人格が違うという問題のみには留まらない気がする…》


《…もっと根底から…自分は確かに否定され…、反発されている》


《…あの副人格と自分とは、一体何が違う?

…何が、何処が…それ程までに間違っている…!?》



…そんな疑問を、かつても覚えたはずだ。

そしてそれを今…、直接本人に問い、望んだ答えは得られたはずだった。


なのに何故、こうも釈然としない?

何故、この答えに苛立ちを感じる…?

そして…何よりも。

“何故、求めたはずの答えを否定する…!?”



…カミュは、考えを振り切るように頭を振った。



(…【優しさ】…【思いやり】…だと…!?

馬鹿な…! そんな下らない感情が、一体何の役に立つ…!?)


…しかし、唯香の言葉を鵜呑みにするなら、それが…主人格である自分が唯一、副人格に劣っていることだ。

だが、ここでまた新たな疑問が湧いた。


“果たしてそれだけなのだろうか…?”


他にも…何かあるような気がする。

唯香が、主人格であるはずの自分を拒んでまで、副人格を求める、その決定的な理由が…!


…だが、分からない。

忌々しいが、唯香の言う通りなのだ。

…“分からない”。



それでもカミュは、更なる教えを請う気などは、更々なかった。

そのまま感情に任せて、唯香を自らの全てから突き放そうとした、その時…


カミュは敏感にも、入り口にあたる空間が、わずかな歪みを見せたことに気付いた。

同時に、そこから姿を現そうとしている、強大な魔力の持ち主の存在にも気付く。


「!ち…、父上…!?」


カミュの呟きに、唯香はぴくりと反応し、涙に濡れた目をあげた。

すると、そこから姿を見せたのは、漆黒の産着を着せられた双子の赤子を腕に抱いた、カミュの父親…

吸血鬼皇帝・サヴァイス=ブラインだった。


「!えっ…」


サヴァイスの存在を確認し、とっさに駆け寄ろうとする唯香を、カミュは苦もなく片手で抑えた。

そうして唯香の動きを封じておいて、カミュは今だ驚きを隠せずに、食い入るように父親を見つめた。


「父上が自らお越しとは…、一体何用でしょうか?」

「……」


この問いに、サヴァイスは一時、無言のままカミュを見やった。


…その無言の迫力に呑まれ、カミュの苛立ちは、波が引いていくようにかき消されていった。


程なくして、サヴァイスが静かに口を開く。


「…カミュ」

「何でしょうか、父上」

「その娘をすぐに解放してやれ。…今、この娘はただ、自らの子に会いたいが為に、お前に逆らうのだ。それは薄々気付いているのだろう?」

「…はい」


カミュは頑なに頷くと、唯香を抑えていた手を離した。


「…父上の御命令とあらば、このような娘…

すぐにでも解放致しましょう」

「!…」


冷たく言い捨てたカミュは、その言葉を証明するかのように手を引いた。

それに対して、唯香は、自らを抑え込んでいた枷が無くなったことを知ると、すぐさま子どもの傍へと走り寄った。


その子らは、今は眠っている。

…黒い、フード付きの産着を纏っていることで、その顔立ちや性別は、まるで分からない。


…!?

そういえば…!


唯香は、すっかり気が動転していたが為、自分がろくに子どもの性別すらも確認していなかったことに気が付いた。

ましてや、産まれたての赤子なのだ。

顔を見ただけでは、とうてい判断がつきにくい。

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