二人目の接触者(視点変更)

「全く…無茶をするな」


疲労と酒で潰れた妹を後目に、将臣は呆れたように立ち上がった。

そのまま、椅子に座ったままの唯香の体を抱き上げると、手近なソファーに、そっと寝かせる。


「なかなかいい兄ぶりだな」


感心したようにカミュが笑う。それに、将臣は苦笑せざるを得なかった。


「あなたこそ、この跳ねっ返りの我が儘を聞かねばならず、さぞや大変だっただろう」

「…まあな」


それだけは否定できないので、カミュは、彼には珍しく、あっさりと肯定した。

すると、将臣はその笑みを潜め、もと座っていた椅子へと移動した。

その様子を油断なく目で追っているカミュに、将臣は徐に口を開いた。


「だが、身内贔屓になるかも知れないが…唯香のあれは、単なる我が儘ではない。

そのことに、あなたは気付いているか?」

「…、これはあくまでも推測だが…、唯香の、人に対する異常なまでのこだわりは、親の死と何か関係しているのではないか?」


カミュの返答に、将臣は満足したように、再び椅子に腰を下ろした。


「…そこまで分かっているなら、話は早い」

「お前は親の死を、ただ事故だと言っただけだったが…

本当にそうなのか?」


カミュの目の奥が、鋭く光る。


「さすがに鋭いな。そう、俺たちの両親は、表向きは事故死とされている。そして、唯香もそれを疑ってはいない」

「……」

「だが、あれは事故などではない。それをあえて“事故”で処理しているのは、警察などでも、あの事態の真相を掴めなかったからだ」

「…それは、もしかすると…」


カミュは、瞳に鋭い光を湛えたまま、何かを考えるように頬杖をついた。


「ああ。…恐らくは人外の者の仕業だろう。普通の人間には、ミイラにするわけでもなく、体中の血を抜き取るなどという芸当は出来ないからな」

「!血を…?」


さすがにカミュは驚き、頬杖をつくのをやめた。

その反応を見た将臣が、さらに後押しするように続ける。


「あなたも血を求めるらしいが、俺たちの両親を殺したのは、恐らく…あなたではない。

だが、あなたの同胞のうちの誰かが、罪を犯した可能性はある」

「!」

「あなたは記憶がないのだと言ったな。ならば、戻ってからでも構わないので、犯人の心当たりを教えて貰いたい」

「……」


カミュが黙り込むと、将臣は、慎重に言葉を付け加えた。


「それが、俺がここにあなたを引き止める理由だ」

「分かった」


カミュは渋面ながらも、はっきりと頷いた。


「残念ながら、今の俺には心当たりは全くない。…だが、俺の記憶が甦り、その犯人が俺の知っている者であれば、その者を必ずお前の前に突き出してやる。それは約束しよう」

「話が早くて助かるな。…協力を感謝する」


将臣は、カミュに向かって軽く会釈をしてみせた。

それに、カミュは意図的に瞬きをすることで応えると、続いて本題に入った。


「将臣、お前は先程の俺の話で、フェンネルとは接触が可能であることには気付いただろう?」

「…まさか、その者を呼び出して話を聞こうとでも?」


将臣が肩を竦める。


「…フェンネルの話は、それを確かめる術がなく、また、それを裏付ける証拠もない以上、奴の話したこと全てが真実であるとは言い切れない。それは事実だ。…だが、今のところは、奴から話を聞く以外に、先へ進む道はない」

「…、いや、もうひとつ可能性はあるだろう」

「もうひとつ…とは?」


カミュが首を傾げると、将臣は一息入れ、自分の考えを話し始めた。


「あなたがこの世界にいることは、黙っていても知れ渡ってしまうだろう。だとすれば、フェンネル以外の者が、向こうから接触して来るかも知れない」

「…そういう考えもあるな」


カミュは考え込んだ。…確かに、将臣のいう通りだ。

自分が皇子であるならば、接触してくる者は、至極限られてくる。


フェンネルのように、敵意はないが自分を連れ戻そうとする者、そして、それとは逆に、この世界にいる自分に、身分を知ってか知らずか敵意を見せる者…

ひいては、将臣と唯香、二人の両親を殺した犯人さえも釣れるかも知れない。


…将臣の言いたかったことは、恐らくそれだろう。

親を殺した犯人が人外の者であるなら、同じく人外の者であり、ひとつの世界の皇子であるらしい自分がここに滞在するのは、犯人をおびき寄せるという意味でも、まさにうってつけだ。

つまり、この身分は、他でもない…

【餌】なのだ。


「だが、そうだとすれば、ただ待っているのも時間の無駄だな。向こうから接触させる方法があればいいんだが」

「接触させる方法か。なかなか難しいな。相手に罠だと警戒させてしまうようでは、それ自体が意味を為さないからな」

「…違いない」


カミュが溜め息混じりに呟いたその時…



ひくりと、彼の鼻が何かを嗅ぎつけた。

その表情は、みるみるうちに強張り、瞳が引き締まるように鋭くなる。

そんなカミュの豹変を見た将臣は、半ばぎょっとしながらも、慎重に会話を進めた。


「どうかしたのか?」

「…、血の匂いがする」

「…血…?」


その整った眉を潜めて、将臣は尋ねた。

くん、と、自分でも匂いを嗅いでみるが、これといって特別な匂いはしない。

…ましてや、血の匂いなど。


「別に、何も変わった匂いはしないが…」

「!…待て、将臣」


カミュは、近くにあった窓へと、その紫の瞳を向けた。

警戒という棘を浮かべたそれは、まるで獣のように油断がない。


「血の匂いが、こちらに近付いてくる。…お前はここにいろ。もし相手が人外の者であるなら、用件があるのは、恐らく俺ひとりだろう」

「…大丈夫なのか?」


将臣が、不安な感情を露にする。


「大丈夫だという保証はないが…、何らかの情報を引き出すためには、多少のリスクは覚悟しなければな」


そこまで告げると、カミュは椅子から立ち上がった。

ゆっくりと窓に近付き、それを大きく開け放つ。

ひんやりとした夜風が部屋に入り込んで来た時には、カミュの姿はそこから消えていた。

…後には、それを確認しながらも、気遣うように妹に目を走らせる、将臣が残った。





…一方、庭に出たカミュは、周囲の様子に気を巡らせ、同時に、嗅覚を頼りに、血の匂いをさせる者の気配を探った。


先程までは、まだ『近付いてくる』レベルの距離だったはずが、そいつは、いつの間にか…『すぐ傍まで来ている』。


「この移動の速さからしても…人間であろうはずがない」


思わず独りごちたカミュは、次には自分で言ったことに対して、苦笑せざるを得なかった。


…それが分かり、反射的にでもそう考えてしまう自分は、やはり【ヒト】ではないのだろう。

記憶を無くしていても、こういった考えを、瞬間的にでもしてしまう以上は──


「“人間ではない存在”…か」


ふと、思ったことが口をついて出る。

その瞬間、その声は上空から降ってきた。


「…自分のことを良く分かっているようだね? 皇子」


鼻にかかったような、聞き苦しい男の声に、カミュは瞬時に笑みを潜め、声のした方の上空を睨んだ。

するとそこには、月を背にした、黒いスーツ姿の金髪の若い男が、当然のように空中に浮いていた。

その外見もさることながら、左胸のポケットに刺した一輪の真紅の薔薇が、より一層、気障ったらしさを演出している。


この、得体の知れない招かれざる客に、カミュは思わず警戒する事も忘れ、呆れたように息をついた。


「…確かに…今の段階では、向こうからの接触は有難い。有難いはずなんだが…、よりにもよって、こんな奴しか来ないとはな」


このカミュの呟きを、男は聞き咎めた。


「ほう…、随分とご挨拶だね、皇子。

今の貴方には、皇子であった頃の記憶がないらしい… とすれば、あの強力な魔力も、今は封印された状態だ…

そんなざまで、俺に勝てるとでも思っているのか?」


この男の言葉で、カミュは男がここに、何をしに来たのかを理解した。


「ふん…、記憶がないことを幸いに、俺の首でも取るつもりなんだろうが…

貴様如きに取らせてやるほど、この首は安くはない」


カミュがはっきりと切り返すと、その男は何を思ったか、不意に歓喜の声をあげた。


「く…、くくくくっ…、ははははっ!

さすがだ…、記憶を無くしていても、さすがにあの方の後継というだけのことはある!」

「“あの方”…?」


カミュは訝しげに眉を潜める。その様子を、さも楽しげに眺めた男は、焦らすように口を開いた。

その目は、どこか狂気に彩られている。


「!…ああ、記憶のない皇子には解りませんね。

…貴方のお父上の、吸血鬼皇帝──

サヴァイス=ブライン様のことですよ!」

「!」


全く予想もしていなかったことを聞いて、カミュの体が硬直した。

それに、舐めるような目を向けた男は、本来の立場なら、相手にされるはずもない、高貴な者との会話を、明らかに楽しんでいた。


「貴方の父上は、四千年といわれる時を生きる、純粋かつ崇高な血を持った御方…

そして我々・闇の者の、絶対的な統治者です」

「…それが、俺の父親だと?」

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