神崎家での対話
「…来たか。まあ、かけてくれ」
客人専用の一室で、将臣兄さんは、私とカミュが来るのを、立ったまま待っていた。
テーブルの上には、既に用意させたらしい料理やフルーツ、高級ワインなどが、所狭しと並べられている。
それを見て、わずかに戸惑いを覚えたらしいカミュに代わって、私は将臣兄さんに話しかけた。
「兄さん! カミュを引き止めてくれたことには感謝するけど…」
「まあ落ち着け、唯香。…そう興奮していては話にならない。彼の話を聞きたいのは俺も同じだ」
「!」
兄さんの、何もかもを見透かすような言葉に、私はぎくりとした。
兄さんの言葉には、直接的な意味の他に、裏にも意味が潜んでいることが多い。
現に今回は、私自身が、まだカミュに対しての情報を、良く掴んでいないことを示すような言い回しをしている。
…さすがに見抜いている。
「うん、分かった…」
私はそれだけ返事をすると、近くにあった椅子に、大人しく腰を下ろした。
そのやり取りを端で窺っていたカミュも、黙ったまま椅子に腰掛ける。
それを見届けると、兄さんはカミュと私の向かいに腰を下ろした。
「…さて、詳しい顛末などは聞くまでもないだろう。俺が興味があるのは、ひとつだけだ」
「…それは?」
カミュが訝しげに尋ねる。その表情には、頑なな警戒が浮かんでいる。
それを察してか、わざと挑発するように、兄さんは答えた。
「…“あなたが、何者であるか”だ」
「!…っ」
「将臣兄さんっ!」
カミュが言葉に詰まる隣で、私はテーブルに手のひらを叩きつけて立ち上がっていた。
いきなり立ち上がったせいか、途端に貧血で頭がくらくらするが、今はそんなことに構ってはいられない。
──カミュには記憶がない。
そのカミュに、何者であるかと問うのは、彼にとって、苦痛以外の何物でもないはずだ。
しかし、将臣兄さんは、そんな私の反応を読んでいたらしく、極めて冷静にこう答えた。
「唯香、落ち着けと言ったはずだ…
それに、履き違えるな。俺が質問している相手は、お前ではなく、この青年だ」
「!兄さん…」
言っていることは正しいので、私はただ、引くしかない。
すると、そんな私を見かねてか、カミュが口を挟んだ。
「何者であるか…だと? それはこっちが聞きたいくらいだ」
「…というと?」
将臣兄さんが、近くにあったワインを手に取りながら問うた。
このワインは、既に兄さんの前にあるグラスにはなみなみと注がれていたが、私たちの眼前にあるグラスには、まだ入ってはいなかった。
兄さんは、私たちのグラスに、それぞれ同じ位の量のワインを注ぐと、話の先を促した。
…躊躇いがちに、カミュが答える。
「…今の俺には、名前以外の記憶は全くない」
「成る程。名前だけは覚えているのか」
…こんなふうに、物事を裏側から的確に把握するのも、将臣兄さんの特徴だ。
「それで、あなたの名は?」
「カミュ=ブラインだ。…将臣とか言ったな? お前にも、こちらから少し質問をさせて貰うが、構わないか?」
カミュが兄さんを強く見据えると、兄さんは意外にも、あっさりと頷いた。
「ああ。訊いてくることにも、ある程度の見当はついている。例えば…」
そう言いながら、将臣兄さんは、自分の左手のその長い指を、カウント代わりに、一本ずつ折っていった。
「俺があなたに、そういった事情を訊ねる“真意”…、それから、それを聞いた後の、こちらの“出方”…」
「ふん…、忌々しいくらいぴったりだな。読みが深いのは結構なことだ」
痛烈に皮肉を返して、カミュは苛立ち紛れに視線を逸らした。
と、私が立ち上がったままなのに気付くと、座るように目で促す。
それに合わせて、慌てて座りながらも、私は将臣兄さんに食ってかかっていた。
「そんな事より、兄さん! 一体どういうつもりなの!?」
「今日はいつになく興奮しているな。…どういうつもりも何もない。俺は彼の素性が気にかかる。だから質問したまでだ」
「!だからって…」
「それよりも唯香…、お前はそこまで分かっていながら、彼を家に連れてきた。…ということは、お前は、初めからここに彼を滞在させるつもりだったんだろう?」
「!」
またも図星を突かれて、さすがに私は返す言葉が見つからなかった。
そんな私を、カミュが意外そうに見る。
「…そうなのか?」
「ああ。…妹の考えていることくらい読めないようでは、兄は務まらないからな」
将臣兄さんが笑う。
「…どうせ、我々兄妹とメイドたち以外は、誰もいない家だ…
あなたさえよければ、いつまででも滞在していくといい」
「? …親はどうした?」
カミュの質問を、将臣兄さんは、自分の近くにあったワインのグラスを手に取り、中のワインごと飲み込んだ。
「…親は死んだよ。二人ともだ」
将臣兄さんが答えるのを聞いて、私の体が、何かに怯えるように震える。
それを気配で察したらしいカミュは、早々に話を切り替えた。
「…そうか。ああ、それよりも、先程の話だが…」
「何だ?」
将臣兄さんが、上目遣いに問い返す。
それにカミュは、軽く前置きをおいた。
「やはり、一通り話しておかなければ、俺のことは、到底理解出来ないだろう…
断っておくが、これから話すことは、全て事実だ。それだけは覚えておいてくれ」
「ああ、分かった」
将臣兄さんが頷くと、カミュは今までの経緯を、ゆっくりと話し始めた。
…カミュが血を求めたことと、フェンネルから『皇子』であると告げられたことを聞いた時には、さすがに将臣兄さんは、驚きを隠しきれない様子だった。
「…そうすると、あなたは、人外の者…
それも、一つの世界の皇子であるということか」
「…ああ。フェンネルの言うことが偽りでなければ、そうなるな」
諦めたようにカミュは、近くにあったワイングラスを手にとった。
外見もさることながら、その行動には、カミュの気品の高さが窺える。
それは、兄さんも気付いていたらしく、すぐさまそれを指摘してきた。
「…あなたの今までの仕草からしても、その者が言ったことは、あながち嘘とも思えない。…現にあなたの行動には、端々に高潔さが表れている」
「!…」
自分では全く気付かない、客観的な部位を突かれて、カミュの動きが止まった。
畳みかけるように、将臣兄さんが呟く。
「…自分が皇子であることを、間接的にでも知ったあなたは、これから一体どうするつもりだ?」
「兄さんっ…!」
たまらずに私が立ち上がろうとすると、カミュがそれを制した。
「!カミュ…」
「いいんだ、唯香。それは将臣にとって、当然の質問だろう…」
低く呟いたカミュは、一瞬だけ伏せた瞳を、兄さんの方へと向けた。
「そして、将臣…、唯香の兄であるお前には、それを聞く権利がある」
ここで、カミュはいったん言葉を切った。
それに気付いた私がカミュの方を見ると、彼は、その紫の瞳に、例えようのない憂いを浮かべた。
「…俺が本当に皇子であるのなら、俺は…
自らの在るべき世界に、いずれは戻らなくてはならないのだろう」
「えっ…」
私が絶句すると、カミュはそんな私を見て、そっと目を逸らした。
「あの時、フェンネルは、はっきりと“俺を連れ戻しに来た”と言った。その言葉からも、それは明らかだ…」
「…その口振りでは、あなたはまだ、その世界に帰りたくないようだな」
将臣兄さんが、カミュの言い回しから心情を読み、的確に指摘する。それに、カミュは隠し立てすることもなく頷いた。
「…記憶が戻れば、どうだかは知れない。だが、今の俺は…」
「何言ってるの! カミュが何て言ったって、あたしは絶対に帰さないわよ!」
カミュの言葉をしっかり遮って、その勢いのまま私は、ぐいと、衝動的にワインを呷った。
さすがにそれに驚いたカミュが、目を見開く。
「!唯香…」
「帰りたくないなら、ずっと、ここに居ればいいじゃない!
…無理して帰ることなんて、ないじゃない…!」
言いながらも、いつの間にか私の頬には、大粒の涙が伝っていた。
ワインを飲んだせいか、涙腺までもが弱い。
…そう、これはワインのせい。
でなければ、カミュが困ると知っていて、こんなことは言えない。
そして、アルコールの力を借りなければ、それすら直接言えない自分は…
『ひどく脆い』。
「…唯香…!」
カミュが、言葉を探すように、戸惑いがちに名を呼ぶ。
それに、何か言いかけた私は、体の疲労も手伝ってか…
刹那、ふっと意識を無くした。
…私が覚えているのは、遠くでカミュが私を呼ぶ声だけ。
…ああ、私の名を呼んでくれている…
その声に応えるためには、私はどうしたらいいんだろう…
ねぇ? カミュ…
私には…何ができる?
…ただの人間の私に、何か出来ることはない?
血が欲しいのなら、いつでもあげる。
貴方になら、この体に流れている血を、全部あげても構わないから…
…だから、お願い。
私の願いを、ひとつだけ聞いて…!
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