後編 月影

 シャンパーニュをゴクリと一口。

 彼女の手を取る。


 深々と夜空に揺蕩たゆたう宙船に、古びたアコーディオンの音色とカホンのリズム。

 つい先ほどまで気にしていた秒針の音は、頭から消え去り、時の流れは皆無の様に感じる。


「お上手ね」


 ステップを踏む彼女のローブは、ドレスに化けていく。


 優雅に、煌びやかに、神々しく。

 男ばかりの甲板に色彩を添える。


 彼女を基点に、クルクルと視点が変わり、メリーゴーランドのように背景が移り変わる。


 薄汚いデニムに破れたTシャツの船員たちは、骨付き肉にむしゃぶりついながら、拳を掲げて雄叫びをあげていた。


 円卓には眼玉のない仰々しい焼き魚、煌びやかな星屑のゼリー、皿に生えた蔦からは見た事の無い野菜や果物が熟している。


なんとも、不思議な光景だ。

なんとも、不思議な体験だ。


 縁も竹縄。宙船自身から発せられる、咽び嘆く様な野太い汽笛。彼女との甘い時間は、ほろ苦く。察する頭のニューロン信号が心に響く。


 あぁ、終わるのだ。夢物語の最終地点。

 黒猫が擦り寄る。喉を撫でてやるとゴロゴロと気持ち良さ気に鳴いた。


「ゲハハハ。楽しかったな。また遊びに来いよ」

「あぁ、必ず」

 筋骨隆々の腕と握手に興じる。


「さぁ、皆の衆。お開きだ。杯を掲げろ!」

「うぉ〜」と男衆が掛け声を響かせる。


「名も知らぬ友の船出に、プロ―ジット」


 偉丈夫の掛け声で、みな一斉に杯の中身を空にして、手に持つグラスを床に叩き割る。

「プロージット」という叫び声と共に、乾いたガラスの弾ける音が耳に入る。


 その瞬間、暗闇が僕を襲った。


 目の前には華奢な少女と黒猫。

「貴方の人生にシャンパーニュの輝きがあらん事を」

「ナー」


「プロージット」

 彼女のグラスが落下し弾けると、僕は完全に闇に包まれた。



 ……目の前の桃源郷はもう無い。あるのは、けたたましく音を発する目覚まし時計が一つ。


 いつもの代わり映えのない世界。


 ベランダでは、昨日の朝から干したままの洗濯物が風に煽られ、カタカタと情け無い音を出している。


 あれは、やはり夢だったのだろうか?


 夢幻も見ること叶えば、

 それは偽りなき現実。


 あの夢に、また出会いたい。

「ナー」と何処かで猫が鳴く。


 首を振り思い直す。白昼夢に期待を抱いたとて、彼らは暁の旅団。迷える夜からの救いの手。もう、日差しが強い。


 もうちょっとだけ、今日を頑張ってみますか。


 そう心に決めて立ち上がり、転がる目覚まし時計のアラームを解除した。


 カーテンの隙間から入る陽光が一筋の光の線を作る。光の道に反射する埃が、まるでシャンパーニュの星々の様に輝いていた。

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暁の旅団 ふぃふてぃ @about50percent

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