6節
「あれがアシガバード。ここらでは一番大きい、経済と文化の中心地よ」
ハンドルを握ったルナが、地平線から姿を出したビル群を顎で指した。乾いた砂を巻き上げながら数時間、見えてきた夕方の赤い日を浴びて影を作った高層ビル群。まだ遠いが、窓ガラスに光が当たってキラキラと輝いているのが見えた。
「あれがアシガバード……本当に大きな町だな」
「人口は200万人もいるらしいわ。今見えているのは中心街の摩天楼。その真ん中に見えるのがナスィームタワー。高さが450メートルあるんだって」
「すごいな、東京タワーより100メートルは高いじゃないか」
「東京タワー?」
「あーいや、なんでもない」
ルナから視線を外して、もう一度眼前に近づいてくるアシガバードの街並みを見る。まだ距離はあるが、このだだっ広い平原の中に突如現れた大都市の威容。ここまでいくつかのロードサイドの町を見てきたが、比べることも失礼なほどの巨大都市。
「もう夕方になっちゃったから、ひとまずギルドは明日にしましょ。もうギルドの窓口も閉まっちゃっただろうしね」
「了解。じゃあどこかの宿を取らないとな」
地平線に沈む夕日に照らされて、俺たちはアシガバードに入った。
◇
どこもかしこも満室の宿を数件、車を使って転々とし、ようやく見つけた空室――二人部屋だけど――。ルナに行き帰り運転してもらうので、ここの料金は俺が出した。支払いは俺のグローブ、『ケイリス98』の中に電子マネーがいくらかあったのでそれを使う。預金口座がなければ、その電子マネーが俺の全財産だろう。この世界で冒険者として活動していないためあまり貯金されていなかったが、有り金の四分の一を使って支払いできた。
受け取ったカードキーを使い、鍵を開け室内に。二人部屋と言ってもそれほど広くはないが、荷物がそれほど多くないためぎゅうぎゅう詰めといった感じはない。腰にぶら下げた拳銃や剣を置いて首を回す。俺は車を運転していないが、どうしても数時間座りっぱなしは肩が凝る。俺がこれだけ肩が重いということはルナのそれは俺以上だろう。彼女は肩を揉んで荷物を机に置く。シーツがピンと張られたシングルベッドに腰を下ろしたルナは宿の受付で貰ってきた観光案内のマップを開く。
「さてと、ひとまず宿はオッケーだし、どこかにご飯を食べに行きましょ」
俺はルナの座ったベッドの隣、もう一つのベッドであぐらをかき、自販機で買ったミネラルウォーターを口にしながら、
「この町の名物みたいなものとかがいいんじゃないか? 俺はここに来たのは初めてだけど、ルナならこの町に来たことあるんだし、詳しいんじゃないか?」
マップから目を上げながら、
「来たことあるって言っても片手で足りるくらいだし、そんなに詳しくないのよね」
と、ルナ。ルナが見ている面とは逆の、俺のほうに向けられた面の「アシガバードにようこそ!」と書かれた文字をぼおっと見ながら、水を飲む。乾燥した気候だからか、妙にのどが渇く。
「あんまり水を飲むと水っ腹になるわよ」
「分かってるって」
この世界になぜか存在するペットボトルのふたを閉める。この世界は中途半端に前世の世界と似ている。
しばらくマップを見つめていたルナは、おもむろにそれを畳んで、
「町に出て、いいところがあったらそこにしましょ」
どうやら観光マップでは決められなかったらしい。
「そうするか。こんだけ大きな町ならうまいところはたくさんあるだろうしな」
俺は掌で包むように持っていたペットボトルを、枕元に備え付けられた棚に置いて立ち上がった。
◇
「お待たせいたしました。プロフでございます」
ウエイターがテーブルに置いた、湯気立つ米料理。めちゃくちゃいい匂いが湯気とともに漂う。
「これがプロフか。すごくうまそうだな」
「ね、とってもおいしそう」
目の前の皿に目を落とし、思わず笑顔になる。涎が口の端から垂れる前にいただくとする。
「いただきます――! これめっちゃうまいな!」
炒めたたっぷりのラム肉、ニンジン、玉ねぎ、そして炊いた米のバランスが絶妙だ。炒める際に油が使われているはずだが、それほど脂っこくなくて、野菜の甘みがよく出ている。日本で言うところのピラフとか、チャーハンとかに似ている。アツアツを口に頬張る。
「この店にしてよかったな」
「ホント、とってもおいしい」
ルナもプロフを口に運んで、自然と笑みがこぼれる。
混みあった店内を見渡してみる。ルナのように肌が白い人もいれば、アーヴァに似た日焼けしたような肌の人もいる。さらにはどう考えても普通の人間じゃない、猫のような耳が生えている人もいれば、二本の角が額から生えているものもいる。その人?たちの顔つきも、俺たち人間と変わらないものもいれば、モデルとなった動物の特徴が色濃く現れた者もいる。村にはいなかった人種が多く見られる。
バックミュージックのジャズ風の音楽を聴きながらプロフを飲み込んだ俺はふと、
「なぁ、俺たち二人がどっちも村から出て大丈夫だったのか?」
口に入ったプロフを咀嚼し、胃に落とし込んだルナは
「どういうこと?」
「いや、なんか襲撃とかあったりしたら大変だろ?」
「大丈夫だと思うけどね、一日くらいなら」
「そうなんだろうけど、ほら、俺が初めて村に着いた時はドラゴンが村に来てたし、その前の日には虎も来てたんだろ? ここ一か月ちょっとは何もなかったけど、もしものことがあったら……」
言葉にすると急に心配になってくるが、ルナは淡々と、
「連続して魔物が襲ってくるなんて、普通はないことなの。虎とかはまぁ、ときどき、と言っても十数年に一回くらいで周辺のどこかの村に現れるらしいけど、通常は魔王領との国境に軍隊が駐屯しているから、魔王領から魔物が流れ込むなんてないのよ」
ということは、あの村から北に行けば行きつく国境沿いには王国軍の兵隊がそこそこの数詰めているということか。
「まぁ、魔物は自然発生することもあるし、一概に全部が全部魔王領から流れてくるわけじゃないけどね」
そう言ってルナはプロフが乗ったスプーンを口に入れる。プロフを咀嚼し、飲み込んで、
「心配なら、明日は早くから行動しよ。ギルドは朝混むけど早くから並べばすぐに手続してくれるはずだし。そのあとにお土産を買ったりしても昼過ぎにはここを出発できるし」
「そうなのか。じゃあ、明日は早起きだな」
「まぁ、最近は農作業で十分早起きだったけどね」
「それもそうか。じゃあ、いつも通りで、ってことか」
「そういうこと。……ほら、ごはん、冷めちゃうよ」
俺は少し熱を失ったプロフを口にかきこんだ。
◇
それは、まごうことなきアシガバードの中心街、通称『一番街』と言われる地区の一角にある。摩天楼が天を衝き、コンクリートのグレーと街路樹の緑がパッチワークを作り、太陽の向きや高度で日向と影のコントラストが変わる、この都市の中枢。そこは朝早くから多くの冒険者で活気づき、喧騒を見せていた。
「ここがギルドか。大きな建物にあるんだな」
見上げれば、高さ百メートルはあろうかという高層ビルの一階。ガラス張りの大きな正面を構えたアシガバードギルド支部が今日も多くの冒険者を迎え入れている。
「この地域一帯じゃ一番の支部だから、規模もとっても大きいわ。それに、魔王領との国境にも近くて、驚異度の高い魔物も現れるから、腕の立つ冒険者もたくさんいるのよ。ヒメカミが倒したあのドラゴンとかは脅威度の高い魔物の一例ね」
「そうなのか? 正直一発で倒しちゃったから、強いとか弱いとか分からなかったな」
ルナは肩をすくめて、
「それって嫌味? 私は全く歯が立たなかったんだけど?」
「いや、そうじゃないよ。ルナは怪我もしていたし、足止めをしただけでもすごいだろ? そこに俺が得物を横取りに入っただけ。そう、それだけさ」
「ふーん……ま、ヒメカミがそう言うなら、それでいいけど。でもいいの? 前の話だとドラゴンの討伐報酬は受け取らないって。村の人が証人として戦果を報告すれば少しは報酬を貰えるかもよ?」
俺は以前、倒したドラゴンをギルドに引き取ってもらうか聞かれていたのだ。だが、ギルドから依頼を受けていない俺が、偶然の形で討伐しただけなので、鱗などの素材は村の人たちの臨時収入としてあげてしまったのだ。
「いいよ、一回くらい。なにも報酬を受け取らなくたって、死ぬわけでもないし。それにこれから何回も依頼を受けることになるから、その時に正当な報酬をもらうよ」
「そっか。ヒメカミ本人が言うなら。それじゃ、さっさと免許更新をしちゃいましょ」
ルナが前を歩いて、俺がそのあとに続く。ギルド正面入り口をくぐると、中は予想よりもはるかに広い。特に、天井がとにかく高い。三階か四階はぶち抜いてワンフロアとしているようで、灰色の天井は頭上はるか上だ。壁際にはよくわからない機械が並び、正面右手には依頼受注などの手続き用のカウンター、左手には報酬買い取りなど各種雑多な手続きを一手に引き受けるカウンターがある。まだ朝早いからか、右手は異様に混んでいるが、左手はガラガラだ。
「ヒメカミは免許更新だから右手ね」
どうやら激混みの列に並ばねばないらしい。流れはそこそこ速いとはいえ、これは時間がかかりそうだ。
「ルナ、列があれだけ混んでいると時間がかかるだろうし、お前は並ばなくていいよ。どこかでお茶でもして待っていてくれ」
「そうは言っても、この近くの喫茶店も一息入れられるところも知らないわよ」
ルナは背中に提げたアサルトライフルの位置を直し、
「それに、免許更新ってのがどんなものか気になるしね。私も並ぶわ」
そう言うと自分から列に並びに行く。素早くとある列の最後尾について、俺を手招きする。なんか、いいな。女の子に手招きしてもらうの。
「いいのか? すごく時間かかるぞ?」
ルナはかわいらしくニヤリとして、
「いいのいいの。私冒険者の駆け出しでまだ知らないこといっぱいあるから免許の更新がどんなものかも見てみたいし、それに、先輩冒険者のヒメカミがどんな戦績を挙げてきたのかも気になるしね」
「せ、戦績?」
きょとんとして、俺が聞く。
「そうよ、戦績よ。免許更新のタイミングで今までの成績が参照されて、それがいいと冒険者の等級が上がるんだから。ドラゴンを倒すほどのヒメカミが今までどんな戦果を挙げたか気になるわ」
そうなのか。冒険者の等級も自分の命も、己の力で決まる実力主義の世界。それが、冒険者の生きる世界。だが……
「いや、俺は全然だと思うぞ。最近はめっきり依頼を受けてなかったし……」
もちろん、戦った魔物があのドラゴンだけの俺に、戦績もくそもない。表示される戦績表はきっと真っ白。期待されては困る。
「謙遜しちゃって。今まで一人で冒険者して、それでベンガルからここまで来たんでしょ? それなら、相当な成果を持っているはずじゃない」
確かに、普通なら相当腕の立つ部類の冒険者かもしれないが、生憎そうじゃない。何もかもが嘘だらけの俺に、輝かしい戦果などあるはずもなく。
「次の方、どうぞ」
受付の女性が手を上げる。ルナと会話していたらずいぶんと早く列の先頭に進んでいた。
初めてのカウンターに動悸が高まりながら、カウンター前に。
「今日はどうされました?」
「えっと、今日は免許の更新に」
「分かりました。少々お待ちくださいね」
栗色の髪をした女性はカウンターの下に手を入れ、一枚の紙を取り出す。
「では、これに名前などの必要事項の記入をお願いします」
女性が差し出した紙面には名前のほか、性別や生年月日、年齢など基本的項目の欄がある。手渡されたペンを取り、氏名欄を埋める。なぜかは知らないが、この世界の文字で名前が書けてしまう。習ったわけでもないというのに。
所定欄を埋め、ペンと一緒に紙を女性にお返しする。女性はそれにざっと目を通し、
「大丈夫ですね。それじゃあ、免許の更新を行いますね」
そう言って手元に置かれた機械に紙をセット。スキャンしているのかコピー機のような音が鳴る。
モニターを確認しながら、手元のキーボードを軽く叩く。「うん」と一つ頷いて、
「はい、ヒメカミヒロトさん。免許の更新、大丈夫です。前回の免許更新からの戦績をご覧になれますが、どうしますか?」
「いや、戦績は別に――」
「お願いします!」
なぜか俺の成績をルナが注文する。
「分かりました。すぐお出ししますね。紙面とデータ、どちらでお出ししますか?」
「ヒメカミ、あなたのそのグローブに入れてもらいなよ」
左手にはめたグローブを指さすルナ。ここまで来たら仕方あるまい。
「えっと、じゃあこれにデータをお願いできますか?」
外したグローブをカウンターに置く。丁寧に受け取った女性は、
「分かりました。少々お待ちくださいね」
今度はグローブを別の機械に乗せる。数回キーボードを叩くと、グローブの紋様が普段の赤ではなく、緑に光る。その光は一瞬の輝きで、すぐに元の赤に戻る。それを手に取って、
「はい、これで戦績はすべてこの中に記録されました。等級昇格については左手のカウンターで行っていますので、御用があればそちらでお願いしますね」
「分かりました。ありがとうございます」
礼を言って混み合うカウンターから離れる。すぐに別の冒険者が呼ばれた。
「これで俺の用事は終わった。じゃあ、お土産でも買ってすぐに――」
グローブを嵌め直しながら、入口に向かう俺に、
「ちょっと、まだヒメカミの戦績、見てないんだけど」
「そんなに見たいのか?」
「もちろんよ。普通の冒険者がどんな依頼を受けて、どういう風に生計を立てているのか気になるもの」
なりたて冒険者のルナの意見に、俺も賛成だ。というか、俺のほうが知りたい。ルナより俺のほうが初心者なので、冒険者を全くと言って良いほど知らない。
「……分かったよ。でも、ひどい戦績でも笑うなよ」
「笑わないわよ」
キラキラとした目をされちゃあ、断ることはできず、ギルドの隅のほうで仮想現実標識を起動させる。項目に追加されていた『戦績』を表示する。どうせ、何にも書いていない真っ白な戦せ――
「え?」
「ヒメカミ、やっぱりいっぱい依頼を受けてたんじゃない。デザートシャークの討伐、ボーンバットの捕獲とか、いろんなところに行ったことがあるのね」
ずらりと並んだ戦績。どれもこれも、『依頼達成』と表示され、報酬も受け取ったことになっている。最新の戦績は、今から三か月前……
「三か月前は大砂漠蜘蛛の討伐。これは一人でなの? すごいわね」
これも全部レイシアがしたことなのか? でも、なぜだろう、記憶にはないけど、妙な既視感がある。どこかで、見たり体験したりしたような、そんな感覚。
「等級昇格にはポイントがちょっと足りてないわね。でも、やっぱりヒメカミっていい腕してるんじゃない。そんなに隠さなくても、これなら誰にも笑われないわよ」
「そ、そうかな?」
何でもかんでも用意されているっていうのか。装備も、肉体も、術式も、そして戦績まで。レイシアいったいどこまで俺の設定を詳細にしたのか。――確認しておくか、一応。
「ルナ、ちょっと寄り道させてくれないか?」
◇
ドンッ! 火薬式ではないのか、マズルフラッシュが出ない銃口から光の弾が発射され、的に突き刺さる。人型の的の心臓部付近に命中した。
「お見事! またいいところに当たった」
ここはギルドに併設された射撃場。銃火器を使う冒険者が訓練や試し撃ちで訪れている。そこのブースの一角で、俺は自分の拳銃を構えていた。
「いくらなんでも――」
「ん? どうかした?」
「いや、なんでもないんだ。最近こいつを使ってなかったからな、腕が鈍っていないか確かめたくって」
嘘だ。俺の技術面の再確認ではない。これは初確認、どれだけ俺の体に技術が染みついているかの確認。つまり、どれだけ不自然じゃないか、ということだ。
(やっぱり、どう考えてもしっくりきすぎだ。レイシアから与えられたらこういう風にあっさり技術が身に着くのかもしれないが、これはどうも、俺の感覚が間違いでないなら、長いこと修行して獲得した技術に感じる。)
可能性は限りなく低く、確定ではないが、俺はそう感じた。
「……もういいかな。ごめんな、付き合わせちゃって」
「いいのよ。私も楽しめたし」
いくらか思考を巡らせるが、こればかりはどうしても確認が取れないことに気が付く。レイシアに話しかけることはできないし、確証が取れない以上、ぐずぐず考えても仕方のないこと。俺はそう決めた。それに、こういう技術があって困ることはないわけだしな。
俺は手慣れた手つきでホルスターにピストルを挿し入れ、
「それじゃあ、アーヴァたちへの土産でも買いに行こうか」
こうして俺とルナはギルドを後にした。
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