5節

「えっ、いいんですか?」


「ええ、もちろん。それにこの子がヒメカミさんに懐いちゃって。一緒にいたいんだそうです」


 俺はテーブルをはさんで向かいに座ったアーヴァを見る。照れているのか、俺の顔をちらっと見ただけで、後は食事に戻った。


「でも、迷惑にならないですか? お仕事が忙しい時期だと聞いたんですけど……」


「大丈夫ですよ。それにアーヴァの相手をしてくれるなら、こっちが本当に助かるんです。お願いできますか?」


 ここまで言われてしまえば、断るのは失礼だ。それに俺はどこにも行く当てもない。ひとまず誰かと生活してこの世界の文化に馴染んで、情報を得るのも大切だ。


「それなら、喜んで。今日からしばらくお世話になります」


 夕食時、テーブルを囲んだアーヴァの家族三人、いや、飼い犬ベン――犬でありながら椅子に座って飯を食う賢いやつ――を含めたら四人とルナ、そして俺。特別広くないリビングにこの人数はなかなか賑やかだ。俺はアーヴァの家族に夕食へ招待され、今こうしてここにいる。誰かと食事を囲むなんて、なんて久しぶりだろう。そしてせっかくだから俺もこの家に泊まったらどうだ? と誘いをいただいた次第だ。


「よかったな、アーヴァ」


 アーヴァの父、耕運機ドライバーのアルヤンさんがその日に焼けた厳つい顔を息子に向けた。「へへっ……」と、照れ隠しで笑うアーヴァ。仲の良い家族だ。微笑ましくも、俺は自身の過去を照らし合わせて、


「いいなぁ……」


「どうしたの、ヒメカミ?」


「えっ、いや、なにも」


 隣のルナがちらりとこっちを見て、何か聞いたように質問してくるが、俺は知らないと白化くれる。心にあるものをぽろっと言ってしまわないように気をつけねば。地図のことなどを始めとして、この村に来てから風化した土壁並みにボロが出まくっている。

 夕食後、「やらせてください」と頼んだ皿洗いを「初日くらいゆっくりして」とやんわり断られたことでアーヴァの宿題を見てやることになった。『算数』の文字が懐かしいと思いつつ、教えることができる内容でよかったと、ラスト一問を解いているアーヴァを見て安堵する。そこに皿洗いを終えたアディラさんが、


「それじゃあ、ヒメカミさんのお布団、準備しますね」


 わざわざ俺用に物置として使っていた小さな一部屋を片付けてくれたのだ。そこにピストルや剣などを置いている。それくらいは俺がしようと立ち上がって、


「何から何まですいません。僕もお世話になる間、農作業とかのお仕事、全力で手伝います」


「あら本当? 助かるわ。この時期の男手は貴重だからね」


 アディラさんが廊下に出て行こうとするのを、アーヴァが止めた。


「母さん、僕がやるよ」


「あら、本当? じゃあ、お願いしようかしら。布団の場所はわかるわね?」


「それくらい大丈夫」


 アーヴァが廊下に駆けていくので、テーブルに置いたままの片付いた宿題を手に後を追う。

 廊下に面した扉の一つ、押し入れを開けて布団を引っ張り出している。小さな体にはなかなか重労働なので俺が重い敷布団を持つ。アーヴァが案内してくれたのは、扉に『アーヴァ』と書かれた一室。確か俺の部屋は違う部屋だった気が……。


「入って」


 個人の部屋に入るときは靴を脱ぐらしく、靴を投げ脱ぎ、掛け布団を抱えて扉を開けたアーヴァに着いていき、「ここに敷いて」と言われるままに布団を敷いた。満足そうに、満面の笑みのアーヴァ。……ははぁん。アーヴァが仕事を引き受けた理由に合点が言った俺は、アーヴァの耳にそっと、


「――アーヴァ、今日は少し夜更かしするか」


 と囁く。顔を合わせてニヤニヤ。俺もこんな経験がないから異様に浮足立っている。成人越えの大人がしっかりしなくては。

 ――結局、その日は風呂から上がってから丑三つ時まで、アーヴァの相手をさせられることになったのだった。そしてもちろん、次の日は二人揃って寝坊したのであった。


 ◇


 それから一か月間、俺はずっとアーヴァの部屋にお世話になり、アーヴァと名実ともに寝食を共にするようになった。アーヴァはこの一か月間春休みで、俺とおしゃべりしたり、家の仕事を手伝い、俺とアーヴァの友達、ルナを交えて遊んだりなど初等教育の休みをふんだんに満喫していた。

 もちろん俺も前世とは数百倍充実した生活を送った。毎朝早くに起きるのはなかなかに辛かったが、それも一週間すればすっかり体に染みついた。毎朝朝食前にひと汗かくのは気持ちがよかったし、いつも素晴らしい景色を見せるこの大自然に俺は夢中になっていた。アルヤンさんに教えてもらいながら耕運機を運転したり、副業として飼育している羊の世話もした。ちなみに、ルナは動物に大層嫌われる性質のようで、羊に近づいただけで逃げられ、赤ちゃんに触ろうとしただけで大人の羊に追い回されるなど、なかなか散々な境遇を味わうことになった。

 そして何より、俺は人の温かさが本当にうれしかった。町行く人たちはみんな俺に親切にしてくれるし、アーヴァの家族、ルナも分け隔てなくいつも接してくれた。それだけで、俺はうれしかった。のんびりとベンの散歩に行ったり、アーヴァと一緒に近くの湖に探検に行ったり、アルヤンさんに誘われて村の賭場に行ってみたり、アディラさんと静かに昼下がりのお茶を楽しんだり、バトゥイル先生の仕事部屋にお邪魔したり、誤ってルナの生着替え中の部屋に入って頬を思いっきり叩かれたり……前世とは正反対の、人の温かさに触れた。ずっと、ここにいたい、冒険者なんてしなくていい、ここの用心棒になろうか。真剣に悩んだほどだ。


 そんな剣も銃も握らない、平和な日々はあっという間に過ぎ去って――


 ◇


「ねぇヒメカミ。左手の魔法円、なんか光っているよ」


 ルナが農作業の手を止めて俺の手を指さす。農作業で手が汚れないようにと基本いつも嵌めている『ケイリス98』。それに印刷された赤い魔法円がゆっくりと点滅している。今までなかった現象だ。俺はその魔法円を触り、仮想現実標識を中空に表示する。


 〈警告。あなたの冒険者免許失効まであと3日です。速やかに更新してください〉


「免許、失効?」


「大変じゃない!」


 ルナが大げさに言うので、俺は、


「そんなに大事なのか?」


 と、つい聞き返してしまう。


「大事も何も、それ失効したら2年は再発行禁止になるのよ」


「えっ! そんなに!」


 所詮車の免許くらいに思っていたが、ずいぶんと厳しい条件だ。というか、レイシアの奴どうしてこんなぎりぎりの期限にしたんだ。転生させた瞬間から免許の効力開始じゃダメだったのか。


「当たり前でしょ。『凶器を持ってよい』って資格なんだから、期日も守らない人を冒険者に認めるわけないでしょ」


 なるほど確かに、ザッツライト。危険物を所有する権利を与えられたものとしてしっかり守らねばならないことがあるということか。

 ルナの声を聞いて、アーヴァが遠くから駆けてくる。


「どうかしたの?」


「いやー、冒険者の免許更新するのすっかり忘れててさ」


「えっ!? それ、まずいんじゃないの?」


「かなりまずいわ」


 俺に代わって真剣に言う年下先輩冒険者。このままでは俺の身分が無職になってしまう。この世界でニート……全く笑えん。


「どうしよう……」


「そういうことなら、私の車を貸そう」


 振り返るといつの間にそこにいたのか、アルヤンさんが立っている。首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、


「この村から一番近いギルドがある町はアシガバードだ。とはいえ、そこまででも300キロは優にあるから、私の車で行くといいよ。それなら十分に間に合う」


 渡りに船。なのだが、いかんせん問題がある。


「実は、そのアシガバードって行ったことないんです。そこのギルドってところもどこにあるかさっぱりで……」


「じゃあ、私がついていくわ。アルヤンさんたちはまだまだお仕事があるでしょうし」


 ルナが声をあげる。ルナは過去にその町に行ったことがあるそうだ。これは助かる……アーヴァがどんどんうらやましそうな顔になっている気がするが、俺の気のせいか?


「それならすぐに準備するよ。私は先に帰って車を整備しておくから」


「あ、ありがとうございます」


 なにからなにまでとんとん拍子だ。ありがたいが、同時にとても申し訳ない。


「ねぇ、兄さん……」


 アーヴァが俺の服の袖を引っ張った。最近はさらに仲良くなって俺を「兄さん」と呼ぶようになった。本当の兄弟みたいと村の人から言われたときは我ながらうれしかったものだ。


「僕も、一緒に……」


 言いかけて、「ダメよ」と、アディラさんの言葉が遮った。俺たちの作業の手が止まったのを見かねて来たのだろう。手に付いた土を掃いながら、


「アーヴァ、あなた明日から学校でしょ? ヒメカミさんについていったら学校どうするの」


 アーヴァは無謀にも母に反撃を試みる。


「一日くらい、休んでも……」


「ダメよ」


 そりゃそうだ。アーヴァの学校は春学期が年の始まり。年度変わって一発目からサボりはさすがに頂けないだろう。

 悔しそうに下を向いたアーヴァに、


「アーヴァ、こればっかりは仕方ないさ。新学期一日目から休んで、お前がクラスの輪に馴染めなかったら俺悲しいからさ」


 諭すようにやさしく言うが、まだ下を向いたままだ。俺はアディラさんとルナとで顔を見合わせ、


「アーヴァ、もう少しで農作業も一段落する。そうだろ? そしたら時間も作れるだろうからさ、その休みの時にお父さんお母さんと、そしてルナと俺とで出掛ければいいじゃないか」


 相変わらず下を向いたままだったが、アーヴァはつぶやくように、


「約束、してくれる?」


 小さな右手小指を差し出す。この世界でも約束は指切りか。俺も同様に小指を伸ばして、


「もちろん、約束する。ね、アディラさん?」


 勝手に約束しようとする俺たちを見て、やれやれと肩をすくめる。でも、最後には笑って許してくれた。


「お母さんもいいってさ。じゃあ、指切り。約束だ」


「うん……!」


 少し目が赤くなっていたが、アーヴァはゴシゴシと目を擦って、ニカッと笑って指切り。長めの指切りを済ませる。「さ、早く準備しましょ」とアディラさん。そのあとに続いてルナ、アーヴァ、俺が続いた。


 


「それじゃあ、行ってきます」


 どう考えてもガソリンでは動いていない、謎の動力源で動く車の助手席に乗り込んだ俺は家の前に並んだアーヴァ達四人(飼い犬ベン含む)に別れを告げる。


「悪いなルナ、車の運転までさせて」


「大丈夫よ、このくらい」


 俺が車の免許も持っていなかったことに気づいた後、ルナが免許あるよとのことなのでハンドルはルナに頼むことにした。みんなにお世話になりっぱなしだ。


「兄さん」


 アーヴァが扉の前まで来る。


「――お土産、期待してるね」


「この野郎、さっきまで半ベソだったくせに調子いい奴だな。……わかったよ、たんまり買って戻ってくる」


 こぶしとこぶしを最後に突き合わせ、アーヴァは車から離れる。「それじゃあ、行ってきます」、その声に手を振ってくれる。何やら送別会やしばらくの別れみたいだな――なんて。



「「「いってらっしゃい!」」」そして、「ワン!」


 四人に見送られ、俺はアシガバードに旅立った。


 ◇


 一つの雫がそっと、固い地面に作られた水たまりに落ちる。雫が落ちた時の美しい音色は闇に溶け、夜の帳に消えていく。その雫が落ちた水たまりに突如として飛び込んできたのは、人。その体には大きな致命の太刀傷を作り、そこからとめどなく深紅の液体を流出させる。赤い液体は血だまりをさらに拡大させ、またそこに、鋭い剣先から一滴、また一滴と血の雫が落ちる。人はピクリとも動かず、手足をてんでバラバラに投げ出した不気味な格好をし、仰向けに倒れたままだ。それを見つめるのは赤い、冷徹の目。その目の持ち主は視線を銃剣を構えておびえる、王国軍人の証、鷲のマークが入った軍服に身を包んだ二人の男に変えた。


「て、てめぇ! いきなりなんてことしやがる! よくも、よくも俺たちの仲間に手ぇ出しやがったな!!」


 男の一人が月が雲に隠れたためにより深い闇となった夜の中で響く叫びをあげる。その声は勇ましく、その反面、大変おびえていた。もう一人の男は王国軍所属兵士に配られる標準装備の銃剣を胸に抱いて、赤い目の持ち主を恐怖と怒りを含んだ目でにらみつけた。


「――なんと、愚かな生き物か……貴様ら人間は」


 赤い目の持ち主は凍てつくような声色でつぶやいた。視線を倒れた肉塊に移すと、その肉塊を蹴り飛ばした。肉塊はごろごろと力なく転がり、壁にぶつかりようやくその動きを止めた。


「明かりがなければ夜目も効かず、力もなければ寿命も短い。知恵があるかと思えば、幾度となく愚かな戦を繰り返し、多くの犠牲を払わねばその戦を止めることさえできない」


 まるで二人の男がいないかのように、独り言をつぶやくように、詩を詠うように、彼は言う。


「それほど愚かな存在である人間に、高等な種族である我々が狩られるなど、あってはならない。それはまさに弱肉強食の摂理に反した愚かな行為、大罪だ」


 雲の間から間もなく満月になろうかという月が現れる。白光は世界をやさしく、冷たく照らした。その光に照らされた相貌を見、軍人たちは息をのんだ。瞳が異様に光って見えた。

 そのあまりにも冷厳な視線をゆっくりとおびえる男たちに這わせる。血黒く、異様な照りを持った一本のナイフを、その爪の鋭く伸びた青白い手で遊ばせた。男たちに向けられるその目は生き物を見る目ではなく、物を、いや、ごみでも見るかのような嘲りの目だ。


「そんな大罪を犯した人間たちは、どうなる運命か……もう、分かるな?」


 赤い目の持ち主はいつの間にか男たちの背後に立ち、手にしたナイフを地面に投げ捨てた。そのナイフが地面に落ち、甲高い音を響かせた直後、二人の男の首がずるりと落ちる。首から上が無くなったことで、まるで栓が無くなったように、血の噴水が同時に男たちの首から噴き出した。地面にはねた男たちの頭はぽかんと、どこか剽軽な顔で、地面を転がる。体のほうは何やら頭がないのを驚いてか、一瞬手が首のほうに伸びたが、すぐにこと切れて、新しい血の池に飛沫をあげてダイブした。

 吹き出した血を頭から浴びた赤い目の持ち主は、頬を伝ってきた血をなめると戦慄の笑みを浮かべた。

 その口からのぞくのは二本の鋭くとがった牙と深紅に染まった長い舌であった。

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