4節
「――怪我、もういいんですか?」
赤、というより紅の瞳を持った、ちょっと勝気そうなつり上がった目。どことなく猫を思わせる彼女の目と、俺の視線が交錯した。
「あ、はいもう、すっかり」
「よかった。私を助けてくれた人がすごい量の血を吐いて倒れたって聞いた時はホントにびっくりしたんですよ」
白く透き通った肌の顔を綻ばせる。左頬にだけできたえくぼがチャーミングだ。
俺は思い出したように、
「それより、あなたも怪我しませんでした? 俺がぶっ放した斬撃に巻き込まれなかったか心配だったんです」
「ええ、もうこの通り。ちょっと当たっちゃいましたけどね」
「えぇ、じゃあ俺、ホントに怪我させちゃったんですか!?」
「なんて、嘘ですよ。そんなわけないですよ。あれに当たってたらいくら何でも人は生きられませんよ。あの時は本当に助けられました。ありがとうございます」
いきなり初対面相手、それも見た感じ俺のほうが年上だというのに肝を冷やすジョークとは、ずいぶんとぐいぐい来る子だな。これくらいフランクなのは嫌いではないが、いかんせん俺の会話スキルが貧弱なせいでどこか苦手に感じてしまう。
「いや、俺はそんな大したことは……」
行き過ぎた謙遜は何とやらと言うが、俺はどうしても自分の少しの傲慢も許せないタイプなので、しっかり謙遜する。
「自己紹介遅れました。私はルナと言います」
「俺は姫神寛人。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀する彼女、ルナの所作が一つ一つ美しい。顔に垂れたダークブラウンの短髪をサッと後ろに流すのは様になっている。
「お姉さん、お手伝いありがとう」
「いいのよ。ここに居候させてもらっているわけだし」
手にぶら下げていたかごをテーブルの上に置いて、アーヴァに応える彼女を見て、
「居候? ルナさんってここの村の人じゃないんですか?」
「ええ、私実は駆け出しの冒険者でして。それで行き着いたこの村の方にお世話になっているの」
なるほど冒険者。だからアサルトライフルを持っていて、あんな化け物と戦っていたのか。
「お姉さんもすごく強いんだぜ。お兄さんが来る一日前にでっけえ虎を追っ払ったんだぜ!」
「退治したはいいけど、その時に左腕を負傷しちゃったんだけどね」
だからあの時左腕に包帯を巻いていたのか。きっと昨日の今日の出来事で、ドラゴンがやってきたときまでに治療が終わらなかったんだろう。今その腕はルナの羽織ったデニムのジャケットで窺うことはできないが、痛そうにしていないところを見るにバトゥイル先生が治したようで、荷物を運んだりしている。そういえば、顔についていた擦り傷もなくなっている。きれいな顔に痕は残っていない。
「そうだ! お兄さん、僕たちの村を案内するよ。まだ起きたばっかりでこの村を見て回ってないだろ?」
アーヴァが申し出た内容に俺は断る理由がない。冷めかけた紅茶を飲み干し、アディラさんに「ごちそうさまです」と声をかける。アーヴァの家に入った時に外していた手袋を胸についているポーチから取り出すと、
「あっ!! そのグローブ、それってアンダークローズ社の最新モデル『ケイリス98』じゃないですか! 新開発仮想現実標識を採用した、今冒険者垂涎の一品! はっ、よく見ればその着ているコンバットスーツ、王国冒険者ウェア最上位のビルトゥアール社の『べスティードγ』! こっちのホルスターに収まっている拳銃は老舗銃火器メーカーのジョン&ヤードの人気モデル『M95』のカスタムじゃない! 透き通ったボディーがとってもきれい……!」
突如鼻息を荒くしたルナ。目がキラキラと輝き、遠慮なく俺の服装を舐めまわして見ている。唐突な変貌っぷりに俺を含めた三人はぽかんと、ルナの様子を眺めていた。
「このブーツは――はっ、すいません。つい興奮しちゃって」
いや、つい興奮したからってあんなに俺の装備を舐めまわすように見たり、べらべらとしゃべることはないだろう。前世で言うところの『オタク気質』を感じる。なに、この子、こんなにかわいい顔してこんな意外過ぎる裏の顔があるの?
「お姉さんって、こういう、なんていうの……冒険者の装備が好きなの?」
かわいそうにルナの豹変に引いてしまったアーヴァがおずおずと聞く。というかアーヴァ、俺の後ろに隠れるな。俺を盾にするな。いくらルナが豹変したからって、人として、してはいけない態度ってものがある。ルナはきっと悪いやつじゃない。ただちょっと、ギャップがまろび出ちゃっただけだ。
「ち、違うの! ――じゃなくて、こういう装備が好きなのは認めるけど、さっきのは、そうよ、ほら、よくあることじゃない。好きなものを見たらあんな感じに興奮すること」
よくあるって、いくら何でも人目を憚らないであれはないだろう。
俺の後ろに張り付いたアーヴァをはがしながら、
「そういうのが好きなルナは、見た感じ何か特別なの着けてる感じはしませんけど」
ルナの頭から足先まで一瞥して俺は言う。ルナの服装は上は白いシャツに青のデニムのジャケットを羽織り、下は黒系の短いスカートにブーツと、俺のような装備はしていない。正直冒険者だと名乗ってくれなかったらめちゃかわいいお嬢さんにしか見えない。
「あー、これはいろいろと、ね?」
「はぁ……」
あれだけ俺の装備を熱弁しておきながら自分の装備はまだ揃っていないようだ。とはいっても、俺も着ているものは全部レイシアからもらった物で、金がかかるだろう装備一式を全部おごってもらった俺が何かを言える立場にはないのだが。
「でも、あの時使っていた古そうなアサルトライフルはルナの装備ですよね?」
俺が知らず知らずのうちにルナを気軽に呼び捨てていることなど気にすることなく、
「あれは実家の倉庫から引っ張り出してきたの。埃かぶっていて使わなそうだったから勝手に貰ってきちゃった」
実家の管理めちゃくちゃ甘いな。名も知らないルナのご両親、娘さん、勝手に凶器持ち出していますよ。銃火器の扱いがそんなんでいいのか……。
そんなことより、
「アーヴァ、すまない、今の今まで忘れていたが、俺に村を案内してくれるか?」
ルナ事変で頭から飛んでいたアーヴァの厚意を思い出して、背中の陰からようやく姿を出したアーヴァに言う。
「そ、そうだったね。僕も忘れてた」
「それから、一ついいか?」
「どうしたの?」
俺はルナのほうを見やって、
「ルナも一緒で、でもいいかな?」
アーヴァもルナのほうをちらっと見て、
「別にいいけど、お姉さんはもう前に案内したよ」
「いろいろと冒険者同士で話さなきゃならんことがあるのさ」
そう、俺はまだこの世界に来て一週間。そのうち9割は寝ていたのだから生まれたての赤ん坊よりこの世界を見ていないし、知識もない。文字の読みと会話がなぜかできるから分からないことはいつでも聞こうと思えば聞けるし、探そうと思えば探せそうだが、とはいっても、まがいなりにも冒険者の職についているらしい俺はもっと多くの情報が必要だ。その良いアドバイザーが目の前にいるのだから、今ここで聞いておかないといけない気がする。そうでないと機を逸してしまう。ルナに今聞けば、手早く、確実に情報がゲットできる。人付き合いは得意ではないが、これも何かの天命だろうし、できる限り頑張るしかない。
◇
「――で、ここが最後。父さんがやっている綿花畑。どう、すごく広いでしょ?」
「うわー! ここ全部そうなのか? あっちの地平線まで?」
「そうだよ。こっから見える範囲ほとんどはうちの畑!」
広大で、荒涼とした平原がずっと遠くまで続いている。平原の真ん中に耕運機が数台動いている。土地があまりに広いから、まるでジオラマのように見える。
「もうすぐ種まきの季節だから、今のうちに土を反しているんだ。ここはあまり雨が降らないから少しでも降った雨を地面に吸いこませるようにちょっと深めに耕して、いい感じに土が湿ったら今度は浅く耕して地面から水分が蒸発しないように防ぐんだ」
アーヴァの解説は普通に面白く、為になる。こういう雑学チックな知識は世界の解像度を大きく上げるから、面白いうえに役に立つ。
「じゃあ、今やっているのは深く耕している最中ってことか?」
「そうだよ。あの機械に乗っているのは父さんや村の人なんだけど、つい最近始めたからまだかかりそうだね」
遠めに見たら小さいが、これだけの平原でも存在感があるのだから近づいたらすさまじく大きいのだろう。その機械を操るアーヴァのお父さんすごいな。
「肥料とか、そういう類は使うのか?」
「少しだけね。あんまり撒きすぎちゃうと土を痛めちゃう。それから水の撒きすぎもダメだね。乾燥したここだと、どんどん水分が蒸発して土の表面に塩が溜まっちゃうんだ」
『塩害』というやつか。たしか前世界の地理の授業で聞いたな。こうしてじかに見るとなるほど、分かりやすくて面白い。
小さな先生の後ろについていって、
「あと1か月しないうちに種を蒔き終わって、夏が過ぎて秋になったら収穫。秋の収穫時期の、白い綿が出てきた時の景色は世界で一番きれいなんだよ」
「へぇー、そんなにか。俺も見てみたいな」
「私も見たことないから、その白い絨毯見てみたいわ」
俺の言葉にルナもかぶせて賛同する。これだけ広いところが一面白に染まる、きっと想像の何倍も美しいんだろう。
アーヴァは最後に綿花畑がよく見える小さな丘に俺たちを案内してくれる。ルナは一度、俺が寝ていた時に来たそうだ。三人並んで土の大地に腰を下ろす。澄み渡った蒼穹と、広大な大地の絵画が俺の目の前にあった。
「どうだった、僕の町は?」
「すごくいい町だったよ。みんないい人で、気さくで、そして心があったかい」
「ホントね。私もアーヴァにもう一回案内してもらって実感したわ」
アーヴァは照れたように鼻の下をこする。やっぱりアーヴァの笑顔は本当にまぶしいな。俺にこんな笑顔を向けてくれるのは今まででいなかったと言って良い。
「お兄さんたちも冒険者談議が盛り上がってたね」
「盛り上がるというか、最低限の確認くらいさ」
アーヴァを交えてルナからいろいろな情報を引き出すことができた。この村から一番近いギルドがある大きな町は『アシガバード』という町。そこに行けば基本的なものは揃うらしい。それから俺の手袋『ケイリス98』の仮想現実標識はいろいろなオプションをお金で付け足していく仕様らしく、特に王国を全土網羅し、自分の現在位置や各町の規模やそこにどんな店があるのかなど詳細な情報が付け加えられている地図はなかなかに高価で、今まで通り紙地図で済ませている冒険者も多いらしい。――レイシアの奴、俺を苦しめるためにわざと地図機能を付けなかったに違いない。
「いいなー、僕も冒険者になりたいよ」
不意にアーヴァがわざとらしく言うので、「どうしてだ?」と聞く。
「だってかっこいいだろ! でっかい虎とか怖いドラゴンとか倒したり、誰も行ったことがない未知の樹海とか探検したり、世界中のいろんな景色を見れるんでしょ?」
随分と冒険者という職業に憧れているようだ。その瞳の輝きが一段階増した気がする。
だが、その瞳の輝きはすぐに鳴りを潜めて、
「でもさ、僕はここの農場を継がなくちゃならないんだって。確かに綿花栽培は面白いけど、そうなったらずっとここで過ごすことになるよね?」
跡継ぎの宿命か。今のところアーヴァに兄弟はいないから必然的にこの広い農場は彼が継ぐことになる。アーヴァはそれをきちんと理解はしている。でも、まだ幼い子供、夢は諦められないだろう。
「大丈夫よ!」
ルナがいきなり明るく、大きな声を出した。
「私だって、本当はやらなきゃいけないことがあったんだ。でもね、こうして逃げ出してきちゃったの」
「何から?」は聞かない暗黙の約束だ。
「確かに逃げちゃダメな時もあるけど、子供の時くらい、好きなことしなきゃダメね! 大人になった時視界が狭くなっちゃう」
ルナは手でゴーグルを作って覗き込む。それから笑って、
「だから、アーヴァも諦めちゃダメよ。夢は追いかけ続けるから夢なのよ」
追いかけ続けるから、夢。……そうだよな。おそらく夢ってのは、なかなか追いつけなくて、でもそれでも成りたい、やりたいってことだ。
「そうだぞ。そんな10歳満たない年で達観するんじゃないぞ。もっと、自由に、でけー夢を持たなきゃな。でなきゃ、俺は冒険者になんかなれなかったしさ」
最後は嘘だ。レイシアに勝手に設定された結果の冒険者だ。でもここは噓を吐かねばならないと思った。俺は前の世界で夢の持ち方も、追いかけ方も理解できなかった。でも、アーヴァにはちゃんとした夢がある。たとえそれが叶わなくとも、きついときに前を向くために夢を持つってすごく大事なことだとぼんやりと思う。だから、嘘を吐いた。思い続ければ、努力し続ければ叶うこともあるって、口先だけでも、言いたかったのだ。この俺に何の偏見も持たない少年に。
「そっか、そうだよね! 僕、もっと頑張る!」
「そうね。まずは、勉強を頑張りましょ」
「げっ」と顔をしかめたアーヴァをルナと二人で笑った。
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