第3話
さて、私も何か食べるか……。
冷蔵庫から野菜ジュースを、そして右隣の棚に置いてあった惣菜パンの袋を引っ掴み、ローテーブルの前に座る。夢を見たせいか頭がぼうっとしていて、料理する気力はすっからかんだった。
「いただきまーす……」
惰性でそう呟いて、もそもそとパンを咀嚼する。一度食べ始めると猫も私も静かになる。普段は別になんとも思わないけど、今日はなんとなくその沈黙が気になったのでテレビをつけた。ちょうど今の時間は朝のニュースがやっているはずだ。食事中のBGMにはちょうどいいかも。
『――見てください、こちらの海鮮丼! 地元の漁港で採れた新鮮な海の幸をふんだんに使用していて…………』
「……………………」
……よりによって食レポのコーナーとは。こっちはコンビニで買ったカレーパン(120円)と野菜ジュース(98円)だけの慎ましい朝食だっていうのに……。うらやましい。
「見てよほら、海鮮丼だってさ。アンタも猫なら魚好きでしょ? そうでもない?」
足下にいた猫は一瞬だけテレビの方を見たが、すぐに興味なさそうに目をそらし、お皿を綺麗になめる作業に戻った。
そうしている間に海鮮丼の特集は終わったらしく、最近よくテレビで見かける女優さんがドラマの番宣をしていた。カレーパンの最後の一口を飲み込んだ後も、私はしばらくテレビを付けっぱなしにして、スマホをいじりながらニュースを流し見した。消費税が高いとか低いとかいう話や、街頭インタビュー、他県で昨日起きた殺人事件など、いろんな情報が洪水のごとく次々に流れていく。
「なんか、世の中いろいろ大変そうだなぁ」
思わずそんな言葉が口をついて出た。猫はというと、とっくにお皿の中身をキレイにした後で、今は背中を丸めて毛繕いにいそしんでいる。
ふと、夢の中で猫になっていた時のことを思い出す。人にとっては事あるごとに一喜一憂するような世間の移り変わりも、きっと猫にとっては取るに足りないことなんだ。むしろこのぐらい無関心でいるほうが、もっと気楽に生きていけるのかもしれない。
「あーあ、いっそ本当に猫になれたらな~!」
バタン! と子どものように寝転がり、猫を捕まえて抱き上げた。すると猫は不機嫌そうにジタバタ身体をよじらせ、
「にゃう」
「いでっ」
素早く私の額に猫パンチをお見舞いした。「甘えたことを言うな」と言わんばかりの一撃を放った猫は私の腕から逃れて駆け出し、部屋の隅っこで丸くなった。私はカーペットの上で仰向けに転がったまま、額を軽くさすった。もうこのまま二度寝してやろうか……と思ったが、そういえば今日は燃えるゴミの日だ。テレビを消してしぶしぶ立ち上がり、外に出る支度を始めた。
外は雲一つない快晴で、青空がどこまでも澄み渡っていた。乾いた風が吹き、冷たい空気がツンと鼻を刺す。当然、桜は咲いていない。寒々とした空の下を歩いていると、なんだかさっき抱き上げた猫の温もりが恋しくなる。さっさと用事を済ませて部屋に戻ろう。
ゴミ袋を下ろして解放された私は、ふと足を止めて周囲を見回した。よく覚えていないけれど、今朝の夢で歩いていたのはこの道だったのかもな、と思う。今ここに来たのはゴミ捨てのためだけど、夢では本当に何の目的もなく歩いていた。それは故郷にいたときに思い描いた『自由な暮らし』に一番近いように思えた。ひょっとして私、人間よりも猫の生活のほうが向いているんじゃないか? もちろん猫になったらそれはそれで大変なこともあるんだろうけど、人間より多少はマシかもしれない。…………でも。
空を仰ぐ。絵筆ですくって、キャンバスに写し取りたいほどの青が、そこには広がっている。
「――でも、猫になったら絵は描けないかぁ」
独り言とはいえ、あまりに当たり前すぎることを言ってしまった。軽く笑ってごまかし、来た道を引き返す。
いつまでも夢に浸っているのはどうかと思う。でも、ずっと現実ばかり見つめていても疲れるだけだ。人間社会に疲れたら、その時は猫になったつもりで過ごせばいい。そうすれば余計な雑音も気にならない。少し心が軽くなったら、また人間に戻るんだ。
心が弾む方へ突き進んで、時々猫のふりをして。そういう風にバランスをとって生きていくのが、きっと私にはちょうど良い。
時々、猫のふりをして 遠野 芳織 @10_kaori
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