第7話

     2


 以上が「摩訶般若波羅蜜多心経」の全貌です。

 少々、珍しい、「般若心経」の解説になったかもしれません。

 しかし、オブラートに包んだ解説よりも、ズバリと言って仕舞った方が、読む方も、モヤモヤしないで、スッキリするのではないでしょうか。

 「誕生」(大楽=たいらく)の思想は、真言宗で、一部入ってきてはいますが、セクソロジーです。

おおっぴらに、するべきものでは、なかったのでしょう。

しかし、自然の理です。

二十一世紀になって、そこを、秘儀にしたままというのは、歪です。

しかし、本稿の役目ではありません。

 般若部は、それと対置する、「空の思想」の根幹の思想なのです。

般若部の枢要を述べた経典が、「摩訶般若波羅蜜多心経」なのです。

 誕生の対極は、矢張り、「死」です。

「死」を「度」として、「渡る」としました。

そこで、「諸法」は全て無いとなったら、人々は、矢張り仏に、縋る他にないではないでしょうか。

 しかし、その仏はどこに、いるのか、となったとき、己の腹の中を指さしてください。

そこに、しっかり、仏はいるのです。

 そして向かう先、彼岸にあるのは、中有であり、そこは、平等性智の場所なのです。

すべてのものを、平等に見る仏が、おいでになるのです。

 平等とは、過去世も含めての平等なのです。

キチンと、現世でのバランスは出来ています。

 「死んでしまえば、チャラだよ」と言う考えは、通用しません。

 懸命に生きることです。

それが、最後の「ギャテイ偈」に繋がっていくのです。

 「心経」は、「死」を主題にしながら、我々の今を、どうやてって精一杯いきたらよいのかを、「心の杖」として、見事に、教えてくれている、最大のテキストなのです。


 さて、私は、『心毒の海を渡り』切れるのでしょうか。

最後の最後まで、休ませてはくれません。



                                       「完」

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般若心経の真実 牛次郎 @gyujirou

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