椿と世田谷ボロ市
藤泉都理
椿と世田谷ボロ市
世田谷ボロ市。
四百三十年以上昔から続く、東京の世田谷で毎年十二月十五日と十六日、一月十五日と十六日に開かれる。
古着や古道具、農産物、また、草鞋に編み込むボロが安く売られた事から、ボロ市と名付けられたとか。
現在では、あんこ、きなこ、からみの三種の味がある、その場で搗きたての代官餅なる餅が市の名物。
艶のある葉、「艶葉木(つやはき)」。
厚い葉、「厚葉(あつき)」。
常緑の葉、「寿葉木(すはき)」。
この花の語源は、これら葉の特徴から転じたとされる。
「葉っぱだけの着物?」
私は、一つの出店の前に居た。
不思議と私以外、誰も気付いていないように足を止める事なく素通りしており、人っ子一人居ない。
他の盛況ぶりに反する、この静寂さ。
だが私は、不気味さや疑問を覚えるよりも、幸運だと思ってしまった。
想定していたよりも低い値段のボロが山ほどあるのだ。
柄が葉一種類だったのは、見た目も重んじる事もある顧客たちを考えれば少しばかり痛手だが、元手がこれだけなら何とかなる。
正月も無事に過ごせる。
農閑期に入った今、草鞋は大切な収入源となる。
だからこそ、編み込めば草鞋が丈夫になり、また彩を添えられるボロを求めてやってきたのだ。
善は急げと、この店にあるものをすべて買い求めた。
椿の葉、だろうなあ。これは。
買い取ったボロを見た夫は一言そう告げては口を閉じて、せっせと草鞋を編み込み始めた。
そうだろうね。
私も同意しながら、夫に負けじと、草鞋を編み込み始めた。
そうして二人して、せっせと作り続けた結果、顧客たちが求めた期限内に草鞋を納められた。
沢山ある草鞋がたった一つの彩しかない事については、特に何も言われずに。
いつも通り。
提示されていた賃金といいできだとお褒めの御言葉を、そして、いつもよりも多い心配りをいただく事ができた。
早速買い求めた御餅と小豆、砂糖、魚の干物、蜜柑、それとお金を大事に胸に抱えて、高揚感を抑えられないまま、いつもよりも足取り軽く家路を急いでいると。
「なに?」
眼前。家へと続く道に点々と赤い花が落ちているのに気付いた。
一つ手に取ってみると、どうやらこれは椿だとわかった。
時期的にはおかしくはないが、この近辺には咲いてはいない。
ならば考えられるのは、村長に売りに行く際に花売り屋が落としていったのか。
村人は家に椿を飾る事を禁ずる。
椿を刈り取ってはならず、また、買い求めてもいけない。
何故だか知らないが、村に出た御触れ。
破った際の罰金や罰則はないものの、村のみんなはその御触れを守り続けている。
何か意味があるのだろうと。
村長の聡明さと人柄を知っているからだ。
私も御触れを守っているので、手に取った椿も道に置いたままにして、家路を急いだ。
「ただいま」
「おかえり。随分と駄賃をもらったらしいな」
「労働分の報酬よ。でもまあ、結構色付けしてもらったけど」
「荷物よりも、その顔を見ていればわかる。襲われなくてよかったな」
「私の脚力に敵う人なんて、誰も居ないわよ」
「ちげえねえが、気を付けるに越した事はないぞ。隣りから伝言が回って来たしよ」
「伝言?」
「お偉いさんが来ているから、あんま、家から出んなと」
「ふぅん」
「誰かを探しているらしい」
「罪人?」
「もしくはおてんばな姫様か若様か。どっちにしても関わり合いにはならないほうがいいだろう。ちょうど納品もしたし。あんま家を出ないように。出るとしても、俺と一緒にな」
「わかった。あんたもね。出掛ける時は私と一緒ね」
「おう。頼もしい女房が居て、俺は幸せもんだ」
「言ってな」
伝言が回ったこの日から、村の空気は若干緊張していたが、何事もなく日々は過ぎていき、今年を無事に過ごせた事を感謝し、新しい年を迎えたのであった。
「おう。久しぶり」
一月十五日。世田谷ボロの市。
「お久しぶりですね」
「相も変わらず、閑古鳥だな。おまえの店」
「去年も奥様に買っていただいて助かりました」
「安さに目が眩んで、柄にはあまり注目してなかったらしいが・・・執念だよな。おまえのボロで作った草鞋。俺も履いてんだけどよ。見えるんだよな」
「椿の花はもう描けませんから」
「どっかの莫迦の所為でな」
「御戻りにはなれませんか?」
「ならないね。あいつにもそう言って引き取ってもらったし」
「とても幸せそうですしね」
「分けてやりたいくらいにな」
「それはよろしゅうございました」
「今日も全部買う」
「お買い上げ、ありがとうございます。しかし、曰く付きですのによろしいのですか?」
「別に構わんさ。どうせ期間限定だろうし。顧客から苦情もないしよ・・・見えていないのか、見えているのか。ま、後者かもな。もう。椿は咲かなくなったからな」
「・・・私が、」
「・・・・・・・・・時間があったら、うちに来いよ。おまえのおかげで少しは潤ってんだ」
「では、店じまいをしたら伺わせていただきます」
「そん時は、その莫迦丁寧な言葉遣いはなしな」
「はい」
「いつか、な」
今から、十数年前の話だ。
椿と名乗る女性を見初めた二人の男性が居た。
一人は一国の主。
一人は主のお抱え画師であった。
嫁にしたいと。
主は心を込めて椿に接した。
画師は主の意思を慮って、身の内に留める事にした。
主は椿を嫁にする事ができたが、その蜜月はとても短かった。
椿が原因不明の病で亡くなって以降、主は椿の花を刈り取って城に持ってくるようと告げ始めた。
罰則も罰金もない。
ただの懇願である。
配下の者は主の想いを汲み取り、本物の椿に限らず、絵や工芸品までも集めて主の元へと持って行った。
椿の花が咲かないどころか、その葉まで生えなくなった一年前まで、続けられた。
「奪われたもんだけじゃなく、全部を描けるようになったら」
『昔はどうやって草鞋にボロを編み込んでいたのかがわからない。ボロと稲穂をどう混同させていたのか、ボロだけで作る、わけはないだろうし』
『どこのHPで見たのか、見たとしても本当にこんな情報だったか忘れてしまったが、椿が不吉だと広めたのは、武士が独り占めする為だったとか』
『時代は江戸を想定していますが、当時は十二月十五日しか市はやっていなかったらしいので、そこはちょっと無視しています』
椿と世田谷ボロ市 藤泉都理 @fujitori
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