きずもの

野分が過ぎ去って、あれほど荒れていた海は凪いでいた。やや濁ってはいるものの海は青く、白波が穏やかに浜に寄せる。

「おお。押し寿司だ。綺麗な色で美味そうだ。流石権太さんの母ちゃん、やっぱり魚の扱いが上手いな」

 適当な場所に腰を下ろして、弁当箱の蓋を開けた虎丸が言った。嬉しそうなその台詞は、けれど空々しい。抜けるような晴天に、そのまま空しく吸い込まれていく。

 結局四人は、網代飯店には入らなかった。店頭で、権太の母に頼み込んで、いくつか料理を包んでもらった。そして、その包みを引っ提げて、一行は浜辺へと赴いていた。

 話の内容次第では、人目を、人耳を憚るだろうから。

 蛇介は、虎丸の正面にどかっと腰を下ろして言う。

「それで?」

「それでって、何が?」

 虎丸ははぐらかす様に曖昧に目を逸らした。蛇介はじっとりとした目で彼を見据えて言った。

「だから、事件ってのは何なんだよ。お前に何があった」

「……そんなに気になるのかよ。話した通りだよ、母ちゃんたちは死んじまった。それだけだ」

「気になるかどうかじゃねえんだよ。お前のことは把握しとかねえと、後でどんなしっぺ返しがあるか分からねえ。黒ま……一狼の件でも痛い目を見たし。羊太郎さんのことだってそうじゃねえか。俺はてっきり、お前は天涯孤独だと思ってたぜ。だから、こんな家族ごっこをしてたのに。また後からお前の兄弟変わりだ親戚だって奴らがいきなり出てきたら、困るんだよ。そいつらが皆、羊太郎さんみたいに、こっちの事情を納得してそっとしておいてくれるかは分からねえんだから」

「それは、大丈夫だよ。母ちゃんたちが居なくなってから、俺は実際に天涯孤独だ」

「でも、こうして羊太郎さんが出てきた訳じゃねえか」

「それは、俺だって驚いているって言うか……」

「じゃあ、とりあえず洗いざらい話せ。必要な話かどうかは俺らが判断する」

 蛇介がそう言うと、虎丸は俯いて小さく零した。

「……あんまり、思い出したい話じゃねえんだよ」

 それはそうだろう。勢いで押し切れるかと思ったが、流石に無理か、と蛇介は思う。家族が殺された話だ。どう聞き出せばいいものか、蛇介でも悩むところだった。けれどもやはり、知っておきたい話ではある。蛇介は頭を掻く。

 その時、それまで黙っていた羊太郎が口を開いた。

「なら、俺が話します」

 虎丸がはっと顔を上げる。

「羊太郎さん……」

「悪ぃな、虎坊。でも、知っておいてもらって、悪いことは無いでしょう。一緒に暮らしてくんなら。それに、俺もあんたに聞きたいことがある」

 羊太郎の言葉に、もう一度顔を伏せた。それから彼は、隣に居た一狼を抱き上げて膝に乗せた。一狼はじたばたと暫く藻掻いたが、虎丸が背を撫でると観念したように大人しくなった。

 虎丸の無言を受け取って、羊太郎は蛇介に向き直った。

 その時、龍之進の腹の音が盛大に鳴る。虎丸は顔を上げて、漸く少しだけ何時もの調子を取り戻す。

「仕方ねえな、お前は」

「仕様が無いだろう。腹は減るものだ」

「そうだな。よそってやるよ。どれがいい?」

「うむ、そっちの鱒が乗っているのと、そっちの赤身。それから煮豆が良いな」

「おう」

 虎丸は龍之進が指したものを、小皿に取り分けてやる。そして彼は様子を窺うように蛇介を見た。蛇介は、客が先だと示す様に羊太郎を手で指し示す。羊太郎は、恐縮したように頭を下げた。そうして、彼はぽつりと呟いた。

「そうですね。先に食っておいた方が良いかもしれない。話の後じゃあ……」

 その言葉に薄々察するものがあって、蛇介は盛り付けてもらった卵の寿司をなるべく味わって食べた。

 食事を終えて、羊太郎は居住まいを正す。

「あれは、もう十何年前になるんですかね。奥様が嫁いできて、何年か経った頃……」

 羊太郎は目を細めて海の方を見た。

「棟梁は、名の知れた大工で、弟子もたくさん抱えていたし、流れの大工の面倒もよく見て……弟子からも、町の人からも、本当に慕われていた立派な人でした。普段は良く笑う豪快な人だったんですけど、絞めるところは絞める人って言うか、怒ると怖い人で、俺も何度か叱られたことがありましたが、そりゃあもうおっかなかったです」

羊太郎は懐かしむように語る。虎丸の義父の人柄からとは、随分遠回りに思えたが、茶々を入れても始まらない。本人が話したいように話させるのがいいだろうと、蛇介は黙って聞いた。

「でも、棟梁は正しいことしか言わない人でした。気分で怒鳴ったり、憂さ晴らしに殴ったりってことは絶対に無くて、理に適った怒り方をする人でした。大雑把に見えるけど、すごく思慮深い人で、だからこそ頼りになった」

しかし、思ったよりも早く、その話は本題に入った。

「だから、あの事件も、棟梁が悪いことをしたからってことは無いです。もちろん、奥さんやお嬢さんが原因なんてことも。あれは、完全な逆恨みでした」

「逆恨み……てことは、どっちにしろ、その事件は虎丸の家族を狙って起きたってことですか? 通り魔だったり、誰でも良かったってことじゃなくて?」

「多分、そうだと思います」

「その口ぶりだと、下手人は分かっているんですか?」

「はい……ああ、いえ。多分そうだと、思うんですが。でも、奴らに決まっています」

「ああ、なるほど」

 つまり、証拠がある訳ではないが、羊太郎には個人的に目星を付けている者が居るという事だろう。

「あの事件の少し前、町で揉め事があったんです。棟梁と流しの若い衆で。相手は五人組で、素行が悪くって。まあ、自分が言うのもなんですが、若い大工には軟派な奴も多いんです。花のある仕事で、持て囃される機会も少なくないから」

「ああ、確かに大工に左官に鳶って言えば、花形で有名ですよね」

「そうです。もちろん、要大工にはそんな奴らは居ませんよ。多少派手な奴は居ましたが、親方がきちんと首根っこ掴んでましたから。でも、流しってなるとピンキリで……腕がいいから身一つで渡り歩いてる奴もいれば、一所に留まれない事情のある奴もいるでしょう」

「それで、その五人組は後者だと」

「はい。曰くつきな奴らで、前の仕事場でも問題を起こして、それで逃げる様に出て来たって感じの奴らでした。他所の町からも悪い噂が入って来てて。棟梁も警戒していましたが、けれど噂だけで追い出すのも、あんまり情けがねえ。とりあえず使ってやるが、何かあったらすぐ出て行って貰うって話で、暫くうちの町に置くことになりました」

「けれど、問題は起きてしまったと」

「ええ。初めは大人しかったんですが、段々とぼろが出て来て、街の居酒屋で酔って暴れたとか、店で物を盗んだとか、そういう話が親方に訴えられるようになりました。それで、親方が話を付けに行こうと奴らのたまり場に行ったところ、その……」

 羊太郎は言いにくそうに目を伏せてから、やや憚る様にして言った。

「奴らが、町の女の人に乱暴をしようとしていて」

 ああ、そういうことか。真っ当な反応を心掛けて、蛇介はなるべく神妙な顔をして頷いた。その程度、と思うのは、やはり蛇介の方がおかしいのだろうから。

「それで、棟梁は完全に怒髪天で、その場で全員張り倒して、そのまま町から追い出しました。棟梁はものすごく怒って、相当怒鳴ったので、奴らもかなり逆上せていました。覚えてろ、目にもの見せてやる、とか色々叫んで、棟梁のことを罵りながら出て行きました。それで、その直後の夜に、事件が起きたんです」

「ああ、それなら、彼らを疑うのは順当ですね」

「はい」

 それから、蛇介は虎丸に目を遣った。彼は、じっと俯いている。蛇介は、それから羊太郎に向き直って言った。

「それで、事件って、何があったんです」

「……親方たちは殺されたんです。全員滅多切りにされて」

 蛇介の視界の端で、俯いた虎丸は微動だにしなかった。羊太郎は続ける。

「棟梁のお屋敷は、町から少し離れた小山の中にあったんです。だから、朝になるまで誰も気づかなかった。朝、親方が仕事に来ないんで、迎えに行ったら……道の途中に棟梁と虎坊が血まみれで倒れていて、お屋敷には奥様とお嬢さんがいました。棟梁たちは全員冷たくなっていて、息があったのは虎坊だけでした」

「虎丸の怪我は、その時のものですか」

「はい。親方たちも、同じような傷を負っていて、本当に屋敷は地獄絵図でした。部屋中真っ赤で、天井まで血が届いていて……虎坊たちが倒れていたところまで、血を引きずったような跡があって、親方は寝間着姿で裸足だったので……、多分屋敷で何かあって、虎坊が息の在った親方を町まで連れて行こうとしたんだと思います。けど、途中で……」

 力尽きたのだろう。虎丸も、その義父も。

そこで蛇介は、先ほど見での側で話した時に抱いた違和感の正体を悟った。蛇介は、虎丸の傷は人斬りをする中で負ったものだと思っていた。だから、彼が人斬りであると知らない羊太郎が、彼の傷については知っていることに疑問を覚えたのだ。

けれど、なるほど。虎丸の傷は、彼が人斬りになる以前に負ったものなのだ。十数年前、当時は虎坊と呼ばれるような子供だった彼が、一夜のうちに負った傷。

蛇介は、羊太郎に尋ねた。

「その後は、どうなったんですか?」

「その後……?」

「いえ、お話を聞いている限り、俺もその四人組が怪しいと思います。ごろつきと揉めた直後に惨劇。逆恨みで押し入り強盗と考えるのは妥当でしょう。それで、彼らは捕まったんですか?」

「いいえ」

 羊太郎は怒りを堪えきれないと言う様に顔を顰めて言った。

「狡い奴らで、まだ逃げ遂せています。丁度瓦解の少し前で、世相もぐちゃぐちゃでしたし……それにその後、近辺で別のイカレ野郎が暴れ回ったこともあって、棟梁の事件はそのまま有耶無耶になっちまったんです。下手人は未だ行方知れずで、手掛かりもありません」

「そうですか……」

 行方知れず、という言葉が気になった。それは、捕まったという知らせも無ければ、のうのうと暮らしているという話も無いということか。彼らはその後、どうやって生活しているのだろう。気晴らしに雇い主を殺したところで、住処も仕事も戻っては来るまいに。それとも、あるいは。

 そこまで考えて、蛇介は再び虎丸に目を遣った。話の佳境は過ぎたせいか、虎丸はぼんやりと空を見つめていた。その様子を見て、蛇介は疑問を覚える。

「それで、なんで虎丸はここに居るんですか?」

 彼は、幸いにも、あるいは不幸にも、その事件を生き延びた。その話はそれでお終いだろう。そこには、蛇介の懸念した様な今に影響を及ぼしそうなことは無かった。無さ過ぎた。その話では、虎丸がその町を出て、この藤野屋に至る経緯が全く想像もつかない。

「それは、俺が聞きたい」

 羊太郎は声色を変えていった。

「虎坊。どうして、突然居なくなってしまったんですか。どうして、ずっと何の音沙汰もくれなかったんですか。どうして、帰って来てくれなかったんですか」

 虎丸は、その言葉に、ぼんやりと羊太郎の方に顔を向けた。

「それは……」

「あんなにボロボロだったのに、突然居なくなって……俺はてっきり、あんたは死んじまったんだと思ってたんだ。こうして生きていたのなら、せめて文くらいくれても良かったじゃないですか」

「……それは、俺は、あの町に居られなかったから」

「どうして……」

「二回目だったから」

虎丸が譫言のように言った。羊太郎は訝しげに眉を顰める。

「二回目?」

「いえ……母ちゃんたちが暮らしてたあの町に、俺が居る訳にはいかないと思ったんです。俺は、天狗の子ですから」

 虎丸の言葉に、羊太郎は酷く傷ついたような顔をして、顔を伏せた。

 それから、羊太郎は話を逸らす様に、蛇介に仕事の話を振って来た。その変化を奇妙に思いつつ、蛇介は羊太郎にまずは台所から、なるべく早く使えるようにして欲しいと話を進めた。その横で、虎丸は変らずぼんやりと呆けていて、龍之進は呑気に昼寝を始めていた。

 やがて食休みを兼ねた打ち合わせが終わり、四人は弁当箱を片付けて立ち上がる。そして、浜辺を引き返し、街道に戻る道すがら、小さな道祖神が目に留まった。虎丸がそれを見てふと言い出す。

「ああ、そうだ。少し残っちまった飯、お供えしていくか」

「ん? ああ、確かに、満腹だが捨てるのは勿体ねえし、良いんじゃねえか」

「あれか。藤野屋が無事に元通りになるよう祈るか?」

「どうなんだろ。道祖神って、旅の安全とかの神様だったと思うけど、そう言うのも聞いてくれんのかな」

「まあ、神様は神様だし、手でも合わせとけ。礼儀作法に則ったって、祈るのが俺らじゃ聞いてくれねえかもしれねえが」

「それは確かに」

 適当なことを言い合いながら、三人は道祖神にお供え物をして、手を合わせた。羊太郎はそんな三人の姿を、足を止めてつまらなそうに見ていた。その様子に、虎丸は彼を振り返って首を傾げた。

「羊太郎さんはお祈りしないんですか?」

「え? ああ、まあ」

「珍しいですね。羊太郎さん、すげえ信心深いのに。懐かしいな。前は、こう言うの見ると、一番に手を合わせてたでしょう」

「……やめたんです。そう言うの」

 羊太郎は目を逸らして、そっけなく言った。虎丸は、彼の顔をちらりと見たが、それ以上追及をしなかった。

 それから藤野屋三人組は、店の前で羊太郎と別れた。羊太郎は仕事仲間を集めに行くらしい。そうして、彼の姿がしっかり見えなくなるまで見送って、蛇介は虎丸の肩を叩いた。

「しんどかっただろ。悪かったな」

「いや、良いよ」

「しんどいついでに、もう一つ聞いていいか」

「駄目だって言っても、聞くだろ」

「ああ」

「なんだよ」

「お前が人斬りになったのって、復讐の為だったりする?」

 行方不明になった悪漢四人組は、努めてさりげなく聞いた蛇介の質問に、虎丸は目を細めて彼に向き直った。

「関係ねえだろ」

「関係ない? おいおい、誰が関係ないんだよ。ていうか、言ったろ。お前のこと、適当に放っておくと後から面倒なんだよ。あと、一狼の件といい、散々甘えておいて今更突き放せると思うなよ」

 蛇介が肩に置いた手に力を込めて追及すると、虎丸は困った様に、けれど、少しだけ笑って言った。

「違ぇよ。そういう意味じゃない。どんな理由だろうと、人殺しは人殺しだ。理由なんか、関係ねえだろ」

 そんな虎丸の言葉に、ここまで大人しく飯を食っては昼寝をして、全く事態に興味が無いように振舞っていた龍之進が、二人に近づいて来た。

「生き物は死ぬものだ。人間はそうではないが、生き物の大半は殺されて死ぬ。だから、生きているものが死ぬのは当たり前のことで、一つ一つの理由など、取り立てて知りたいと思わんのは確かだ。だが、お前が人を殺した理由は知らねばならん。それは、お前を知ることで、お前のことは知っておきたいからな」

 龍之進の相変わらずのあっけらかんとした物言いに背中を押され、蛇介も少し笑ってから、虎丸を説き伏せる様に言った。

「そうだよ。お前のことだから気になるんだ。知らない内に、何も出来ずに、良く分からない結果になること程、気持ちの悪いもんはねえからな。相乗りする相手のことは、なるべく知っておきてえだろ」

 二人の言葉を受けて、虎丸は少し迷ってから、けれど観念したように体の力を抜いた。

「そうだな。こんなのは、ただの言い訳で、それも自分勝手な訴えで、到底世間様にもお天道様にも閻魔様にも、申し開きにはならねえけど。お前らになら、言ってもいいのかもな」

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