ものうさ

「どういうことか、説明してもらえますね?」

 混乱から立ち直った羊太郎は、まず真っ先にそう言った。しかし、尋ねかけるような口調とは裏腹に、彼は蛇介と龍之進に対して、敵意も露だった。

 蛇介は、とりあえず外面の笑みは崩さぬまま、場を把握するために迅速に頭を回す。

 口ぶりから察するに、春日羊太郎は、虎丸の旧知だったのだろう。それはつまり、蛇介たちと兄弟を装うようになる以前の。だからこそ、羊太郎は蛇介と龍之進を警戒しているのだ。虎丸の本当の家族を知っているのなら、彼に兄が居ないことも知っているだろう。

 家族を偽って暮らしている。それだけで、如何わしさは満載だ。旧知の人物が、良くないことに巻き込まれているのかもしれないと危機感を抱くのは当然だろう。

 けれど、その程度のことなら、何とでも弁が立つ。虚実を入り混ぜて、幾らでもそれらしい言い訳は作れるだろう。

 だから問題はそこじゃない。

 蛇介は、ちらりと羊太郎の背後で、始終困り果てたような顔をしている虎丸に目を向けた。

 くすんだ金とも黄ばんだ銀とも言える変わった髪色に、虎模様のような刀傷を全身に負ったこの男。彼は、見た目だけは一風変った、けれど真面目で人のいい、ちょっと頑固な料理人、ではない。詐欺師と山賊の商売仲間は、人斬りだ。

 問題は、春日羊太郎が虎丸と、どの程度の知り合いなのかということだ。彼が何を知っているか、知らないかを把握しなければ、うっかりついた嘘が致命的なことになりかねない。

 ただ、今この瞬間この男が、警官を呼ぶでも逃げ出すでもなく、虎丸を心配する様な素振りを見せていることは、希望のある状況だ。少なくとも彼は、人斬りとしての虎丸を糾弾しようとする立場では無いらしい。

 ならば、今すぐとんずらをこく必要はない。蛇介は周囲に目を配る。幸い、人はまばらで、こちらに気を配っている者も居ない。

 そこまで一息に考えて、蛇介はもう一度、羊太郎の背後に目をくれた。今度は虎丸と視線が合う。虎丸は、蛇介の目配せに応えるように小さく頷くと、羊太郎の袖を引いて言った。

「羊太郎さん、俺から説明します。だから、一旦向こうに行きましょう。外ですけど、運び出した机や長椅子がありますから、そこで腰を落ち着けて。蛇介と、龍之進も」

「おう、そうだな」

 込み入った話になるだろうし、藤野屋三人組が兄弟でないことは、他の人物には知られたくない。場所を変えようとした虎丸の判断は正しい。そういう意味の同意も込めて、蛇介は、あえて大仰に頷いた。

「まあ、虎坊がそう言うなら」

 羊太郎は、やや不服そうに蛇介たちを睨んだが、虎丸の指図に従って彼の後に着いていった。彼らが店の裏手に回ったのを確かめて、蛇介は龍之進に話しかけた。

「いいか、とりあえず俺が探りを入れて、話を纏める。お前は、うっかり可笑しなことを言わない様に、なるべく黙ってろ」

「うむ、分かった。そう言うのはお前の得意分野だろうからな」

「おう。それでお前の苦手分野だろ」

「違いないな」

「まあ、なるたけ愛想良くしてろ。にこやかにしてるだけで、相手は油断する。とは言え、お前は常からそう表情が暗い方でもないし、黙ってさえいりゃ問題ねえだろ」

「うむ」

 そうして、少し遅れて蛇介と龍之進も、店の裏に回り込む。一匹、話に加わることのない一狼だけは、のんきに道端に丸まって、寝息を立てていた。


「すいません、茶でも出せたら良かったんですが、家がこの有様で」

「いえ、別にそんなのは良いですから」

 虎丸の謝罪を、半ば遮る様にして羊太郎は先を急かした。

「はい、ええっと、何から話せばいいかな……あの、こちらは羊太郎さんと言って……ああ、その前に、俺の継父が大工だって話はしたことがあったか」

 虎丸に言われて、蛇介は記憶を探る。

「ああ、そう言えば、この家を修理するときに言ってたかもな。そんなこと」

「そう、羊太郎さんは、俺の継父のお弟子さんだったんだ」

「へえ、お前の親父さん、弟子を持つような立場だったのか。大工のことは詳しくねえが、それって結構偉いんだよな」

 蛇介の問いに答えたのは、虎丸ではなく羊太郎だった。彼は、自慢する様な、あるいは蛇介の無知を責める様な口調で言った。

「結構どころじゃありませんよ。親方は要大工の棟梁だったんです。若い衆も大勢抱えてたし、要大工町の元締めだったんですから」

「そうなんだ。棟梁さんは要鉄丸さんって言って、すごい大工だったんだ。それで、羊太郎さんは棟梁さんの一番弟子で、若頭だったんだぞ」

 羊太郎の言葉に付け加える様に、虎丸もどこか誇らしげに言った。

「へえ、そりゃあ鉄丸さんって方も、羊太郎さんも立派な方なんですね。けど、継父ってことは、虎丸、お前の血の繋がった親父さんじゃないんだよな」

「おう。棟梁さんは母ちゃんの再婚相手だったんだ。向こうも奥さんを亡くしてて、母ちゃんは後妻だな。前にちょっと話したか、母ちゃんが山超えて奉公に言ってた話」

「ああ」

 龍之進が、思い出したように頷いた。黒豆の惨たらしい昔話の中に、そう言えばそんな話もあった。本題の方が重苦しくて、気にしていなかったが。

「その奉公先が、棟梁さんのお家だったんだ。それで、見染められて」

「へえ、玉の輿じゃねえか」

 蛇介の茶化しに、虎丸は困ったような苦笑を浮かべた。同じ言葉を当て擦られたことがありそうだった。蛇介はさっさと話しを変える。

「じゃあ、羊太郎さんは、それこそお前の兄替わりってとこか。義理の親父さんのお弟子さんだし」

「おう、そんな感じだ」

 しかし、そう屈託なく、どこか嬉しそうに答えた虎丸に反して、羊太郎は気まずげに目を伏せていた。蛇介はその反応がやけに目についた。先ほどまでの羊太郎の虎丸に対する態度を見るに、虎丸だけが一方的に懐いている訳ではないようだが、どうしたのだろう。

 しかしこれで、羊太郎がどういう立場なのかは凡そ分かった。人斬り仲間や悪党仲間という可能性はない。虎丸に対して心配そうな振舞を見ても、ただの兄替わり、親戚替わりと見てよさそうだ。

 しかし、そこで蛇介はふと違和感を抱いた。けれど、その違和感の正体を突き止める前に、今度は羊太郎の方から、会話が切り出される。

「それで、俺のことはそれ位でいいでしょう、虎坊。それより此奴等ですよ。此奴等は一体何なんですか。あんたに兄弟なんて居ないでしょう」

 その言葉に、また蛇介はおや? と思った。確かに虎丸に『兄』が居るのはおかしいだろう。しかし、虎丸は『妹』が居る、とは言っていなかっただろうか。何時だったか、化け猫の食い逃げを追っていた時に。

 まあ、言葉の綾かもしれないし、掘り下げても仕方ない。それより、さっさと弁明をして、身の潔白を装う方が先だ。

 蛇介はにっこりと殊更笑みを深くして、疚しいことなど何も無いというような表情を作った。

「疑われるのも当然です。本当の兄替わりの方を前に、取り繕う気もありません。私どもは、確かに虎丸……君とは、赤の他人です」

「で、ならなんで兄弟の振りなんてしてるんです?」

「はい、実は私と、そこの龍之進も血の繋がりはありません。三人とも他人同士です。そして、実は私と龍之進は身寄りのない身でして……。それで、行く宛ての無いもの同士、意気投合したんですよ。それに、何かと天涯孤独というのは、不便なものでしょう。まあ、その、痛くも無い腹を探られたり、家族の居る人と比べて信頼されにくかったり。そんな訳で、新天地でやって行くにあたって、兄弟と言う方便でも使おうかということになりましてね」

「ふうん……」

 羊太郎は、訝しむ様な調子ではあったが、思ったよりも素直に蛇介の言葉を受け入れたらしい。ある程度覚悟をしていた、重箱の隅を楊枝で穿る様な追及は無かった。それでも一応彼は、虎丸に向き直り、声を潜める様にして聞いた。

「虎坊、大丈夫ですか。本当の本当に、如何わしい奴らじゃないでしょうね」

「大丈夫ですよ」

「もしも脅されているとかなら、怖がらずに言ってくださいよ。その時は絶対に力になりますから」

「いいえ、そんな……二人とも、気のいい奴らですよ」

 虎丸は、羊太郎を宥める様に言った。

 しかし、そのやり取りを横で聞いていた蛇介は、内心、呆れた気持ちになった。じっとりと責めるような視線を送ると、虎丸は気が付いたのか、困ったように軽く笑う。

 全く、何が『気のいい奴ら』だ。

 羊太郎は、二人の人柄のことなんぞ聞いてはいない。彼が知りたいのは二人の身の上の確かさだ。けれど、そんな返答をしたら、なんだか人格が立派で、ならば来歴だってしっかりしていそうに聞こえる。しかも虎丸は、相手がそう受け取るだろうと承知の上で、あえて仕向けて応えたに違いないのだから、始末に悪い。

 とにかく、すっかり丸め込まれた羊太郎は、多少警戒の色は残しつつも、蛇介たちに向き直った。

「まあ、虎坊もあんたらに気を許している様だし……分かりました、そういう事なら。もう少し聞きたいはありますけど、それはおいおい。仕事を引き受けりゃ、嫌でも顔を会わせる回数は増えるし、話す機会もあるでしょう。それで、なんでしたっけ? 家の修理だったか」

 そうして、ようやく羊太郎を呼びつけた本来の目的に着手できた。蛇介は居住まいを正して彼に向き直る。

「ああ、はい。まあ、その、ご覧の通りの有様でして」

「なるほど。うん、こりゃあ確かに。けど、これは人手が必要だな」

「ああ、そうか。羊太郎さんは、流しの大工さんでしたものね……そうなると、やっぱり人足の宛は、俺らで付けた方が良いですか」

「いえ、確かに知らない土地ですし、連れもありませんが、横の繋がりがあるんで、何とかなりますよ。そこは任せてくれりゃあいいです」

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて。それで、料金はどうなりますかね」

「そうですねえ。俺らの日銭はともかく、材料のお代は量や相場にも寄るんで、今すぐには何とも……」

「ああ、それでしたら、知り合いの木こりが居るので、そちらに木材を売ってくれるよう話を付けておきます」

「ああ、そりゃ助かります。じゃあ、その辺はそっちで折衝お願いします」

「ええ、それじゃあ……」

 そうして、蛇介と羊太郎がてきぱきと話を進めていくのを見て、虎丸と龍之進はその場を離れる。そして、虎丸は羊太郎を遠目に振り返り、ぽつりと呟いた。

「羊太郎さんが現れた時は、ちょっと焦ったけど、何とか落ち着いて良かった」

 それを聞いて、龍之進は首を傾げる。

「良く分からんが、嬉しいものなのか?」

「何が?」

「いや、会いたいなら会いに行くものだろう。今まで会いに行かなかったのなら、会いたくなかったという事ではないのか? だから、会えて嬉しいものなのか?」

「ああ、そりゃ嬉しいよ。会いたくなかった訳じゃないし、どうしているのかはずっと気になってたから」

「なら、何故今の今まで会いに行かなかった? こうして偶然出会わなければ、二度と顔を会わさなかったかもしれんだろう」

 龍之進の質問に虎丸は、一瞬寂しそうな顔をした。そして、すぐに顔を伏せて、小さく言った。

「会わせる顔が、無かったんだよ」

 その時、昼寝を終えたのか、一狼がのそのそと顔を見せ、虎丸の足元に寄って来た。虎丸は、しゃがみこんで仔犬の頭を撫でる。そして、思い出したように言った。

「ああ、そうだ。そろそろ昼時だな。腹減ったか、一狼。飯はどうするかな」

「そうだな。警官どもの所に戻るか?」

「うーん、居候の上に、あんまり大飯食うのも申し訳ねえしな。それに、洗濯とかも残ってるし、近場で食えた方が良いと思うけど……その辺は、蛇介と相談した方が良いな」

「そうだな」

 そこに、話が一区切りしたのか、蛇介と羊太郎も近づいてくる。

「ああ、終わったのか?」

「軽くだけどな。詳しいところは、もう少ししっかり家を見てもらってからだ。けど、丁度昼飯時だし、先に食事をした方が良いだろ。これからお世話になる訳だし、折角だから一緒にどうかって話になったんだが、どうだ?」

「俺はもちろん。羊太郎さんと食事するなんて、随分ぶりだ」

「俺も構わんぞ」

「だそうです、羊太郎さん」

 虎丸と龍之進の了解を経て、蛇介は羊太郎を振り返る。

「ああ、じゃあ、すみません。お邪魔させてもらいます」

 羊太郎は、遠慮がちに額を掻きながら、三人の輪に加わろうと一歩前に進み出た。

 その時、突然、一狼が羊太郎に向かって牙を剥き、威嚇する様に唸り始めた。虎丸は、慌てて一狼を抱き上げて宥める。

「ど、どうどう。落ち着け、どうしたんだ? 一狼」

 蛇介も驚いた顔で仔犬を見つめる。

「珍しいな。俺らに対して凶暴なのはともかく、店の客とかには基本懐っこいのに」

「匂いかもな。大工は、色々特別な道具とか使うし、馴染みない匂いがして、びっくりしたのかも。すみません、羊太郎さん。うちの犬が」

 虎丸は恐縮して、頭を下げる。しかし、羊太郎は、気もそぞろに、軽く頷いただけだった。それから彼は、一狼を指さして訪ねた。

「その犬は……、あんた達の飼い犬、なんですか? 店で飼ってる?」

「ああ、そうです。まあ、店の犬って言うか、虎丸君の犬ですよ。この犬馬鹿が、どうしても飼うんだって一悶着あったばっかりです」

「でも、一狼は優秀な番犬だろ。蛇介だって認めてたじゃねえか」

 揶揄う様な蛇介の口調に、虎丸は唇を尖らせる。その様子を見ながら、羊太郎は呆けたような顔で言った。

「でも……でも虎坊。あんた、犬は嫌いだったんじゃないのか? 餓鬼の頃は、犬と見たらすっと居なくなっちまうから、俺はてっきり……」

「ああ、それは……俺があんまり可愛がると、犬に飛び火があるかもって思ってたんです。天狗の犬だって苛められたりしたら、可哀そうだから」

「ああ、そうか、そういう……そうですよね」

 虎丸の答えを聞いて、羊太郎は再び気まずげに言葉を濁した。

 薄暗い雰囲気になりかけたのを察して、蛇介は殊更明るい声を出す。

「じゃあ、飯にしましょうか。どうすっかな……。羊太郎さんは何がお好みです? 海鮮だったら、近場に漁師の奥さんがやってる美味い店がありますよ」

「ああ、はい。そうですね。せっかく海が近い街に来たんだし、良いかもしれません」

「じゃあ、権太の所にしよう。ああ、そうだ羊太郎さん、うちの事情は、どうかご内密に頼みます。街の人たちを騙している事には違いありませんが、こっちも必死に知恵を絞って生きてますので、御目溢しください」

 その蛇介の言葉に、ふと思いついたように龍之進が言う。

「虎、お前はどうするんだ?」

「どうするって? 俺も、一緒に食いに行こうと思ってるけど……」

「違う。これからも俺らと兄弟をやって行くのか、と言う事だ」

 龍之進の率直な言葉に、虎丸たちは言葉を失う。しかし、龍之進は彼らを置いてけぼりに、淡々と言葉を重ねる。

「俺には家族が居ないから良く分からんが、お前には家族が居て、会いたいと思うなら、この大工と一緒にそいつらの所に帰ったりはしないのか?」

 一番素早く我に返ったのは蛇介だった。彼は飛び掛かる様にして、龍之進の頭を叩く。

「お前、馬鹿!」

「なんだ? 突然」

「あの話しぶり聞いてりゃ分かるだろ! つうか、虎丸が母親や義父の近況を聞かない時点で察しろよ!」

「どういうことだ?」

「だから……」

 しかし、いきり立つ蛇介を制する様に、虎丸は二人に歩み寄った。

「悪ぃな、蛇介。気を使わせて。龍之進も、ありがとうな。お前に言われた通り、母ちゃん達には、何時だって会いたいよ。でも、もう会えないんだ。あの人達には、もう二度と……顔向けできないって言うのもあるけど……そうじゃなくて、もっと、どうしようもない理由で……」

 虎丸は、痛みを堪える様に顔を伏せた。彼の腕の中で、漸く大人しくなった一狼が居心地悪げに身じろぐ。そうして彼は、小さな声で言った。

「母ちゃんと、棟梁さんと……花ちゃんは、亡くなったんだ」

「全員か?」

「ああ」

 虎丸が告白した以上、これ以上龍之進を咎める必要は無いだろう。蛇介は、龍之進から一歩離れた。しかし、それは失策だったと、彼はすぐに後悔することになる。次の瞬間、龍之進はばっさりと言い放った。

「三人となると、そう立て続けに死ぬ人数ではないだろう。心中でもしたのか?」

 再び辺りが凍り付く。蛇介は言葉を探して何度か、口を開閉した後に、叫んだ。

「せめて事故とか言えよ!」

「ん? ああ、そうか。そういう事もあり得たな」

「お前……お前、本っ当にふざけんな。もうちょっと考えて喋れよ。つうか、犬の件じゃ、もうちょい気ぃ使えてただろ。それが今回はなんなんだ」

 蛇介に怒鳴られても、素知らぬ顔で龍之進は言う。

「今回はお前が使い物になるだろう。俺は気を回すのは得意ではないからな。お前に任せられるなら、わざわざ苦手なことはせん。本当に言ってはいけない事なら止めるだろう?」

「止められなかったところだが? 今まさに、止められなかったところなんだが? そういう事なら、言っても良いことかどうか、窺いを立てろ!」

 そんな蛇介たちの遣り取りを見て、虎丸は一つ息を吐く。緊張がほぐれた様な軽い呼吸の音に、硬直していた羊太郎も、瞬きを繰り返して漸く呆然自失から立ち直る。

 虎丸は、羊太郎に目を向けておずおずと尋ねた。

「羊太郎さん、良いですか」

「ええ。あんたが良いなら、俺が止めるのも違うでしょう」

 羊太郎の承諾を受けて、虎丸は蛇介と龍之進に向き直って言った。

「母ちゃんたちは事件に巻き込まれて、殺されたんだ」

 蛇介と龍之進は、目を丸くして顔を見合わせた。それは、人がいっぺんに無くなる理由としては、事故や自害とは全く毛色が異なる。

 虎丸の言葉に付け足すように、羊太郎が言った。

「あんたもでしょ、虎坊。あんたも巻き込まれて、酷い目に……」

「そうでしたね。でも、酷い目ったって、母ちゃんや、棟梁さんや、花ちゃんたちに比べれば……。俺は、こうして命だけは助かりましたし」

 羊太郎は、やりきれないと言う様に、目を固く結んでゆっくりと頭を振った。虎丸は言葉を続ける。

「そう、本当に酷い事件で……母ちゃんも、棟梁さんも、花ちゃんも、死んじまったんだ」

 そうして虎丸は、困った様な、疲れた様な、酷く儚い表情で笑った。

「それで、生き残ったのは、俺だけだった」

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