ほたるがり

「歯のある蛍?」

 蛇介は、目の前の警官が口にした突拍子もない言葉を、反復した。

 場所は神社の参道に設けた藤野屋の屋台。売り物は三色のおはぎだ。売れ行きは上々、見知った顔もちらほら買いに来て、昼を過ぎた頃には、双子の警官が予告通り顔を見せた。

そして、遅めの昼飯替わりにおはぎを頬張りながら、警官たちが話して聞かせてくれたのが、奇妙な蛍の話であった。

 亀蔵は、口に含んでいたおはぎを嚥下すると、頷いた。

「ええ、左様でございます。町中から、蛍に噛まれた、と通報が寄せられていまして」

「え? 虫って詳しくないんですけど、蛍って人を噛むんですか? 蚊とか蜂ならともかく、蛍で怪我をしたなんて、聞いたこと無いのですが」

 首を傾げる蛇介に、横から龍之進が口を挟む。

「噛むものか。奴らに口は無い。羽化した時点で、奴らの命は終わりに向かう。あとは子を残して死ぬだけだ。飯を食って生き永らえる必要がない」

「ふうん、儚いもんだな」

 蛇介が、蝉と言い蜻蛉と言い、夏の生き物の寿命は短いものだと、さして興味もなく思っていると、思いがけず亀蔵が身を乗り出してきた。

「ええ、龍之進さんの仰る通り、本来蛍には歯は無いはずなのです。彼らは、成虫になると口が小さくなり、水だけを飲んで生きます。ですから、光り始めると、そこから残りの寿命は、ほんの十日ほど」

「亀蔵さん、詳しいですね」

「ああ、申し訳ございません。お話が逸れてしまいましたね。つい、好きなものですから」

 ぼんやり顔に、やや含羞みを浮かべて、亀蔵は弁解をした。

「蛍が好きなんでしたっけ。そう言えば前も、蛍狩りの話をしてましたもんね」

「ええ。と言うよりも、虫は全般好きでございます。兄様には、ご理解いただけませんでしたけれど、百足など、美しゅうございませんかしら」

「……まあ、そういう価値観もあるでしょうね」

「食事中だぞ、亀蔵。止めないか」

 余程好きなのか、それまで黙々ときな粉のおはぎに専念していた鶴吉が、やっと口を開き眉を顰めて弟を諫める。なんだか同じ図を、龍之進と自分で演じた気がすると、蛇介は既視感を抱いた。

「ああ、これは失礼を。とにかく、左様な事情にございまして、あの蛍が新種の蛍なのか、あるいはよく似た別の虫なのかは分かりませんが、彼らは人を噛むそうなのです。ここ数日で、蛍に人が噛まれた、という報告が一度に寄せられまして」

「しかも、病でも持っているのか、噛まれたものは体調を崩すそうだ。中には、臥せっている者も、少なからず居るらしい」

 おはぎを食い終えた鶴吉が、弟の説明を引き継ぐ。

「ええっ、大丈夫なんですか?」

「うむ、私たちも詳しいことは分からんが、医者が言うには命に別状は無いらしい。軽い暑気中りのような症状らしく、暫く安静にしていれば良くなるだろうという話だが……しかし、もしものことがある。御前たちも、野外を出歩くときは、気を付けろ」

「これだけうようよいる中で、今更だろう」

 龍之進の言葉に、鶴吉が眉を顰める。間違ってはいないが、親切心で忠告に来て、こうばっさりと切り捨てられるのは、あんまりだろう。慌てて蛇介は龍之進を押しやり、取り繕う。

「おいこら、お前は黙ってろ。それなら、今まで噛まれなかったのは幸運ですね、気を付けます。言われてみれば、折角の祭りなのに、なんだか活気が少ないですね」

 街の住民の数を考えれば、もっとごった返しても良さそうなものなのに、路面の屋台に並ぶ人集りは祭りにしては心許ない。つまり蛍の影響かと、合点がいった。

「ええ、実際に被害に遭った人も多いうえに、怖がって家に閉じ籠る人も居るでしょうから。仕方のないことかしら……どんどん増えていますものね。最近は昼間でも、眼も眩まんばかりでございます。一つ二つほど飛び違うのならば風流でございますが、こうなって参りますと、美しさよりも怪しさの勝るものでございますね」

 亀蔵は、蛍の揺蕩う通りへ目を遣り、小さく息を吐く。龍之進も、彼の見つめる先へ視線を送り、言った。

「やはり、奴らは蛍ではないのではないか。蛍なら人を噛まんし、光り始めると短命だ。あの白いのにも言ったが、夏に遅れた生き残りどもだとしたら、時間と共に数を減らすはずだろう。だというのに、増えていくというのは奇怪だ」

「確かになぁ。子を為すにしたって、蛍の季節は年に一度。産んだ子供が大人になって光り始めるのは、次の夏なはずだもんな」

 龍之進の言葉に、蛇介は頷いた。しかし、その内容に、鶴吉が顔を上げる。

「待て、白いの、と言うのは万兎羽のことか?」

「え? ああ! すみません、うちの兄が、失礼な呼び方を……」

「それは良い。奴も、御前たちに随分不敬だった。自ら筋を通さず、こちらだけ敬ってもらえる道理は無かろう。それより、万兎羽に会ったのか? それは今日か?」

「いや、昨日の夜だ。この神社で、老人どもと何か話していたようだ」

 龍之進の返答に、鶴吉と亀蔵はお互いに首を捻った。

「昨日……夕暮れごろに突然居なくなった時か」

「あの子は全く夜遊び好きで、いささか心配です」

「夜遊びなら、まだいいのだが……奴め、最近様子がおかしいからな。神社などで、何をしていたと言うのだ」

「どうかしたんですか?」

「うむ……万兎羽のやつ、元から奔放で単独行動が多いのだが、ここ数日、何やら私たちに隠れて何かしているようでな。今朝も、勝手に見回りに出て、姿が見えん。肝試しまでには戻ると言伝があったが……」

「あの子も警官の端くれ。悪い事はしていないでしょうが、危険なことなどに巻き込まれているかもしれないと思うと、先達として気を揉むところでございます。もしも姿を見かけたら、私共に知らせていただけませんかしら」

「ええ、もちろん、構いません。ああ、でしたら、こちらからもお願いしていいですか?」

 双子の頼みに愛想よく頷いてから、不と蛇介は思い出して付け加えた。

「はい、私どもで力になれる事でしたら」

「実は、我が家も末の弟が家出中でして……こちらも見かけたら、ご一報いただけますか?」

「末の弟……虎丸さんですね。承知いたしました」

 亀蔵の承諾に合わせて、鶴吉も頷いた。

「うむ。私共はこれから、神主に話を聞きに行こうかと思う。藤野龍之進の言葉が本当ならば、万兎羽の行く先を知っているかもしれん。道すがら、弟御を見かけたら、御前たちが探していると伝えておこう」

「ありがとうございます。……それから、その時は、『きちんとお前の考えを聞きたい』と、お伝えください」

「? 良く分からんが、承った」

 そういうと、双子の警官は並び立って藤野屋の屋台を離れようと、踵を返した。そこでぽつりと鶴吉が呟く。

「蛍か、私はまだ一度も見たことが無いのだがな」

 蛍の飛び交う通りを見つめながらのそんな言葉に、亀蔵と龍之進、そして蛇介は彼に視線を集めた。

徐に蛇介が言う。

「ああ、実は私もなんですよ」

 亀蔵と龍之進は、顔を見合わせた。

 ややあって、亀蔵が口を開く。相変わらずのゆったりとした口調。しかし、普段の穏やかな声色に、少し真剣さを乗せたその声は、何処か彼の兄に似ていた。

「龍之進さん、一つお答えください。あの蛍の光の色は、何色に見えますか? 私には、眩い金色に見えます」

「黄緑だ。夏の柳か、春の萌黄を光らせればあの色だ。金と呼べなくも無いだろうが、俺はあの色を金とは呼ばん」

「左様でございますか……兄様」

「……なるほど、そういう事か。今も居るのか?」

「ええ、町中、一面でございます」

「由々しいな。随分と後手だ。手遅れでなければ良いが」

「万兎羽が何やら動いているのは、どうやらこの蛍に纏わることのようですね」

「全く、あの馬鹿め、勝手なことを。亀蔵、すぐに神官を問い詰めるぞ。何かしら、奴と通じているのは間違いなさそうだ」

 何やら自分を蚊帳の外に進んでいく会話に、蛇介が口を挟む。

「すみません、全く意味が分からないのですが、一体どういうことですか?」

 下手に出ているようで、有無を言わせぬ圧迫感が滲む声に、双子の警官は顔を見合わせる。それから鶴吉がため息を吐き、亀蔵が蛇介に向き直る。

「どうやら、歯のある蛍は、新種や別種の虫ではなく、ミケさんのお仲間のようです」

「つまり、妖怪の類ということだ」

 亀蔵の言葉を、龍之進が引き継ぐ。

「はあ……、どうしていきなりそんな話になったんです? 今の今まで、ただの虫だと思っていたんでしょう?」

 蛇介が怪訝そうに首を捻る。

「蛇介さんには、一度お話したことがございましたかしら。私の目は、少し人とは色の見え方が異なるようなのです」

「ああ……そう言えば、聞いたような気がします」

 言われてみれば、おぼろげに記憶がある。あれは、泥んこで声をかけてきた亀蔵を共同井戸に連れて行った時だった気がする。

「単に私の色への感性が変わっている、と言う場合も多いのですが」

「この前は、何というか黄海松茶と言うのか、本当に妙な色合いの手拭いを、綺麗だと言って買ってきたりしたからな」

「私は気に入っているのですけれど……ええ、しかし、その様に単に私の好みが独特だということが大半なのですが、時折、本当におかしな色が見えることがあるようなのです。大抵、眩いばかりの金色なのですが……」

「こいつの目に美しい金色に見えるものは、殆どが妖怪の類だ。ミケの時も、そうだったのだろう?」

「ええ、猫の姿の時は瞳が、大きく化けられた際には毛皮も」

 しかし、かわるがわるの双子の説明に、未だ納得がいかないように蛇介は食い下がる。

「けれど、だったら亀蔵さんは、うちの虎丸に初めて会った際にも、あいつの髪が金色で綺麗だとか言っていませんでしたか? うちの弟は妖怪じゃありませんよ」

「ええ、左様でございます。けれど虎丸さんの御髪は、蛇介さんや龍之進さん、権太さんにも、兄様にも、金色に見えるのですよね」

「ああ。綺麗だというのは弟の主観的な感想だが、私にも金色には見えた。見ようによっては、銀色のようにも見えるがな」

「私の目は、その点でややこしゅうございます。けれど問題は、私に金色に見えるものが、他の方にそう見えない時なのです」

「藤野蛇介、お前は巨大化したミケの毛皮が、金色に見えたか? 私には見えなかった」

 鶴吉に水を向けられて、蛇介は頭を捻ってみる。

正直、あの時は膨らんでいく獣と言う異常事態の印象が強すぎて、毛皮の色など注視していない。しかし、もしも金色だったというのなら、そんな特殊な色が、記憶に残っていない訳がない。取り立てて『何色の獣』と思わなかったということは、その毛皮は、自然に生きる獣の毛皮の色として、不自然なものでは無かったのだろう。

「いえ、私にも見えませんでした。瞳を金色だと思った記憶は、あるような気もしますが」

「そうだろう」

「けれど、今回はどうなんです? 蛍の色が黄緑か、金色かなんて、誤差じゃありませんか? それこそ、当人の印象と言うか、感性にもよるでしょうし、龍之進の見え方と異なっていたところで……」

「蛇介」

 なおも慎重な蛇介に、不意に横から龍之進が声をかけた。

「なんだよ」

 龍之進は、徐に近くの家の庇の辺りや、少し向こうの屋台の屋根の辺り、通りの向こうの方を順に指さす。

「あそこに大量に集っている。あそこには数匹疎らに、あっちにはうじゃうじゃと、蛍が飛んでいる」

「はあ? そんなのどこにも……」

「見えないのだな。つまり、そういう事だ」

 端的に諭されて、蛇介は言葉を呑む。彼の指示した先を何度見直しても、やはり何も見えない。漸く蛇介は、事態を飲み込んだ。

「分かったよ……全く、素っ頓狂すぎて眩暈がするが。流石に三回目だ、そろそろ慣れろってことだな。で、奴らが化け物の類で、噛まれた人が参ってるのもそのせいだとして、それと神社や後輩さんが、どう関わって来るんです?」

「あの子は、妙にお呪いなどに詳しいのです。私にこのお守りをくれたのも、あの子でした。あの子が私たちに黙って神社を訪う理由があるのなら、きっと何らか、妖怪や神仏に関わることだと思うのです。しかも、ちょうど今蛍が増えてきていることを関連付けて考えるのは、飛躍し過ぎかしら?」

「なるほど、それは確かにそうですね。……そうなると、朝からどこをほっつき歩いてんのか知らねえが、虎丸が心配だ。どこぞで蛍に噛まれて行き倒れていたら拙い。龍之進、あと在庫どれくらいだ?」

「残り十幾つと言うところだな」

「よし、出店は畳むぞ。あとは売り歩きで捌きつつ、虎丸を探す」

「うむ」

荷物を纏め始めた龍之進と蛇介に、鶴吉が尋ねる。

「もしも良ければだが、私たちと共に来ないか? 私たちはこのまま、先ほどの予定通り、神主に話を聞きに行こうと思う。蛍が人を害する以上、警官として退治も必要になろう。その際、事情に通じている御前たちの助力を仰げるのならば、願っても居ない。どうせ弟君を探し回ることになるなら、事のついでに頼めないか?」

 彼の提案を咀嚼し、蛇介は考える。まず真っ先に面倒だ、と思う。蛍の件は、藤野屋に一切関係がないし、断っても問題は無い。優先すべきは、店と虎丸のことだ。

しかし、もう一歩引いて考えてみると、怪しい蛍が飛び回っている状況は、自分たちに全く関係ないとも言えない。祭りの活気の無さを見ても分かるが、このまま蛍が蔓延り続ければ、店の客足にも影響しかねない。

それ以前に、いつ蛍の害がわが身に降りかからないとも限らない。しかもどうやら、肝心の蛍は、蛇介には見えないのだから、もしもの事態を避けようがない。

加えて考えるなら、この話を引き受ければ、警官たちの藤野屋に対する好感は増すだろう。藤野屋三人組は、全員脛に傷のある身。警官の懐に入り込んでおいて損は無い。

さらに言えば彼らは、妖怪などと言う頓珍漢な事情を共有できる数少ない人間だ。何故だかこの数カ月で、今までの人生で関りもしなかった厄介ごとに、既に三度も巻き込まれている。今後も無いとは言えないだろう。その時の為にも、頼れる相手は揃えておきたい。

ものの数瞬でそれだけ考えて、蛇介は頷いた。

「分かりました。ただ、荷物が多いままだと、返って足手纏いになるでしょうし、俺たちは一旦うちに帰って、荷物だ金だを片付けてきます。虎丸が帰ってきているかもしれませんし。道すがら、在庫も売り切って身軽になってから合流します」

「忝い。それでは、私たちは先に行って、話を聞いている。もしも話が早く終わっても、境内で待っていよう。行くぞ、亀蔵」

「はい」

 そう言って、鶴亀兄弟は身を翻して去って行った。

「蛇介、屋台はばらしたぞ」

「うお、早いな! よし、じゃあ、うちに向かうぞ!」

「ああ」

 そうして蛇介と龍之進が荷物を担いで歩き出すと、対して進みもしないうちに辺りからちらほら声が掛かる。

「あれ? 藤野屋さん、もう売切れちゃったの? 残念だなー」

「えー、嘘。今買いに行こうと思ってたところなのにー」

 店に来た覚えのある顔が、二人に近寄って来る。蛇介は、にっこりと接客用の笑顔で応じる。

「まだ少しなら余ってますよ。お買い上げになりますか?」

「うん、貰うよ。けど、どうして、もう店を畳んじゃったんだい?」

「もう残り少ないですし、あとは歩きながら売ろうかと思いましてね。私たちも祭りを楽しみたくて」

「なるほど。じゃあ、間に合ってよかったよ」

 そうして、数人からお代を受け取り、おはぎを手渡している様を見て、知らない顔も寄って来る。

「え? なになに? お兄さんたち、何かのお店なの?」

「おはぎ売りですよ。お一ついかがですか? 残り少ないので、お買い逃がしの無いように!」

「へえ、じゃあ、俺も一つ買っちゃおうかな?」

 そんなこんなで宣言通りに、蛇介は店につくまでの道のりで、残ったおはぎを完売させた。店に着き、空になった箱を洗い桶に沈めながら、龍之進はやや残念そうに言った。

「売れ残ったなら、俺が食おうと思ったのだがな。ずんだは、あと四つも残っていたのに、全部売れてしまった」

 蛇介は、そんな彼に呆れたように、台所の板間に荷物を降ろしてため息を吐いた。

「朝一個と、昼飯代わりに二つ、摘まみ食いしたろうが。さっさと虎丸連れて帰ってきて、また作って貰えよ」

「うむ、そうだな。しかし、お前は虎丸を心配するのだな。意外だ」

「はあ? なんでだよ」

「このまま虎丸が返ってこない方が、お前にとっては都合が良いのではないかと思ってな。損得勘定の上手いお前なら、このまま面倒な虎丸が居なくなって、別の料理人でも雇った方が、手間が無くていい、とでも言いそうな気がする」

「いや、そもそも、弟が行方不明なのに、知らないふりして新しい料理人を雇い始める兄貴とか、世間体がやばいだろ」

「だから、もしも虎丸が蛍に噛まれて死ねば、その世間体とやらは整うだろう。『仕方のないこと』に、なるのではないか?」

 龍之進の言葉に、蛇介は彼を睨みつけ、どすの利いた声を上げる。

「くだらねえ所だけ頭が回るな。そろそろ笑えねえぞ、何ふざけてんだ」

「うむ、朝のお前の態度が気になっている。いや、それ以前に、昨夜のお前の態度も、らしくない気がする。お前の得意技は人を利用することだろう? もともと詐欺師なのだし、俺や虎丸のことも、裏切ったり切り捨てたりしそうなものだが、意外にもそんなことは無いのだな、と思ったまでだ」

 しかし、全く脅された様子もなく、あっけらかんと言う龍之進に蛇介は、拍子抜けする。けれど、こちらを見返す龍之進の底知れない瞳に、己の真意を見定めようとするような気配を感じ、蛇介は頭を掻いた。龍之進は短絡的に見えて、意外と理由や整合性を重んじる男だ。きちんと答えないと、後々面倒になる。

「……そりゃあな、俺は他人のことなんざ、金の生る木か、生った金をとる道具ぐらいにしか思わねえ質だがな。身内のことくらいは、ちゃんと人として扱うんだよ」

「身内……昨日も言っていたな」

「俺は、共犯者なんて作るのは初めてなんだ。手駒や手下は居たけどな。一応こっちとしては、心機一転やって行こうと思って、お前らとつるんだ訳だから、それなりに縁は感じてるっつうか……。そもそも、虎丸は無駄口も少ねえし、仕事もできるし、気もきく。頑固すぎるのは玉に瑕だが、一緒に居て不愉快な相手じゃねえ。とにかく俺は、余所者意識も強いが、身内意識も強いんだよ」

「ふむ。言われてみれば、この店を『うち』と呼ぶ回数は、お前が一番多い気がする」

「そうか? それは気にしたことが無かったが……」

「蛇介、お前には家族が居るのか?」

「急になんだよ。まあ、喧しいのが一人居るけど」

「俺にはそれが無いから、身内というのは良く分からん感覚だ。だが、他人と違うものと言うのなら、俺にとっても、お前と虎丸は身内と呼べるものなのだろう。俺は、お前たちのために怒るべきだと思うことがあるからな。そして今も、俺は虎丸やお前を、心配するべきだと思っている。べきだ、という気持ちは、そうであって欲しいという気持ちのことだ。俺はお前たちを、心配したいと思っている」

「情緒学びたての獣か、お前は。そこまで来て『心配している』とは言えねえのかよ」

「うむ、なんとなく分かった。腑に落ちた。お前は俺たちを気に入っているのだな。そして、どうやら俺もお前たちを気に入っているし、虎丸も俺たちを気に入っている」

 龍之進の総括に蛇介は気まずそうに唇を尖らせ、呻くように言った。

「……まあ、間違っちゃいねえけど」

「うむ、よし。ならば、虎丸が蛍に噛まれる前に、捕まえに行くぞ。蛍狩りだ」

 自分たちが台所でそんな会話をしている丁度その時に、すれ違うように真っ白な髪と金色の髪をした二人組が、藤野屋の前を通り過ぎ山に向かって行ったことを、二人は知る由もない。


 日が傾きはじめ、日差しの色が禍々しい赤色を帯び始める頃合い。草木の影が、不気味に長く伸びていく山道に、土御門万兎羽と藤野虎丸は踏み入った。

 祭りの町をさておいてまで、暗くなっていく山を歩こうという人間はそうそう居ない。人の気配も明かりもない道は、薄暗く、酷く心許ない。祭囃子さえ、遠ざかり掠れて、気味が悪いものに感じられる。

「と言う訳で、あの蛍は何やら怪しいもの類で、人に噛みついては、体力気力を奪ってくみたい。俺はあの神主どもから、何とかして欲しいって頼まれたの。何やら昔の伝承に乗っている怪事で、原因はあの山の古寺だって分かってるらしいから、そこに行って適当なお呪いでもしようって訳。ただ、これが一人じゃできないから、もう一人人手が欲しかったんだよ」

 万兎羽は、ここまでの道のりで虎丸に細かく聞かせていた、蛍についての事情をそう締めくくる。そして、何か質問でもあるか? とでも言うように、虎丸に流し目を寄越した。虎丸は、その目つきに、懐いていた疑問を投げかける。

「お前、俺が妖怪のことを知ってるって、知ってたのか?」

「鶴ちゃん先輩、亀ちゃん先輩から聞いてるよ。そういう事象には、俺の方が詳しいし、先輩たちの方から相談してくれるから」

「そうなんだ……。神官の人もお前を頼るくらいだし、お前はそういうのに造詣が深いんだな」

「まあねー。詳しくなりたくて詳しくなった訳じゃないけどね。お家柄、仕方なく」

「けど、俺は確かに、今回を含めて三回くらい、妖怪がらみの事件に巻き込まれてるけど、妖怪自体には全く詳しくねえぞ。有名なおとぎ話については、知ってるくらいで、一緒に呪いを遣れって言われても、力になれるかどうか」

「ああ、いいんだよ。別に、ずぶの素人に術を担わせようなんて程、俺も馬鹿じゃない。君はただの数合わせ兼、小間使い。やって欲しいことがあったら、指示を出すから、黙って従ってくれればいいよ」

「偉そうだな……。まあ、街の人や、藤野屋の為になるって言うなら、良いけどよ」

「君、変な人に騙されて、あっさり殺されそうな性格してるね。まあ、俺としては、そんな未来は大歓迎だけど。知らない人に、高圧的に命令されたり、ご兄弟をダシにされたら、大人しく従うと良いよ。骨は拾ってあげるから」

「古今稀に聞く忠告だな」

 一貫して、軽快でありながら毒の強い万兎羽の態度に、虎丸は呆れたようにため息を吐く。そうして、ふと下げた虎丸の視線の先に、一歩前を行く万兎羽の洋袴の隠しに差し入れられた右手が映りこむ。それを見て、虎丸は少し前から気になっていたことを、おずおずと口にした。

「俺を小間使いに選んだのは、お前の右腕に関係があるのか?」

「は?」

 唐突な問いに、万兎羽は間の抜けた声を上げて、虎丸を振り返る。そして、彼の視線が自分の右腕に注がれていることに気づいて、不機嫌そうに眉を顰めた。

「……なんでそう思ったの?」

「いや、暫く一緒に居るのに、お前、右手を全然使わねえなって思って……。隠しからほとんど手ぇ出さないし、身振りとか手ぶりも左手だけだし。それに、この前路地裏で会った時……あの、えっと、その、女の人に手を引かれた時、顔顰めてたから。最初は、あの、ああいう所を見られて気まずいからかと思ったけど、それにしてはちょっと変だったかもって、後から」

 当時の居たたまれなさを思い出してか、やや歯切れの悪くなった虎丸を、万兎羽は鼻で笑う。

「君、青いねぇ」

「と、とにかく、怪我でもしてるから、力仕事に俺を選んだのかと思ったんだよ」

「妙に聡くて気味が悪いなあ」

「けど、大丈夫なのか? 治ってねえなら、あんまり動き回らねえほうが、良いんじゃねえのか?」

「怪我って言うか、まあ……ちょっとした古傷だし、もう治ってるから。野郎に心配されても、微塵も嬉しくないし、気にしなくて良いよ。俺のことを心配していいのは、可愛くて綺麗な女の子だけ」

 そう言って、今日初めて万兎羽は右手を隠しから出し、軽く振ってみせた。

「……分かったよ」

 虎丸のその言葉を境に、会話は途切れる。黙々と進んでいく二人を取り巻く環境は、木々が増え、傾斜が増し、山道が深まっていく。日は一層傾き、伸びた影は絡まって、闇が濃くなっていく。

 ふと、木々の群れを縫うように、一匹の蛍が現れた。それを見て、万兎羽は足を止める。先を行く彼が急に立ち留まったため、虎丸は、勢い余ってその背中にぶつかりかけた。

「なんだ? どうかしたのか」

 肩越しに、彼の見たものを自分も確認しようと覗き込んだ虎丸も、蛍を目撃する。

 その瞬間、奇妙なことだが虎丸は、『目が合った』と感じた。蛍は暗闇の中では、ただの緑の小さな光で、虫その物の姿さえきちんと見えはしないのに、それでもなぜか『その光が自分たちを認識した』と直感的に感じられた。

 そして、それは間違っていなかったのだろう。光の色が、醜く濁った朱色に染まる。

「な、なんだ? 警戒色? 蛍って、怒ると赤くなったりするのか?」

 戸惑う虎丸に、万兎羽がぴしゃりと言い放つ。

「する訳ないじゃん、馬鹿じゃないの? とにかく、最初の指示だよ。今から、絶対に会話を途絶えさせないで。俺の言葉に内容のある返事をし続けて」

「え、どうして?」

「お呪いだよ、気休めだけどね。本当はしりとりとかが良いんだけど、君とそんな児戯に興じるとか、悪い冗談だし。この際、単なる会話でいいよ」

「会話が続いていると、何かいいことがあるのか? 会話を続けた所で、お前と仲良くなれる気はしねえけど」

「俺だって、君と仲良くなる気は絶無だよ。そんな呪いがあったとしたら、君じゃなくて女の子に使う。会話が続いていると、簡易の魔除けになるんだよ」

「妖怪が気を使って、静かにしててくれるってことか?」

「君の妖怪の想像図ってどうなってんの? そんな意思疎通ができる認識? 妖怪なんてあやふやなもので、そこに意図や自我なんてないよ。あやふやだからこそ、何かに集中している人間の気を引くほどの力は無いの」

「そ、そういうものなのか。意思疎通は、できるのとできないのが居るんだな。でも、なんで急に、そんな魔除けをしなきゃならないんだ?」

 真っ赤な蛍は、二人の周りを揺蕩う様に飛んでいる。それは、虫の動きにしてはどこか不自然で、二人を観察する様だった。

「決まってるでしょ、まさにそのあやふやな物が襲ってきてるからだよ」

 そう言った瞬間、真っ赤な蛍が飛び掛かる様に虎丸に突っ込んでくる。

「早く! 何でもいいから、なにか喋って!」

「え、じゃ、じゃあ、犬! 犬は好きか?」

 虎丸がそう答えた瞬間、ばちりと大きな音がして、目の前で叩き落されたかのように蛍が地に落ちる。

「別に、嫌いじゃないけど、どっちかって言うと猫派」

「猫……亀蔵さんも好きだったよな。じゃなくて! い、今のは何だったんだ?」

「さあ? 急に方向感覚でも失ったんじゃない? 夏の虫は、火に飛び込むために生きてるようなものだし、墜落先が炎か地面かなんて微々たる差でしょ」

「お前、人だけじゃなくて、虫にまで冷たいんだな。魔除けの効果、なのか? でも、本当に叩き落しちまうほど効果があるなら、もう、お呪いじゃなくて、呪術の類なんじゃ……」

「止めてよ、君と一緒にしないで」

 その万兎羽の返事には、強い拒絶が感じられた。彼の言葉には、常に悪意が含まれているが、今回ばかりは悪意や揶揄いを超えた、純粋な嫌悪が込められている。言い分を考えれば、虎丸は怒り返しても良かったのかもしれない。けれど、その端的で突き放すような言葉に、虎丸が返せたのは、一言呆然とした謝罪だけだった。

「ご、ごめん」

 万兎羽は、虎丸から目を逸らし、再び先に進み始める。

 虎丸は、慌ててその後を追いながら、ふと振り返る。地面に落ちたはずの蛍の光は消えていた。蛍が死んだのだろうか。それとも、魔除けの力に充てられて魔物が消えたのだろうか。薄暗くなった山道で、蛍の死骸が残っているかどうかは、遠目では分からない。

 引き返して、きちんと確認したい気もする。しかし、振り向きもせず進んでいく万兎羽は、それを許すことは無さそうだ。

 そこまで考えて、虎丸は疑問に思う。

 いや、彼の許可が居るのか? 虎丸は、ただ手伝いでついて来ただけだ。それも、誰に頼まれたかと言えば、万兎羽自身にであって、他の誰か虎丸に命令できる立場のものに義務を課された訳じゃない。彼の態度が不愉快だからという理由で、このまま踵を返しても、誰にも咎められないはずだ。

 そんな思いに、半歩歩調を遅らせた虎丸を絡め捕る様に、万兎羽が振り向いた。

「呪術や魔術なんて、そんなものに本当に効果があると思うの? そんなのは全部まやかしで、単なる気休めのお呪いなんだよ」

 深まっていく暗さに反する様な真っ白な髪。整った造形をあえて醜く崩すような薄笑い。そして、靄がかかった様に怪しく濁った不思議な色の瞳が、虎丸に焦点を当てる。

「そして、妖怪も、幽霊も、そうあるべきだ。気休めのお呪いでどうにかなる程度の、あやふやな気のせい『じゃなきゃいけない』。人を惑わし、脅かすような力は奴らには無い。あっちゃいけない」

 彼の瞳の靄の奥に、酷く不気味な明かりが灯ったような気がする。霧の中に燃える火のような、怪しくぶれ、拡散する光。人の目が光る筈はなく、それこそ気のせいに違いないのに、その光に目を凝らさずにはいられない。

「気休めを続けようか。君、ご兄弟と喧嘩してるんだってね。ご兄弟って呼ぶのも失礼か。君たちは、血なんか繋がっちゃいないんだから」

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