おさそい

「嘘だろ、あの野郎どこ行きやがった!」

 翌朝、蛇介の大声で龍之進は目を覚ます。体を起こして左右を見ると、既に虎丸も蛇介も居らず、二つの畳まれた布団あるだけだ。

 龍之進が、階下に降りると、蛇介が頭を抱えて蹲っていた。

「虎丸が居ないのか?」

「ああ、起きたら居なかった。探してみたがどこにも居ねえ。草履も無くなってるし、出かけやがったみてえだ」

「お前が気付かなかったのは不思議だな。お前は寝汚いが、気配には敏感だろう?」

「おう。けどまあ、まさか逃げるとは思わなかったし、殊更警戒してた訳でもねえからな。向こうが、その気でこそこそ出て行ったら、気づかねえよ」

「それもそうだな。しかし、今日は祭りだろう? おはぎはどうするんだ? ずんだは?」

 龍之進の問いに、蛇介はため息を吐いて、台所を指し示した。促されるままに、龍之進は台所の暖簾を潜る。そこには、まだ出来立てで温かい三色のおはぎが、きっちり木箱の中に並んでいる。

「作ってから出かけたのか?」

「なんなんだよ、あいつ。怒ってんのか怒ってねえのか、何をしてえのか、全く訳が分からねえ」

 蛇介が吐き捨てるように言う。

「あいつも、迷っているのかもしれん。あいつにとって、あの犬は慰みだ。だが、あいつにとって、お前の嘘も大切なものだった」

 龍之進の言葉に、蛇介は口を尖らせて呟いた。

「ったく、喋らせろよ。会話が出来ねえと、騙くらかしようも、絆かしようもねえだろうが」

「またあいつを騙すのか?」

「騙さねえけど……話せなきゃ、どうしようもねえだろ。俺の取り得は口なんだから」

 蛇介は、戸棚に並んだ三つの茶碗を恨めしそうに見遣った。不言色の茶碗が、彼の言葉を黙殺するようだった。

「……もう行って屋台を組まなきゃ、祭りの始まりに間に合わねえけど……あいつ、探しに行かなきゃいけねえと思う? ……連れ戻さなきゃ、これっきりになるかも、しれねえか?」

 蛇介が龍之進に意見を仰いだことなど珍しい。龍之進は緑色のおはぎを一つ取り上げ、彼の問いに答えた。

「分からん。探しに行った方が良い様な気もするし、暫く一人にした方が良い様な気もする」

「なんだよ、あてにならねえな」

「だが、あいつは多分、自分で戻ってくると思う。あいつがこれを作って行ったなら、それはあいつが、この店の今後を、少なくとも、どうでもいいとは思っていないということだろう」

「けど、これを置き土産に、出ていくつもりかもしれねえじゃねえか」

「蛇介、お前は料理が下手だな」

「急に話を変えんな。しかもなんだ? 喧嘩売ってんのか?」

「俺もお前より多少はましだが、どうやら客に出せるものでは無いらしい」

「……? まあ、平気で毒物を混ぜるからな」

「虎丸が居なければ、藤野屋はやっていけん。それは、台所に立つ彼奴が一番、分かっているだろう」

 龍之進は、ずんだのおはぎを頬張った。

「おい! それ売りもん!」

「あいつが出て行ってしまえば藤野屋はそれまでだ。本当に出ていくつもりなら、それはあいつが、藤野屋が潰れるのも止む無しと思ったということで、それなら、こんな置き土産は無用の長物だ」

 ずんだの餡は、砂糖を抑えた、みりん入りの味付け。控えめな甘さの、虎丸の味だった。

「とりあえず、これを売らねばならんだろう。虎丸も、そのために作ったのだろうし。さっさと売り切って、それから探しに行けば程よいだろう」

「楽観的だな」

「布団も寝間着も畳んであったし、財布はお前の預かりだ。家出にしては帰ってくる準備が整っていて、出ていく準備はお粗末だ。それに、あいつはこの街と、お前の嘘を気に入っている。そう気に病むことは無かろう」

「まあ、布団と財布のことは、確かに……」

「そもそも犬殺しが本気で許せんのなら、俺たちは今朝起きることも無かっただろう。寝首を搔かれて、それまでだ」

「え? ああ、そうか、そういう事もあり得たのか……」

 龍之進の言葉に、蛇介がさっと青褪める。

「なんだ? 昨日の時点で覚悟の上ではなかったのか?」

「そんな覚悟で寝やしねえよ」

「人殺しと、同じ屋根の下で眠るのにか?」

 龍之進の言葉に、蛇介は彼を見返した。その表情には、既に一瞬前の動揺は無くなっていた。洞の様に底知れない龍之進の瞳に、蛇のように抜け目のない蛇介の眼光が映りこむ。彼は、思い出したように笑った。

「……ああ、そういう覚悟なら、てめえ等と出会った時点で決めてたわ」

 そういうと、蛇介は屋台の骨組みを担ぎ上げる。

「そうだな、さっさと必要な分を売り上げて、あいつを迎えに行って……そしたら夜の肝試しで金一封だ」

 早朝の街の片隅、小さな茶屋の台所。山賊と詐欺師のそんな会話は誰も知ることは無く、一刻もしたころには、街は祭囃子に賑わい始める。


「……なんで化け物が神域に居る訳? ちょっとは弁えろよ」

 祭りも抱か場に差し掛かった頃の境内。屋台の並びから少し外れた、摂社裏の林に佇んでいた虎丸に、剣呑な声が掛かる。虎丸は振り返り、雪のように白い髪をした男に言い返す。

「……ここ、教えてくれたのお前だろ」

「入り浸れって言った覚えはないけど?」

 鶴亀兄弟の後輩警官、土御門万兎羽は、厭味ったらしくそう答えた。

「ここ、気に入ったんだよ。狛犬も絵馬も狼だし」

 虎丸は、摂社の小さな社に備えられた、陶器の犬の置物を見て、目を細めた。

「そりゃ、真神神社だからね。分霊とは言え」

「……? 真神神社と狼って、関係あるのか?」

「犬好きなのに知らないの? 大口真神って言や、狼の神様で有名じゃない」

「へえ、そうなんだ、詳しいな……あれ? 俺、犬が好きだって、お前に言ったっけか?」

「いや、好きでもないもの探し回って、好きでもないのに狛犬を見に来てるんだとしたら、気持ち悪いんだけど」

「それはそうだな」

「ていうか、本当に何してんの? 例の蛍まで食べちゃうような、意地汚い犬は見つかったの?」

「……見つかってねえ」

「ふうん」

「……もう、見つからねえかも、しれねえ」

「なんで?」

 どうせ聞き流されるだろうと思った独り言に返事があって、虎丸はぱちりと目を瞬いて、万兎羽を見た。彼はただ、にやついているようにも、見下しているようにも見える得体のしれない表情で、見返してくるだけだった。虎丸は、恐る恐る口を開く。

「……死んじまってるかも、しれねえんだって」

「へえ、だとしたら困るなあ」

「困る? なんでお前が?」

「んー、言葉の綾っていうか、こっちの話。あ、ねえねえ、一人でこんな所に居るってことは、君今、暇?」

「え? ああ、まあ、俺の仕事は飯づくりで、屋台の方は多分龍之進と……蛇介が、やってくれると思うから」

「じゃあ、丁度いいや」

 虎丸の答えを聞いて、万兎羽はにっこりと笑った。爽やかなその笑顔は、整った造形を存分に際立てるほど美しかったが、何処かぞっとするものがあった。

「ちょっと俺の仕事、手伝ってくれない?」

「は?」

 虎丸は、一拍置いて、辺りを見渡す。林に囲まれた小さな社と、僅かに敷かれた石畳だけの、こじんまりとした空間。何処を探しても、その誘いを向けられている相手は虎丸以外に居ない。

「……お、俺に言ってんのか?」

「この状況でそれ以外があると思うなら、君の気が狂ってるのか、それとも君にしか見えない何かが居るかだね。何? 化け物仲間でも居るっての? 化け物の目に何が見えてるかとか、微塵も興味ないんだけど」

 万兎羽の言葉に、虎丸の脳裏に黒い仔犬の死骸が過ぎる。小さな躯を、貫く程に強く打ちつけられた杭、ぼろ板に殴り書かれた悪意。『化け物の犬』

 虎丸は顔を伏せ、絞り出すように言った。

「……俺は、化け物じゃ、ない」

「あっそ」

 万兎羽は、気のない相槌を打っただけだった。俯いた虎丸は、彼の表情を見ることは無い。色褪せた金色の旋毛を見下ろすその瞳は、言葉の軽さに反して、鈍重に濁っていた。

 瞬きを一つして、暗い色を瞳の奥に隠すと、万兎羽は言った。

「で? 断らないよね? 暇って言ったもんね」

「いや、なんで俺……? だってお前、俺のこと嫌いだろ」

「だからだよ。鶴ちゃん先輩や亀ちゃん先輩には、こんなこと頼めないから」

「こんなことって……」

「君みたいな、どうでもいい子だから頼めるって言うか」

「どうでもいい……いや、お前の場合、どうでもよくないって思われてても怖いけど」

「むしろ、君に迷惑かけるのは、俺にとっては万々歳って言うか」

「嫌がらせじゃねえか」

「まあ、嫌がらせだけど、困ってるのは本当だし。ほら、人助けだと思ってさ」

「いや、俺もお前のこと好きじゃねえし、お前を助けたいって、そこまで思えないって言うか」

「多少なりとも思ってる辺り、馬鹿が付くお人好しだよね。使い勝手が良さそうで助かるよ」

「お前、俺に助けて欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだよ」

「でも、君にも関係のある話だよ。君って言うか、君の家って言うか、藤野屋にさ」

 万兎羽の挙げた店の名に、虎丸は顔を上げた。ぱちりと二人の目が合う。正面から、こんなにしっかり人の目を覗くことはあまり無い

「それに、結構困っている人いっぱい居るんだよ」

 万兎羽の瞳には、靄がかかった様な怪しい揺らめきがあり、得体が知れない。そして何故だか、目を逸らせない引力がある。

「町中の人が困ってるんだ。それを解決するために、君にできることがあるんだよ」

 彼の目を見ていると、背筋を通して、何かが吸い取られていくようだった。抜かれていくそれは、あるいは意志や思考のようなものかもしれない。錯覚だろうが、頭がぼんやりとしていく。

「手伝ってくれるよね?」

「ああ」

 気づいた時には、虎丸はまるで当然そうなるべきだったかの様に、諾の返事を零していた。

「あれ、なんで俺……」

虎丸は、言ってしまってから、慌てて確かめるように口を触る。そんな彼に取り合うことも無く、万兎羽は続ける。

「助かるよ。まあ、君に助けられたって思うのはむかつくから、お礼は言わないけど」

「いや、言えよ。俺は良いけど……他人にやったら、嫌みとかじゃなくて、ただただ失礼だからな」

「止めてよ、鶴ちゃん先輩みたいな説教とか」

「やっぱり言われてんだな。まあ、引き受けたからには、手伝うけど。どんな仕事なんだ? 警官の仕事か? 藤野屋に関係があるって……また何かの事件か?」

「ううん、俺個人の専門。生臭どもの後始末」

「後始末?」

「そう。ほら、今町中に蛍があふれてるじゃん?」

「ああ、そうだな。そう言えば……あれ、あんなに沢山居るのに、境内では見てない様な気がする」

「そうだねー、神域だから弁えてる。とにかく、あの蛍、何処から湧いてきてるか分かる?」

「いや、いつの間にか、見かけるなって思ってたけど……」

 万兎羽は突然、虎丸を指さし、言った。

「山」

「え?」

「奴らは山から降りてきてるんだ」

 虎丸は、振り向いた。背後には雑木林が広がっているだけだ。しかし、その木々の群れを通り越して、その方向を辿って行けば藤野屋があり、その向こうには尾根がある。

「ね、関係ない話じゃないでしょ? 一番近いのは藤野屋だもの」

 万兎羽は、怪しい瞳を細めて言った。

「歯のある蛍の退治依頼、頑張ろうね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る