ばんがい『としのせ』

 師走の町に、木枯らしが吹き抜ける。

 藤野屋でも事始めに煤払いを終え、門松を立てた。町を挙げての煤払いは賑やかで、あちらこちらで、炭に塗れて真っ黒けになった町人たちが駆け回っていた。

 もう家の垣根も無い様なもので、隣の家まで掃除に出向くものも多く、人波の合間に警官三人組の姿もちらほら伺えた。どうやら、どんちゃん騒ぎの後始末がてら、掃除の手伝いもしているようで、引っ張りだこにされて忙しそうな姿を見かけては、藤野屋の三人は笑みを堪えきれなかった。

 しかし、藤野屋が鯨汁を振舞う頃には、ちゃっかり揃って相伴に預かりに来る辺りが、どうにも憎めない警官たちだった。


 煤払いが終わると、今度は金の始末に追われることになる。

 藤野屋でも仕入先につけた支払いの清算のため、蛇介が算盤を前に唸る姿がしばしば見られた。

 そうして、何とか金の工面を付けると、三人揃って得意先に歳暮を持って赴いた。お返しとばかりに貰った干し物や魚を前に、食費が浮くと蛇介の機嫌も持ち直す。権太などは丁度揚がったのだという鯛をくれたので、塩漬けにして正月まで取っておこうと、三人で盛り上がったりした。


 また、餅つきが盛んになるころには、力持ちの龍之進は有難がれ、引きずり餅の一行に加わったり、餅つきの助っ人に呼ばれたりして、小金を稼いで来たりした。また、賄で餅をしこたま貰ってきたので、虎丸はそれを磯部や餡子でくるんでやった。軒先に三人並んで、餅を咥えて伸ばしていると、その姿があまりに間抜けで思わず笑えて来るものだ。

 余った餅を丸めて鏡餅を作り、歳の市でしめ縄飾りなんかも調達して、年始の用意も整った。


 冬至には南瓜入りのぜんざいを作って、一日限りで品目に加えたが、これがまたよく売れて蛇介はほくほく顔だった。他にも虎丸が、蓮根と人参の煮物や、金柑の甘露煮なんかを作ったりしたので、美味い物をたらふく食った龍之進も満足げだった。

 夜には、虎丸が貰ってきた柚子を風呂桶に投げ込んで、龍之進がそれに気づかず潰してしまい、最後に風呂に入った蛇介が悲鳴を上げることになった。


 そうして大晦日に向けた用意も終わり、師走の駆け足も落ち着いた夜、三人は炬燵でぬくぬくと暖を取っていた。

 蛇介は名前に恥じずに寒がりらしく、冬が深まるころに一っ走りして長火鉢と小さな陶器の火鉢を買い込んできた。守銭奴の彼にしては吟味もへったくれもない出費に、虎丸と龍之進は顔を見合わせたりしたものだが、これがなかなか重宝したもので、冬の間は世話になりっぱなしだった。

 余談だが、この炬燵は、龍之進と虎丸が木組みを作り、布団を被せて陶器の火鉢を突っ込んだものだが、蛇介がすっかりそれを気に入り、なかなか出て来なくなってしまったので、仕方なく解体して封印していたのだった。しかし、年の暮れになって、仕事も落ち着いて来たので、そろそろ良いだろうと再び組み立てた。するとたちまち、蛇介が吸い込まれていった。

 幸い、龍之進が木こりの冬支度を手伝ったお礼に、山ほど炭を貰って来たので、火のもとにも困らない。そう言う訳で三人は、炬燵にすっぽり嵌ったまま、長火鉢で餅や田楽を炙り、夜を更かしていた。

 ふと龍之進が窓の戸を引いた。吹き込んできた隙間風に、蛇介が不愉快そうな声を上げて炬燵の中に引っ込んでいく。

「おお、何やら音がすると思ったら。見ろ、雪だぞ」

 龍之進の言う通り、窓の外にはちらちらと光の粉の様に暗い町に降ってくる白い雪が見えた。虎丸が感嘆の息を吐く。

「本当だ。道理で冷えるはずだ」

 炬燵の中から、蛇介のくぐもった声があがる。

「雪の音が分かんのかよ、化け物だな」

「この音は聞き分けられんとな。どんな猛獣よりも、恐るるべき敵だ」

「雪がか?」

「冷えると生き物はすぐに死ぬ。しかも、こちらからは殺せんから厄介だ。だが、こうして安全な場所から見ると、なかなか悪くない」

「炬燵さまさまだな」

「でも、確かに、こうしてぬくぬくしながら雪見って言うのは粋だな。蛇介も出てきたらどうだ? 餅も焼きあがったぞ」

「嫌だ。でも、餅は貰う」

「食うなら出てこい。中で食うなんて、行儀が悪いだろ」

 虎丸に諫められて、渋々蛇介が頭を出す。その様子を見て、龍之進が田楽に手を伸ばしながら言った。

「なんだろう、蛞蝓の仲間で、こういうのがいた気がするな」

「蝸牛ならぬ、こたつむりだな」

 虎丸が可笑しそうに頷く。それに、蛇介はげえっと顔を顰めた。

「やめろ、嫌いなんだよ、あのぬめぬめ。なんか、触ったら肌とか溶けそうで、気持ちが悪い」

「ああ、蛇は嫌いだと言うな、蛞蝓が」

「三竦みか」

「いや、蛇とか関係なく、好きな奴いねえだろ、あんなもん」

「俺はちょっと好きだけどな。触るのは微妙だけど、葉っぱとかで突くと角が出てくるのが、意外と可愛くて」

「身も少ないようだし、好きではないな。それに、ああいう類は腹に祟りそうだ」

「食う前提かよ」

 蛇介は餅を口に含むと、咀嚼しながら呆然と雪の降る景色を眺める。

「雪なー。冷たくなくて、積もりさえしなけりゃ、悪くねえんだが」

「全否定じゃねえか」

「そろそろ閉めろよ、寒くて敵わん」

「うむ」

「積もるかな。積もったら、雪かきが大変だけど、ちょっと楽しみだ」

 嫌がる蛇介とは対照的に、虎丸は少し嬉しそうに言う。

「ふむ、積もったら、砂糖水でもかけて食ったら美味そうだ」

「腹冷やすぞ」

「俺はさっさと溶けてほしいね。あー、寒ぃ。早く暖かくなんねえかな」

「まだまだ、暫くは寒いだろ。歳の市で端切れや綿が安く手に入ったから、今度半纏をもうちょっと暖かく縫い直してやるよ。それで何とか春まで耐えろ」

 蛇介は深いため息を吐く。

「あーあ、桜が恋しいぜ」


 三者三様の思いも知らず、雪は静かに降り積もり、年の瀬を白く飾っていく。白さに眩んで、ぼんやり明るい夜の町。師走の足音は遠ざかり、新年はもうすぐ町に着く頃だ。火鉢から、灰の崩れる音が聞こえた。

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