かんけい

 虎丸と蛇介の諍いから数日後の宵の口、蛇介と龍之進は網代飯店に居た。

「お前ら、ここ最近、毎日来るよな。しかも二人で。虎丸はどうしたよ」

 顔見知りの来客に、網代権太は訝しげに訪ねた。がっくりと項垂れている蛇介に代わり、龍之進がそれに答える。

「虎丸が野良犬を飼いたいと言って、蛇介と喧嘩をしたのだ。それで、俺たちは今兵糧攻めに遭っていると言う訳だ」

「なるほど、虎丸もそういう我儘、言ったりするんだな。……けど、お前らだって、茶屋の仕事をやってんだ。自分で飯くらい作れるだろ? 毎日外食しなくったって」

「蛇介の不器用を舐めるなよ。こいつは茶を流すし、米は放り投げるから、口に入るものが残らん。残ったとしても、血塗れだから流石に食いたくない。黒焦げや半生は構わんが、種類が近い生き物の血肉はまずいからな」

「血塗れって、いったい何があったんだ?」

「……別に、指切っただけですよ」

 黙っていた蛇介が、言い訳するように口を開いた。

「ああ、包丁な。使い慣れてねえとな」

「俺は、金物が嫌いなんです」

「ふうん。じゃあ、龍之進は?」

「作っても構わんのだがな、俺は。だが、蛇介が止めるのだ」

「てめえは、おかしなもん混入させるから、絶対駄目だ」

「お前の血肉は、おかしな物ではないのか?」

「俺は混ぜようと思って混ぜてる訳じゃねえ!」

「どちらにしろ、やはり虎丸の飯に慣れた後だと、俺のものでも蛇介のものでも、不味くてどうもな」

「駄目な兄貴どもだ」

 権太は、茶化すように笑った。

「でも、ずっと喧嘩してる訳にもいかねえだろ? どうすんだ? 犬くらい、別に飼っても良いんじゃないか?」

「駄目ですよ、そんな無駄金はありません」

「そこまで生活困ってんのか?」

「今は結構かつかつです。でも、そうでなくたって、犬なんか何の役にも立たないでしょう。金があったって、無駄は無駄です。それに、あんな凶暴な奴、家に置くだけで一苦労ですよ」

「そんなに凶暴なのか?」

「ああ、良く噛みついてくる。それに、近づくと唸るし吠える。犬としては優秀だな」

「ふうん、今は、家にいるのか?」

「虎丸が台所で匿ってますよ。俺らが台所に入ると牙を剥いて来ます。けど、虎丸にも懐いてる訳じゃないみたいで、あいつも良く噛まれてるし、ふらふら居なくなったりもしています」

 ふと思いついたように、龍之進が言った。

「そう言えば、虎丸は俺らの飯を作らなくなったが、その分、犬と一緒にたらふく飯を食っていたりするのか? それは業腹だ」

「いや、在庫は今まで通り、一食分しか減ってないから、相変わらず自分の取り分を分け与えてるみたいだな。その辺りは、あいつなりの筋を通しているんだろう」

「そうか。あいつだけ飯を腹いっぱい食っているなら、納得いかんと思ったが、食っていないなら食っていないで、納得いかんな。結局そこまでして、あいつに何の得があるというのだ?」

「な? 俺だって分かんねえよ。犬なんかどうでもいいじゃねえか。俺は何も間違ったことは言っちゃいねえだろ」

「本当にお前らって変な兄弟だな。考え方が全然違うし。俺は一人っ子だから良く分からねえけど、今までもそういう事ってなかったのか? 意見の食い違いみたいなやつ」

「まあ、無きにしも非ずです。そうだ、権太さん、引き取ってくれませんか? ミケの時みたいに。あいつも、誰かが貰ってくれれば、納得すると思うんですよ」

「うーん、引き受けてやりたいのは山々なんだけど、既にミケたちが四匹もいるからな。犬と猫で上手くやれるのかも心配だし……あと、俺は昼は海に出ちまうから、あんまり面倒とかも見れないんだよ。猫は結構自由にやるけど、犬は小まめに構ってやらないと、寂しがるだろ」

「そうですか、残念です」

「引き受けると言えば、肝試しはどうする? それも権太に頼めないか?」

「ああ、そうだ忘れてた。そっちは、お願いできませんか?」

「肝試し? ああ、あの祭りのやつか。一人二組の」

「さっきもちょっと言いましたけど、今、うちはかなり懐が寒くて、何とか優勝したいんです。うちは三人だから、もう一人誰かに協力してもらって四人二組出たいんですけど……。もちろん、権太さんが優勝してくれたら、賞金は半々で、そうでなくても、多少のお礼はしますので」

「ああ、ごめんよ。実は、漁師仲間と、既に申し込みしちまってんだ。悪ぃな」

「そうでしたか、ありがとうございます」

 蛇介はがっくりと肩を落とした。権太は申し訳なさそうに笑うと、最後に付け加えるように言った。

「ちゃんと虎丸と、話し合った方が良いぞ。じゃあな」

 そして、給仕に戻っていく権太の背中を恨めしそうに眺めて、蛇介は吐き捨てるように呟いた。

「これ以上何を話せって言うんだよ」

「さあな」

「俺は間違っていねえだろ? なあ、龍之進」

「まあ、そうだろうな」

「なら、これ以上話し合う事なんか無いだろ」

「そうかもしれん」

「あとは、どうするかなんだよ」

「そうか」

「……今日は、やけに静かじゃねえか。いつもみたいな、ばっさりしたこと言わねえのかよ」

「良く分からんからな。生き物を飼うという感覚が。それがどう必要で、どういう意味のあるものなのか分からん。分からんものには意見もない」

「あっそ」

「だが、お前に同意しているだけでは良くない気はしている」

「なんでだよ、俺の方が、正しいだろ」

「お前は正しい。だが、多分、正しいだけでは、足らんのだろう」

 蛇介は不貞腐れたように、口を尖らせた。


 次の日も、相変わらず蛇介と虎丸は険悪だった。表立っての喧嘩は無い。それは、波風が収まりつつあるからではなく、むしろ頑なな渦が水面下で巻いているからの静けさだった。

 虎丸は、暫くほとんど口をきいていない。蛇介も、彼を言い包める一手を思いつかない以上、話しかけようとはしなかった。愛想よく接客を行う次男と、淡々と職分に打ち込む三男。表面上はいつも通りの藤野屋に、ちりちりと肌を焦がすような気配が、台所にだけ漂っていた。

 昼飯ばかりは、外に食いに行く暇はない。蛇介と龍之進は、蛇介が何とか火を通した萎びた野菜くずと、龍之進の握り過ぎた堅餅のような握り飯を、台所の隅で齧ることになる。反対側の隅では、虎丸がふっくらと炊き上がった飯と香ばしい焼き魚を、仔犬に分け与えていた。結局台所には、三人分の腹の虫が三者三様の音を上げることになる。

 不毛な耐久戦だが、虎丸の態度はますます意固地になっていく。何とか早めに事態を好転させたい蛇介も、打つ手のないまま日が暮れる。そんなろくでもない時間が刻々と過ぎていた。晩夏の祭りは近づいてくるが、出店の売り物も、四人目の確保も決まらぬまま、話し合いすらままならぬまま。

 朝には今日こそと思いつつ、午後にはどうやら今日もこのままだと腹を括る。そんな昼下がり。

「御免くださいまし」

 昼の繁忙も落ち着いたころ、のんびりとした声が藤野屋を訪った。蛇介は慌てて昼飯を飲み下すと、出迎えに向かった。

 龍之進もゆっくりと飯を飲み下すと、立ち上がる。その時、虎丸の方から、ちらりとこちらを窺う視線を感じた。振り向いた時には、彼はそっぽを向いていたが、彼もあののんびり屋の来客に、何らかきっかけを望んでいるのだろう。これは、虎丸の飯にありつける日も遠くないかもしれないと、龍之進の期待も膨らんだ。

 大部屋に戻ると、同じ顔が二つ並んで席についていた。双子の警官、鶴吉亀蔵兄弟だ。亀蔵は相変わらずゆっくりとした口調で、蛇介と世間話をしている。その横で、鶴吉は壁に並んだ品名の札に目を通していた。道理で、彼のきんきんした声は聞こえなかったはずだ。彼は台所から龍之進が出てきたのを見ると、僅かに眉を寄せた。

 鶴亀兄弟は、油揚げの味噌汁と魚の混ぜご飯、蛸の酢の物などを注文した。

 亀蔵は取り留めもなく蛇介に話しかけていた。蛇介も、それに大人しく耳を傾けていた。他の客が少ないのもあるが、時は金なりを地で行く彼が無駄話に時間を割くのは、それだけ期待の表れだ。

「そう言えば、最近、季節外れの蛍を見ますが、お二人もご覧になりましたかしら。兄様は見たことは無いと仰るのですが」

「お前はまたその話か。こんな時期に蛍が出るとは思えんが、別に出た所であちこち触れ回る話でもないだろう」

「蛍ですか……俺も見たことは無いですね」

 亀蔵の話に合図値を打ちながら、そう言えば似た話を誰かとした気がする、と蛇介は思った。

「でも、それなりにたくさん見受けるのですよ。思いがけず、こんな夏の暮に蛍狩りが出来るかもしれません」

「だから、私は見たことがないんだがな……」

 そこへ寄ってきた龍之進が首を傾げて尋ねた。

「蛍狩り? 狩ってどうする、蛍は食えるのか? どうせ食うなら、柔らかい幼虫のうちの方が……」

「馬鹿、やめろ、飯処で。紅葉狩りとかと同じで、見て楽しむって意味だよ」

「そうですね。でも、龍之進さんの仰る通り、捕まえることもありますよ。食べるためではありませんが、雪洞にいれて帰路の明かりにしつつ、楽しむのです」

「なるほど、光る部分を外して集めるのか」

「いいえ、外したら光らなくなってしまいますもの。そっと捕まえて、家についたら逃がすのです」

「火でも付けた方が早かろう?」

「その手間を楽しむのが、風流でございましょう?」

 亀蔵と龍之進は、顔を突き合わせて互いに首を傾げた。

 今一つ噛み合わない話を端で聞きながら、蛇介は龍之進の非礼を詫びるように、鶴吉の方に頭を下げた。この厳格な兄の方の警官は、以前の件から、龍之進が自分の弟に対して不躾なことを不愉快がっている。しかし、そんな兄心も他所に、亀蔵の方は龍之進に対して屈託がない。結果、外野の蛇介がひやひやすることになる。

 全く、とんだ役回りだ。蛇介がそんなことを思っていると、追い打つように、目下の一番の悩みの種が台所から姿を現した。出来上がった料理を、虎丸が盆に乗せて運んでくる。一瞬、ぱちりと蛇介と虎丸の視線が確かに合ったが、虎丸はふいっと目を逸らした。

 運ばれてきた食事に、鶴吉と亀蔵は居住まいを正し、食事が並べられると、それぞれきびきび、ゆっくりとした所作で手を合わせた。

 虎丸は、さっさと蛇介と龍之進の側から立ち去ろうとするような姿勢を見せた。しかし、一手遅く、亀蔵ののんびりとした口調が彼の足を引き留めた。

「相変わらず、虎丸さんの料理は美味しゅうございますね」

「え……、あ、えっと、ありがとうございます」

「そう言えば、近々お祭りがございますよね。藤野屋さんも、何かお売りになるのかしら。出店を出すようでしたら、教えて頂けると嬉しゅうございます。その時には是非立ち寄らせていただきたく存じますので」

 弟の尻馬に乗らないまでも、鶴吉もちらりと答えを気にするような視線を三人に寄越した。よっぽどこの兄弟は藤野屋の飯が気に入ったらしい。

 この現状で、祭りの当日を和解して迎えられるのかはほとほと疑問だが、この期待の視線を否定もしにくい。どうしたものかと、蛇介がぐるぐる頭を回していると、龍之進があっさりと言った。

「ああ、店は出すぞ。肝試しにも出る。藤野屋には金が入用だからな」

 蛇介は、とっさに虎丸の様子を窺った。こういう龍之進の無粋さが、こんな時にはありがたい。虎丸は虚を突かれた様子で龍之進を見ていたが、蛇介の視線に気づいて、困ったような顔をした。それから慌てて取り繕おうと試みたが、しかしやっぱり困惑する気持ちを隠しかね、一瞬の百面相を終えて顔を背けた。龍之進の発言を突っぱねたい気持ちはあれど、出店は藤野屋の今後のために必要で、客も期待をかけてくれているという事実を前に、どうすればいいのか分からなくなったのだ。

 しかし、否定をしなかったのなら、こっちのものだ。こうなった以上、鶴亀兄弟の前で押し切れば、虎丸はそれ以上拒まないだろう。

 迅速に頭の中の算盤を弾き上げると、蛇介は言った。

「そうなんですよ。ちょっと今、懐が寒くて。ほら、ミ……食い逃げがうちで暴れたでしょう? 実は、そこの壁とか、崩れかけてるんです。その場しのぎで修理してるんですけど、もともと古い家なので、秋が来る前に一度きちんと大工に見てもらいたいんですが、予算が足りないんですよ。だから、出店で少しでもお金を稼ごうと意気込んでいるところです」

「左様でございましたか。何を出品なさるのですか?」

「えーっと、そうですね……。食べ歩きしやすい菓子なんかが良いんじゃないかと思うんですが……」

「俺はあれがまた食いたい。あの、枝豆をすり潰した餡で包んだおはぎがいい」

「ああ、ずんだのな。あれは美味かった」

「ずんだ餅! 美味しそうですね、おはぎは好きなんです。虎丸さんがお作りになるのなら、また格別でございましょうね」

「はしゃぐな、はしたない。ところでつかぬことだが、おはぎというなら、他の味も作るのか? 例えば、きな粉とか」

「兄様は、きな粉のお菓子に目がないのです。だから、権太さんのお店に伺うときも、きなこさんだけは、こっそり撫でたりしていらっしゃって……」

「余計なことは言わなくていい!」

 鶴亀兄弟の遣り取りに、虎丸は小さく笑うと言った。

「分かりました、じゃあ、どっちも用意して待ってます」

 その台詞を受けて、蛇介は内心で勝鬨を上げた。しかし、この緊張関係の中で、下手に茶化して前言を撤回させてはいけない。彼は努めて無関心を装った。

「これはますます、お祭りが楽しみになってまいりましたね。あ、それから、肝試しにも参加なさるのでしたかしら?」

「ああ。優勝の金一封が目当てだ」

「その通りだけど、あけすけに宣言する必要はないだろ」

 しっかりと頷く龍之進に、蛇介は苦く笑った。

「私たちも見回りを兼ねて参加するのですが……藤野屋さんは、三人兄弟でいらっしゃいますよね」

「ええ、見ての通りですけれど……それが何か?」

 重ねての亀蔵の奇妙な問に、蛇介は訝しく思い尋ね返す。亀蔵は、ちらりと双子の兄の顔を窺った。鶴吉も、その目配りを受けて、ふん、と小さく鼻を鳴らした。憮然とした態度だが、異論はないという様だ。亀蔵は言葉を続けた。

「いえ、実は、この町の詰め所に勤める警官は、私と兄ともう一人いるのですが、二人組を作るとなると、一人余ってしまいます。なので、差支えなければ、藤野屋さんのどなたかとこちらの一人で、もう一組を作らせていただきたいのす。目的は見回りなので、優勝した際の賞金は、全て藤野屋さんの受け取りで構いません」

 龍之進と蛇介は顔を見合わせた。

「それは願ってもない話です。実は、うちも、一人足りないと話していたところですので」

 蛇介が、微笑みとともに了承すると、亀蔵は顔を輝かせた。鶴吉も、どこかほっとしたような顔をする。

「それでは、明日の昼にでも、連れてきても宜しいでしょうか」

「ええ、お待ちしております」

 そうして、鶴亀兄弟は昼飯に気を向け直した。気づいた時には、虎丸は台所に戻ってしまっていたが、それでも少し、三人の間の張り詰めた糸は、緩んだような気配があった。

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