らくちゃく


 にゃんごろと猫が鳴く。

 成猫一匹、子猫三匹が藤野屋に居座って数日たった。食い逃げに荒らされた藤野屋の惨状も、だいぶと元の通りに近づいた。店を荒らした当の張本人は、客たちに甘い声で擦り寄って、飯のお零れに預かっている。

「全くいい気なもんだ」

 そんな猫たちを眺めながら、蛇介は悪態を吐く。虎丸が猫たちの飲み水を注ぎ足しながら、蛇介の台詞に首を傾げた。

「蛇介は猫、嫌いか?」

「ただ飯喰らいが嫌いなんだ」

「俺は犬が好き。もちろん、猫も好きだ」

「……お前と会話が成立しなくなったら、本気で末期だぞ、この店。ただでさえ龍之進が普段から大分話が通じねえのに」

 寄ってきた子猫の額を指で撫でながら、微かに相好を崩す虎丸を見て、蛇介は呆れた気持ちになった。猫がいると、人は少し頭が悪くなる。

 虎丸がふと思いついたように呟いた。

「犬好きと猫好きは分かれるよな。どっちも違う良さがあると思うけど」

「そうだな。俺は留守番が出来る犬と、鼠を捕る猫なら好きだ」

 有用性という点で歪みない蛇介に、虎丸は笑った。

「蛇介は賢い動物が好きなんだな。俺は、ちょっとお馬鹿な犬もいいと思う。それに、猫は太々しい位が」

「俺は犬の凶暴さと、猫の凶悪さが好きだぞ。何の話だ?」

 いつの間にか蛇介の背後に立っていた龍之進が、不穏な台詞とともに首を傾げる。

「だから、話の内容分かんねえのに、怖い話で入って来んな」

「うむ」

 すると、虎丸の足元にいた子猫たちが、龍之進に気づいたのか、毛を逆立てて膨らんだ。

「おお、いきなり太ったな」

「威嚇してんだよ、警戒されてんな」

「虎丸にも蛇介にも懐いているのに、俺はいまだに引っ搔かれるぞ。何故だ?」

「お母ちゃんを殴った奴だって、分かってんのかな?」

「それより、その後乱暴に持ち上げたり、食おうとしたりしたのが、いけねえんじゃねえの?」

 龍之進が子猫に目をやる。彼と視線がかち合った子猫たちは、飛び上がって、虎丸や蛇介の足の間に逃げ込んだ。

「目が怖いのもあるのかな? 龍之進は目力があるし」

「しかし、飯をやってる虎丸はともかく、蛇介は何もしてないのに、随分好かれているな?」

「それは我ながら、見当もつかねえ。可愛がっても居ねえし、なんなら、穀潰し共めって思ってるのに」

 蛇介は子猫を睨みつけるが、子猫たちは一向に気にせず、彼の足元に丸くなる。

「これは……懐かれてるっていうか、舐められてないか」

「……うすうす感づいちゃいたが、やっぱりか」

「つまり、猫どもは、蛇介が自分より弱いと分かってるのか」

「言語化されるとむかつくな」

「でも賢いな。きちんと俺らを飯をくれる奴、弱い奴、怖い奴って理解してんだ」

「可愛くなかったら、許されねえ振舞だな。まあ、強かな奴は嫌いじゃねえ」

「なんだかんだ、蛇介も絆されてるじゃねえか」

「こいつらのおかげで、集客力が上がってるからな。暫くの居候くらいは、許せる気になった」

「お前は本当に現実的だな」

「ま、とは言え四匹も居りゃ、食費が嵩む。あの警官兄弟が、さっさと里親を見つけてくれねえと、懐が寒くなる。経過は順調なのか? 亀蔵さんは猫どもに会いに、ちらちら寄ってくるが」

「うーん、今のところ、まだ見つからないみたいだな。前会ったとき、亀さん、ちょっと申し訳なさそうにしてた」

「警官どもと言えば、弟の方だけでなく、兄の方も時折来てるぞ。店までは来んが、遠目に様子を窺ってるのを、この前見た」

 龍之進の言葉に、蛇介は顔を顰めた。

「まじか。でも、あの人の場合は、猫の具合を見守ってるとか、俺らの心配をしてるとかじゃなくて、単純に監視の意味が強そうだな。ったく、やりにくいぜ」

 虎丸も、それに不安げに同調した。

「もう悪さをするつもりはないけれど、やっぱり、居心地は悪いよな。……俺、ぼろ、出してねえかな」

「それは大丈夫だろ」

「俺も、もちろん大丈夫だな」

「お前はもう少し気を付けろ」

「けど、鶴さんは鋭そうって言うか、見抜かれそうで怖いよな」

 虎丸は恐る恐る言う。しかし、蛇介と龍之進は顔を見合わせた。

「そうか? 俺は、亀の方が神経に障るがな」

「俺も、どっちかって言うとそう思う。あの人の、あの丁寧で、物腰の柔らかい態度が油断ならねえ。ああいう人だと、敵意が無くって無害な分、うっかり懐を開きそうになっちまうだろ」

「そうか、言われてみれば、それもそうだな」

「だから気を付けろよ。そういう意味では、虎丸が一番危ない気がすんな。俺はまず人を信じねえし、龍之進は天衣無縫で掴み処がないから、逆に悟られないだろうけど、お前はなんか、割と普通に人と関係を築くから」

「ああ、虎丸は確かに、ぽろっと流されそうだ」

「俺はそこまでちょろくない」

 三人がそんな話をしていると、にゃおん、と一声してミケが三人に近寄ってきた。

「む?」

「おお、客か」

 龍之進がその鳴き声に頷いて、戸口に向かう。それを見て、虎丸は感心したように言った。

「ミケさん、なんだかんだ客寄せにも役立ってくれてるし、お客が来た時鳴いてくれるし、助かるよな」

「おう。ミケだけなら、うちで引き取っても、釣りが来そうだ」

「はは、親子を引き離しちゃ可哀そうだろ」

「……そうかもな。そうすると、もれなく胃袋四つ付きか。やっぱ、うちで引き取るのは無えな」

「お前はだから、生き物を胃袋で数えんなよ」

「じゃあ、口の数でも数えるか?」

 蛇介は冗談めかして笑うと、接客用の外面を整えて戸口に向かう。

 ちょうど先んじた龍之進が、来客を連れて引き返してくる。

「おお、蛇介、噂をすれば、だぞ」

 彼の後から暖簾を潜ってきた二つの顔を見て、蛇介は目を瞬いた。

「これは、鶴吉さんに、亀蔵さん。ようこそいらっしゃいました」

「こんにちは、蛇介さん。いつぞやお誘い頂いた通り、お食事に伺いました。今日は兄も一緒ですよ」

 弟の紹介に合わせて、鶴吉は軽く頭を下げた。

「邪魔をする」

「いえいえ、歓迎いたしますよ。ぜひ、ごゆっくり」

「それと、今回はもう一人いるのだが」

 鶴吉が後ろを振り返る。

「信頼できる方ですよ。ミケさんたちを、四匹纏めて引き取って下さるそうです」

 亀蔵も、心持ち嬉しそうに言う。

 二人の後ろには、のそりと大きな影が暖簾に映っていた。

「よう! また来たぜ!」

 そうして店に入ってきた大男に、蛇介は思わず目を見開いた。

「権太さん!」

 そこには、巨漢な漁師の倅、網代権太が立っていた。彼は、大きく口を開けて朗らかに笑う。

「猫の引き取り手を探してるんだって? いやー、任せてくれよ、猫は好きなんだよ。漁師にとっては縁起ものだし、何より可愛いしな! うちなら好物の魚だっていくらでもあるし、四匹くらい訳はねえ。母ちゃんも父ちゃんも歓迎だとよ!」

「はあ、それは……ええ、大変喜ばしいような……あの、とりあえず、お席に……」

「奥の四人掛けが空いているぞ!」

「おう!」

 戸惑う蛇介を放って、龍之進は客たちに空席を指し示す。

 その案内に従って、意気揚々と店の奥に進んでいく鶴亀兄弟と権太を見送り、彼らの視界から外れた所で、蛇介は堪えきれず外面を崩して呟いた。

「え、なんで権太さん? は? 食い逃げ被害者なのに? え、本当に良いのか?」

「まあ、権太は知らん訳だし、良いのではないか?」

 対して龍之進は、気にすることでもないだろうと言いたげな口調だ。

「ええー……良いのかなあ」

「知らぬが仏と言うからな」

 釈然としない気持ちを抱えながら、蛇介は龍之進と連れ立って、三人の座る机に向かった。

 本題もさておき、三人はそれぞれ昼飯替わりか、まずは定食を三つ頼んだ。

 亀蔵はもとより、驚いたことに食にも何にも煩そうな鶴吉まで、藤野屋の味を気に入ってくれたらしい。味噌汁をお代わりした上に、煮物を追加して、兄弟で半分に分けて平らげた。

「お口に合ったようで何よりです」

 食後の茶を啜る鶴吉に、蛇介がそう言うと、鶴吉はぽつりと言った。

「宿舎では、三日に一回亀蔵の黒焦げ飯だからな……」

 感慨の籠った呟きだった。

 そして、食事も済んだ頃合いに、虎丸が猫の一家を連れてやって来た。

「引き取ってくれる方って、権太さんだったんですね」

「おう。もとはあの爺さんの猫なんだろ? あの人は生前、店に来てくれることもあったし、そう思えば縁もあるしな」

「権太さんの家なら、ミケさんたちも古巣に近くて馴染むでしょうね。えっと、これがミケさん。それで子猫は、この黒があんこで、三毛がずんだ、茶色がきなこです」

「もう名前付いてんのかよ! せっかく、タマとマルとフクって名前、考えてきたのに! あと、なんでミケに敬称付けてるんだよ」

「それは、亀さんがそう呼ぶから、うつっちまいました」

「え? 何か変でしたかしら?」

「いえ、お上品で悪いこたぁ無いでしょうけど……。俺はミケって呼ぶからな」

 権太が確認を取るように言う。周りがミケさん、と呼んでいる中で居心地の悪さを払拭しようと言う様だった。そんな彼の様子に、蛇介は愛想よく微笑んでいった。

「もちろん、権太さんの飼い猫になるんですから。子猫の名前だって、うちで便宜上呼んでただけですから、権太さんの気に入る様に付け替えてくれても、何の文句もありません。な? 虎も」

「…………おう」

「葛藤が窺えるな」

「いや、良いよ。虎丸も、そんな不承不承しなくったって。ころころ呼び名が変わっちゃ、子猫も混乱するだろうし。あんこに、ずんだに、きなこだったか? よろしくな。思うと、黒猫は験担ぎに餡子猫って呼ぶこともあるし、悪くねえ名前かもな」

「そうなんですか?」

「知らずに名付けたのかよ」

 権太は子猫の頭に手を伸ばし、一匹一匹名前を呼びながら撫でていく。彼の大柄な手の中に、子猫はすっぽり収まりそうなくらいだった。

 子猫たちが気持ち良さげに喉を鳴らす。それを見て、権太の足元をふんふんと嗅ぎまわっていたミケも、長く伸びる鳴き声を上げると、彼の足に額を擦り付けた。

「良かったです、ミケさん親子も、権太さんを気に入ってくれたようですね」

 亀蔵が嬉しそうに言った。彼の言う通り、猫好きでなくとも、猫たちが権太に甘えだしたのは一目でわかった。それを見て、龍之進が不服そうに言う。

「権太には一瞬で懐いたな、俺には懐かんのに」

「逆に懐かれたいのか?」

「……はて、言われてみれば、そうでもないな? 別に、食えもしない奴など、近くに居ても遠くに居ても」

「お前はそういう所が寄せ付けねえんじゃねえの? ところで、子猫はみんな、餅の味付けの名前なんだな?」

「おう、あと三匹とも、豆由来で丁度いいやって思いまして」

「まめ? 何が豆なんだ?」

「材料だよ。餡子とずんだときな粉の」

「豆でできているのか?」

「ああ、小豆に枝豆に大豆だな。でも、黒と茶はおさまりが良いけど、三毛猫がずんだはどうなんだ? 緑色の猫なんて、そりゃ居ないだろうけど」

「餡子ときな粉はともかく、ずんだというのは食べたことがないぞ! 虎丸!」

「そこはまあ、余り物には福があるってことで。わかった、今度作ってやるから」

「まあ、俺が考えてきたのも、タマとマルはともかく、フクは余ったようなもんだもんな。ずんだ餅は、割と好き嫌いが分かれるんだよな」

「確かに、猫の名前として、定番って言うほどでは無いですよね。これが本当の余りフク。俺はずんだも好きですよ」

 子猫の名前について、取り留めもなく会話している権太と虎丸と龍之進。そんな彼らに聞こえないように、蛇介は鶴亀兄弟ににじり寄って囁きかけた。

「いくつか気になることがあるのですが、良いですか?」

「ええ、もちろん」

「答えられることならばな」

「あのお守りは、なんだったんですか? あのお守りに触れた途端、ミケはまるで失明したようになって、大人しくなったんですよ」

「……さて、何のことやら。妖怪にお守りが効くのは、さして不思議ではあるまい」

「私はあまり信心深い質ではないので、叩き売りの布袋に、そこまでの霊験があるとは思わないんですよ。あんなのは所詮は神社の金策でしょう。亀蔵さんのお守りは、何か特別だったんでしょう?」

「叩き売りの布袋なんて、罰当たりな言い方ですよ、蛇介さん。言うじゃありませんか、鰯の頭も信心から、と」

「煙に巻かないでくださいよ。それに、鶴吉さんも、『あのお守りが効くなら、奴は妖怪だ』みたいなこと、仰ってたじゃないですか」

「む……」

「あら、それなら、あんまり誤魔化しても無意味ですね」

 蛇介の台詞に、鶴吉は不機嫌そうに眉根を寄せる。対して、亀蔵は、観念したというように笑って言った。

「あれは『見えず守り』と言いまして、人が持つと『妖怪から見えなくなる』というご加護があるものなのですよ。けれど、妖怪のミケさんが持つと、『目が見えなくなる』という効能になったのですね。これは私も、知りえぬことでございました」

「へえ……そりゃすごい。けど、なんでそれを亀蔵さんが? えっと、そう言えば誰かに貰ったって仰ってました?」

「おや、そんなことまで覚えてくださったんですね。ええ、何やら私は危なっかしいからと、頂いた物なのです」

「ああ、それはなんか、分かる気がします」

 蛇介は、無警戒に化け猫に寄っていく亀蔵を思い出して、自分もそんなお守りを持っていたなら、確かに彼に処方したことだろうと頷いた。そんな彼に、鶴吉が続きを促した。人目もある中で、内緒話を余り長引かせたくないのだろう。

「気になることはいくつかあると言っていたが、他にも何かあるのか?」

「あ、はい、もう一つ……。どうも腑に落ちないっていうか、本当にいいんでしょうか?」

「はて、何がでしょうか?」

 その質問に、亀蔵が小首を傾げる。

「いえ、あんなに食い逃げを恨んでいた権太さんに、食い逃げの犯人を押し付けるような……」

「構わん。こっちから無理を言ったわけでもない。あくまでも、一般市民からの有難い申し出だ。食い逃げなんぞ知るものか。あれは『ただの猫』だ。次の事件を起こさん限りはな」

 どこかやけくそ気味に、嫌み交じりに鶴吉が言う。

「意地の悪い言い方でございますね。でも、兄の申し上げる通り、権太さんにとっても、皆様にとっても、ミケさんはごく普通の猫でいらっしゃいます。ミケさんの正体を知っているのは、私たちだけ。けれど、この世で私たちしか知り得ないことに、果たして幾何の意味がございますやら」

「いや、そんな頓智のようなはぐらかし方をされても……」

「ふん。こいつのこういう所は、私も兄としてどうかと思うが。しかし、考えてみれば網代権太ほど都合がいい引き取り手も、なかなか居ないものだから、仕方あるまい」

「都合がいい?」

「目が届きやすいし、何より、私たちとも御前たちとも顔見知りで、家は商家だ。今後ミケを見張るにしても、警官やよそ者が頻繁に訪ねて行くには、言い訳が立ちやすい。それに頑丈だからな。万が一があっても、容易くはやられまい」

「ああ、なるほど」

 厳しいが鋭い鶴吉の意見に、蛇介は感心したように頷く。そこで特別声を潜めて、亀蔵が耳打ちをした。

「どうせ食い逃げ事件は、お蔵入りが決定したのでございますから、万事めでたしとは行きません。いいのですよ、疑問など、いくらでも残して置けば。時を経れば、いつか解消することも、はたまた忘れてしまうこともございましょう」

 周りに漏れないように注意深く潜められた発言は、警官としては、かなり問題の多いものだった。しかし、だからこそ、それは立場を離れた、彼の本音だったのだろう。隣で聞いていた鶴吉も、僅かに眉をひくつかせたものの、咎めようとはしなかった。

 蟠りも、疑問点も、すぐに答えを出し、整然と揃えることだけが解決策ではないのだと、良いも悪いも酸いも甘いも、とりあえず飲み込んでやれとでも言わんばかりの大らかさは、なるほど万年生きる亀の名を授かった男と評すべきだろう。

 そもそも亀とは、かなり悪食貪食なのだ。亀蔵は、相変わらずぼんやりした顔で、大したことでもない様な口調で笑う。

「口惜しや、食い逃げは取り逃してしまいましたが、犯行の連鎖は断ち切れました。人の噂も七十五日、それだけ平和が保たれたなら、巷の恐れも立ち消えましょう。こんな決着で、いかがでしょうか? 巷で噂の食い逃げ事件は、これにて落着でございます」

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