ふうせつ
「美味しかったです、ご馳走様でした」
亀蔵はその後、山菜の粥と貝のお吸い物に、焼いた干物を食して帰った。
その食べっぷりも極めて鈍く、龍之進は三度ほど蛇介に『あいつ、まだ食っているな』と言いに来て、最後には『もしかして、飯を増やす神通力でも持っているのか?』と首を傾げていた。
亀蔵を見送った後、蛇介は台所に入って、やっと肩の荷が下りたと言うように一息ついた。脛に傷を持つ身としては、相手が警察というだけで、世間話をするにも気が張ってしまう。
「しかし、まあ正反対な双子だな。兄貴はせかせかしてるし、弟は鈍間だし」
「でも、鶴と亀って、縁起がいい名前だよな。どっちも長寿の象徴だし」
虎丸がそんな彼の様子に笑って応えた。
「そうか、兄弟で対になってんだな。……まあ、偶然なんだろうけど、思えば名が体を表してるな。鶴の声はよく通るし、亀は言わずもがな動きがのんびりしているし」
「ああ、確かに。鶴の一声って言うもんな。鶴吉さん、確かに聞えやすいって言うか、はっきりしてるって言うか、特徴のある声してた」
「けど、ちょっと耳につくよな。きんきん響いて」
「そうだな」
「弟の方もな、もうのんびりって言葉じゃ足らねえぜ。あんだけのろのろしてると、普段の暮らしに障りがあるんじゃねえか?」
「かもなあ。逆に、人間ってあんなにゆっくり動けるんだって、ちょっと感心しちまいそうになった」
そんなことを駄弁って、蛇介は食器を流しに置いた。怪力の龍之進はよく皿を割るため、基本皿洗いは蛇介と虎丸がする。その上で虎丸は料理担当の大黒柱を担っているので、なるべく手を煩わせない様に、蛇介が手の空いた時に洗うようにしている。
会話が途切れた台所には、水の流れ弾ける音と、包丁がまな板を打つ規則正しい音だけが響いている。客は、亀蔵がいる間に数人ほどちらほらと来たが、亀蔵が食事を終える前には、皆一通り食べ終わって、店を後にしていた。そんな訳でぽっかり暇が開いてしまった。新たに来店を告げる足音や声は聞こえない。ふと、虎丸が呟いた。
「今日は客、どれくらい来るかな」
「どうだろうな。あんな騒ぎがあった後だし。まあ、俺と虎と権太さんがちょっと巻き込まれちまっただけで、うちの店自体に関わりがあることじゃねえから、客足に影響はねえんじゃないかな」
「……でも、このまま騒ぎが続いたら、皆怖がって、外に食事に行かなくなるかもしれねえよな。いつ巻き込まれるか分からねえし、運が悪けりゃ、食い逃げの現場に居合わせちまうかもしれねえもんな」
「そうなったら商売あがったりだな。とんだとばっちりだ。まあ、そうならねえ内に、あの警官どもが、さっさと犯人捕まえてくれることを祈るしかねえな」
「……そうだな」
「まあ、あれだけ騒ぎも目撃されたんだし、俺や権太さんの証言もあるんだし、遠からず落ち着くところに落ち着くだろうさ」
「そうか、うん、そうだと良いな。……そう言えば、さっきの話だけど、やっぱり少しだけびっくりだよな」
「ああ、犯人が女かもって奴か?」
「おう。偏見なんだろうけど、どうしてもあんなに力持ちで、こんな乱暴な事件を起こす奴は男だろうって、知らないうちに思い込んでたから」
「そうだな、まあ、そうかもな。何となく男の方が、気性が荒い気がするし」
「それは違うぞ」
ふと二人の会話に龍之進の声が混ざって来た。振り向くと、台所の暖簾を潜って、彼が入って来るところだった。
「虫でも獣でも、とにかく大抵の生き物は雌の方が凶暴だ。肉を食う動物は特にな。奴らは身の内に鬼を秘めている」
龍之進の唐突な話に首を傾げつつ、虎丸も蛇介も頷いた。
「ああ、でも、言われてみれば……。確かに蟷螂とか、雌が雄を食うしな。蜘蛛とかも」
「それはそうだな。熊とか猪とかも、特に母親が獰猛でおっかないんだよな」
「人も肉を食う。獣を狩って魚を捕えて虫を食う。見かけの差なんぞ色々あるが、とにかく人間の性根には、雄であれ雌であれ、鬼や獣になり得る凶暴なものが巣食っているという事だな。まあ、雌雄などさして上等なものでもない。世をすっぱり分けられるほど、万能な区別でもない。さて、お前らがなんの話をしていたのかは知らんが」
「真理ではあるが、俺らは何を聞かされたんだ。何の話か分からねえ会話に、よくそんな濃い話題で入って来たな」
ぞんざいに話を打ち切った龍之進に、蛇介は呆れて言った。そんな蛇介にも取り合わず、彼は二人に一つのお守り袋を差し出した。
「忘れ物だ。さっきの亀なんとかという警官が座っていた席に置いてあった」
それは小さな巾着型をした、柔らかい山吹色のお守り袋だった。虎丸が貸してくれと言うように伸ばした手に、龍之進はお守りを落して、空いた腕を組んだ。
「ああ、亀蔵さんな。座ってる時に落として気づかなかったのかな?」
「流石にあれだけ足が遅くても、店を出たのが大分前だから、今からじゃ追いつけそうにないな」
「お前の足でもか?」
龍之進の質問に、蛇介は苦笑いで答える。
「俺がいくら足が速くても、何処に行ったのか分からねえ奴は追えねえよ。前の食い逃げみたいに騒ぎになってる訳でもないし。そもそも追いかけるのは、もう懲り懲りだしな。それに、警官なら巡邏であちこち回ってるだろうから捕まえにくいし、足取り追ってまで、急いで返さなきゃなんねえもんでもねえだろ。とりあえず預かっとこう」
虎丸もその決定に頷いた。
「そうだな。大事なものだったら取りに来るかもしれねえし。それに、来なかったとしても、手の空いた時に、屯所に届けてやりゃあ良いだろうし。えっと、無くしたり汚したりしても良くねえからな、何か適当な入れ物にでも……」
「ああ、なら、俺の文箱を使えよ。前に使ってた奴、まだ捨ててない筈だから。待ってろ、今持ってくる」
きょろきょろと辺りを見渡す虎丸にそう言って、蛇介は台所を出て行った。階段を昇って行く足音が聞こえてくる。
「……でも、変わったお守りだな」
「そうなのか?」
虎丸の呟きに、龍之進は首を傾げる。
「ああ、ほら、お守りって、『御守り』とか、『何とか祈願』とか、効能って言うかご利益って言うか、ご加護の内容が縫ってあったりするけど、これは……」
龍之進は虎丸の手の中のお守りを覗き込み、そこに書かれた字を読み上げた。
「不見守り? なんだ、見守らないという事か?」
「な、変だろ。見守るって言葉に不って付いてるって読んでもおかしいし、見ずって意味でも分からねえ。開眼するって言葉もある位だし、普通は見えた方がいいと思うんだけど」
「どちらにしろ、あんまりいい意味には思えんな」
「うん。でも、悪い意味のお守りなんて、持ち歩いたりしないだろうから、何かしら思いもよらない意味があるのかもな」
そんなことを話しながら、二人がお守り袋をつっつき回していると、階段を降る音がして蛇介が帰って来た。虎丸からお守りを受け取って、手にしていた古びた小箱に入れると、彼は言った。
「まあ、今後もこういう忘れ物があったら、ここに入れとこうぜ。あんまり大きいもの以外は。これは……そうだな、向こうの勘定台のところに置いとくから」
虎丸も龍之進もその言葉に頷いた。そしてまた誰からともなく、お喋りを始めようと口を開いた時、入り口から来店を告げる客の声がして、三人はそれぞれの持ち場に散って行った。
◇◇◇
「そう言えば、最近食い逃げの噂を聞かねえな」
虎丸が思い出したようにそう言ったのは、警官兄弟が訪れてからしばらく経った頃だった。蒸しあがった饅頭に、例の焼き鏝で印を入れながら、茶を淹れている龍之進にふと尋ねた。
「ひい、ふう、そうだな。いつ、むう、あまり聞かん、や、ここのつ……」
茶葉を蒸らす時間を数える合間に、早口で龍之進は答えた。そして二人は茶を湯呑に、饅頭を皿に盛り付けて、大部屋へ運んで行った。
その日は久しぶりの雨だった。ざんざかと言う程強くはないが、しとしとと言う程大人しくもない雨足が、屋根の上で踊っている。雨降りの日は客が少ない。今日も大部屋で寛いでいるのは、権太とその漁師仲間だけだ。
権太と龍之進の共通の知人である彼らは、大抵仕事が朝か夕かで、しかもこんな雨の煙る日は漁には出ないと言ってやって来た。大雑把で気が良く、しかも虎丸の傷跡をあまり気にしないので、虎丸も安心して給仕に回れた。ちなみに蛇介は、この暇なうちに台帳を整理すると言って、勘定台に噛り付いている。
「権太さん、包帯取れたんだな」
「ああ、お陰様でな」
虎丸の言葉に権太は頭を掻いた。その額に暫く巻かれていた包帯はさっぱりと無くなり、傷も同様に、一度割けたことが嘘の様に綺麗にくっついている。漁にもまた出られるようになったらしい。
権太はあれ以来、前より頻繁に藤野屋に訪れるようになった。今日の様に客として来ることもあれば、干物や料理のおすそ分けに来ることもあり、虎丸と話していることも多かった。
龍之進は湯呑を客の前に並べつつ言った。
「今虎が話していたが、最近食い逃げの噂は聞かんな?」
「ああ、そういえば最近は、鶴さん亀さんが街中の飯屋を見回りしてくれてるんだよ。だから食い逃げも迂闊に入れないんじゃないかな」
客の一人がそう答えた。虎丸も饅頭の乗った大皿を机の真ん中に置いて、尋ねた。
「鶴さん亀さんって、あの双子の警官か?」
「そうそう。見た目だけはそっくりだよね、あの人たち。中身は正反対だけど。それが面白いんだよ。この前飯屋で食ってたら、鶴さんがやって来て、『今日は変わりないか』とか、あれこれせかせか聞いたと思ったら、じゃあ次に行くって出て行ってさ」
「ああ、俺も見た。鶴さんが出て行って暫くすると亀さんが来てさ。『今日はお変わりありませんか』って。ついさっき兄貴が同じこと聞いて行きましたけど? って笑っちまったよ」
「なんだそりゃ」
「わざわざ別々に来るなら、いっそ手分けして回ればいいのにな」
「それがあの人たち、屯所出るときは揃ってるんだよ。でも、鶴さんの足は速くて、亀さんは遅いから、歩いてる内に自然とばらばらになってくのさ。あれで二人は一組で仕事してるつもりみたいだよ」
「しかし、飯屋を見回っていると言うなら、なぜうちの店には来ないんだ?」
龍之進は首を傾げる。結局、亀蔵がお守りを取りに来ることもないまま、藤野屋は今日を迎えている。
「ああ、それはほら、ここはお茶屋さんだし、それに街から遠いからね。今まで襲われたのは……この前の事件で、五件目かな? 全部ご飯を専門で売ってるお店なんだよ。それで、最初の二件と権ちゃんのとこは、近くに茶屋や甘味処なんかもあったんだけど、食い逃げはわざわざ飯屋に入って来たんだよ」
ねえ、という風に同意を求められて権太が頷く。
「それに、うちの店に来た時は、もう昼飯時も過ぎてて空いてたのにな。隣のあんみつ屋はもっと混んでたから、ばれずに姿を眩ますことも、できたかもしれねえのに」
「それに、権ちゃんみたいな大男がいるのに、本当にわざわざだよね。お隣さんはおばあさん一人で切り盛りしてるんだし」
「まあ、だからこそ襲われたのがうちだったのは、不幸中の幸いだけどな」
「でもまあ、そんな感じで、食い逃げは今のところ飯屋しか襲ってないし、それに、いつも複雑な路地裏とかを利用して逃げ切ってるみたいなんだよね。このお店は周りが開けてるから、食い逃げが隠れて逃げられる場所がないし、安全なんじゃなかって」
「まあ、そこまで広い街じゃないと言え、飯屋ってだけでもいっぱいあるからね。茶屋や甘味処まで含めて回ってたら、鶴さん亀さんが手分けしても時間が足りなくなるだろうし、仕方ない所もあるんじゃないかな」
「そんなものか」
「でもまあ、藤野屋には龍之進が居るしな。もし万が一食い逃げがやって来ても、その怪力で追っ払えるさ」
「まあ、その通りだな。俺に任せて置け」
胸を張る龍之進に、虎丸は軽く笑う。
「頼れる兄貴が居て全く助かるよ」
「ああ、でもそうだ、確かに最近食い逃げは大人しいけど、代わりにちょっと怖い噂が広まってるんだよ。知ってるかい?」
「怖い噂、ですか? いえ、知りませんでした」
首を振る虎丸に、一人が脅かすように声を低くして言う。
「最近、農家の鶏なんかが食い殺されてるんだって。それに街でも、雀だの鼠だのの食いかけが、明らかに増えてるらしいぜ」
「そうそう、山の獣のはぐれたのが、野に降りてきてるんじゃないかって話で、気を付けるようにって言われてるけど。でも、もう一つ怖い解釈があってね」
「それは、どんな……?」
「警官の見張りで飯にあり付けなくなった食い逃げが、そこらの動物を食ってるんじゃないかって話」
「しかし、雀なんかは食えなく無いし、そこまで恐ろしい話か? 鼠を食ったことは無いけれど」
龍之進が不思議そうに首を傾げた。
「そりゃあね、鶏も雀も鼠も、毒がある訳でも無し、火を通せばそれなりに美味く食えるだろうさ。でも、獣は火も通さないし、血も抜かないよ。仕留めてそのまま食うだろ? 道端に転がってるのは、そう言う食いさしさ。それで、もしもそれが人の仕業だったら怖くないかいってこと」
その言葉に、四つ脚で駆け回って小動物を捕え、その首の骨を折って、肉を食いちぎり血を啜る、獣の様な女を想像して、虎丸は確かに少し身震いを覚えた。
「それは確かにちょっと不気味ですね」
「だろ?」
相変わらず龍之進は、それの何が怖いのかと言わんばかりに首を傾げていたが、また別の話が湧き出して、その話題は押し流されて行った。龍之進はそのまま管を巻き、虎丸は台所に戻った。
取り留めの無い話に花を咲かせ、そして夕方ごろに、席を立った彼らを虎丸と龍之進は揃って見送った。雨の向こうに遠ざかって行く傘の一群を見つめて、ふと虎丸が言った。
「食い逃げは、そんなに腹が減ってるのかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます