らくちゃく

 藤野屋を目指す帰り道。白い光に赤みが混ざる頃合いの日差しの中、三人は山道を下っていく。虎丸は龍之進から布たちを受け取った。

「……結局、この布が犯人だったってことなのか」

「おい、虎、気を付けろよ」

 虎丸は、すっかり一塊に結ばれてしまった藤色の布たちを、目前に掲げて呟いた。

 今彼の手の中に納まっているそれらは、ただの素朴な物体だった。けれど、これらは確かに息づき、蠢めいていた。生き物の様に、意志を持ち、敵意を持っていた。

 脈も鼓動も体温もない。生物である可能性など欠片もない。骨も臓器も入り様のない薄っぺらな物体。けれどこれが、誰に繰られるでもなく一人でに虎丸に襲い掛かって来た。

「昔、首の無い鹿が山を歩いて行くのを見たことがある」

 唐突に龍之進が言った。

「これもそういう類だろう」

 その台詞に虎丸は彼の横顔を一目窺い、もう一度布の塊に目を落し、呟いた。

「……妖怪、か」

「多分、付喪神って奴じゃないかと思う」

 蛇介が口を開いた。

「正直、こんな事情だから、どう説明すべきかすげえ悩んだんだよ。布が動いて料理を作ったとか、首を絞めたとか言ったら、どう足掻いても、俺の頭の状態が疑われる可能性の方が、高かったからな」

「なるほど、それで百聞は一見に、という訳か」

 漸く彼が口を割ったことに満足したのか、龍之進は晴れやかに笑った。

「ああ、しかし、思った以上に決定的なことになった訳だが、お前ら意外と落ち着いてるな」

 蛇介は二人の顔色を窺うように言う。

「俺は、ずっと天狗を信じてたから」

 虎丸がぽつりと言った。龍之進もそれに続く。

「まあ、俺は先ほども言ったが、山では不思議なものを目にすることは多いからな。そういう変な生き物は居るんだと、何となく思っていた」

「なのに幽霊は信じてねえのか」

「生き物や物体と、死人とでは、土俵が違うだろうが」

「でも、こいつらは何でいきなり逃げ出したんだ?」

 虎丸が首を傾げる。

「屋根裏に隠れていたのが、見つかっちまったからじゃねえのか?」

「でも、だったら逃げ出す暇なんて幾らでもあったのではないか? わざわざ蛇介の目の前で、俺と虎丸を締め落として、台所を荒らしてから逃げなくても良かっただろう」

 蛇介の当たり障りの無い答えの矛盾点を龍之進が指摘する。

「そうか、ああ、言われて見りゃそうだな。押し入れにしばらく放置してたから、その間に逃げりゃ、犯人は分からず仕舞いだったのにな」

「なのに、なんでだろうな」

 虎丸は自分に問う様に、二人に問いかける様に、布の塊に問い詰める様に零した。布の塊は相変わらずただの布の様に沈黙している。

 しかし、その疑問は龍之進によって打ち切られる。

「まあ、なんでも良いとして。それで、夜は焼き魚でも食うか。焼き芋は季節じゃないしな。串焼きとかで何か美味いものはあるのか、虎?」

 その質問に、虎丸は質問で返す。

「なんだ、夕飯か? 良いけど……なんで焼く料理限定なんだ?」

「ああ、ほら、どうせ火を起こすなら、ついでに料理できた方が楽なのかと思ってな」

「焚火でもするのか? なんで?」

「ん? だって、燃やさなきゃならないだろう、それを」

 龍之進はまるで何でもない事の様にそう言った。布たちは暴れ出すことは無かったが、腕の中で身じろいだような感覚がして、虎丸は俯いた。

「多分だが、こいつらだけではないと思う。今朝壊れていた物は、新しく買ってきたものだけだった。旧藤野屋の遺物は全部疑わしい。何なら建物だって……。そりゃ、燃やしちまうのが一番手っ取り早いか」

 蛇介が補足するように言う。

「なるほど。ずいぶんと嵩張りそうな火種だ」

 龍之進は軽く笑った。

 虎丸の腕の中の布たちはぴくりともしない。

 やがて藤野屋が見えてきて、すっかり傾斜を失い、慣らされて歩き易くなった街道を、一歩、また一歩と、三人は進んでいく。

 今は丸きり動かないけれど、ただの物だけど、この腕の中の塊は生き物のように動くもので、意志を持っている。

 それを思うと虎丸には、龍之進の提案が何処か受け入れ難いように感じた。

「全部捨てて、お終いで」

 それで本当にいいのかな。前を行く二人にそう尋ねようとして、虎丸は言葉を区切った。そして、ぽろりと零した。

「あ」

 声と言葉との中間の小さな音に、龍之進と蛇介が彼を振り返る。

「どうかしたか?」

 立ち止まった二人を、虎丸は追い越した。歩調を早め、走り出す。

「おい、虎?」

 虎丸は二人を置いて一本道を走り抜け、藤野屋に駆け込んだ。

 そして、軽く呼吸を整えて、はっきりと呼びかける。

「出てこい」

 無人の家に向かって、叫んだ。

「いるんだろ?」

 藤野屋は静かなままだった。

「捨てないから」

 虎丸は言葉を重ねるが、返事をする者はいない。

「捨てたりしないって、約束するから」

 けれど、無人のはずの家の中で、呼びかける度に、何か気配が膨らんでいくのが感じられた。錯覚というには、あまりに明確な感覚。

 虎丸はしばらく待った後、手にしていた布の塊を一番近くの大机に降ろし、それを解きにかかった。

「おい、虎! 何してんだ、危ねえぞ!」

 丁度その時、唐突に走り出した彼を追いかけて来た蛇介が、店に走り込んでくる。そして、折角封じ込めた付喪神を解放しようとしている虎丸を見て、慌ててそれを止めようとした。

 しかし、その後ろに着いて少し遅れて帰って来た龍之進は、その様子をみて、何を急くでもなく顎に手を当てる。

「何か考えがあるのか、虎」

 龍之進の問いかけに、虎丸は答える。

「……昨日も、今日も、襲われたのが俺と龍之進だけだったのが気になった」

「ん? 昨日はともかく、俺は今日は襲われていない気がするがな」

「ああ、そうだな。今日襲われたのは俺だけか……。どっちにしろ、昨日も今日も、蛇介は全く無視されてるのが気になった」

「俺か?」

「そう言えば。昨日は俺と虎が問答無用で首まで絞められたというのに、蛇介は素通りだったんだったか」

「ああ、そうだった。目の前で動き出したが、奴らは俺に構わず、真っ直ぐお前ら目掛けて屋根裏に突っ込んでいった」

「それに、今日も俺と蛇介は一緒に居たのに、奴らが攻撃してきたのは俺だけだった」

「確かに……。虎は絞め殺されそうになったのに、俺には全然襲い掛かってこなかったな……」

「蛇介は非力だから、敵じゃないと思われたんじゃないのか」

「どういう意味だ、こら」

「でも、多分それよりも、俺と龍之進が昨日、こいつらの前でした会話が問題だったんじゃないかと思ったんだ」

「はて、何を話したやら」

「こいつらを、捨てるか捨てないかって話をしたんだ」

「ああ、寸が足りないから云々という奴か」

「そうだ。蛇介は、最初っからこいつらを何かに再利用できないかって言ってたから、こいつらの敵視を免れたんじゃないか」

「……俺は、このケチな性根に救われたってのか」

「ん? だが、結局あの話は、縫い直せないかという話になったのではなかったのか? 三角巾と腰巻に」

「でも、その部分は屋根裏で話した。こいつらには聞こえていなかったんだ」

 虎丸の手で、終に布たちは解かれた。それらはくたりと机の上に広がる。三人の視線がそれらに集まる。

 しばらくただの布のように横たわっていたそれらは、しかし、やがてぴくりと震え、それを皮切りに蠢き出した。机から床へ摺り落ち、そのまま這って台所に消えて行った。

「いいのか。包丁でも引き連れて戻ってきたらどうする」

 蛇介が緊張した声で言う。

 虎丸は黙って台所の入り口を見つめていた。

 やがて台所からかたかたと音がして、ころりと一つ、小さな茶碗が転がり出て来た。

 それに様子を見る様に、一つ、また一つと、物が続く。三人はその様子をじっと注視する。やがて、大量の物が、意を決したかのように一気に飛来した。

「おお、虫みたいだ。ちょっと気持ち悪い」

「言うな」

 茶碗に御椀、鍋にすり鉢に金網、お玉に柄杓に杓文字に擂り粉木、お猪口に湯呑、箸にれんげ。それから『ふじの』の焼き鏝に、見たこともない菓子の型と、小さな木製の札。それらが自らずらりと机の上に並ぶ。

 そして最後に、おずおずと言った様子で、藤色の布たちが進み出て来た。

「まあ、改めて変な景色だな」

「今まで普通に使ってたものが、生き物だったなんて微妙な気持ちだ」

「生き物扱いで良いのか、これ」

「生きてはいないか」

「意思はあるだろうけど」

 言いながら龍之進は好奇心に満ちた眼差しで、それらに顔を近づける。

「また首絞められても知らねえぞ」

 蛇介がそんな行動を窘めるように言う。そう言う彼はすぐにでも外に飛び出せるような位置取りをしていた。

「大丈夫だろ、そんなつもりがあるなら、こうも大人しく並ぶまい」

「意思疎通は出来るのかな」

 虎丸は布の表面にそっと触れる。昨日の夜に比べて、すっかりと手触りがざらざらになっている。

「俺らと話す気はあるのか」

 虎丸が問いかけると、布は僅かに蠢いた。しかし、何を伝えたくての動きなのかは分からない。

「……ちょっと待ってろ」

 その様子に、蛇介はすり足で物たちを大きく避けるようにして二階に引っ込むと、しばらくして降りて来た。そして二枚の半紙を差し出す。それぞれに大きく、『肯定』と『否定』と書かれていた。

 それらを手だけをいっぱいに伸ばして物たちの前に並べると、彼は言った。

「虎の質問に答える気があったり、それでいいって時はこっちの『肯定』の方を、嫌だってときはこっちの『否定』を指せ。いいな」

「頼めるか?」

 虎丸が蛇介の言葉に続けて尋ねると、がちゃがちゃと物たちが一斉に『肯定』の紙に集っていく。

「代表! 代表一人にしろ! 紙が破ける!」

 蛇介の激に、しばらく相談し合っているような仕草と間をおいて、物たちは引いて行った。最後に小さな木の札だけが残り、『肯定』の文字の上にちょこんと立った。

「春夏冬中? 何という意味だ?」

 その札に書かれた文字を読み上げて、龍之進が首を傾げた。

「春夏冬は秋がないから、『商い』って読むんだ。全体で『商い中』だな。入口に下げて、今店をやってるぞって、客に分かるようにするんだ」

「なるほど、洒落の類か」

「こいつら、ほんと何処に潜んでたんだろうな」

「床下とか屋根裏とかか? まあ、大部分は何処にでも隠れられそうな大きさだな」

「おい、尋ねてやらんと、付喪神が置いてけぼりだぞ」

「ん、ああ、悪い。一応聞いておくけど、あの料理を作ってたのはお前らなんだな」

『肯定』

「あの料理は、昔の藤野屋が作ってた味を再現した奴なんだな?」

『肯定』

「お前らは俺らが気に食わなくて、あんなことをしてたのか?」

『否定』

「俺らが藤野屋をやることには賛成か、反対か?」

 札は二枚の紙の間でぴょこぴょこと跳ね回る。

「あ、賛成が肯定で、反対が否定で」

『肯定』『肯定』

「今日あの暖簾とかが逃げ出したのは、俺らが捨てるとか言ったからか?」

『肯定』

「今朝台所が荒れてたのは、奴らが暴れたせいか」

 札は暫くの間、紙の間をさ迷ってから『否定』の紙の端に乗る。

「なんだその微妙な反応」

「否定とは言い切れないけど、賛成ではないって事か。意図して暴れた訳ではないけど、結果壊したのはあいつらってとこか?」

『肯定』

「あー、まあ、わざとじゃないなら、いい」

 その答えに、虎丸は渋々といった顔をする。

「いいのか?」

「いいってことにする。と言うか、お前らは付喪神ってことでいいのか? 妖怪なのか?」

『肯定』

「藤野の夫婦は良い人だったんだな」

 虎丸は札の様子に、少しだけ緊張を緩めて呟いた。その言葉に、龍之進が首を傾げる。

「何故わかるんだ?」

「だって、付喪神は大事に使われたものに、魂が宿るって話だろ?」

「乱暴に扱われたものに、怨念が宿るって話じゃなかったか?」

 虎丸の説明に、蛇介が聞き返す。虎丸はしばらく考えてから、札に向き直り、尋ねた。

「……お前らは、藤野の夫婦が好きだったか?」

『肯定』『肯定』『肯定』

「ほら、やっぱり」

「俺らに襲いかかって来たところを見ると、蛇介が言うのも正しい気はするが」

「お前らは、俺らに捨てられたくないのか?」

『肯定』

「例えば、大切に使ってくれる奴だったら、俺ら以外に売ったり譲ったりは……」

『否定』『否定』

「そうか、まあ、藤野屋を出るのは嫌か……。お前らは俺らと一緒に藤野屋をやってくれる気はあるのか?」

『肯定』『肯定』『肯定』

 虎丸は龍之進と蛇介を振り返る。龍之進は強く頷き、蛇介は頭を掻いて溜息を吐いた。そして蛇介が一歩進み出る。

「俺も質問していいか」

「ああ、いいだろ?」

『肯定』

「旧藤野屋の料理を作ったのは、俺らに対して作れってことか」

 札は躊躇いがちに『否定』の紙に乗る。

「作って欲しいけど、強制ではないってことか?」

『肯定』

「まあいい、分かった。その辺は虎とよく話し合って決めろ。例えお前らが旧藤野屋のどれだけ重要な担い手だったとしても、今の台所は虎の領分だ」

『肯定』

「蛇介、いいのか?」

 虎丸は彼の言葉に、少し驚いたように目を開いた。その台詞は、この物たちがここに居ることを認めるような言い草で、龍之進が彼らを燃やすことに賛成し、一貫して警戒を続けていた彼が折れてくれたという事を表していた。

 蛇介は少し照れ臭いのか、それとも単に付喪神に反感があるのか、決まりが悪そうな顔で言った。

「言っとくが情けや憐憫の類じゃねえぞ。こんだけの物をいっぺんに処分して買い替えるとなりゃ、出費が嵩むからな。使えるなら使えた方がいい」

「龍之進は?」

「お前らがそれで良いと言うなら、俺が反対する理由などある筈もない。だが、虎はいいのか? 首を絞められたことや食器を台無しにされたことは、不問とするのか?」

 尋ね返された虎丸は、少し言葉を迷う様に答えた。

「……頭には、来てたけど、意志がある奴を焼き殺すなんて後味が悪いし、藤野の夫婦が好きだったからの行動だって言うなら、一連のことを責めるのも、気が引けるって言うか、な」

「料理の件はそうだとしても、俺らを襲ったのと台所を荒らしたのは、自分が捨てられるのが嫌だっただけだろう?」

「まあ、その気持ちも否定したもんじゃねえだろ、早とちりではあったが」

 布たちは居た堪れなさそうに縮こまる。

「とにかく、なんか嫌だろ。迷惑はかけられたにしろ、悪気の無い奴をこっちの都合で始末するなんて」

 龍之進は彼の言葉に、大きく瞬きをすると、ふっと笑った。

「お前は甘いな、そんなのでは気苦労が絶えんだろうに。まあいい、ならここは一つ、俺が締めようか」

 そして龍之進は机に並ぶ物たちに向き直って宣言した。

「付喪神ども、貴様らはただいまこの時より、今後の同居人兼仕事仲間と相成った。だが、虎の甘さと蛇介のどケチに甘えるなよ。次に貴様らが暴れたら、その時は俺が全員火にくべてやる。それだけ心に留めて置け。謎の料理人事件はこれにて落着!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る