はりこみ

「それで、今日も料理は増えていたのか?」

 日が暮れた頃、帰って来た龍之進は、丁度配膳をしていた虎丸に尋ねた。

「ああ、出かけてたせいか、また好き放題に食材を……」

「落ち着け、虎。もう少しの辛抱だ」

 彼の言葉に、怒りを思い出したかの様な虎丸の背を、蛇介は軽く摩って宥める。

 龍之進はそれ以上の追及を辞め、今度は蛇介に問いかける。

「ところで、準備は進んだのか?」

「ああ、恙無く」

 蛇介はにやりと笑って答える。

「そう言えば、蛇介なんか面白い物見つけたって言ってたよな。後回しにしてたけど、何だったんだ?」

「面白い物? なんだ、楽しい企てなら俺も混ぜろ」

「いや、何も企んじゃいねえよ。ただ、屋根裏掃除してたら、旧藤野屋の暖簾とか登り旗とかが出てきたってだけだ」

「へえ、どんなのだ?」

「なんかこう、濃いめの藤色で、白字でふじのって書いてあるんだ。とりあえず上の押し入れに仕舞ってある」

「なるほど、それはいいな。開店の暁には、ぜひそれを掲げよう」

「ああ。だが、ちょっと色が落ちてるところもあるし、一旦染め直したりした方がいいかもな」

「そうか、寝る前に見てみるよ」


 そうして三人はいつも通りに夕食を摂り、後片づけを済ませると、食休みも兼ねて開店までの計画や明日の予定などを取り留めもなく駄弁っては、その間に沸いた風呂に順に入り、風呂上りには夜風に涼みつつ、戸締りの確認を行った。

 すっかり染み付いた一連の習慣を、今夜も変わりない様に演じて、三人は二階に上がる。

「これだよ、これ」

 行燈に火を入れている虎丸に、蛇介は藤色の布を取り出して見せる。

「へえ、綺麗なもんだな。あの行商の人たちの話からすると、藤野屋はあの爺さんたちが若い頃の店なんだから、この暖簾だって相当な年期物だろうに。ちょっと皺が寄ってるけど」

「ぐっちゃぐちゃに仕舞い込まれてたからな」

「あれだな、火の光だと全体的に仄赤くなって、色が判り難いな。だが、薄紫に白い文字とは見辛いだろうと思ったが、案外はっきりしているものだ」

 虎丸はそれを薄明かりの下に広げる。龍之進も二人の傍に寄ってきて、それを覗き込んだ。

「ああ、でも蛇介の言った通り、ここだけ褪せて白っぽくなってるな。……ん?」

「どうかしたか?」

 布の表面を撫でながら、虎丸は幽かに眉根を寄せた。

「なあ蛇介、これ、ぐしゃぐしゃに仕舞われていたって、ついさっき言っててよな?」

「おう。こう、全部合わせて雑に丸めた感じで、屋根裏の棚みたいなとこに押し込まれてたぜ。それがどうかしたか?」

「うん……いや、なんか、多分これ日焼けで色が落ちたんだと思うけど、劣化してるのが綺麗に四角く一部分だけだから、それだと変だと……」

「どういうことだ?」

 虎丸の説明に龍之進は首を傾げる。

「えっと、だから日焼けだとしたら、この変色してる部分にだけ日が当たってたって事になるけど、不規則に丸められてたなら、いろんな部分に日が当たるだろうし、もっとまだらに変色する筈と言うか……」

「んん? よく分からんが、要するに布の畳まれ方と、日焼けが一致しないという事か?」

「ああ。きちんと折り畳まれて、日に面する部分がここだけになってなきゃ、こんな褪せ方しないはずなのに、蛇介が見つけた時はぐしゃぐしゃだったって言うから、ちょっと妙だなって」

「なるほど……確かにな」

「まあ、偶然変なことになる自然現象ってよくあるし、気にする程の事でもないけどな。あと、これちょっと今の玄関には、大きさが合わないかもな」

 そこまで深く気にするつもりも無いらしく、虎丸はあっさりと話題を変えた。

「そうなのか? ああ、確かに少し長さが足りないか」

 蛇介も今の玄関を朧気に想像しながら、手を広げて頭の中の感覚と目の前の布の大きさを比較する。

「おう。改修の時に、入り口を大きめにしたせいか、これだと寸足らずになっちまう。そのまま暖簾としては使え無さそうだ」

「ふむ、残念だな。捨ててしまうか?」

 龍之進が旗の一枚を掴み上げて、検分するように明りに翳す。

「うーん」

「おい、そろそろ、張り込みを始めようぜ」

 今にも長考を始めそうな虎丸の肩を叩いて、蛇介は床に開いた入り口を指し示した。気付けば夜はだいぶ深まっている。

 虎丸と龍之進はそれに頷いて立ち上がった。

「屋根裏は暗いから蝋燭を辿ってけ。あと、道が分かったら火は消せよ。蝋燭は安くねえからな」

「ああ、分かった。光が漏れて、向こうに気付かれてもまずいからな」

 蛇介から火種を預かると、二人は床下に降り、四つん這いで蠟燭の並びをなぞって行く。先の一つを灯しては、辿ってきた火を一つ消し、また一つ灯しては一つ消す。前を行く龍之進が火を移し、それに続く虎丸が火を消していく。

 その様にして漸く蝋燭列の端、台所の真上まで来ると、二人は顔を見合わせて頷き合い、階下に物音がしないか耳を澄ませた。

「……まだ、誰も来ていないようだな」

「ああ」

 龍之進の確認に、虎丸も同意を示す。

「今のうちに眼を夜に慣らしておこう。火を隠せ」

「分かった」

 虎丸は最後の蝋燭にそっと覆いを被せた。厚紙の下に明かりが閉じ込められていく。光が途切れると、薄く埃の積もった天井裏は深い暗闇に閉じられた。

 外を吹く風の音や、何かがざわざわ言う音で、闇の中は騒がしかった。蛇介が二階の明かりを落としたのか、少し離れたところで入り口から漏れていた光も消えた。

 常ならば、そろそろ三人が就寝する時間だ。これで外から見れば、藤野屋はいつも通りに眠りに落ちたと見えるだろう。

 虎丸と龍之進は二階と一階の隙間で佇み、階下に神経を研ぎ澄ませる。まだ、誰かがやって来る気配はない。

 暫くして沈黙に飽いたのか、ふと龍之進が先ほどの話を蒸し返した。

「それで、さっきの布らは捨てるには勿体ないと思うのだが、どうするのだ?」

「ん? ああ、俺もそう思う。何か別の用途に使えないかな……。染め直したら折角の綺麗な色合いが変わっちまいそうだし、褪せたとこだけ切り取って縫い直すか。着物にするにはちょっと足りねえし……ああ、前掛けとか、三角巾を作るか。三人で統一感が出て良いんじゃないか」

「ふむ、いいな、警官とかの制服みたいで。俺の奴は『ふ』の字のところで頼むぞ。店長だから、頭文字でないとな」

「え、あ、一人一文字ずつな想定なのか?」

「いいだろ? 三人で『ふじの』、丁度いい」

「俺が台所を出ねえんだから、『ふじ』か『ふの』になっちまうぞ、それ」

「出てくればいいのに」

「客が怖がるだろ」

 何事もなく過ぎていく時間を埋めるように、二人が呑気に囁いていると、突然上から蛇介が二人を呼ぶ叫び声が、静けさに慣れた四つの耳を貫いた。

「虎丸! 龍之進!」

 その声に入り口の方を振り向くと同時、二人は何かが顔を覆う感覚を感じ、それに反応する間もなく、気道を強く圧迫された。

 首を締め上げられる感覚に、どちらの口からともなく、押し出されるように掠れた声が飛び出る。咄嗟に首を引っ搔いても、きつく絡みつく何かには指の一本も入り込む隙間は無く、きりきりと二人の喉を狭めていく。

 暗い視界でどれだけ手を振り回しても、頭上の床板や足元の天井板、錯綜する梁を打つばかりで、攻撃者を補足できない。

 龍之進がすぐ傍で暴れる気配を捉えながら、先に虎丸の方が意識を手放した。

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