へいがい
その日から、毎食ごとに一品ずつ、作った覚えのない料理が増えて行った。
翌朝には、虎丸が台所に入ると、熱々の味噌汁が出来上がっていた。それは台所の鍋を一つ占領しており、味噌と海産物などが減っていた。使える鍋が一つ減ったことと、作ろうと思っていた料理の材料が足りなくなったことに思い至った虎丸は、思いっきり渋い顔をした。
昼時には、働きに出た龍之進の荷物の中に、虎丸の用意した弁当とは別に握り飯が包まれていた。龍之進は気にも留めずに平らげてから数時間後に、はて朝渡されたものは一つだけだった筈だと、思い出したように首を傾げた。
夕食には何もなかったが、食後に用意した甘味の中に団子が増えていた。帳簿を見ながら適当に手に取って口にした蛇介は、虎丸に横合いからそれは俺が作ったのじゃないぞ、と注釈されて盛大に噎せた。
毎度、躊躇も警戒もなく頬張る龍之進の独断と偏見によって、虎丸と謎の料理人の勝敗判定が行われ、なかなかの接戦が繰り広げられた。敗北の際には虎丸も、その味を参考にしようと料理に手を付けた。蛇介だけが一度の誤飲を除いて、一貫して警戒を続けていた。
しかし彼の警戒に反して、油断させてから毒を盛ろうという訳でもないらしく、何日たっても、二人の体に不調が現れることは無かった。
また蛇介は龍之進に簡素な椅子と机を作らせ勝手口の外に置き、家に居る時は書類仕事と見張りを兼任するようにしたが、犯人らしき人物は一向に見当たらないまま、料理は増え続けた。
そしてそんな事が続いてしばらく頃には、不気味な現象に遂に精神的な支障をきたす者が現れた。
藤野屋台所の現主人、虎丸である。
彼の変化はゆっくりだったが明確だった。
初めのうちは、彼は何も気にしていないかの様に己の仕事に没頭し、謎の料理に勝てば喜び、負ければ悔しがりつつも研鑽を重ね、この現象に適応しているように見えた。
しかし、最初の事件より四日か五日を過ぎた当たりから、日に日に沈み込み、塞ぎ込むようになった。昼間は気丈に以前と変わらず振舞っていたが、特に夜が近づく頃合いと、朝起き出す時には、酷く物憂げな表情を見せるようになり、溜息もずいぶん増えた。
蛇介と龍之進は、そんな彼の様子に顔を見合わせた。
「あれか、次の料理の際には、例えどんなに不味かろうと、虎丸の料理の勝ちだと言ってやった方がいいのか。今のところ一勝差で向こうの勝ちだしな。俺は虎の味方として、贔屓目の判定を振るべきだったのだろうか」
龍之進はこっそりと蛇介に相談を持ちかける。
「馬鹿之進、そういう問題じゃねえだろ」
「語呂は良いな。まあ、そう言うのを喜ぶ奴ではないか……。じゃああれか、虎は自分の縄張りを荒らされているのが嫌なのか」
「そうだな、そっちだろうな」
「やはり、家を土足で荒らされると殺意が湧くからな」
「違う、多分そんな攻撃的な感覚じゃない」
「じゃあ、どういう感情だ?」
「まあ、俺だって想像だけど、そこはあれだろ、いい加減気味が悪いし、正体が見えない相手の気配がいつも傍に感じられたら、そりゃあ気が滅入ってくるもんだろ? 料理って土俵に立っている分、虎は俺らよりもその存在感を強く感じてるだろうし、心の負荷もでかいだろ」
「うむ、まあ、これを攻撃とみれば虎は矢面だしな」
「それに虎の意志とは関係なしに、一方的に仕掛けられてるようなもんだから」
「そうだな、そう考えれば、俺なら初日で台所を吹き抜けにしていたかもしれん。鬱陶しさに暴れ狂って、敵が逃げも隠れもできんようにしていたやも」
「お前を料理人に選ばなかった俺は、本当に英断を下したもんだよ」
「しかしどうする? 犯人を引きずり出して、その首を差し出せば虎の気も晴れるだろうか」
「晴れねえよ、そんな怖い土産じゃ。だが、犯人を見つけ出して、馬鹿なことを止めさせるのは賛成だ。しかし、肝心の犯人に見当がつかねえ。ここんとこ見張ってて分かったことと言やあ、犯行は無理臭えってことくらいだ。張り込めば張り込むほど、隙を無くせば無くすほど、相手がどうやって俺らを出し抜いてんのか分かんなくなる。怪しい奴は見ねえ、台所は滅多に空けねえ、勝手口は見張ってる。でも料理はいつの間にか増えてる」
「滅多にという事は、たまには空けるんだな?」
「俺にも仕事があるし、虎だって水汲んだり捨てたり、買い出しに行ったりするから、完全にいつも監視は出来ねえよ。でも、だからって悠々と材料盗んで、また料理を置きに来れる程、無防備にゃしてねえつもりだ」
「ふーむ……」
二人は虎丸を抜きにして色々と考え込んだが、結局答えは出なかった。その日も虎丸は夜着に着替えながら、深く溜め息を吐いていた。
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