まんじゅう②

「ああ、普通に美味いな」

「違うだろ! そうじゃなくて、変なもん入ってたらどうすんだよ! 腹壊したり、死んじまったりしたら!」

 虎丸が声を荒げるが、龍之進は丸きり平気な顔で言った。

「いや、でもこれが敵意からの物でも、いきなり殺しにかかることは無いだろうと思ってな。多少の毒なら俺は平気だし、材料はうちにあった物なのだから、そこまで危険は無いと考えたまでだ」

 絶句する虎丸と、獣を見るような目の蛇介と、二人の視線を集めてけろりと澄ましている龍之進の間で、しばらく気まずい沈黙が続く。

 やがて蛇介が徐に言った。

「うん、まあ、食っちまったもんは仕方ねえ。しばらく様子見っか」

「蛇介まで何言ってんだ! 後から効いてくる毒かもしれねえのに……。今のうちに吐き戻した方がいいんじゃないか?」

「一度腹に入れたものを無かったことにするのは流儀に反する。食ったら最後、俺のものだ」

「何のこだわりだよ、どこの流儀だよ、聞いたこともねえ。そんな食い意地で死んだら、いいお笑い種だぞ」

「構わん構わん、それより虎が作った方も食いたい。食べ比べれば何かわかるかもしれないぞ」

「いや、種類が違うんだからそれは無いだろ。本当に知らねえからな」

 呑気に菓子を強請る龍之進に、虎丸は呆れて話を辞めた。そして三人は菓子とお茶を持って、台所を出た。

 腰を下ろし、お茶を一口飲み下したところで、やっと蛇介と虎丸の緊張も緩む。

「まあ、饅頭を置いてくってのも意味が分からんが、取り急ぎ見の姿勢でいいだろ。今すぐ犯人を捜さなくても、向こうの出方を待てばいい。何か思惑があるならまた仕掛けて来るだろうし、案外悪戯でこのまま終わるかもしれねえ。今は手掛かりもないし、騒ぐだけ徒労だな」

 蛇介が開き直ったように言った。

「……それもそうだな。とりあえず龍之進は体に異変があったらすぐ言えよ」

「ふむ、強いて言えば、虎丸の作ったものの方が少し薄味な気がする。さっきのは減り張りがはっきりしている感があったな。俺は虎の方が好みだが、店としてはあちらの方が印象強いのだろうか?」

「知らねえよ、聞けよ。嬉しいけど」

 串団子を頬張りながら、全く噛み合わない返答をする龍之進に、虎丸は溜息を吐く。

「まあ、嫁入り前の生娘でも無し、例え誰かに生活を覗かれようと、男所帯で問題も無いだろう。この饅頭の送り主が俺らを害そうと押し入って来るなら、それもよし、俺が撃退すればいいだけのことだ」

「金目のものだけ厳重に警戒すりゃあ、他に盗まれるような物も無いしな」

 口の中身を飲み下して、龍之進は改めてあっけらかんと答えた。蛇介もそれに頷く。

「ふじのって印字をしているところを見ると、俺らの誰かを恨んでの復讐って可能性も薄そうだしな。流石に山賊と詐欺師と人斬りの被害者が、重複するなんてこたぁ無いだろうし。もしもそんな奴が居たら、切り捨てて置きながら何だが、気の毒過ぎる……」

「ああ、その可能性があったか。そう言えば俺らのしてきたことは、世間一般では恨まれるような事なのだったか?」

「どういう感想だ、恨まれる覚悟も無しに強盗なんかやってたのかよ」

「強奪は生業だったからなあ。そんなこと気にしたことも無かった。逆に虎は、そんな覚悟の上で人斬りなんぞやっていたのか? しんどくないか、それ?」

「龍の価値観も酷えが、虎の考え方も悪党向きじゃねえな。ちなみに俺は、恨まれることは分かっているが、気にならねえ気質だ。ある意味一番らしい小悪党だな」

「小、とか言うと、大したことして無さそうに聞こえるけど、お前はなんか、凄ぇえげつない事してそうな気がする」

「ご想像にお任せするよ。それより、この饅頭はどうする? 捨てるか?」

 虎丸の言葉に蛇介は意味ありげに笑うと、話を変えて机の上を指さした。彼の指の先では、なんだかんだ纏めて持ってこられた謎の饅頭が、所在なさげに佇んでいた。

「一応何かあった時のために、取っておいたほうが良くないか? 龍之進に何か症状が出て医者に見せる時とかに。何かの証拠になるかもしれねえし」

「そうだな。そろそろ虫が湧くかもだし長くは取っとけねえが、今日一日くらいは置いてくか」

 蛇介は言いながら、それを机の端に押しやった。

 そして三人が暫く取り留めもなく喋っていると、にわかに外が騒がしくなった。そして老人らしき声と共に、戸口が叩かれる。

「藤野さん、いるー? 昨日の行商のもんですけどー、卸売りの相談しに来ましたよー」

 その声に、蛇介が慌てて立ち上がった。

「やっべ、ここで話す約束してたの忘れてたわ」

「えっと、じゃあ俺らは引っ込むか?」

「ああ、俺もそろそろ仕事に戻ろう。少し寛ぎすぎたな」

「あ、虎、茶ぁ継ぎ足してくれっか? 向こうは爺さんと婆さんだけで来るって言ってたから、三杯」

「分かった」

 虎丸と龍之進は急いで机の上を片付け、台所へと退出した。

 龍之進はそのまま勝手口から出かけて行き、虎丸は再び湯を沸かし始める。蛇介は二人が出て行ったのを確認して、客を招き入れるにあったて不都合がないか、辺りに視線を走らせる。そして例の饅頭が、机の隅にぽつんと取り残されているのに気付き、慌ててそれを取り上げた。

「藤野さーん? いないのー?」

「はーい、すみません、どうぞお入りくださーい」

 ちょうどそこで外から催促の声がして、咄嗟に蛇介はついそう答えてしまった。前言を撤回する間もなく、二人の老人が戸を開けて入って来る。結局、彼は饅頭を持ったまま彼らを応対することになった。

「お邪魔しまーす……あら、そのお饅頭……」

「ああ、すみません、試作品を味見していたところでして……」

 老夫婦の気付きに、蛇介は表情だけはにこやかに応対しながら、ちっ、目敏いな、と脳内で悪態をつく。しかし、彼らは決して食い意地や厚かましさから饅頭に目を付けた訳ではないようで、少し驚いたような表情でそれを見つめていた。

「あの、どうかなさいましたか?」

 その姿を疑問に思った蛇介の質問に、老女の方が少し照れたように首を振って言った。

「ああ、いえ、ごめんなさいね。あんまりにも、昔藤野屋さんで売ってたお饅頭にそっくりだったから、ちょっとびっくりしちゃって」


「で、食わせてみたんだけど、餡子は少し違う気もするけど、皮とか全体の味は藤野屋のに似てるとよ」

 夕暮れ、話を纏めて客たちが帰り、入れ違いに帰って来た龍之進と、料理の仕込みに熱中していた虎丸を集め、蛇介は事のあらましを語り聞かせた。

「食わせるなよ、そんな得体の知れないもんを、未来のお客様に!」

 平然と言う彼に、虎丸が怒鳴る。

「まあ、最悪の場合でも、問題ねえかなと思って」

「酷い想定してんじゃねえ、客商売は信用第一だろ。店始まる前から食中毒出して頓挫したらどうする」

「その時は詐欺師として培った腕を駆使して、うちとの関わりをもみ消す」

「足洗ったんじゃねえのかよ」

「まあまあ、それは一応勝率あっての賭けだ。とにかくこの話で注目すべき点は、これが単なる自作品や模造品ではなく、材料こそ違えど旧藤野屋の味を再現してる、しようとしているってこった」

「つまり、それで、どういうことだ? 犯人が藤野屋に対して思い入れがあるらしいと言う線は、濃厚になったのか?」

 龍之進が腕を組んで首を傾げる。

「ああ、だが、店の関係者の線もあると考えられる。ほら、大抵の店は、秘伝のたれとか、秘密の工夫とかって、料理の工程を隠したがるもんだろ? ここでしか食べられないって付加価値を付けて、競走相手と差をつける。商売の基本だ。勿論、気合で完成品から調理過程を割り出した猛者って線も捨てきれねえが」

 蛇介が人差し指を立てて言った。

「確かに、ある程度の勘がありゃ、作り方や隠し味って予想がつくけど、それでも食べるだけで忠実に味を再現するのはかなり難しい。細かい火加減や、微妙な匙加減は、味だけで推察するのは至難の業だ。調理方法を知っている関係者ってことはあり得るな」

 その説に、虎丸も頷いた。

「どちらにせよ、犯人の意志と言うか熱意と言うかは驚嘆に値するな」

 龍之進は的外れにも感心したように唸った。

「そいつはやっぱり、他所もんが店を継ぐのが嫌なのかな」

「自分の方が藤野屋に相応しいと、主張したいのかもしれないな」

「でも、こんな身元の知れない野郎どもに商品を卸してくれる奴が居たり、本家の味を再現する奴が現れたり、藤野屋には随分熱心な御贔屓さんが多かったんだな」

 虎丸は冗談めかしてそう言った。

「後者の立ち位置は好意的なのか、ちょっと微妙だがな。何にせよ、昔の味を知ってるってこたあ、そいつは最低でも結構な中年のはずだ。家の周りにそう言う奴が居たら、警戒しとこうぜ」

 蛇介も軽く笑う。

「そうだな」

「あと、ちょっと思ったんだが、あの饅頭が乗っていた皿はうちの物だったのか? それとも見覚えの無い物か?」

 龍之進の質問に、虎丸は少し自信なさげに答えた。

「多分うちのだと思うけど、ああいう無地の小皿なんざ何処にでもあるし、もしかしたら違うかもしれねえ」

「そうか、食器も買い足さにゃなんねえし、確認しとくか」

 その会話に、蛇介が思いついたように言い、二人がそれに頷いた。

 そして三人は、確認も兼ねた店の備品整理を行い、やがて日も没した頃に作業を終えて夕餉を取った。

 その夕飯にも、また覚えのないうどんが一品増えていた。

 丼は店に同じものがいくつかあったため、店の物だと考えられた。出汁も虎丸が取ったもので、お揚げも残量の中から一枚減っていた。

 また龍之進が嬉々として虎丸の物と食べ比べ、今度は謎のうどんの方が美味いと言うと、虎丸は少しむっとした顔になり、慎重さをかなぐり捨ててそれに手を付けた。そして数口の後に、「次はこれよりも美味いのを作ってみせる」と静かに宣言した。

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