りょうりにん

 客が居なくなった家で、三人はお茶を継ぎ足して話していた。

「ところで蛇介、お前、藤野と言う名前だったのか?」

「いや全く。只の方便だ。それにあった方が便利だろ、姓名。てめえらに名字があんのかは知らねえが、あったとしても、どうせもう名乗れねえだろ」

「藤野虎丸か。いい響きだけど、店の名前も店主の苗字も頂戴したと思うと、ちょっと申し訳ねえな。本当に幽霊が居たら祟られそうだ」

「幽霊なんぞに怯える必要はないぞ、虎丸。あんなくだらんもの」

 虎丸の台詞に、龍之進が少し不機嫌そうに言う。一貫して明朗快活な態度の彼にしては珍しいと、虎丸は不思議に思った。

「龍之進は幽霊が嫌いなのか?」

「好き嫌いで言えば嫌いだな。そんな都合の良いものが居て堪るものか」

「そう言えばてめえ、さっきも言ってたよな、幽霊は都合がいいって。馬鹿々々しいとか、非現実的だとかはよく聞くが、都合がいいってのは珍しい言い分だな」

 蛇介は、客を送り出したときの龍之進の言葉を思い出して言う。

「そうか? その言葉こそしっくりくるがな、俺としては。二度と会えんから、死は恐ろしいのだ。それが死んだ後になってまた会えるなんて、都合が良いにも程がある。もしそんなことが許されるなら、己を呪う怨霊になっていても構わんから、今一度会いたいと思う奴に、けれど会えんのだから、それが現実だ」

「そうだな、確かに、大切な奴が戻ってきてくれるなら、たとえ悪霊だろうと望むべくもない。そう考えりゃあ、幽霊は生者にとって都合が良い空想だ」

 虎丸が納得したように頷いた。

「だろう? だから俺は、幽霊なんぞ信じる奴の気が知れんし、まして怯える意味などまるで解らん。本当にそんなものが居ると思うなら、なぜ怖がるのだろうな。あの客どもも、藤野の夫婦が好きだったというなら、なぜ幽霊になって戻ってきたという噂を喜ばんのだろう」

「まあ、順当に考えりゃ気味が悪いからな。浮いたり透けたりと、こっちとはまるで違う規則で動いてる訳だし、もう死んでるから退治もできねえ。こっちは何もできないまま、向こうの良い様にされるかもしれないって思えば、例え親しい奴でも嫌だろ。まして嫌いな奴や、こっちを恨んでそうな奴なら猶更な」

 蛇介がそう答えても、龍之進は不思議そうな顔をやめない。

「そう言うものか? 俺が幽霊になれたら、憎い奴より恋しい奴に会いに行くがな。それに親しい奴なら、呪い殺されても構わん」

「さあな。少なくとも俺は、人を多少好きになったぐらいで、命を捧げても良いとまでは思わねえ。まあ、妄想なんだから膨らませ放題だろ。怖くするのも、都合よくするのも、人の勝手だ」

 龍之進の発言に、蛇介は面倒臭そうに言った。

「それもそうだな。ところで、晩飯はどうする? いつも通りか?」

 それでようやく龍之進は幽霊の話を辞め、二人に問いかけた。

「いや、店をやるなら余計な出費は控えてえ。台所ももう使えるから、自炊をしてえところだな」

 頭の中で出納帳を捲りながら、蛇介は答える。今まで三人は、家の修繕でろくに台所が使えなかったため、飯屋を頼るばかりの食生活を送っていた。

「それもそうだが、藤野屋は茶屋だろ? 聞いてた限り、飯屋としても期待されてるらしいし、売りもんとしても料理は出来なきゃまずいよな」

 さらに付け足して虎丸が言う。彼の示唆は尤もで、藤野屋を開くためには、食事は避けて通れない道だ。

「あー……失念してたな。虎か龍、どっちでもいいが、料理できるか? どっちも無理なら、人を雇わなきゃなんねえぞ」

「多少は出来る。店に出せる程かと言われると、自信は無えが」

 蛇介の問いに、虎丸は小さく頷く。

「まあ、鍋くらいなら。山では基本自炊だからな。ところで、蛇介、お前自身は頭数に入れんのか?」

「無理だろ、握り飯すら作れねえ時点で、蛇介は戦力外だ」

 龍之進の質問には、蛇介でなく虎丸が答えた。

 昼食の握り飯を用意した時、蛇介の手際の悪さは筆舌に尽くし難かった。龍之進もそれを思い出して、それ以上の追及を辞める。

「ぐうの音も出ねえが、その代わりに俺はてめえらの苦手な金勘定ができる。その分、会計業務に精を出すさ」

 二人の態度に、少し臍を曲げて蛇介は言った。

「ならば、夕食は俺と虎で一品ずつ作ろう。それで、腕のいい方が藤野屋の包丁人だ。判定は蛇介に任せる」

「おう、それでいい。じゃあまず買い出しだな。三日分くらいまとめて買ってくるか」

 龍之進の提案に虎丸が賛同する。

「おう、待ってろ、今予算出すから」

 蛇介が金の入った袋を取り出し、残金を確認しながら言う。

「街で買うのは虎に任せる。俺は木こりのところに行って、茸や山菜を分けてもらいに行く」

「お前、木こりと仲良くなりすぎだろ。まあいい、分かった、その辺は買って来なくていいんだな? 逆に欲しいものはあるか?」

「材木を運ぶのは俺の仕事だったからな、顔を合わせる回数が多かった。欲しいものは……まずは調味料だろ。後は野菜や魚なんぞがあると良い。まあ、その辺は任せる」

 その間に、龍之進は虎丸と話を進める。

「んじゃ、俺は虎と一緒に街に行って、仕入れに使えそうな店を見繕っておくか」

 蛇介は金の確認を終えて、二人の会話に混ざった。

「おう、なら準備しなきゃな」

 蛇介の用意が終わったことに気付き、虎丸は席を立った。彼は出かける時は包帯で傷を、手拭いと笠で髪を隠す。悪目立ちすることを避けるためだ。

「暑くないのか? そろそろ夏だぞ」

「もう慣れてる」

 龍之進の疑問を流しながら、虎丸はさっさと支度を始める。蛇介も財布を懐に仕舞い、龍之進も籠を引っ張り出して来る。

 身支度も素早く、数分後には三人は店を出発した。


「判定、虎丸」

 目の前に差し出された龍之進の料理を一瞥して、蛇介は言った。

「何故だ! せめて一口でも食してから結論を出せ! 一目で判断をくれるな! 料理は味だろう!」

「いや、でもそれ、食ったら死ぬからな」

 蛇介の審判に抗議の声を上げる龍之進だが、彼の提示した土鍋の中身を見て、虎丸は呟く。彼の作った鍋の中では、見事に真っ白な茸が緑の山菜の間に鮮やかに鎮座していた。ドクツルタケ、猛毒の茸である。

「そういう訳だ、そんな殺意の高ぇ飯を客には出せねえし、まして俺が食う気はねえ」

「あ、こっちの草、ヨモギじゃなくてトリカブトだ……」

 怖いもの見たさの気持ちで、虎丸は鍋を菜箸でかき分ける。その手を抑えて蛇介は戸口を指さした。

「虎、下手に触るな。龍は今すぐその劇物を山に還してこい。人が触らないような場所に埋めるまで帰ってくんな」

「そんなことがあり得るか? 一生懸命作ったのだぞ、食わず嫌いとは失礼ではないか!」

「うるせえ! 猛毒を相手に礼儀も糞もあるか! 何を思ってそんなもんを一生懸命調理したんだよ!」

 尚も鍋を勧める龍之進に、蛇介は語気を荒げた。

「差し色鮮やかで良いだろう。緑だけでは味気ないぞ」

「人生の選択肢が死の一色で染まるだろうが! 白が欲しけりゃ豆腐でも入れろ! つうか何処で取って来たんだよ、あの木こりが押し付けたのか!」

「いや、貰ったのは台所に置いてある。この辺は、群生していたのを、要らんと言うから勝手に採ってきた」

「持ってくるな! 焼き払っちまえ!」

「龍之進は山賊だったんだろ? 山暮らし長いのに、毒草や毒きのこを見分けられねえで、よく今まで生きて来られたな……お前の取ってきたの、食えねえもんばっかりだぞ」

 龍之進が机の上に広げた草や茸の山から、時期も真っ盛りの毒芹の花を摘まみ上げて、虎丸は心底呆れて尋ねた。

「食えんのは分かっている。ただ、こうして飾りに添える位は問題ないかと思ってな。客に出すなら見た目も大事だろう!」

「一緒に煮た時点で鍋ごと台無しだ!」

 蛇介が怒鳴る。

「俺は多少の毒なら平気だぞ。煮汁くらいなら、いける気がする」

「それは気のせいだ。百歩譲っててめえは大丈夫かもしれないが、客に出すのは気の迷いだ」

「なんだ、腹痛や吐き気くらい、客側が気合で何とかすればいいだろう。最悪、客が死んでも、俺が死ぬ訳じゃない」

「その発想は人道を迷ってるぞ、龍之進」

 虎丸は二人の会話に相槌を打ちながら、龍之進が採ってきた毒草たちを鍋に纏め、荒縄で蓋を固定した。

「むしろ人倫に悖っているんだよ、全体的に。そんなことになったら、俺らも店ごと社会的に死ぬわ、馬鹿が」

 蛇介が青筋を立てて吐き捨てた。

「何故だ、何故こんな一斉に責めを受けねばならない! 俺が何をしたというんだ、どんな咎で俺はここまで責められているんだ!」

「どんな咎って言うなら、異物混入、衛生監督不行き届きで、だろ」

「なるほど、ほんの少し常識の枠をはみ出しただけで、こうもやり玉に挙げられるという訳か……。社会とは本当に闇深い……」

「いや、龍之進がはみ出したのは、社会の常識じゃなくて人間の耐久限界だからな」

 大げさに嘆く仕草を見せる龍之進の質問に、虎丸は冷静に答えていく。

「ああもう、喧しい! とにかくつべこべ言わずに捨ててこい! あと、虎も隣で料理してたんだから、こいつが毒物入れようとした時点で止めろよ! そうすりゃ食えるもんまで無駄には成らなかったぞ!」

 蛇介の指摘に、虎丸は密封した鍋を彼に手渡しながら、弁明した。

「それは悪かったと思ってる。ただ、言い訳をさせて貰うなら、俺は俺の仕事で手一杯だったんだ。もともと器用な方じゃないし、そこまで気が回らなかった」

「ならばお互い様だな、俺も虎も悪かったという事で」

「ふざけんな、虎の過失とてめえの悪行が、同程度みたいな言い方してんじゃねえ! 九割九分はてめえの責任だ、もっと激しく反省しろ!」

「悪行とは人聞きが悪いな、良かれと思ったんだ」

「俺はその言葉が世界で二番目に嫌いだ! 善意さえありゃあ罪が軽減されると思うなよ! とっとと行け!」

 龍之進の無反省っぷりに業を煮やした蛇介は、鍋を彼に押し付ける。そして彼を戸口から、夕日の影る中に蹴り出した。相変わらずぶつくさ文句を垂れながらも、その背中が山へ向かうのを確認して、蛇介は盛大な溜息と共に、乱暴に戸を閉めた。

「えっと、お疲れ様」

 蛇介は、ようやく事を終わらせて疲労が怒りに勝り始めたのか、ぐったりと椅子に座り込む。虎丸はそんな彼を労わる様に話しかけた。

「ああ、まさか料理の蓋を開けただけで、ここまで疲れるとは思わなかった」

「まあ、俺のもんも大したもんじゃねえけど、一応毒は入ってないから、味見してもらえると助かるな」

「あの即死鍋に比べたらなんでもマシだろ」

「でも、食えるってだけで、不味けりゃ話になんねえだろ」

「それもそうだな、ここは一つ厳しめに審査するぜ」

「おう」

 蛇介に促され、虎丸は台所から盆を運んできた。

「ちょっと冷めてるかもしんねえけど」

「おおっ……、いや、想像以上に美味そうだ」

「そうか?」

 机の上に並べられたのは、炊き込みご飯のお握りに、人参の葉の味噌汁、隠元豆と高野豆腐の煮もの。素朴な品だが、旬のものが良く活かされ、綺麗に見栄え良く盛り付けられている。

「龍之進の皿も期待してたから、種類少ないけど、おかわりはあるから」

「うし、じゃあ、いただきます」

 蛇介は手を合わすと、早速箸を伸ばした。

「おお、美味い! すげえな、虎」

「そうか? ありがとうな」

 手放しの賞賛に、虎丸は嬉しそうにはにかんだ。

「しかし、俺は包丁の持ち方も分かんねえのに、お前は本当にすげえな。ああ、美味い!」

「包丁は握り慣れてるからな、人斬り時代に」

「おい」

「冗談だよ。うちは母子家庭で貧乏だったから、餓鬼の頃は母ちゃんが働きに行ってる間、家事は俺がやってたんだ。母ちゃんの飯は美味かったぜ、俺なんか足元にも及ばねえ」

「いや、でもお前のもそんなに下げたもんじゃねえよ、今まで食ってきた飯屋にも負けてねえ。いや、まじで美味いわ。俺はよく分かんねえけど、出汁とかが良いのか?」

「ああ、海が近いからな。鰹節や昆布もいっぱいあるし、それに、龍が貰って来た食べられる茸の方に、椎茸の干したのもいっぱいあったし、高野豆腐は味染みて良いだろ」

「握り飯にしたのはなんでだ?」

「弁当みたいな話も出てたし、箸も節約できるいい品目かと思ってな。炊き込みご飯とか、混ぜご飯なら、お握りだけで色んなもん食えるだろ」

「そこまで考えてくれたのか、有難え。おかわり貰えるか?」

「おう、米は握るか? 盛るだけでも良いなら」

「ああ、いい。頼む」

「美味そうな匂いがする!」

 虎丸が椀と杓文字を取り上げたところで、龍之進が帰って来た。

「おお、早いな」

「ちゃんと埋めて来たんだろうな」

「鍋ごと獣道にな。それで良かったのだろう? それより良い匂いがする、虎の料理か?」

「ああ、今お前の分も用意する」

「大盛で頼むぞ」

「あっこら!」

 言いながら龍之進は、蛇介の皿に残っていた高野豆腐を摘まみとった。蛇介その手を叩き落として、残っていたものを奪われるより早く平らげる。

「ほら、龍之進の分と、蛇介のおかわり」

 そんな二人に苦笑しながら、虎丸は料理を運ぶ。机に皿の底が着くや否や、龍之進は箸を取り、掻き込むように口にした。その姿を呆れて見ながら、蛇介も茶碗に手を付ける。

「おお美味い! こっちも美味そうだ! 美味い!」

「食前の挨拶くらいしろよ」 

「いただきました! 藤野屋の料理人は虎で決まりだな!」

「ああ、決まりだ」

 蛇介と龍之進が、揃っておかわりを催促するように皿を差し出すのを見て、虎丸は笑った。

「お前ら、俺の分まで喰い尽くすなよ」

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