いわくつき

 老人の一人が、客を代表して話し始める。

「藤野屋はね、藤野って名前の夫婦がここで営んでた小さな茶屋なの。茶屋っていっても、割としっかりしたご飯なんかも売っててね。ほら、ここって、街から近いようで遠いでしょ? 山を越えてくるとね、やっと山道が終わったと思ったら、見えた街が思ったより遠くて、気が抜けちゃうの。そうすると、藤野屋が良いところにあって、ここでお茶したり、食事を摂ってゆっくり休むと、やる気が戻ってきてね。よし、街へ行って商売頑張るぞって気持ちになれるのさ」

「そうそう、あたし達が子供のころは、ここで一息ついて行くのが習慣だったの」

 老人の子供達なのか、老人たちより二回りほど若そうな中年たちが合いの手を討つ。

「帰りも世話になったんだよ。街を出て、買い忘れとかあった時、戻るのは面倒じゃない。そこで藤野屋さんが、草鞋とか、夜道用の提灯とか、まめまめしい物を揃えてくれてて、足りないものをここで買って行ったりしてたんだよね。それから、お弁当とかも」

「なるほど、確かにそう思うと、とても立地のいいお店だったんですね」

 蛇介がにこやかに頷く。龍之進はその口調に、またぞわりと立ち上がった鳥肌を擦った。

「しかし、なら何故店を辞めてしまったのだろうな……ああ、いや、そういえば主人夫婦が亡くなったのだっけか? そんな話をしていなかったか?」

 龍之進がそう言うと、客人たちは神妙に頷いた。

「ご夫婦揃ってお二人とも、という事は、御年だったのでしょうか」

 蛇介が、重くなった客人の空気に、同調するように言った。しかし客人たちは、互いにかを見合わせると、首を振った。

「いいえ、若夫婦だったのよ、当時は。生きていたら、父さん達くらいの年齢かしら?」

 中年の女性が、老人の一人を見ていった。

「私たちは、季節にも寄るけど、一月か二月に一度くらい、家の畑で取れた野菜をここら辺に売りに来るの。長持ちをする根菜を中心に、足が速いのは干物とか、漬物とかにしてね。それで、ある時ここに来たら、藤野屋のご夫婦は亡くなったって言うじゃない。もう、驚いたったら。その前来た時まで、全然元気だったのに」

「病気かと思っても、そんな様子もなかったのにね」

「そうなんですか、それは本当にお気の毒に……」

 蛇介が目を伏せて手を合わせるのに、龍之進も倣う。

「本当にね、すごくいい人たちだったし、残念で……」

「ここに休めるお店があるってことが、どれだけ有り難かったのか、無くなってから気付くのよね」

「本当、年を取る度、山越えがしんどくなってねえ。疲れ切ってこの店を見るにつけ、ここに藤野屋があれば、藤野夫婦が居ればって思うんだよねえ」

 客人たちは悲しそうに俯く。どんよりとした空気が部屋を覆った。

「そうか。ならば、俺らがやろう」

 突然、その空気を払う様に龍之進が言った。取り立てて大きな声でもなかったが、その声は部屋中に良く響いた。その場の視線が竜之進に集まる。

「この先生計を立てる術も決まっていなかったし、丁度良い。その藤野屋、俺たちが引き継いだ」

 龍之進は隣の蛇介を見て、台所にも届くようはっきりと言った。

 蛇介は、しばらく唖然と龍之進を見つめ、やっと動き出しては彼の胸ぐらを掴み上げ、何か言いたげに数度口を開閉した。しかしすぐにその手を放して、腕を組み考え込むように沈黙する。龍之進はその一連の挙動不審な動きを黙って見守った。客たちの視線も二人の間を行き来する。

「……算段はあんのか」

 やがて呻くように蛇介が言った。

「まあ、何が必要かは知らんが、ここを開放して茶を出す程度のことなら俺らにもできる。立地はいいのだろう? なら後は、何とかなるだろう」

 龍之進はあっけらかんと答える。

「提供する食材なんかの調達はどうする。資金は? 食ってけるだけの収入になんのか? 店やるとか簡単に言っても、金銭面だけで頭痛くなるぞ」

「はあ、そんなに面倒ごとがあるのか。まあ、金繰りはお前に任せる、何とかしろ」

「おいこら、ふざけんな丸投げか」

「計算は得意じゃない。下手に手を出すより、お前に託すのが一番だ。代わりに俺らにできることは何でもしよう。なに、三人いれば何でも、何とでもなるさ。家が完成した日に生業も見つかるなんて幸先がいい。こんな話に乗らんでどうする」

「……」

 蛇介は、気楽に笑う龍之進を探るように見た後、台所の方に目を向けた。意見を主張するような何らかは見受けられない。台所からは、慌てる様子も反対する素振りも窺えない。虎丸の無反応と言う返答を受けて、蛇介はとうとう観念した。

「分かった、やってやるよ、思いつき自体は悪くねえ。けどてめえは後で説教だ。言いてえことが山ほどある」

「何故だ! 俺の何処に怒られる要素があったというのだ!」

「こっちの意見を聞け! そして説明にはもっと言葉を尽くせ! 提案は計画を練ってからしろ! 今回はいい、だが行き当たりばったりは止めろ! 何とかなるだろうじゃなくて、目途を立ててから言え!」

「いや、俺らの現在ほど、行き当たりばったりな物もないだろう。思い切るのが俺の仕事、付いてくるのがお前らの仕事」

「なんだその横暴! 要するに、俺らの進退をてめえの一存で決めんなっつってるんだ! 俺らはてめえの子分じゃねえぞ!」

 二人が話を進めるのを静かに見守っていた客人の一人が、おずおずと口を開く。

「えっと、藤野屋を継ぐって……ここで店を開いてくれるのかい?」

 蛇介は崩れかけていた外面を立て直し、にっこりと笑う。

「ええ。兄の無鉄砲には困ったものですが、私どもとしても悪くない話かと思います。勿論、余所者に思い出深い藤野屋の名前を汚されたくないと感じられるなら、別の屋号を考えます。ただ、不思議な偶然ですが、実は私たち兄弟も藤野姓なのです。血縁はありませんがこれも何かの縁、藤野の名前をお借りできればそんなに嬉しいこともありませんね」

「なに、蛇介、お前は藤っうぐ」

 何か喚きかけた龍之進の横腹に、蛇介は肘鉄をねじ込む。

「いやいや、俺らが反対する理由はないよ! 屋号だって、俺らが許可するもんじゃないし……でも本当かい? 嬉しいなあ。ああ、仕入れに困るようなら、うちの野菜を安く提供するよ。うちが贔屓にしている店も紹介するし、商売仲間にも融通利かせるよう言って置くさ!」

「とても有難いお話ですが、生憎私たちにはお礼にできるようなことは何もなく……申し訳ない限りです……」

「いいよいいよ、気にしないでおくれ! 言ってもこの程度、大した助けにはならないだろうし、恩に着せる程の事じゃないよ。それに、懐かしい藤野屋が復活して山越えも楽になる、おまけに卸先も増えるんだから、こっちとしても良い事づくめさ!」

「ありがとうございます。ご厚意に報いれる様、精一杯働かせていただきます」

「感謝する」

 蛇介が深々と頭を垂れ、龍之進も一拍遅れてそれに続く。

 話が纏まり、客たちは雑談に花を咲かせ始めた。蛇介はそれに的確な相槌を打ち、話を盛り上げる。龍之進はその間、ぼんやりと考え込んでいた。

 そして、やがて客たちがぞろぞろと席を立ち始めた時になって、ぽつりと龍之進は零した。

「しかし、話を聞く限り、ここは随分いい物件じゃないか。なぜこんなに荒れ果てるまで、買い手が付かなかったのだろうな」 

「ああ、確かにな。ここなら、山越え客だけじゃなく、街からも少し足を伸ばせば来れる距離だし、見晴らしもいい。言われてみりゃあ不思議なもんだ」

 客たちを見送ろうと戸口に向かっていた蛇介が頷く。

 途端、客たちが一瞬ぴたりと動きを止めた。それを目敏く捉えて、龍之進は尋ねる。

「何か知っているのか?」

「えっ、いや、あの……」

 客たちは二人の視線から逃れる様に目を逸らし、互いに頭を寄せ合うと、何やらこそこそ相談し始めた。どうする? 言わない方がいいんじゃないか? と言った声が、ぼそぼそと聞こえてくる。

「あの、何か言いにくい事情でも?」

 見かねて蛇介が声をかける。客人たちは尚も躊躇いながら、恐る恐ると言うように二人を振り返った。

「あの、これを言ったら、折角店を継いでくれるって言ったあんたらの考えが変わっちまっいそうで、言い辛いんだけど……」

「かまわん、決めたことは決めたことだ。どんな内容でも覆さん。気にせず言うと良い」

「あっ、こら、また勝手に! さすがに内容次第じゃ考え直しも在り得ます。毒虫が湧きやすいとか、危険な獣がよく出るとかなら、ちょっと……」

 龍之進が懲りずに言い切るのを、慌てて蛇介が取り消す。

「いや、虫も獣も出ないよ、山が近い割にはちっとも。ただ、出るのは別のもんって言うか……」

「だから何だというのだ」

 渋り続ける客人たちに、龍之進は若干の苛立ちを見せながら続きを催促する。

「……ここの夫婦が亡くなった理由は、結局分からず仕舞いなんだけど、実しやかに『自殺だ』って噂が流れてね。以来ここじゃあ、夫婦の幽霊が出るって言って、買い手がつかなかったんだよ」

 長い躊躇いの後、とうとう客人たちは白状した。そして顔色を窺うように、二人を見つめる。二人は顔を見合わせて、それから客人たちに向き直る。

「それ位の噂でしたら、私たちは気にしませんよ。せっかく手に入れて、修理までした我が家を手放そうと思う程の事ではありません。ご安心ください」

「ああ、幽霊なんてそんな都合の良いものは、居るはずがないからな」

 そうしてふたりは、安堵の溜め息を吐いた客人たちを送り出した。

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