きゃくじん

「うむ、よし」

 家屋の外壁の最後の欠落に、木組みを乱暴に差し入れて、龍之進は満足げに頷いた。

「おっしゃ」

 計算を終え、勢いよく算盤の玉を弾き上げて、蛇介は誇らしげに口の端を引き上げた。

「……よっと」

 直した畳を床に嵌め、継ぎ目を踏みしめる様に押し込むと、虎丸は手の埃を払い落した。

 龍之進は頼もしくなった家屋を見上げ、蛇介は綺麗になった机を見下ろし、虎丸は安定した二階の床を見渡した。

 三人が捨てられた木くずのような家を拾い上げてから十数日後。今にも間抜けに潰れそうだったあばら家は、見事に息を吹き返し、晩春の晴れ空の下にどんと建つ。目立つ継ぎ接ぎ跡は、苦労を重ねた修繕を思い起こさせ、一層深く三人の愛着心を擽った。

 こうして元悪党たちは、来たる冬をも乗り越えられる、立派な我が家を手に入れた。

 沸き立つ高揚感と達成感に背中を押され、大の大人が子供の様に、家の周りをくるくる巡り、部屋の隅々まで走り回って、柱や机を撫で回し、床や畳を転げ回った。

 そして燥ぐ心もそのままに、梯子を持ち出して我先にと屋根へと登り、そこで漸く立ち止まる。そうして三人は辺りを見渡す。家にばかり心を砕き、当たりの風景などまるで気にしていなかった三人は、そこで初めて自分が根を張る土地の様子に目をくれた。

 小さな街道に、ぽつんと面した一軒家。その屋根から見れば、眼前には広い雑草地。そこを抜けると、遠くに海の青。海岸線は、空の端と蕩けるように繋がっていく。片手を見れば少し離れて、街並みが広がり、その合間にこまごまと行き交う人の群れが見える。心地の良い音量で、喧騒が聞こえてくる。もう一方に顔を向ければ道が山へと消えていき、顔を上げれば遥かな尾根が大きく聳え立っている。

 幽かに塩の香を孕む突風が、三人の髪を雑然と搔き乱した。三人は顔を見合わせて、互いに崩れた髪を笑い合った。

 そして暫く三人は、広がる景色の展望を楽しんだ。

「あの登り旗、俺らが暫く根城にしていた宿屋じゃねえか?」

 虎丸が珍しく興奮気味に言う。

「あの山の木こりが、安く木材を譲ってくれたんだ。手前ぇら、感謝しとけよ? 安く物を売ってくれる奴ほど、有難ぇもんは無ぇからな」

 蛇介が悪戯っぽく笑った。

「お、あの街角で、格子柄の着物の男がすりにあったぞ。財布を盗られたのに、まるで気付いていない」

 龍之進が興味深げに目を凝らす。

「何処だよ、人なんて胡麻みてえにしか見えねえぞ」

 虎丸が龍之進に倣って同じ方向を見て、首を傾げた。

「見えるだろう、あの草履屋の前を歩いている男だ。あっちの、鶯色の着物の子どもが、すれ違い様に巾着を持って行った。しかし、本当に気づいていないな。そんなものか? 分からんものか、袖に手を突っ込まれて」

「案外ばれねえぜ。人込みなら、人とぶつかった衝撃や、袖のすり合う感触で、袖の中の物を引っ張り出したことを誤魔化せるんだ。風呂敷を持っていたり、店の無い方へ向かってる奴が狙い目なんだ。もう買い物を終えていたり、家へ帰る奴に当たれば、発見を遅らせられるからな」

 龍之進がの疑問に、蛇介が楽しげに答える。

「なんで、すられる方じゃなくて、する方の言い分なんだよ」

 虎丸が呆れたように言うと、蛇介は意地悪く笑った。

「虎は、俺が自分のもんをただで盗られる男だと思うのか」

「韋駄天だって、お前からものを掠めとって逃げ切るのは無理だろうな」

「分かってんじゃねえか、最上の誉め言葉だ。俺から何かを奪うなら、五倍は奪い返されることを覚悟しなくちゃ」

「酷ぇ取引もあったもんだな」

 虎丸と蛇介が馬鹿々々しい冗談を言い合っていると、龍之進がまた声を上げる。

「おっ、あの路地裏で乱闘騒ぎだ。痴情の縺れか? 男が女に背負い投げでぶん投げられたぞ」

「まじか、何処だよ」

「あの手ぬぐいを干してある家の……」

「あはは、全然見えねえ」

「いま警察官が来たな。おお、あの警官二人、顔がそっくりだ。双子かな?」

「本当にどういう視力してんだよ、お前」

 屋根から身を乗り出しては、ぎゃんぎゃんと騒ぎ、笑い合う三人の男のけたたましい声が、空高く消えていく。


「おや、藤野屋が建て直されてるよ」

「本当だ、綺麗に修理されてる。また開店するのかね」

「そうだとしたら、嬉しいね」

 日も高くなり、三人がどうにか逸る気持ちに一段落着けた頃。屋根の上で、握り飯を片手に昼食にしていると、ふと階下から話し声が聞こえてきた。

 三人は飯を飲み下すと、軒下を見下ろした。そこには数人の老人と中年が集っていた。

「でも、このお店は、随分前に店長夫婦が亡くなって、それっきりでしょ?」

「そうだよ、別の人が家を買ったなら、藤野屋とは関係ないさ」

「そうかねえ。まあ、そうだよねえ」

 行商の家族らしき一行は、大荷物に草臥れた草履姿だった。きっと尾根を越えてきたところなのだろう。三人はその会話を聞きながら、顔を見合わせる。

「藤野屋って、この家の名前か? なんかの店だったのか?」

 虎丸が首を傾げる。

「そうなんじゃねえか? 確かに、下の階の造は茶屋っぽくもあったな。外に大きく開く、土間造の大部屋とか。大机や長椅子とかも、言われて見るとそれっぽい」

 蛇介が間取りを思い出しながら頷く。

「奴らに聞けばわかるだろう。おい、俺らの家に何か用か?」

 龍之進はそう言うと、二人の反応も待たずに下の集団に呼びかけた。

「あっ、この野郎! ちょっとは相談くらいしやがれ!」

 その行動に、蛇介は龍之進の胸ぐらを掴み寄せる。

「これが手っ取り早いだろう」

「心の準備とか、打算の準備とか、色々あるんだよ!」

「落ち着けよ、屋根の上での喧嘩は流石に辞めろ。とりあえず、話しかけちまったもんは仕方ねえ。下に降りようぜ」

 虎丸に諭され、蛇介は舌打ちと共に龍之進を突き放し、梯子を下りて行った。龍之進は、俺は間違っていないだろう、と言いたげな不服そうな顔でそれに続く。そして梯子の傍まで歩いたところで、付いてこない虎丸に気付いた。

「虎は来ないのか?」

「俺が行ったら、びびられるだろ。ここで待ってる」

「……そうか、わかった。後で話の内容を教えてやるから、首を長くして待っていろ」

「ああ」

 そんなことは無いだろう、と言いかけて、龍之進は言葉を改めた。虎丸の容姿は、確かに慣れない者には強烈だ。龍之進に言わせれば下らないことだが、当の本人が痛く気にしている様なのだから、仕方ない。そう判断して、龍之進は虎丸を残して屋根から飛び降りた。

 着地先では、すでに蛇介が老人たちと話しているところだった。

「すみません、うちの兄が不躾に。私共、この家を買い取った流れ者の兄弟なのですが、ふと皆様のお話が耳に入りまして。この家の前身に興味があったものですから、つい」

「いえいえ、こちらこそ家の前で五月蠅くしちゃって申し訳ないね」

「どうぞ、お気になさらずに。ところで、見れば長旅にお疲れのご様子。よろしければお茶の一杯でも召し上がっていってください」

「ええ、いいんですか?」

「わるいなあ」

「でも、じゃあ、お言葉に甘えて」

 がやがやと客人を家に招き入れる蛇介を見て、龍之進は思わず口を滑らせた。

「誰だ、お前」

 そこに立つ蛇介は、つい数秒前までの不機嫌さもどこへやら、それはもう爽やかでにこやかで、人当たりの良さそうな好青年だった。先程までの、腹黒くて短気な男のあまりの変貌っぷりに、龍之進は慌てふためく。

「おい蛇介、お前、眉間の皺をどこへやった? なんだか異様に血色が良くなっていないか? 俺はてっきり、お前の目には光を反射する機能が付いていないものだとばかり思っていたぞ。というかお前、ついさっきまで死んでたんじゃないか? なんだその息の拭き返し様。今のお前と比べると、今までのお前はあれだぞ、白骨死体だぞ」

 蛇介は客人が全員家の中に入ったことを確認すると、朗らかな笑みで龍之進を振り返り、その首根っこを掴み寄せた。そして、相好はそのままに耳打ちをする。

「うるせえよ、てめえは人を煽らなきゃ喋れないのか。これは外面だ。それより良いか、俺らは兄弟っつう設定だ。てめえが敬語が苦手な長男、俺が次男、虎が人見知りな三男。分かったか? 話は俺がするから、てめえは横で黙ってろ」

「おお、その口の悪さは間違いなくお前だ。しかしその顔でいつも通り話されると、いつもの倍は気持ち悪いな」

「てめえ、後で覚えとけよ」

 そう言うと蛇介は家の中へ入っていった。龍之進も、腕に再び立ったさぶいぼを摩りながら敷居を跨ぐ。客人たちは大机の一つに腰を掛けて、思い思いに寛いでいた。

 二人は彼らに会釈をして台所に入る。蛇介は流し台に茶葉の包みと急須を出して、龍之進を振り返った。

「ところで龍、てめえ茶は淹れられるか?」

「茶とはなんだ」

 二人は顔を見合わせたまま、暫く台所に沈黙が落ちる。

「よし、虎を呼んで来よう」

 龍之進がそう提案した。

「呼んできた所で、あいつも淹れ方分からなかったら、どうすんだよ」

「少なくとも、あいつは握り飯を作れた。お前には作れなかった、俺には難しかった」

「……よし、呼んで来い」

 蛇介に促されて、龍之進は台所の勝手口から、家の裏に出る。そして屋根に向かって虎を呼んだ。

「大人しく引っ込んでようと思ったのに、なんだ。茶葉と急須はあるんだろ? むしろ、なんで淹れられねえんだよ」

 そうして降りてきた虎丸は、呆れたように目の前の二人を見た。

「だって、茶っていうのは、湯呑に入って出てくるもんだろ」

「茶とはなんだ」

 蛇介は気まずそうに眼を逸らす。龍之進は相変わらず、そう繰り返す。

「何処のお坊ちゃんで、どんな野生児なんだよ、お前らは」

 虎丸は鍋で湯を沸かしながら、溜息を吐いた。

「俺は、昔家で客が来れば振舞ってたから、自然と淹れ方は覚えたぞ。高ぇし、普段から頻繁に飲んだりはしなかったけど」

「そうか、茶は嗜好品なんだな。峠を通る獲物がこの砕いた枯葉みたいなのを持っていることもあったが、肥料かとでも思っていた。いい香りだ。土に撒くのは勿体なかったな」

 お湯を注がれた茶葉が、たちまち振りまいた香りに、龍之進が嬉しそうに言う。それを聞いて、虎丸は目を少し見開く。

「お前、何つうことを……まあいい。で、客は何人だ?」

「七人くらいか?」

 台所の入り口から大部屋を覗きながら、蛇介が答える。

「お前らを入れて九人か。湯呑、そんなにあったか?」

 虎丸が困ったように言う。

「この家には初めから矢鱈食器があっただろう。洗って仕舞って置いたのを出せば、足りるんじゃないか」

 龍之進がそう言って、木箱を引っ張り出してきた。彼の言う通り、家の修理をしていた時に、あっちこっちから食器や調理器具が大量に出てきた。包丁などは錆びて跡形もなかったし、瀬戸物は割れている物もあったが、まだまだ使えそうな物も多く、三人はそれらを箱に集めて取っておいたのだ。

「これも、ここが店だったからかね」

 蛇介が湯呑を軽く濯いで並べる。

「だろうな」

 虎丸がゆっくり急須を傾ける仕草を眺めながら、龍之進は頷いた。

「んじゃ、俺らは行ってくっから、虎はここで待ってろ」

「おう」

 漸く仕上がった茶を九つ、盆に並べて蛇介たちは大部屋へ戻っていった。虎丸はそれを見送って、板の間に腰を下ろす。

 隣の部屋で、がやがやとした声が上がり、やがて落ち着く。虎丸がふと顔を上げると、流し台に湯呑が一つ残っていた。二人が一杯忘れていったのかと、慌てて大部屋をこっそり覗き込む。しかし、誰も足りないと騒いではいないし、蛇介も龍之進も、ちゃんと湯呑を握っているのが見えた。

 湯呑を用意した二人は、最初から虎丸の分まで並べていたのだ。それに気づいて、彼は幽かに笑むと、お茶を手に取った。そして隣の話し声に耳を澄ませる。

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