わるものぢゃ

しうしう

第一章 藤野屋開店前騒動

さんにんのわるもの

 ある日、盗賊は改心した。

「これからは誰かを笑顔にできる仕事をしよう」

 人斬りは改心した。

「もう、こんな無意味なことは止めて」

 詐欺師は改心した。

「そろそろ老後のために、ほとぼりを冷まそう」

 ……改心した?


 とにもかくにもこのように、三人の悪党は悔い改めた。それからふらふら縄張りを出て、夜明けの一本松の下、とある三叉小路で出会した。それぞれ、目の前の道からやって来た二人の男をまじまじと見て、何がなにやら頷きあって、がしりと一度手を握る。

「巡り会ったが何かの縁。志を同じくする者三人が顔を合わせた目出度さに、今後の人生一つ、捧げ合うのも悪くは無い」

 元盗賊が晴れやかに笑む。

「……こんな珍事に、一つ博打と出るも一興」

 元人斬りがぎこちなく笑む。

「三というのは、縁起が良い。文殊の知恵も零れ出る、多数決にも決着がつく。全ては天の計らいよ」

 元詐欺師が不敵に笑む。

 お天道様が山の端から顔を出し、朝日の羽衣を薄く遠く投げかけた。


 ◇◇◇


 それからそれから三人は、幾日幾月宿暮らしの日雇い労働に精を出し、手にした小金を懐に、山の麓にあばら家を買い取った。

 ただ同然で叩き売られたその家は、あっちの壁が抜けていて、そっちの床が飛んでいて、こっちの屋根が落ちていた。それはもう、ほとんど骨組みだけの様な酷い有様で、風が吹く度僅かに残った張りぼてが、剥がされまいとみしみしと鳴る。

 家の中では一階の土間造の大部屋に、足の折れた大机や長椅子が、幾つか落胆したように潰れている。台所は土間と狭い板の間に分かれ、土間には竈の囲いがごろんとひっくり返っている。

 外れた階段を恐る恐ると登ってみれば、底の抜けた畳にひょろひょろの茸。そして一面饐えた匂いで満ちていた。

 なんだか家主が、家中の大事なものだけ引っ張り出して、要らないものはとっ散らかしたまま夜逃げしたような、惨憺たるありさまたる内装をしている。

「何はともあれ、修繕からだ。こんな家では寝食にも労働にも支障をきたす」

 元盗賊ががたがたの大机の一つに腰を下ろしてそう宣った。

「俺の継父は大工だった。肝心なところまでは知らないが、多少の細々しいことなら分かるかもしれない」

 それに、元人斬りがおずおずと言い出した。

「なら修繕はお前たちに任せる。費用の捻出は俺がする」

 元詐欺師がどんと胸を叩いた。

「ああ、頼んだぞ。力仕事は俺が引き受けた」

 元盗賊は腕を組んで鷹揚に頷いた。


 ◇◇◇


 そんなこんなで数日後、春爛漫の昼下がり。あっちこっち駆け回って調達してきた資材の山に囲まれて、三人は家屋の修補に精を出す。

「そういえば、自己紹介が未だではなかったか?」

 豪快に丸太を切り刻んでいた元盗賊が、ふと思い出したかの様にそう切り出した。

 藺草を片手に畳と格闘していた元人斬りと、算盤と帳面相手に顰め面をしていた元詐欺師が顔を上げた。六つの瞳がぱちりと見合う。

「……確かに、お前らの名前知らねえな」

 元人斬りが、新鮮な驚きを顔に浮かべて頷いた。

「出会ってもう随分経つが、顔を突き合わせりゃあ食い扶持の話ばかりで、そんなことはすっかり頭から抜け落ちていたな」

 元詐欺師も顎に指をあてて、低く唸った。

「あまりにも意気投合が早かったものだから、すっかり身内の名前をいちいち気にしないような気持ちになっていた。ここいらで確認も兼ねて名乗っておくか。俺は龍之進。ききょうのき峠で山賊をしていたが、心変わりがあって、余生は人を笑顔にする仕事をして生きたいと思うようになった」

 元盗賊が、切り出した木材の形を検分しながら名乗りを上げた。元盗賊改め龍之進は、成りは平凡な小男だが、やたらと目力が強く、底知れない雰囲気があった。

「ききょうのき峠? 聞かねえな。どういう字を書くんだ?」

 龍之進の紹介に、元人斬りが藺草を紙縒りながら首を傾げる。

「ああ、通称だ。正式な名称は知らん。鬼も恐れて退く峠、と書く」

「鬼恐退き峠か、何となく空恐ろしい呼び名だな」

「ちなみに俺の盗賊団が住処にしていたことが由来らしい」

「お前が物騒なんじゃねえか」

 二人の会話に、元詐欺師が呆れたように相槌を打った。

「で、人斬り。お前は?」

 仕切り直すように龍之進は元人斬りを見る。

「虎丸だ。だいぶ遠い所の生まれだと思う。故郷の近くの街道で辻斬りをしていた。適当な船に乗ってこの近くまで来たから、実はここがどの辺りかよく分かっていない」

 元人斬りは、畳の腐った部分を切り落としながら言う。元人斬り改め虎丸の外見は、類例の無いほどに風変わりだ。髪色はくすんだ金、見様に依っては黄ばんだ銀。そして体には、顔からつま先まで大きく歪な切り傷の跡が、まるで虎模様の様に刻まれている。

「ふむ、なるほど。詐欺師はどうだ?」

「俺は蛇介。街をいくつか渡り歩きながら、色々金を巻き上げてきた。宵越しの銭は持たない主義だから、手持ちは少ないがな。金儲けと銭勘定に関して妥協はしない、安心してろ」

 元詐欺師が、帳面に何やら書き込みながら答える。元詐欺師改め蛇介は、細面の優男だが、腹黒そうな態度や不機嫌そうな表情で、見てくれの良さを打ち消している。

「なら出納の一切は蛇介の管轄だな。俺は数字はさっぱりだから、助かるぞ。ああ、細々しいのは面倒だから、俺の財布も纏めて頼む」

 龍之進が懐から財布を取り出して、蛇介に向かって放り投げた。虎丸もそれに倣って財布を差し出す。二つの財布を手に取って、蛇介は目を丸くした。

「……お前ら、元とは言え、詐欺師相手に良くここまで無防備になれるな。俺が金持ち逃げしたらどうすんだよ」

「追いかけてころ、ではなく、取り返す。それだけだ」

 その問いに、龍之進がきっぱりと断じる。

「殺すって言いかけたな、今」

「習慣だ、本当にはしない。もう、そういうのは辞めだからな。暴治よりも信任が大切だ」

「それに騙し取る側なら、騙し取られる側にはならねえだろ。信頼できる」

 眉根を寄せる蛇介に、龍之進が何かの格言の様に偉そうなことを言い、虎丸もそれに続いた。

「はあ、なんか、逃げたら追いかけるって即答された当たり微妙だが、信頼は有り難く受け取っておく……って、虎はともかく手前ぇの方はほぼ空じゃねえか。鐚銭数枚しか入ってねえ。こんなもん盗る気もしねえわ」

 二人の言葉にどこか気恥し気にしながらも、手にした財布の口を寛げた蛇介が、龍之進の方の中身を確認して顔を顰める。

「なんだと、それでも俺の全財産だぞ」

「どうやって生活する気でいたんだ、お前」

「いや、それがな、盗みをせずに暮らすことが、こんなに金がかかることとは思わなんだ。そもそも金の使い方に慣れん。気付けばすっからかんだったが、まあ、そんな物は無くとも何とかなるものではないか?」

「ならねえよ。世の中金だ、金、金、金。先立つもんが無きゃあ、明日食う飯にも、今日着る服にも困るんだ。貧乏人に生きる権利はねえんだよ」

 龍之進のあまりの適当っぷりに、蛇介の語調が荒くなる。

「ふむ、そうか。街は山とは勝手が随分違うな。きっと理が違うのだろう。だが理解した。山において弱ければ必死、搾取されるも已む無しというもの。つまり街においては金こそが、強さの代替という事だな」

「なんだ、その獣みたいな理解の仕方。蛇介の方も大概酷ぇ価値観だな」

 すっかり話の蚊帳の外になった虎丸が、ぽつりと小さく呟いた。その声を耳ざとく拾い上げたのか、龍之進の顔がぐるりと虎丸に向く。こけしの首が回るような仕種に、虎丸は僅かに怯む。

「そうだ、金についてはそれでいいとして」

「よくねえよ、そんな雑な金銭感覚で頼られてたまるか。俺の負担が半端ねえ」

「それでいいとして! ついでに虎の髪と傷についても聞いておきたいな。なんだ、その奇抜な形相は」

 蛇介の抗議を掻き消す様に、龍之進はじろじろと改めて虎丸を眺め回しながら問いかけた。

 突然話の主軸に引っ張り出された虎丸は、その配慮に欠ける言葉選びに、拗ねたように口を尖らせる。しかし、本人も外見についての言葉はあるのか、渋い顔をしながらも短く言った。

「髪のことはよく分からねえ。俺には親父が居なかったが、お袋には折に付け、俺の親父は天狗なのだと言われていた。傷の方は、まあ、お察しだろ。刀傷だ」

「ふむ、そうか。しかし天狗と言うのは奇怪だな。何かの比喩か? どういうことだ?」

 龍之進は不思議そうに首を傾げながら、新しい丸太に鉋をかけ始めた。

「さあな。昔からこの髪のせいでよく化け物と呼ばれたから、つまりそういう事なんだろうな、としか」

「お前の親も化け物だったと言いたいのか?」

「ん……まあ」

 この話題が気に入らないのか、龍之進の追及をぶっきらぼうに躱しながら、虎丸は穴の開いた畳を繕っていく。

「いや、そうとも限らねえだろ。ほら、虎、さっきお前、船に乗ってこの辺りに来たって言っただろ? てことは、お前の故郷は、海か川の近くだった訳だ。俺は海だと思って聞いていたが、どうだ」

 無邪気に話を掘り起こそうとする龍之進と、ぶつ切りで話を綴じようとする虎丸の間で、空気が剣呑に摩擦される。それを察して蛇介は、二人の会話に割り込んだ。彼の問いかけに、虎丸は少し驚いたように眼を開いて頷く。

「おう、そうだ。俺の産まれは山近くだが、隣町には港があった」

「だろ? なら、天狗ってのは多分、最近よく来る海向こうの異人さんのことじゃねえか?」

「ああ、新政府ができてから殊更増えたよな。確かに奴らは、なかなか俺の知り合いには見ない見た目をしている」

 蛇介の発想に、龍之進も合点がいったのか、膝を叩く。

「そう、瓦解以来、堂々と入って来れるようになった訳だが、それまでは外国船お断りだったろう。だから俺らが餓鬼の頃まで、ああいう容姿の奴らが海から流れついたりすりゃあ、それこそ天狗とでも呼ばれただろうよ。肌は赤らっぽいし、丈はでけえし、鼻は高えし。そんでもって虎みたいな髪色をしているんだから」

「なるほど、つまり虎の母親は、漂流してきた外国人と契って虎を産んだ訳か」

「可能性だがな」

「なんだ、化け物でも何でもないじゃないか」

「……そうか、そんなこと、考えたことも無かった。……そうか、ああ、そうかもしれないな……」

 龍之進と蛇介の視線を集めて、虎丸は喜びに少し緩んだ顔を隠して俯いた。そして注目から逃げようと話を逸らす。

「流石、詐欺師をやっていただけあって、蛇介は頭がいいな」

「おう、ありがとうな」

 虎丸の素直な賞賛に、蛇介は軽く笑った。

「詐欺師だったから頭がいいというより、元から地頭がいいんだろうな。しかし、その良さが詐欺と言う形で発揮されたなら、斧を掲げて淵に入るという感じだな。使い道を誤られた斧が哀れでならない」

 しかし、すぐに龍之進の毒舌が続き、再び蛇介の眉間に皺が寄る。

「うるせえよ、余計なお世話だよ。手前ぇを含めて此処に居る三人、全員道を間違えたやつばっかりだろ。人のことを言える立場か」

「俺は自分のことを棚に上げるのが上手いからな!」

「長所みたいに言うな、胸を張るな、自慢にするな。ただただ嫌な奴じゃねえか」

 蛇介が口調も荒く言い返すが、龍之進は馬耳東風と言う様子。

「龍之進はなんか、全体的に文明や理性から遠い感じがするな。俺だって学のある方じゃねえから偉そうなこと言えねえけど、お前はなんて言うか、頭が悪い訳じゃなくても、獣めいてる」

 虎丸が一連の龍之進の様子に、ぽつりと感想をこぼす。

「酷いことを言うな、虎。俺だって人間らしさの一つや二つ」

「人間らしさが一つか二つしかないなら、あながち間違ってねえだろ」

「蛇介まで何を言う。なぜ俺ばかり攻撃されなくてはならん」

「手前ぇの方が無闇矢鱈に喧嘩を売り散らすからだろが。詐欺がどうとか、斧がどうとか」

「喧嘩なぞ売っておらん。褒めていただろうが、地頭がいいと」

「なんだろうな、悪意がねえのは分かるんだけど、龍之進は言葉の節々が鋭いんだよな。だから内容に関わらず、なんかこう、刺さると言うか……」

「歯に衣着せなくていいぞ、虎。龍、手前ぇの言動はいちいち癇に障るんだよ。いくら褒められようが、その後の下りで帳消しだ」

「こら、結託するな、二人がかりで卑怯だぞ。俺を除け者にするな、三人で仲間だろう」

「いや、別に俺も虎も、結託はしてねえよ。責任を転嫁すんな、向き合え、怒られている己に」

「まあ、なんて言うか……落ち着けよ、二人とも。作業進めようぜ。このままじゃ、今日も隙間風に吹かれて眠ることになる」

 まるで自分の罪過に無自覚で首を傾げる龍之進と、その態度に余計に腹を立て喰ってかかる蛇介。虎丸はそんな二人の間に入り、諫めようとする。

「それもそうだな」

 虎丸の言葉に龍之進はあっさりと議論を打ち切り、丸太に向き直る。

「……仕方ねえな」

 一方の蛇介は、暫くその背を睨みつけ、それから己を見上げる虎丸に目を移し、深く溜め息をついた。そして算盤と帳面を前に、腰を据えなおす。

 やがて再び鋸が木を切る音が、あばら家の骨組みを吹き抜けて、空へと登り始める。力強い音の切削音の狭間で、算盤の玉がぶつかる軽快な音と、藺草の擦れる密かな音も、部屋の中に木霊していた。

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