きっと大丈夫。

雪 ノ 猫

きっと大丈夫。

 部室の後ろで雑談をする友達。

 いいな。でも私が入ったらあの調和を乱すことになる。

「ねえ、亜沙あささん」

「何?伊織いおりちゃん。私に用事?」

「あの、えっと。なんで、泣いてるの?」

「え?」

 泣いている?そんなの気付かなかった。

 時報が鳴って、みんなが帰っていく。


 いつの間にか、部室には私達二人だけになっていた。

「何かある……よね?じゃなきゃ泣かないよね?この前『発達障害だ』って言ってたし。話してほしい、無理にとは言わないけどさ」

「聞いてくれるの?」

「うん」


 私はひとつ息を吸い込んで、話し始めた。


「――『ASD』そうだな、一昔前なら『高機能型自閉症』だったかな?って呼ばれてた。私の持ってる障害。良いこともあるんだよ?

 集中力が異様だったり、記憶力が良かったり。

 あとは、そうだね。空気が読めない。

『空気が読めないって困ってたけど、それもひとつの才能だと思うよ』

 って君が言ってくれて嬉しかった。

 なんで、って訊いた私に

『だってさ、空気読みすぎて話に入れなかったりするから。だから、羨ましいよ』

 ってさ。そんな考え方したことなかったからびっくりしたよ。でもその日、『空気が読めない』は私のなかで障害から才能に変わったんだ。


 でもね。

 やっぱりASDはなんだよ。


 みんなが当たり前に思うことが、私にはわからない。みんなが普通ということも、私は感じ取れない。

「ねぇ聞いて」から始まることなら、静かに聞いて、それで終わり。「なんか言ってよ」「え、聞いたけど……?」リアクションを求められて困ったことだって数えきれないくらいある。


 わかってた。

 私は違うって。


 親戚が死んでも、なんとも思えなくて。

 年老いた親戚を見たときに湧き上がった感情は『嫌悪』だった。嫌だ、近付きたくない――って。

 おかしいよね、怖いよね?気持ち悪いよね?

 そんな風に思ってしまうのが自分でも嫌。でも、変えられなかった。

 ねえ、どうしたらいいのかな?」


「そうだったんだ……でも亜沙さんは悪くない」

 少し見当外れな励まし。伊織ちゃんの精一杯なんだろうな。

「ありがとう」


 しばらく沈黙が続く。


「そんなのさ。どうしようもないじゃんね」

「え?」

「どうしようもない。でもね。私が普通にしてたら皆に迷惑がかかるんだよ。私は存在価値のない人間なの、だから死んだ方がいいんだよ」

「そんなこと――」

「あるよ。それとも、私が死んだら何か変わるの?」

「――っ!」


 ほら、答えられない。私がいなくても、皆普通に生きられるんだよ。

 涙がひとつ、またひとつと零れる。

「私だって、こんなのならなくていいならなりたくなかったよ!普通に生きて、笑いあって過ごしたかったの!でも無理なの。私はみんなのように感動できない。泣けない。私はみんなの思うことがわからない!

私と一緒でもメリットがないの!」

 そのとき、伊織ちゃんが呟いた。

「――そんなことないのにな」

「何言ってるの?」

「私が、証明する」

「へえ、そんなこと出来るの?」

 そんなわけがないのに。そう思って、私は意地悪く目を細める。

「出来るよ」

 ああ、やっぱり君は清らかで優しい。だからこそ、離れたい。

 私が一緒だと君のことをけがしてしまうから。

 出来るよ、と言い切った君は純白の羽を持った天使のようだった。それに比べ、私はぼろぼろの真っ黒くなった羽を持つ堕天使だ。駄目だよ。近付かないで。けがしたくないの。

「私はね、君に救われたんだよ。ひとりぼっちでいたのに、君といるといろんなことに巻き込まれて、あっという間に人が集まってきてさ。私は君がいてくれて、本当にうれしいんだよ」

「えっ……?」

 全くもって予想外だ。堕天使天使を救った?私がいて、うれしい?

 そんなはず、ないのに。

「前までは、『どうせ、これからもこんな感じでたいして面白くもない日常が続くんだろうな』って思ってたんだ。でも君と一緒にいて、本当に楽しくて。

 ――だから、君に存在価値が無いって言うなら私だってそうだ」

「違う、伊織ちゃんは」

「そう思うんだよね?それは私だって同じなの。君には良いところがたくさんあるんだよ。君が私を変えてくれたんだからさ」

「信じるのが怖いよ」

「なんで?」

「……今まで、冗談信じて笑われて、空気読めなくて白い目で見られて。そりゃ疑い深くもなりますよ」

 こんなのは八つ当たりだ。伊織ちゃんは悪くない。なのに止められない。

「そっか、傷付いたんだね――私が亜沙さんを傷付けない保証はないけど、大切にする。傷付けないように、一緒にいる」

 微笑んだ伊織ちゃんは、

「ほら、帰るよ。時間だから。急ご!」

 そう言って手を差し伸べた。

 今度は、信じてもいいのかな。

 涙を拭いて、こわばった笑顔をつくる。

「……ありがとう」

 手をとって、帰路についた。


「ていうかさ、なんで泣いてたの?」

「私が生きてても意味なんてない、死にたいって思ってさ」

「え!?」

 嘘でしょ!?ダメだよ、亜沙さんがいなきゃ私が悲しい!――と大騒ぎする伊織ちゃん。

「大丈夫、死なないから」


 これからも死にたいって思うかもしれないけど、君が止めてくれるでしょ?

『ASDだ』って言ったら馬鹿にするか、引くかどっちかだ、って思ってたんだ。でも伊織ちゃんはそのどっちの反応もしなかった。ただ優しく受け入れてくれた。私は、本当に幸運だった。


 世間の人は冷たい。

 でも、伊織ちゃんみたいに優しい人もいる。受け入れてくれる、理解のある人は必ずいる。

 親にも、先生にも、誰にも理解して貰えなくて苦しむ人に笑い掛けてくれる人は、絶対にどこかにいるから。

 だから、消えないで。なんて、希死念慮を持つ私が言えることじゃないけど。

 それでも、大切にされて、愛されて、今この瞬間だけでも生きていたいと思える、希死念慮のない瞬間。

 そのときには、「幸せだ」って笑えるはずだから。

 ――だから、きっと大丈夫。

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