最終話 エピローグ


―――12月25日(事件開始から五日目の翌日)―――



 クリスマス・イブが終わり、年末に向けて人々が慌ただしく街を行き交っている。連続殺人鬼『ジャック・ナイフ』が遂に逮捕された事で、ワイドショーは連日大賑わいだ。


 私は警察署内の取調室にいた。室内にはよく見知った長髪の女性刑事が、刑事ドラマよろしくバインダー越しに外の景色を窺っている。おもむろにタバコを取り出し、火を点けた。


「ここは禁煙じゃないのか?」


「堅苦しい事言うな。ほら、これ飲んでいいから」


 部屋の隅に置かれた彼女のバッグから取り出したものを、冷たい金属机の上に置く。私が最も愛飲するメーカーの、無糖の缶コーヒーだった。


「御霊鏡子」


 不意に女性刑事―――名前は冴木さえきゆみ―――が私の名前を呼びながら、対面の椅子に座った。


「だいぶ精神が参っているみたいだな。目の下のくまが凄いぞ」


「そりゃそうだ。今回の事件は、私の所為で彼ら彼女らを巻き込んでしまったんだから」


 私は肘をついて頭を掻きむしった。折角整えた髪型が乱れたが、気にしていられない。


「事件の顛末てんまつは全部聞いたよ。けれど桐崎は、たとえ君がジャック・ナイフ館に現れなくても、事件を起こしたかもしれないさ」


 冴木はそう言うものの、私の心は晴れなかった。手持ち無沙汰なのが居たたまれず、缶コーヒーを開ける。


「竜大のあの子たちは、取り調べでどうだった?」


「あの子って言うが、君と年齢は殆ど変わらない筈なんだがな……」


 冴木がポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコの灰を落とした。


「3人とも、大きな怪我はないし、精神的にも問題はない。新堂はむしろ、お前の事を心配していたぞ。今回の事は全部桐崎が悪いんだから、御霊さんは気に病む必要はないですよ、と伝えてくださいってな。

あの3人の中じゃ井上が一番落ち込んでたな。そりゃあ、仲間が理不尽な理由で殺されたし落ち込むのも仕方ないが、何度も溜息を吐かれるとこっちも滅入めいる」


 多分それは失恋したからじゃ…と言おうと思ったが、流石に井上に悪いので口をつぐんだ。


「柾世良は?」


「…あの子は強いな。仲間が死んで、死ぬほど怖い目に遭ったってのに、すっかり落ち着いている。一応病院で診て貰ったが、医者も異常ないってよ。

むしろ我々に、お仕事お疲れ様ですって気遣ってくれたし」


「そうか………」


 私は複雑な心境のまま、手元を見つめた。今は平気そうにしていても、見えない心の傷が残っているかもしれない。

 私は一体、あの子たちに何をしてやれたというんだろう。


「桐崎は?どうだ」


「アイツは全部ゲロった。部下たちに裏を取らせてる。精神状態としては特段興奮した様子もなく、平静そのものだな。

いつ御霊探偵は会いに来てくれますか、って聞かれて返答に困ったから、次アイツに聴取に行く時までに、面会予定は私にも教えといてくれよ」


 私は渋い顔をした。約束は約束だから仕方ないが。


「何度も話しただろうけど、御霊がジャック・ナイフ館に来てからの事を詳しく話してくれないか?桐崎から事情聴取した情報とも擦り合わせたい」


「あぁ……」


 以下、冴木と情報をすり合わせ判明した事実を時系列順に列挙する。少し文章が長くなるが、勘弁願いたい。



 桐崎は今から約2年ほど前に今回の事件について計画を立て、それを成功させるために『殺人の練習』を行う事にしたのが発端だった。それが道内で発生した例の連続通り魔事件である。

 桐崎は空間把握能力に優れており、また人の視線を感じ取る能力に長けていたとの事だ。犯行現場の監視カメラの位置や向きなども完璧に網羅していたらしい。通りで監視カメラや目撃情報が全く集まらない訳だ。


 最後の事件の後桐崎は『ジャック・ナイフ館』に目を付け、人目の付かない早朝にスノーモービルを使って行き来し、地下室含む別荘内の構造を予習していたとの事だ。そして、破魔家が別荘の購入を決定し、誰かしらがここに宿泊に来ると決まってから、桐崎の計画殺人が実行に移される事となった。私が死の臭いを感じ取ったのもこのタイミングだろう。

 清掃業者が出払った後に、地下室にナイフを大量に飾り付けたり、トリックのミスリード用のボウガンを持ち込んでいたようだ。スノーモービルを林の中に隠し、あとはひたすら獲物たちが罠に掛かるのを待ち続けていたのだろう。


 まず竜大のメンバーたちが別荘を訪れる。桐崎は外の物陰から、連中の事を見守る。まだ何もしない。事が動き出したのは、数時間後に次いで私が別荘を訪れてからだ、


 私が車で別荘を訪れ、荷物を持って降り立った直後。別の車の背後に隠れていた桐崎に襲撃され、意識を失う。そのまま奴は私を急いで物置まで運び、車の鍵を含む荷物や衣服類に至るまで、一切合切を奪った。そしてあらかじめ物置の中に用意しておいた道具で私を拘束し、声も出せないようギャグボールを口に含ませる。

物置の中には毛布とペットボトルの水だけ残して、南京錠で鍵を掛けた。

 物置内部はある程度の断熱性があったため、食料がなくとも水さえあれば数日は生存出来る計算だったらしい(桐崎が自分自身で実験して確認したと言っていたと聞いて、身の毛がよだつ思いがした)。


 桐崎は私から奪った服に着替え、私のスマホは車の中に適当に隠し、すっかり私に扮して竜大の連中と合流した。それと知らない新堂たちは、桐崎孔雀=御霊鏡子とすっかり信じ、受け入れてしまったのだ。


 私もその後目を覚ましたが、物置は鍵が掛かって出られず、声も出せず、毛布に包まって寒さを凌ぎながら、這いずり回ってギャグボール越しに水を飲み、助けを待つしか出来なかった。歴代の中でも最悪の思い出だ。

 物置の壁に体当たりして音が出せないかも試したが、思った以上に頑丈な造りだったのと、吹雪で音が掻き消されたであろう事も重なり、竜大の連中には全く聞こえていなかったらしい(新堂が、もっと早く気付いて助けられればこんな事にならなかったのに、と悔やんでいた)。


 かくして、ジャック・ナイフの殺人の幕が上がった。御霊鏡子の名を事前知識として知っている事を、桐崎の前で喋ってしまった破魔が最初に殺された。鍵の開いていない部屋に堂々と入り、ナイフで突き刺したらしい。

 そして翌日の死体発見後、桐崎は探偵役として場を取り仕切り、部外者であるにも拘らず、別荘内の空気を支配しつつあった。


 次に殺されたのは竹之内だった。彼は不幸にも御霊の部屋の真下を選んでしまったが為に、彼女の密室破りのトリックによって殺されてしまったのだ。

 更には新堂も利用し、部屋の前にシャー芯を仕掛けさせて、自分が部屋から出ていない証明を行わせた。その場に居なかった私が言うのもなんだが、窓が木で覆われた部屋を選び、その上新堂には逆密室の証明を行わせるなんて、トリックのお膳立てとしてかなりあからさまじゃないか。しかしそこは桐崎が上手く、探偵役の特権を犯行に大いに利用したと言えるだろう。


 こうして自身が犯人候補から外れ、完全に信頼を勝ち取った桐崎は、翌日の夜にエミリーを殺害した。話がある、と部屋の外から話しかけ、少し扉を開けさせた隙間からナイフで突き刺したらしい。

 疑心暗鬼になっていたというエミリーが扉を開ける相手なんて、竹之内殺害の犯行が不可能とされ、犯人候補から外された桐崎と柾だけじゃないか、と思わざるを得ないのだが、竜大メンバーの彼ら彼女らにそれに気付けというのは酷だろう。


 エミリーが殺された夜の翌日の朝に、新堂が私のウーウーと漏れる声に初めて気付き、一人で物置に接近していった。

 何よりもファインプレーだったのが、外に出たという新堂の判断だろう。もし誰かと外に確認しに行くとなれば、当然桐崎に声を掛けた筈だ。そして桐崎と一緒に外から声のような音が聞こえるから確認しに行こう、なんて言ってしまった暁には、一緒に外に出て、人知れず口封じされていたに違いない。

 本来ミステリでは死亡フラグである筈の『』という行為によって、彼は辛くも命を失わずに済んだのだ。

 

そして更に幸運なのは、外で桐崎に襲撃されたという点だ。外に出るからには防寒具を身にまとう必要がある為、彼はニット帽を被り、マフラーを巻きつけて外に出た。この防寒具によって、後から追ってきた桐崎に襲われた時、頭部を殴られたもののニット帽がクッション材になり、首をナイフで切られたがマフラーのお陰で致命傷にならずに済んだのだ。

 

 幸運は重なり、そのタイミングで一緒に外を捜索していた井上が桐崎に遠くから声を掛けたという。よって桐崎はトドメを刺す事が出来ずに、雪を被せてすぐにその場を立ち去るしかなかったそうだ。その後桐崎は新堂を探しに外に出たい衝動に何度も駆られたそうだが、あの状況で井上と柾から離れるのが明らかに不自然であった為、言い出す事が出来ず、夕方近くになって推理ショーを断行するに至ったらしい。


 新堂が目を覚ましたのは、桐崎に襲われてから1時間前後の事だったそうだ。偶々たまたま彼の特技が鍵開けだったお陰で南京錠を突破する事が出来、四日目にして私は新堂に発見された。その時の私は空腹やら寒さやらで意識が朦朧としていたが、目が覚めている時は音を立てて助けが来るのを願う事だけは忘れなかった。

 なんとかそれが実り、新堂に届いたのだ。彼には感謝しかない。


 新堂が私を助け起こし(私の下着姿に、彼は少しどぎまぎしていた様子だった。あの状況でそんな事を気にする余裕があるとは大物だな)、桐崎が御霊鏡子に成りすましている事を知ると、彼はすぐに別荘内に戻って井上と柾(とエミリー)に知らせようと言った。

 が、その時の私は立てるかどうかすら怪しいぐらい体調が万全でなかったし、そんな私を無理に抱えていって、外の気配に気を配る桐崎に先に見つかり襲われたら、共倒れになる可能性も高い。私はその事を新堂に説明し、彼女が夜に犯行を行い続けているのであれば、それまでに私の体力を回復させてから合流した方がいいと言い聞かせ、納得させた。


 物置内で休んでいる間、新堂からはこれまでの経緯を全て話してもらった。なぜ、どうやってあの女が破魔と竹之内を殺害したのか、推理する時間も必要だった。

 体調は相変わらず最悪だったが、頭は妙に冴えていた。ある程度、彼女のトリックに予測を立て、これ以上の犠牲者が出ないよう、細心の注意を払って彼女を追い詰めなければならなかった。推理がある程度構築出来たものの、現場を見てみない事には決定的な証拠を提示出来ない。エミリーが殺されてしまったのは私の責に帰するところだが、彼女がダイイング・メッセージを遺していてくれたお陰で、桐崎を犯人と告発する事が出来た。



「オーケー。これで事件の全貌が明らかになったよ………ん、どうした?」


 冴木が情報を纏めた手帳を見返しながら、ふと私の暗い表情に気付いた様子で話す。


「いや………ただ今回の事件で、本気で探偵引退を考えただけだ」


「おいおい、『私が事件を解決しないと、より多くの犠牲者が出る』が口上じゃなかったのか?」


「そう思ってた。そう自分に言い聞かせてた、と言った方が正しいかもしれない。

実際、死の臭いを感じ取りながらも現場に赴かなかった結果、結局事件が発生したケースは何回も見てきた。

けれど、今回の様に直接的でなくても、私という存在そのものが、事件を起こしているんだとしたら………もしそうだとしたら、私なんてこの世に存在しない方がいいだろうな」


 そう言いながら、奥歯を嚙み締めた。


「らしくないな」


 冴木はこちらをじっと見つめている。


「こんな事があれば、私だって弱音を吐くさ」


「前々から思ってたけれど、君は自分を過大評価し過ぎだな。自分が世界の中心だと勘違いしてるかのようだ」


「は?」


 言い方に少しイラッとしながらも、初めて冴木の目を見た。彼女らしい、とても真っ直ぐな瞳だ。


「君も、私も、この世界の中では所詮一人の人間さ。君がこの世からいなくなることで、間接的に殺人事件が起きなくなると思ってるのなら、それは間違いだと思うね。

君がいなくなった後も、殺人事件は世界中で起き続けてるに決まってる。

それなら、君は君に出来る事をやるしかないだろう?」


「……………そう、だな」


 この時初めて、私は渡されたコーヒーに口をつけた。コーヒーは、相変わらず苦かった。


「死の臭いは?」


「…今は感じない」


 冴木は、ふっと息を吐き。


「聴取が終わったら、しばらくゆっくりしな。探偵にも休息は必要だ。

で、近いうちにメシでも食いに行こう。オゴってやるよ」


 別に金に困ってる訳じゃない、と言おうと思ったが、やめにした。



 バインダーの隙間から窓の外を眺めると、素晴らしく快晴だった。




―了―

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ジャック・ナイフの殺人 あーる @jinro_R

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